第86話 決戦! 地鎮の儀
『穢れをこの場に閉じ込める。皆の者、下がるがよい』
朱雀が翼を広げ、大きく鳴くと、空き地の周囲いっぱいに炎の壁がせり上がった。
炎に押し出されるかの様に、古賀と尾噛の連合軍は森の中に後退せざるを得なかった。だが、魔王の魂を外に放つなぞ、最悪の事態だけは絶対に避けねばならない。
その間にも汚泥の様な物体は、要石から止めどなく湧き出ていた。
(祈っ! すまないが、昨日俺が言った事は忘れてくれ。斎王の補助なんかやってたんじゃ間に合わない、こいつはヤバい。全力で行くぞっ!)
(祈殿、貴奴に物理攻撃はあまり効果を成さぬ。攻撃の際は、剣気技か、または魔法を用いるべし)
(イノリ。あいつに単体魔法を使ってはダメよ。確実に跳ね返してくるわ)
元三勇者から様々な指示が飛んで来る。それだけ不味い事態というのが嫌と言う程理解させられた。祈は唾を飲み込んだ。
「まずは、その動きを止めるっ!」
祈は素早く九字を切り印を結ぶ。未だ不定形のままの”穢れ”を、幾重もの捕縛呪による念の網で絡め取り、一気に締め上げた。
「ぐっぎぎぎぎぎ……暴れ、るっ……なっ!」
祈の念を引き千切ろうと、穢れが力の限り藻掻き抵抗する。念の力比べが始まった。
「尾噛の娘が穢れを足止めしている今の内じゃ。愛茉よ、いくぞえ」
「はい、光流様っ!」
斎王達が、朱雀に願い請う。目の前の穢れを焼き尽くせと。その願いを世界に行使する力に変え、朱雀は大きく羽ばたき、大空へ舞う。
『異界の魔王よ、我が炎をとくと受けよっ』
炎の翼から幾条もの炎の槍が現れ、地上に在る不定形の穢れ目掛け、それらが一斉に降り注がれた。
「Ugurraaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」
炎の槍は、しかと穢れの不定形の肉体を穿ち、無数に空けられた孔から炎が立ち上がり、邪悪なるその身を焼き清める。
「Gurururur……BaaaaaaaAaaaaaa!」
だが、穢れは聖なる炎によって消滅する以上の速度で、不定形の身体がいくらでも再生していくのだ。このままでは、いつまでも穢れを倒しきれないだろう。祈は呪縛する念に力を込め、更に強く締め上げた。
(祈、捕縛呪の上に破邪呪を重ねろ。少しでも奴の力を削ぐぞ)
(解ったよ、とっしー!)
締め上げる力をそのままに、祈は破邪呪の印を重ねた。破邪の力は祈の念の網を伝わり、捕縛呪で締め上げている穢れを焼いた。
「GoAaaaaaaaaaaARrraaaaaaaaaaaaaaaaaaaっ!!」
属性の異なる力で同時に焼かれ、穢れはたまらず身を捩り激しく抵抗を始めた。まだ要石から全ての穢れが外に出てきてはいない。今の内に成し得る限りの力を持って、穢れの力を徹底的に削らねばならない。そうしなければ、今にも逃げられてしまう可能性があるのだ。
「Goruaaaaaaaaaa……GoBuRuraaaaaaaaaaaa!」
全てを呪えとばかりに、穢れの発する咆吼が魔の森一帯に轟いた。その不吉な呼び声に呼応するかの様に、森の奥から無数の魔物達が、古賀尾噛の連合軍の前に姿を現す。
「ようやくおいでなすった。こっからが正念場だ。お前ぇらっ、前衛に身体強化、風の護りを絶やすなよ!」
「来たぞ。我らはここに旗を掲げる。天下に古賀と尾噛が在る限り、帝国を脅かすもの、これ全て駆逐せんっ! 者共っ、生き残れっ。手柄を挙げよっ! 恩賞は諸君らの思いのままぞ」
人間種換算で言えば、まだ歳は10くらいか。とはいえ、古賀一光は確かな武人の資質を持つ様だ。彼の良く通る声から発せられた檄は、軍を鼓舞するに充分な効果を示した。
