第81話 火山
「……と、いう訳で。これから私は、あの火山に登る事になっちゃいました」
「「はぁ?」」
天翼人姉妹が、完璧なユニゾンで聞き返した。
それもその筈だ。斎宮殿の後ろに聳える火山は、斎王以外の立ち入りを禁ぜられた”神域”なのだから。
「……前後の事情はよく解らないが、解った事にしよう。だが、立場上わたくしはそれを止めねばならない」
「空姉ん言う通りばってんが。はいそうですかとは、流石に行かんばい。こりゃ」
姉妹達の当然の反応に、祈は苦笑いしかできなかった。本音を言えば、祈だって行きたくはないのだ。
だが、これは現斎王光流たってのお願いなのだから仕方がない。当然ながら、光流の死を二人に正直に話す訳にもいかない。光流の事をボカしたままの説明は、やはり無理があった様だ。
「……ああ、うん。でもね、これは斎王の儀にも深く関わる事なんだ。だから、二人ともごめん。見逃してくれないかな?」
そもそも、二人に黙って火山に向かえば済む話だった。だがその選択を、祈はあえて採らなかった。何故なら、それは二人に対してだけでなく、兄望に対しても裏切りになる様な気がしたからだ。
「……祈。火山は神域。絶対に、行かなくてはダメなの?」
「うん。どうしても。帝国の為にも、愛茉様の為にも、私は行かなきゃダメなんだ」
斎王の儀を滞り無く行う為には、現斎王である光流の存在が不可欠だ。
だが光流の肉体は、すでに死を迎えてしまっているのだ。このままでは、儀式を執り行えないだけではなく、斎王に関するあらゆる事柄が、完全に失伝してしまう。
全てを失っては、いくら資質があろうとも、誰も斎王としてのお役目は果たせないだろう。
「……空姉」
「……解った。わたくし達は、何も聞かなかった。それが、最大限の譲歩」
深く溜息を吐き、空は引き止める事をやめた。だが、これはただ単に祈の行動に目を瞑るだけ。もし禁域に侵入した事が発覚する事態になれば、全ての責任を一人で負え。そういう意味の譲歩に過ぎないのだ。
「うん。空ちゃん、蒼ちゃん。ありがとう。それだけで充分だよ」
だが、祈はそれでも良かったのだ。自分がこれからどの様な事をするか。それを二人にも知って欲しかったのだ。全てを包み隠さず話せないのは、とても心苦しいのだが。
「じゃ、行ってくるね。二人はここで待ってて」
祈は立ち上がり、すぐさま部屋を飛び出していった。取り残された姉妹達は、その後ろ姿を、ただ見送る事しかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「イノリ、ちょっと待って」
さて、これから登山だと意気込んだ所で、祈は守護霊その3のマグナリアに引き止められた。
「うん? どうしたのマグにゃん」
「何時渡そうかとずっと悩んでいたのだれけど、今が丁度良いかなと思って。ちょっと待っててね……」
マグナリアは、自身の豊かすぎる胸の谷間に手を入れ、何かをごそごそと探りだした。その様子を見ていた残りの守護霊達は「ああ、本当にやるのか」と言いたげな、とても複雑な表情を浮かべる。
「んとね、これと、これと……あとこれと、これね」
胸元の反則箱から取り出されたのは、鍔の無い小刀が二振りと、甲の部分に鬼の貌が象られた漆黒の篭手の二対。そして左右の形状が非対称の耳飾り一組だ。それらが目の前に置かれると、祈は宝物を見つめる様に瞳を輝かせた。
「どれも貴女の魔力の波長にぴったりな物ばかり。使い方は身につければ、その子達がそれぞれに教えてくれる筈よ」
「うわぁ。ありがとー、マグにゃん! 大切にするねっ」
祈は嬉しさのあまり、マグナリアの胸に勢いよく飛び込んだ。しっかりと華奢な祈の身体を抱き留め、さらさらの銀髪を撫でる。マグナリアにとって、それは望外の至福の時間となった。
(まさか、お前さんの家の蔵からちょろまかした品々ですよ……なんて言う訳にゃ、いかねぇよなぁ?)
