第9話 守護霊ミーティング
祈の異母兄で、尾噛次代当主である望の朝は早い。
日の出と共に起床し、弓術の鍛錬に始まり、馬術、槍術、剣術の鍛錬は日が頂天に達するまで続く。
後ろで無造作に縛られた母親譲りの光沢のある黒髪と、四肢を覆う鉛色の鱗が、日の光を弾き飛び散る汗と共に煌めいた。
軽食を摂った後は、帝国中央の知識を学んだり、日によって過去の戦や周辺の地理を学んだり…日が傾く頃に、ようやく自由な時間となるのだ。
数えで10になる望は、それを辛いと思った事は一度たりとも無い。
家と家臣達と土地に住まう民の未来を背負う覚悟があるからこそ、自身の鍛錬に一切の妥協など無い。
とはいえ、そこはやはりまだまだ遊び盛りの男の子。
日課を終えたという程よい疲れを伴う充足感とは裏腹に、何となく形容の為難い渇望感も覚えるのであった。
そんな望にとっての唯一の癒しが、日没までの僅かな時間を異母妹の祈と過ごす事である。
「祈っ、遊びに来たよ」
「にーさま、いらっしゃい」
出迎えたそのままの勢いで、祈は両手を広げ望の胸に飛び込んだ。
この家の離れで暮らす祈にとって、異母兄の望が周囲で一番歳近い存在である。
守護霊が常に側にいる祈は、日常孤独を感じる事は無いが、当然大人(?)である俊明達とは合わない話もある訳で……
常に優しく、幼子のレパートリーの無い拙い話でも茶々を入れる事無く真剣に聞いてくれる望の事が、祈はとても大好きだった。
「いつも祈の面倒をみて下さってありがとうございます、望様……」
「いえ。祀梨様もおかわり無い様で……もし何かあれば私から伝えますので、何でも申して下さい」
頬が次第に赤くなるのを知覚し、何故だか判らない気恥ずかしさに望は戸惑う。
(……母と同年代であるはずなのに、そんな感じ全然受けないせいなのかな? でもなんだろう……胸がドキドキしてる気がする……)
「なぁ武蔵さん、あの位のガキの頃にさ、あんな言葉自然に出せたか?」
「あり得んでござる。今思えば拙者、野猿と変わらん様な糞餓鬼でござったよ」
「あたしは……「「ああ、知ってるから良いよ(でござ)」」……ちょっ!」
「にーさま、おままごとやろー。にーさまは、おとーさんだよー。かあさまは、かーさまー」
「うふふふ。はいはい……」
「あれ? 祈は何をやるんだい?」
「わたしはーわたしをやるのー」
嬉しそうに両手を上げて屈託無く笑う祈の姿に、二人の竜鱗人の顔がほころぶ。
(やっべ。泣けてきた……祈、コレ完全に家族愛に飢えてるって事じゃね?)
(父君は完全に祈殿を避けてござるしなぁ……)
(ああああああああ、あたしじゃお姉さんかお母さん役しかできないからなぁぁぁぁぁぁ)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
草木も眠る丑三つ時
守護霊三人は何となく、囲炉裏の真上天井付近に集まっていた。
「つーかさ、そろそろ……何とかしないと不味いと思うんだ」
「何が、でござろうか? あの女に関しては、今後も定期的に脅せば良いだけでござるし。他に何か問題でも?」
「あン時は、何故だか知らんが妙に楽しかっt……じゃなくてさっ! 母親っ! 祀梨さんの事っ!!」
「イノリの身体に無理が無い程度の生命力で現界保持できてるんだから、何も不都合無いんじゃないの?」
面倒臭そうにマグナリアは腕を枕にし、空中に寝転がる。
今更何だ、祈に問題無ければ何でも良いだろうと、何処までも祈至上主義者の守護霊その3が、こいつである。
「そこじゃなくてだな……あれな、祈は一切の自覚無しに、あの状態を維持してるんだ」
「「それが?」」
俊明の言わんとすることが全然判らない二人は、話の続きを促す。
「祈にそれとなく聞いたんだがな……あいつ、母親の死を認識していない。霊魂が生前そのままの姿に視えて触れるってのも、実に難儀なモンだな」
もしくは、わざと現実を見ない様にしてるか……
どちらかと言うとそっちの可能性の方が大ありだけどな。と、溜息交じりに俊明は語る。
