第85話 地鎮の儀
「しかし、何ですかね。おひい様からスゲー圧が……」
「うん。怖いね……」
「知らぬ間に装備が豪華に。そして、物凄い強い力を感じる……」
”斎王の儀”を終え、愛茉は斎王位に就いた。そして斎王として初の”お役目”である”地鎮の儀”に臨まねばならない。
地鎮の儀とは、魔の森の中央部にある社に溜まった”穢れ”を、守り神と共に払い、清めるものだ。
その穢れの正体が、まさか異世界の魔王の魂の一部であるとは……流石に帝国史の記述にもある訳が無い。そもそも”魔王”どころか、”異世界”という概念すら、この世には存在しないのだから。
当然のことながら、中央部にある社へと向かう為には、魔の森の真ん中を突っ切らねばならない。
その為に、古賀軍と尾噛軍が合同で愛茉の護衛として付き添う事になった。
斎宮への往き道ですら、整備されている筈の街道を通っただけなのに、小鬼の群れやら大鳥の群れに襲われたのだ。いざ森の中に入れば、どうなることか予測はできない。
神輿に乗った愛茉と光流を先頭に、その周囲を一光率いる古賀の精鋭が、その後ろを尾噛と古賀の軍が並ぶ形で魔の森を進んでいた。
帝国の守り神たる”朱雀”が、その上空で眼を光らせている為か、道のり半ばまで進軍していたが、目立った異常は今の所無い。
今や力の大半を制限されてしまっているとはいえ、朱雀は精霊神の一柱なのだ。
その霊力の”圧”が届く範囲では、魔物が好き勝手に行動できる訳もない。その為に、こうして軽口を叩く事もできるのだろう。
「祈、それ何処で手に入れたと? アタシもそげん強か武具欲しかねぇ……」
「やめとけやめとけ。お前さんだと逆に喰われちまうぞ。それ位にヤバい力をひしひしと感じるぜ。つか、おひい様、そんなの身につけていて本当に大丈夫なんですかい?」
「うん、大丈夫だよ。これ全部、大切な人達からの贈り物なんだ。だから、ちゃんと使いこなさなきゃね」
「こんな恐ろしい力を感じる武具が、全て贈り物……だと? 其奴は、どれだけの財力を持った人間なのだ」
祈の身につけている装備のどれもこれもが、それひとつだけで相当な値が付くだろう逸品なのは、草である空でなくとも解るだろう。それ程までに、強力な力を感じるのだ。
特に黒曜石の様な輝きを持つ足鎧と、純白のジャケットから放たれる霊力の圧は、凄まじいものであった。
「ああ、ごめん。嬉しくてつい……抑えるね?」
無意識の内に、それらに生命力を送ってしまっていたらしい事に気付き、祈は慌ててそれを抑えた。起動状態にしてしまっては、力が漏れ出るのは当然の事である。それに気付かない位に、祈ははしゃいでいたとも言う。
(……流石にチョーシコキ過ぎたか? 合成が上手く行きすぎて、両方とも神話級のレベルになっちまったしなぁ)
(てゆうか、あんな危険な材料の数々を指定しときながら何言ってるのよあなた。足りなくなったスターダストサンド、この世界にもあるのかしら……?)
(拙者だけ、祈殿に何も差し上げておらんのでござるが……こういう時、本当に脳筋物理侍では、糞の役にも立たないでござる……)
((……あ。拗ねちゃった))
「だが、魔の森の中では、そのくらいの武具が欲しい。今度は祈の補助が無いのだから」
「ごめんね。地鎮の儀は、本当に危険だって話だから、私は愛茉様の方に行かなきゃ。一馬さん、今回、魔術士は支援に回ってね。身体強化と、風の護りは絶対に切らしちゃダメだよ」
『実は私、これから魔王と戦います』
……なんて、流石に言える訳も無い祈は、無難な言葉を選ぶ必要があった。正直に本当の事を言ったところで、一笑に伏されるのは目に見えているのだが。
「承知しました」
「あと空ちゃんと蒼ちゃんも、皆の支援をお願い。ヒトガタ、足りなかったら言ってね? すぐ用意するから」
「大丈夫。それはもう慣れた。もう少し強い式神を、教えて欲しいくらい」
「ついこないだまで、ムッキーって言いながら書いとったと、どこん空姉やったかぐぼぁっ」
姉からの黄金の肘をまともに鳩尾に喰らい、その場に顔面から崩れ落ちる蒼。祈にとっても見慣れた光景がそこにあった。
「……愚妹よ、そろそろ学習した方が良い。だからお前は愚妹なのだ」
「……魔術士達にもヒトガタ渡していると思うけど、到着前にちゃんと確認してね。地鎮の儀が終わるまで私達は絶対に動けないから、持久戦を覚悟して。部隊を2つに分けて、交代を徹底。それが追いつかなくなる前に終わらせたいけど。どうなるかは……」
「ですな。何せ300年前の資料なんか、全然残っていませんからね。ぶっつけ本番って楽しい未来図ですわ」
前斎王である光流の時代が長すぎた弊害であろうか。地鎮の儀の記録が帝国史には一切残っていなかった。その為、斎王として光流の記憶を継承した愛茉と、当の本人である光流の二人しか、その詳細を知る者はこの中に居ないのだ。
地鎮の儀にどれだけの時間がかかるのか?