(黙っている方が得策かと。マグナリア殿に恨まれるのだけは、拙者マジ勘弁にござるぞ)
影でひそひそ話をする守護霊二人を、マグナリアはじろりと睨み付けて黙らせる。
『テメーら余計な事言うなよ?』
……その目が雄弁に語っていたのだが、それに祈が気付く事は無かった。
当然の事であるが、この山は活火山だ。
火口から巻き上がる噴煙は、常に途切れる事が無く、時折、小規模ながらも爆発した。『火山の熱こそが、守り神の活力なのだ』と、帝国の史記には、その様な記述も残っている。
祈は岩石がごろごろと転がった正に地獄の様な光景が広がるこの山を、ただ黙々と登っていた。
「本当に殺風景な山だなぁ……まぁ活火山だから、しゃーないんだろうが」
「生き物らしき気配も、草木もとんとござらぬなぁ。これはつまらぬ登山にござる」
「イノリ、無理をしちゃダメよ? 慣れない山道なんだから、足下には気をつけなさい」
確かにマグナリアの言う通り、足下に常に注意を向けていなければ、いつ足を滑らせるか分からない危険な登山だった。何せ、整備された道なぞ何処にも無い。地面には小石だけでなく、大岩まで無造作に転がっているのだ。
「せめてもの救いは、”守り神様”とやらのお陰で、魔物が一切近寄らないって事か。少なくともその警戒をしなくて良いってなぁ気が楽だ」
「ですがここは、落石の危険が常にあり申す。それだけでなく、滑落の危険も無くはない。祈殿、常に正中線を意識して動くでござるぞ。こんな事言うのは不謹慎かも知れませぬが、これは実に良い鍛錬になるかと」
「う、うん……ちょっと怖いけど、これなら、っと」
武蔵の言う通りに、祈は姿勢を正し、重心を意識しながら一歩一歩を確認する様に歩いた。戦いにおいては、姿勢を崩した方が圧倒的に不利になるのだ。武蔵の教えは一貫して、スムーズな足運びに必要な重心維持と、姿勢を保つ事を主眼にしている。それらを身につければ、この様な不安定な足場でも、足を踏み外したりする事が無くなるのだという。
「う……ぅわっ」
だが、やはり慣れてはいないのか、祈は小石に足を滑らせ上体が泳いでしまった。
祈はすかさず残った足に力を込め無理矢理に跳躍し、右の篭手に自身の魔力を流す。黒い篭手から無数の魔力で出来た腕が伸びて、大地をしっかりと掴み祈の全体重を支えた。
「あっぶなー」
ゆっくりと両足を降ろすと、まだバクバクと激しく鼓動を宥める様に祈は息を整えた。
黒い篭手があの瞬間に使い方を教えてくれなかったら、もしかしたら頭を打っていたかも知れない。そう思うと、甲に彫られた厳つい鬼の貌すら可愛く見えてくるのだから、人間とは本当に現金なものだ。
「……その様なモノに頼っては、修行にならんのではなかろうか……?」
「道具を使いこなすのも、充分に才能よ?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
中腹を越えた辺りに、社があった。
そこに光流の亡骸がある。そう本人から聞いていた。
「おお、よぉ来た、よぉ来た。待っておったぞえ」
社の上を、光流は元気よく飛び回っていた。背にある紅の翼なぞ飛行には役に立たない筈なのだが、パタパタとはためかせ祈の到着を歓迎するかの様に旋回を始めたのだ。
「……あのばぁさん。よく考えたら、ホント元気な死人だよな……」
「変に暗い人を相手にするよりか、まだマシだと思いなさいな」
「光流様、お待たせいたしました」
「構わんわいな。お前様は、余の我が儘に付き合うてくれただけの事。逆に余の方が頭を下げねばならん。これ、有り難うな」
光流は深々とお辞儀をした。ここは従来ならば、斎王のみが足を踏み入れる事が赦される聖域である。他人の目はないのだから、身分の事なぞ気にする必要は無いのだ。
「それでは、申し訳ござりませぬが、光流様の亡骸をお見せ願いましょうや? それと同じ姿にせねば、他の者にも怪しまれましょう……」
霊体は、基本的に亡くなったその時の記憶に基づいて構成される。だが、今の光流はどう見ても全盛期の頃を模ったとしか思えないのだ。
「ああ、構わんぞえ。余の骸なんぞ、さっさと処理して欲しいくらいだわいな」
確かに仮初めの肉体を与えたとして、骸が残っていては何かと面倒事になりかねない。だが、これを祈の独断で行うのにも、やはり問題があるのではないか? だから、それについては祈は明確な返事が出来なかった。
祭壇の前で蹲る様にして、彼女の骸はあった。最期の瞬間まで、斎王であろうとした彼女の姿は、確かに祈の後ろで場違いにはしゃぐ彼女のままの姿であった。
(うへ。見た目全然若いじゃんっ! これのどこが400越えなのー?)
