第88話 その後始末的な話4−2
「くぁ~っ。こうやって湯船に浸かるってんな、本当に良かねぇ」
「これは贅沢。これぞご褒美……」
古賀一光による魔の森の掃討作戦にも、一応の区切りがついた。
愛茉の斎王継承の最終儀式でもある地鎮の儀によって、魔の森一帯を覆い尽くしていた”穢れ”が祓われ、それを境に魔の森に住まう魔物の動きが次第に鈍くなっていった。
お陰で、古賀と尾噛の精鋭達はさしたる被害も無く、着実に魔の領域を削り続け、人類の支配域を大きく広げる事ができたのだ。
その最中、偶然にも一行は、温泉の沸く場所を発見する。早速一光はそれを有効に利用すべく、温泉施設を備えた砦を築いたのだ。必要な材料は周りに幾らでもある。後はそこに費やす情熱だけだ。
空と蒼の天翼人の姉妹は、漸く与えられた休息を使い、古賀の造った福利施設を充分に堪能していたのだ。
「最近は身体を拭く程度しか出来なかったから、これは本当に有り難い……」
湯を沸かす為に必要な燃料は、本当に貴重品だ。日常生活ですらそうなのだから、こと戦場においては尚更である。それでも空の様に、清拭できるだけでも充分に優遇されている証拠なのだが、やはりそこは年頃の女性。身体のベタつきと臭いが気になるのは仕方のない事だろう。
「本当になぁ。そんで全身ば温まるんな、気持ち良かねぇ……」
それが温泉ならば、湧き出てくるもの全てお湯なのだから、これを利用しない手はない。
一光は本当にやり手であった。こうして施設を開放する事で兵の鋭気を養い、更にはその先……将来的に湯を全面に推しだした、一大歓楽街の計画すらをも立てていたのだ。
「古賀のお坊ちゃまは、本当にやる。今後、古賀領となるこの土地は、凄まじい勢いで発展するだろう」
「直轄領て言えば聞こえがよかばってん、実際んところはただん遺棄地やったけんな。人ん手がほとんど入っとらん。本当にお父さんば、人間の屑ばい。ばってん、今回は古賀ん坊ちゃまん勝ちやなあ」
斎宮と近くの集落は、国の守り神の結界によって保護されてきた。だが、魔物を駆逐し、今切り開いている土地は、人の手が一切入る事の無かった領域であり、全てが古賀の手柄である、帝の名の下に赦され約束された領土なのだ。今更それを翻せはすまい。
「まぁ、今更お父さん達ば屁理屈捏ねえ返して言うたっちゃ、証人ばさせられたアタシらが許さんのやけどな」
「その通り。その為にもわたくし達は、報告も兼ねて帝国に……赴かねばならなくなった……」
急にがっくりと項垂れる空。早く尾噛領に戻って、今や欠乏状態にある『望さま分』を回復したかったとの事。良く解らない、解りたくもない謎の単語の意味なぞ、蒼は深く考察したくは無かった。聞こえないフリをする事に決めた。
「ばってん、一度戻らなならんのは、仕方がないて思うばい? アタシら考えてみたら、なんでんかんでん置いたまま、何も持って来とらんのやし」
父親である鳳翔に任務で呼び出され、そのまま何故か尾噛家に押し入り家来として収まってしまったのだ。考えてみたら、あまりに奇妙な話なのである。
斎王の護衛として一旦は帝都に戻りはしたが、いきなり仰せつかった愛茉失踪の追跡やらに追われ、結局私物やら何やらを取りに実家に戻る暇がなかったのだ。そういう意味では、丁度良い機会かも知れない。
「いっその事、とと様に絶縁状を叩き付けてやるのも、良いかも知れない」
「……空姉は、本当にお父さん好かんのやなぁ」
「本当に、どうしてなのかは謎。でも、何故か嫌。生理的に無理」
「うわぁ。これ聞いてしもうたらお父さんな、首吊ってまうかも知れんなぁ」