その間に魔物が攻めてくる可能性は?
来るとしたらその規模は?
……全てが解らない事だらけ、なのである。それらは一行の居る魔の森という特異な環境下において、大きく膨れあがった不安が、そのままずっしりと重くのしかかる。
「ごっふっ……誰もアタシば助け起こしてくれん件……」
肘の来るタイミングは未だ学習できてはいないが、復帰までの時間だけが早くなっていた蒼は、皆薄情だと悲しげに呟くのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
嘗ては社だったらしい残骸が、そこにぽつんとだけ置かれていた。
何かを封じる様に安置された要石の正面に、小さく作られていただろう木製の建物は、300年もの時を経て、ほぼ原型を残す事無く無残に朽ちていた。
その周囲に木々は無く、それどころか雑草すら、一房もそこには無かった。
剥き出しの地面は、水気の一切も無く、所々ひび割れていた。生命の一切が感じられぬ、正に荒れ地である。
神輿から降りた愛茉と光流は、かつては社があったであろう残骸の前に跪き、声高らかに、祝詞を挙げた。
その声に導かれるかの様に、朱雀が二人の後ろに降り立つ。いよいよ一連の斎王継承の儀の最後となる地鎮の儀が、これから始まるのだ。一同は固唾を呑み、それを見守るしかできない。
「周囲を警戒せよ。この儀式を終えるその時まで、我らはここを離れる訳にはいかんのだぞっ!」
一光が一行に檄を飛ばす。地鎮の儀を滞り無く終えねば、事実上の斎王として愛茉は認められないのだ。魔物共の闖入如きで、儀式を止める訳には絶対にいかない。勅命を受けた古賀家としても、ここが最初の正念場なのである。
「では、行ってくる。皆、古賀様の指示に従う様にね」
「はい。おひい様もお気を付けて」
『主様よ、悪いがそこな娘をお借りする。此度は我も勝てるかは解らぬ。未来は数多存在するのでな』
(おいおい。そこまで分が悪いのかよっ!)
『すまぬが、今の状況では、我はそれしか言えぬのだ』
朱雀は常に同時に世界の様々な分岐を視ている。その本人が言うのだ。結果が幾通りもあるのだと。
その中には敗北する未来も、当然ながら存在するというのである。
強大な力を持つ朱雀ではあるが、斎王を通してでしかこの世界では行使できないという制約の為に、魔王の欠片にすら勝てぬ未来も存在するというのだ。
それを聞いた俊明は、鈴女の願いを聞き入れた事を後悔するには、充分過ぎる事実であった。
(愛茉よ。今から封印を解くぞえ。気を抜くでないぞ)
(はい、光流様。溢れ出でる穢れを、ここで清めましょうっ!)
高らかに謡い挙げられる新旧二人の斎王の声が折り重なり、いよいよ最高潮に達する。要石に亀裂が入り、隙間から黒き瘴気なのか、はたまた汚泥なのか判別がつかぬ物質が、どろり。と這い出てくるのが見えた。
(うっ。何て、嫌な気配……”悪意”だなんて、そんな生やさしいもんじゃないよ、これっ!)
これで本当に一部だというのか。
祈の超常の眼には、それの全体が視えていた。全ての生命を恨み、呪う確固たる意思────そう表現する方が近いか。
これが”魔王”という存在なのか。祈は自身の異能のせいで引き摺られ一瞬飲み込まれそうになるが、額の紋様が輝きそれを完全に打ち消した。
(今回限りじゃ。そう我は言うた筈だぞえ? この様な穢れた意思如きに負けるでないわ、未熟者めが)
(ありがとう。証の太刀)
祈は印を重ね、自身を護る結界を複数展開した。自身の異能が敵の意思すら増幅してしまうのは完全に誤算だった。まずそれに備えねばならないとは思ってもみなかったのだから。
だが、問題が解った以上、それに備えるのは当然の事だ。愛茉と光流に向け同様に、複数の結界呪を展開する。これで彼女達も意識を乗っ取られる事はない筈だ。
(この黒い波動を、あたしは知っている……? まさか、あたしの所の大魔王かっ!?)
(正に。拙者もこの波動は覚えがござる。なれば、欠片でこれ程の力は納得にござる)
あまりに強大な力を持たせてしまったが為に、かの世界の管理者すら匙を投げかけた程の魔王が、断片とはいえ、何故かこの世界に在る。それは元勇者の二人にとってすら、充分過ぎるまでの脅威であるのだ。
『鍵は、主様の守護する娘だ。そこな娘の働きに、全ての未来がかかっている』
(っかー! 参ったなこりゃ、祈にメイン張って貰わにゃ、絶対にダメじゃないかっ!)
『────今回のお前の仕事は、斎王の支援が主だ。本来ならば、これは斎王の”お役目”なんだからな』
斎王や朱雀の面子の為だとはいえ、こんな課題を祈に課したのが完全に裏目だ。俊明は薄い額をバシバシと叩きながら、自身の詰めの甘さを呪った。
誤字脱字があったらごめんなさい。