尾噛の将である祈が、その指揮権を一光に委譲した現在、古賀の戦力を温存し、尾噛軍を酷使する事も彼にはできた。だがそれをあえてしなかった。その様な目先の得だけを追い求めていては、本当に危機に陥った際に立ち行かなくなるのは目に見えている。信頼関係とはそういうものなのだと、一光は良く理解していたのだ。
「古賀のお坊ちゃまは、将来良い将になる。さて、我らも力を示さねば」
「分かっとー。ほれ、空姉も行くばい。いい加減ここらで手柄ば挙げな、無駄飯喰らいって言われてしまうばいっ!」
懐から無数のヒトガタを取り出し、姉妹はそれぞれに念を込めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
古賀、尾噛連合軍と、魔物の群れによる場外乱闘は、果てる事無く続いていた。
個々の戦力は大した事の無い小鬼や犬面人でも、一度に向かってくる数が脅威だ。連合軍の兵ほぼ全てに身体強化の魔術が行き渡っているお陰で、被害は今の所軽微だが、強化術には反動がある。その為、祈は二交代制による防御陣を敷く献策を古賀側にしていたが、これにもやはり限界はある。あまりに長引く様なら、何れ綻び、そこから陣が崩壊する可能性もあるのだ。
(まだこの程度の魔物達で済んでいる今の内ならば、問題は無い。日が落ちて屍食人やら鬼種が来る様になっては、人ではもう対処が出来ぬ。そうなったら吾も死を覚悟せねばならん……)
魔術士を多数確保できれば、その対処も充分にできるだろう。だが、魔術士は帝国内でも貴重な人材だ。尾噛側には数こそは少ないが、その分優秀な人材が揃っていて羨ましい限りだ。古賀の魔術士の数は多いが、中級魔術以上の遣い手は片手の指で足りる程度しかいない。
屍食人ならば、まだ下級魔術だけで何とかなるだろうが、鬼種だけはいけない。あれは本当に人の手に余る。
(それまでに、愛茉よ。頼むぞ……)
古賀一光は内心の焦りを一切面に出す事無く、冷静に軍を指揮していた。
人の上に立つ。そんな宿命の元に産まれてきた彼は、本当に優秀な指揮官であった。今も、きっとこれからも……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
封印されていた要石から、全ての穢れが外に這い出てきた。
斎王達の操る朱雀の聖なる炎を浴び続けながらも、祈の破邪呪を喰らい続けながらも、それは、遂に当初の目的を果たしたのだ。
後は、この忌々しい地から飛び立つだけだ。
その為には、先程から唔の邪魔をする、この鬱陶しい虫けら共を払い除けねば。
穢れ……いや、異界の魔王の魂は、今は完全の個体にはほど遠い、哀れな存在と成り果ててしまった。認めたくはないが、それは理解している。
だが、唔の周囲を羽虫の如く飛び回る精霊神は、目の前に佇む虫けら共のせいでその力を大きく制限されている様だ。アレの本来の力が唔に向けられれば、瞬きの内に消滅させられるだろう。だが、今や蠅と変わらぬ哀れな存在に過ぎぬ。あの虫けら共を生かしておけば、それだけで炎の精霊神の大いなる足枷になろう。放置するに限る。
問題は、その横にいるあの小娘だ。
あれの力は、正に脅威だ。未だこの身を縛るこの念を解く事ができぬ。さらに念の網に込められし破邪の力。これが途轍もなく厄介だ。確実にその身を削り続け、再生が追いつかない。
魔物の魂を喰らえば、いくらでもこの傷は回復できよう。その為に塵に等しい小物共を大量に呼び寄せたのだ。だが、炎の精霊神による結界がそれを阻んでいる様だ。なれば、まずは小癪な術でこの身を縛り続ける小娘を葬り、この地から抜け出さねば。
不定形だった汚泥は、いつの間にか人の容を取っていた。
頭には雄牛の様な大きな角を持ち、血の色を湛えた瞳は爛々と輝き、大きく割けた口からは犬歯がはみ出ていた。身の丈九尺はあろうかという異様な大男が、そこにいたのだ。
(やはり! あの顔絶対に忘れるものかっ、大魔王っ!)