心底嫌そうに、空は吐き捨てた。責任感が強く、優等生を演じているせいか、昼行灯を装う父の翔の姿が、心の底から否定したい嫌なモノの様に映ってしまう様だ。蒼は、そこまで言ってしまうのではあまりに父が可哀想だと思うが、だからと言って、空の言葉を頭から否定する気にもなれない。蒼も父に対し、不満に思う事が多々あるからだ。
「当主が首を吊ってしまうのでは、鳳の家名に傷が付く。勘弁してやるとするか」
「……空姉、あんた何様んつもりなんや」
親子が不仲というのは割と良く聞く話だし、端から聞く分には面白いものだ。だが、それが身内の事となると流石に話は別だ。ましてや、その間に挟まれる身となるのは、本当に勘弁して欲しいものである。蒼は湯気を逃がさぬ様低く造られた天井を仰ぎ、嘆く他は無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「光クン。良い報告が届いたよ」
「お、珍しい。なんだい翔ちゃん?」
奥の院に潜む、翼持つ二人が互いのあだ名を呼び合う。すでにいい大人……というか、すでに初老の域を超えた親父共がよくもまぁ……と、彼らをよく知る者達ならば、絶対にそんな感想を抱くだろう。だが、彼らはこの世に生を受けたその日からの、無二の親友なのだ。今更呼び名を変える事なぞできる訳もない。
「斎王の儀、恙なく全て終えたそうだよ。これでもう一つの帝国は、安泰だね。良かった良かった」
催事神事全般を執り行う、もう一方の”帝国”。
その頂点に君臨するのが斎王だ。その斎王の継承が、全て成された。その事は、政一切を取り仕切る本来の”帝国”としても喜ばしい事である。ある筈だ。安定こそが、政治の基本なのだから。
「うん、それなら少し前に守り神様が、僕の枕元に立ったよ。そして言うんだ。『古賀の坊やに、絶対に手を出すな』ってさ」
「……さすが守り神様。完全にボクらの意図が読まれていたねぇ」
帝国の領土は、全て人の手が入っていた。これ以上の拡大を望んでしまえば、それは隣接する他国との軋轢を生み、戦へと発展する。戦をすることなく、拡大を望むというのであれば……残されるは、一切の人の手が入っていない魔の領域、魔の森周辺だけとなるのだ。
そこを古賀に押しつけてしまえば良い。彼が上手い事魔を駆逐し、開発の手が入れられる余地を作り出せれば……その時は何か理由をでっち上げてでも、召し上げてしまえば良い。翔はそんな悪辣な手を考えていた。元手は古賀家に全て押しつけ、美味しいところだけ掻っ攫おうというのだ。正に盗人の発想である。
「いや、僕はそこまで悪辣な事は、流石に考えていなかったよ? 確かに一光は継承順位で言えば最下層だ。だけれど困った事に、アレが一番出来が良く、実に頭が切れる。僕はあの子に、誰も文句の言えない実績を作ってやりたかったのさ。そりゃ、これが上手く行って税収が増えたら良いなーとは、思っていたけどね」
「って事は光クン、まだ引退する気無いんだ? そろそろボクはしんどいから退きたいナーって思っていたのに」
いくら一光が優秀であろうが、彼はまだ40そこそこの子供である。成人にすらなっていないのだ。その彼を帝として後継者に指名するには、色々なモノが足りなかった。
権力は、古賀の家という確かな後ろ盾がある。だが、周囲を黙らせるには、実績と経験。そして年齢が決定的に足りない。
魔の森に潜む魔を駆逐し、森を切り開き、斎宮周辺の集落を発展させ都市化出来れば。それは誰からも文句が出せぬ、大いなる実績となる筈なのだ。