(若さの秘訣、あたしも知りたいわね……)
(つか、若さとか今更関係無いだろう。お前、もう死んでんだから)
光流の亡骸を静かに横たえ、祈は水系上級魔術の氷結の棺を全小節で唱えた。本来は凶悪な即死魔法なのだが、冷凍という目的で使ったのだ。これで一週間はこのままの状態の筈だ。せめて、埋葬するまでは…その思いを込めての全力であった。
「おお、すまんの。余計な気遣いをさせてしもうたわい」
「……いいえ。これは私の我が儘でございます。400年も、頑張ってこられた器なんですから、粗末にするのもどうなのかなって。それだけです」
『我からも感謝しよう』
その声は、頭の中に直接響いた。
祭壇には、小さな炎の鳥が鎮座していた。長い尾羽を優雅に後ろに流したその姿は、確かに神々しかった。
『この社は、我には些か狭くてな。分け御霊からの挨拶になるが、相済まぬ』
「いいえ。お気になさらず。我が身は、帝国の臣でございますので……」
「ほんに、ええ娘でしょう? この婆も、すっかり関心いたしました。これで、最期のご奉公ができましょうぞ」
『そうだな。死人に鞭打つ様ですまぬが、もう少し我と、新たな”お役目”の為、働いてくれ』
「ええ、ええ。その為に、この娘を呼んだのですからねぇ」
祈は光流に向けて霊力を注ぐ。光流の霊体を包み込むかの様に、仮初めの肉の器が覆った。
「……光流様が私の霊力を拒まぬ限りは、この器は持続しましょう。愛茉様の事、お願いいたしまする」
「ありがとう。これでこの婆も、最期のお役目、果たせようて。それでは、一端下界に向かいます。次は、新たな”お役目”とで参りましょう」
『すまぬ。これも我と其方の一族との”契約”なのだ』
「いいえ、いいえ。この婆は、楽しんでやっておるに過ぎませぬ。それでは…」
光流に続く様に、祈も火の鳥の分け御霊に頭を下げて、社を出た。ここからまた徒歩で下山せねばならない。
(あれ? そういえばとっしーは?)
(何でも、用事があると。先に下山したのでござろうか?)
(まぁ、良いんじゃない? ここには危険が無いのだから)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
祭壇の最上段の止まり木に、未だ火の鳥の分霊はいた。
『守護する者の元に戻らなくて良いのか? 主様よ』
「……まさかお前までがこの世界に居るとは思わなかったなぁ。朱雀…いや、鈴女」
『懐かしい名だ……主様が付けてくれたその名、何時の間にやら我の真名になっていたよ』
「お前確か、多次元同時存在の筈だったよな? って事は、全てが視えているのか?」
『すまぬが、それはいくら主様であろうとも答える訳にはいかん。だから、ヒントだけ。この世界は幾度の”改変”に依って、こうして我が存在する事になった』
「改変? この世界の管理者は、時限干渉をしていやがるのか?」
『そうだ。本来、我はこの世界には存在しない。だが、我以外の四聖獣も、何時の間にかこの世界に在る……そういう事だ』
鈴女は目を伏せたまま、この世界の有り様を主に伝えた。それはほんのさわりに過ぎなかったのだが。
『しかし、主様よ。本当のお姿をこの鈴女に見せないのは、あまりにあまりではないか? 我とのつながりは、その程度なのかな?』
「ほざけ。今の俺は天地俊明だ。前世の事は言うな」
この姿が気に入ってるんだと、ムキになった様に俊明は鈴女に強い口調で言う。
『相も変わらず冷たいお人よな。晴明様は……』
「ちっ、俺ぁ帰るぞ」
『くくく……少々意地悪が過ぎたかな? 主様よ』
祭壇の最上段の止まり木で、火の鳥の分霊は昔の主の姿が見えなくなるまで、その場に留まり続けた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