憎々しげにマグナリアが穢れの真の名を呟く。多くの仲間が、目の前にいる魔王の手によって命を失ったのだ。憎む為の理由はこれ以上無いだろう。
「忌々しい網よ。食いちぎれぬのなら、このまま貴様を殺すのみぞっ!」
魔王から無数の黒い瘴気から作られた触手が、勢いよく祈に迫る。身を縛る術が外せぬならば、その術者を殺す。さすが魔王と言うべきか、判断と行動が早かった。
だが、祈も術者を真っ先に狙うだろう事は、充分に予測済みである。まさか触手で来る等とは思いも寄らなかったが。
祈は両手の鬼面の篭手に生命力を込め、魔王から伸びる無数の触手を、倍の数の鬼の手で迎撃した。叩き、払い、握りつぶす。数は力だ。魔王の触手を制圧するのにそう時間はかからなかった。
「ぬうううううう、小癪なぁぁ!!」
意図を読まれただけではなく、あっさりその攻撃を潰され、魔王は歯噛みする。なれば無理矢理にでも引き千切ってやる。それくらいの力ならば、出せる筈だ。魔王は渾身の力を込めて、祈の捕縛呪を強引に解こうと藻掻いた。
「まだだっ! まだ重ねてやるっ!」
(おし、俺もだ。一緒に重ねるぞっ)
二人は九字を何度も切り、捕縛呪をさらに強固に編み上げた。より強く念を込め、破邪呪を流す。それだけに留まらず、祈は周囲のマナの大半を支配下に置き、一気に吸い上げた。こうなったらヤケだ。今できる最高の力を一気にぶつけてやるつもりだ。
「ぐっおおおおおおおおおおおおおおおおっああああああああああああああああっ!!」
魔王は祈達の作り出した破邪捕縛の印から抜け出す事ができず、苦しげに絶叫する。
(おし祈、昨日渡したアレを使えっ!)
「黒竜の瞳よっ! 邪悪なる者の力を奪えっ!」
純白のジャケットの両肩にあるレリーフ中央部の宝玉が怪しく光り、魔王の魂から魔の力を強引に吸い上げる。みるみる内に魔王の巨軀が、縮んでいった。
「何だっ?! 何なのだっ?! こんな小娘がっ、何故唔をここまで苦しめるっ?!」
大きく身を捩り、魔王は叫ぶ。いくらこの身が欠片に過ぎないとはいえ、少なくとも魔神以上の出力がある筈だ。それがどうだ? 捕縛されたまま身動き一つ取る事も能わず、ただ為すがまま破邪の呪により身を削られ、挙げ句には異界の魔物の力か、存在する為に必要な熱量を一方的に奪われているのだ。この様な屈辱は、かつて味わった事なぞ無い。
「お前なんかに、何にもさせないっ! させてやんないっ! 其は地獄の焔。全ての命を焼き尽くす、殲滅の炎。我が望むは全ての静寂なり……」
(イノリ、あたしも重ねるわ。タイミングは任せて)
「(焼き尽くせっ! 煉獄っ!!)」
魔王の周囲を埋め尽くす様に、青白い炎柱が上がった。その輝きは、太陽を超え、古賀、尾噛軍を圧し始めていた魔物の群れすら怯む程に大きく膨れあがった。
「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああ…Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……」
殲滅すべき敵をこの世から完全に消し去った地獄の焔は、この世界から去って行った。未だその余熱が燻る大地は、熱によって完全に変質し、所々結晶化していた。
そこには、封印の要石も、魔王の魂も何も無かった。二重煉獄によって、全てが消滅していたのだ。
「余達は何の役にも立っておらなんだのぉ、愛茉や……」
「本当に。これからも怠りなく修行をいたします、光流様……」
『大義である。これでこの地に蔓延る穢れは祓われた。此度の事を、我は忘れる事は無かろう』
朱雀が大きく羽ばたき、上空を旋回する。強大な精霊神の霊力の圧を喰らっては、魔物共はすごすごと森の奥に逃げる他術が無かった。古賀も尾噛も、漸く訪れた安堵を噛み締めながら、腰を下ろした。
『光流よ、永き刻を我に尽くしてくれて、本当にありがとう』
「ええ。ええ。この婆も、楽しゅう時を過ごさせて頂きました。これで漸く、この身を休めることができましょう……」
『愛茉よ。今後、お前は斎王としてこの地に住まう事になろう。だが、お前はもう”お役目”に縛られる必要は無い。我はここに在る理由を今失った。この地にあったの穢れの大本は、もう無いのだ』
「そんな……まだ私は、今日お役目に就いたばかりにございます。その様な無体な事を仰るのは、酷ではございませぬかっ?」
漸く覚悟を決めた斎王の道を、その護り手がもう良いと言う。それは愛茉にとって、あまりに酷な話であったのだ。
『……そうだな。そうかも知れぬな。すまぬ。我は契約を重んじる存在なり。お前の呼び掛けに、必ずや応じよう。それでは、不服かや?』
「少し。ですが、私はこの地に居ます。いつでも……ここへお越し、下さいませ」
朱雀は大きく羽ばたくと、そのまま西の空へ飛び去っていった。
この地にあった穢れ。”魔王の魂”は、完全に消滅した。もう、この地は”魔の森”ではないのだ。今後は、古賀の力で切り開かれ、必ずや大きな都市に発展する事だろう。
鈴女の眼には、その輝かしい未来の斎宮の姿が、映っていたのだ。
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