そこで光輝が、一光を次期皇帝として指命する。反対派は黙らざるを得ぬ筈だ。他の候補者という神輿を担いで異を唱えるのならば、これほど判りやすい叛意も無い。徹底的に潰すのみだ。帝国の今後200年を盤石とする為ならば、今生の帝として、父として。その程度の事はしてやらねばなるまい。
「まぁ、これが上手く行くかは、かなり分の悪い賭けだけどね。一光はまず失敗はしないだろう。だけど、時間がかかり過ぎたら、そこまで僕の寿命が保つか……こればかりは、ねぇ?」
あるいは、痺れをきらした候補者の後ろ盾の誰かさんから、刺客を仕向けられる場合もあり得る訳だしね。そう淡く笑う光輝の横顔に少しだけの諦めを看て取った翔は、不吉な気配を覚えた。
確かに、そういう考えをしそうな家を二つほど心当たりがある翔は、その可能性を常に考慮に入れて対策せねばならないだろう。だが、いたる所に人材不足の4文字が躍る現在の帝国の内情では、これがかなりの難問と言えた。対策に穴が無くとも人員の方に、穴が無数に開いているのだから。
「まぁ仮にそうなっても、あの土地の開発が順調に進んでさえいれば、誰も一光を害する事はできないだろう。恐らくは、この都を凌ぐ富を築く事ができる筈だ。何せ、守り神様のお墨付きなんだからね」
「……光クン、意外に子煩悩なんだね。そんなに古賀のボンが可愛い?」
ちょっと前に、娘の教育を間違ったとさめざめと泣いていた癖に、そんな事を完全に忘れたかの様に、親友に問うた。確かに、彼の子供は男女合わせて10人いるのだ。その中でも、一光を一番可愛がる素振りを見せるのだから、疑問に感じてもおかしくは無い。
「君に言われたくなかったな……僕だって、人の親だ。我が子は皆可愛いさ。でも、一光はその中でも一番ひたむきで努力家だ。そんな努力に報いてあげなきゃ、親として嘘だろう?」
「……納得。ちゃんと父親してたんだね。うん、ごめん。光クンの事、少しだけ侮っていたよ」
「気にすんな。僕もそれは自覚があったからね。口で言ってる程、立派な事はてんでしていないってさ」
我が子と国を両天秤にかけている自覚はあった。そして、その場合は、常に国を優先してきた。それが帝として当然の仕業であり、宿痾なのだ。
だが、どうしても、後継者の指名には私情が出てしまう。一光が資格者の中で一番優秀で真面目なのは周知の事実ではあるのだが、彼が一番継承順位が低いのも、また事実なのだ。
全ては帝国の未来のため。そう言えば聞こえは良いが、今回この策の実際の所は、ただ純粋に光輝の依怙贔屓でしかないだから。
「だけど、これは愛茉の要望にも合致した訳なんだから、まぁ良いよね」
『此方は、都に住み続けたい。煌びやかな生活をおくり続けたいのに、なのに、辺境行きかえ……』
次期斎王が決定した際、愛茉がずっとそうボヤいていたのは、光輝も承知していた。確かに不憫だと思ったが、立場上何も言ってやれなかったのだ。一光はそんな愛茉の心の痛みを、我が事の様に慮った。心優しき者だと心底関心したのだ。
「ま、そんなこんなで、僕はまだまだ死ねないし、引退する訳にもいかない。だから、翔ちゃん。これからもよろしくね?」
「……はいはい。仕方ないなぁ、光クンは。全て上手く行って、引き継ぎが終わったら、精々後継者達をひっかき回してやろうね?」
後ろであーでもない、こーでもないと散々口を出して嫌がらせしてやろう。そう翔は言うのだ。引退してしまえば、もはや他人事。もう果たすべき責任は無いのだ。
「それは、楽しそうだなぁ……」
「でしょ? こんのクソ爺どもってさ、ふたりで嫌われてやろうよ」
遠い楽しい未来図を胸に抱き、いい歳こいた翼持つふたりは、最高級の玉露で乾杯した。
誤字脱字があったらごめんなさい。