「そんなの特に周囲に見られなきゃ、問題無いんじゃないの? マツリってば、使用人がいる時は空気読んで奥に引っ込んでるし。それに、どうせ特に用事も無いのに離れに来る物好きなんて、あのお坊ちゃま位でしょうに」
「そのお坊ちゃまは、少なくとも祀梨さんの死を知ってる筈だぞ? 何せ主導したのは、その母親なんだからさ……」
「だが、かの御仁、祀梨殿の顔を見ても、特に反応なぞせんかったであろ? まさかとは思うが、祈殿の能力を識っている……などと事は?」
「それな。わりと笑えん話だけど、充分にあり得る話だ」
あちらの世と、こちらの世の認識が曖昧なまま成長すると、その判別が怪しくなる。
死者と変わりなく会って会話する事に違和感が無いという事は、もちろん忌避感も一切無いという事なのだ。
「で、祈はあいつにスゲー懐いてるし、当然しゃべってるだろうな。すんなり受け入れが出来ているって事は、あいつもアレに近い能力を持ってる可能性も高い」
「尾噛の家に流るる血というのは、本当に謎だらけでござるな…」
武蔵は、嘆息と共にもう伸びる事の無くなった顎髭を撫でた。
「いかん、話が逸れた。死んだ魂をずっと現世に留めておくのは、本当に良くない事なんだ。まぁ、何だかんだで今まで黙って目を瞑っていたのに、今更と言えば今更な話なんだけど」
「でも、マツリは望んであの力を受け入れてるんでしょ? いくらイノリの力が強くても、あの人が力を拒めばそこで終わる話でしょうに」
「そりゃ母親なんだから、我が子を見捨てるなんてできる訳無いだろ。そもそもまだ赤子だった祈が心残りだからこそ、現在の状況なんだぞ」
幼い我が子が心残りであったであろう祀梨の霊は、昇天する事無く祈の周囲を漂っていた。
生前とほぼ変わらない仮初めの身体を得たきっかけは、本当に偶然だったのかも知れない。
だが、それはあくまでも、異能による仮初めの幻想であり、剥き出しの魂であるという真実は変わらないのだ。
「霊界の分類でいうと、今の祀梨さんは地縛霊にあたる。祈の能力によって地に縛られているからな」
この世への強い未練によって縛られた霊は、その未練によって、知らず知らずの内に何時か自身を闇の領域へと染め上げてしまう。
それがどれだけ清らかな、正しい想いであったとしても、肉の器の無い剥き出しの魂というのは、周囲の悪意に染まり易いからだ。
「まぁ俺達が近くに居るから、悪霊に化けるって事は無いんだが…祀梨さんが今のまま残り続ける限りは、輪廻の輪に入れない訳だ。普通、輪廻の機会は、それが寿命死の場合ならすぐに来る。事故の場合もそれが定められたものなら、当然寿命死の扱いな? だが一度輪廻のタイミングを逃すと、次の機会は下手すりゃ百年……千年単位になる可能性もある。なのに、その列に入らないままの現状が非常に不味いってのは、お前達にも理解できるよな?」
「確かにそうなってしまったのなら、それは不憫な話でござろう……だが、なら何故俊明殿は、それを知っていながら今の今まで見て見ぬ振りをしてござったのだ?」
「……ずっと言わなきゃって判ってた。判ってたよ……でも、俺だって本当はこんな事言いたかないけど、もう黙ってられなくなったんだよ」
祀梨の死因は呪殺によるもの。それは世界に定められた死では無かった。
だから、多少の誤差だと目を瞑る事ができた。
しかし、だからといって世界に定められた命のルールを、何時までも無視する訳にもいかないのだ。
「でも、貴方…それをイノリに言える? あの子の理解と、マツリの同意が無ければダメなのよ?」
マグナリアの意見は尤も過ぎて、俊明は頭を抱え煩悶する。
まだ幼い祈に道理を言って聞かせた所で、全てを納得し理解できるのか?
祈という未練を残したまま、祀梨を説得できるのか?
「っかー! やっぱ守護霊の規約を無視してでも、あン時護っときゃ良かったかなーっ?!」
何となく後退した額をピシャピシャと掌で叩きながら、今更な台詞を吐く俊明であった。
誤字脱字あったらごめんなさい。