第80話 斎宮
湾内にそびえ立つ火山島に、それは在った。
本殿である斎宮を囲う様に、正面に斎宮寮が置かれ、神事を執り行う主神司、警備部門の門部司、内地を結ぶ船の運航一切を受け持つ水部司……等々、いくつもの役所の建物が並んでいた。
斎宮とは、ひとつの行政区であり、もう一つの帝国の姿でもあったのだ。
船から降りてみれば、そこにはまさしく宮殿と呼ぶに相応しい威容がそびえていた。神事を司る場所特有の、清廉で荘厳なる空気に、祈達は圧倒された。
「ほへぇ、こりゃ凄かね。何か場違いやなかかな? アタシたち」
「愚妹よ、わたくし達は今回オマケ。目立ってはダメ。だが、騒がなければそれでよし」
「そだねー。私達はオマケだよ。後は”斎王の儀”が終わるまで、ここで待機かな。その後は古賀様の軍に付いて、少しだけ魔の森掃討をお手伝いしなきゃならないだろうけど……」
愛茉の護衛という勅を受けていた為に、尾噛が戦いの全てを取り仕切ってきたのだが、ここからは古賀軍魔の森の掃討をしなければならない。そのまま知らぬ顔で去る事も可能なのだが、尾噛家は武門を誇るが故に、まずそれが許されない。
当然ながら古賀軍に並び、魔の森の掃討をせねばなるまい。
だが、それはあくまでも祈達の善意の協力という態に留めねばならない。あまりにも目立つ武功を立てては、古賀の面目を潰しかねないという面倒な状況でもあるのだ。
(本当に、鳳様が関わると、録な事が無いよねぇ)
(全くだ。もうこういう面倒事は、これっきりにして欲しいモンだな)
(然り。これでは気が休まらぬよ)
(だから、あの時燃やしちゃいなさいって言ったのよ。あたし)
(うん。ちょっと反省してる……)
((おいっ。そこで頷くのかよっ(でござ)))
「愛茉様、お待ちしておりました。これより、禊ぎの行を行いまする」
主神司付きの巫女達が、愛茉の前に傅いた。ここから斎王の儀のあるその日まで、愛茉は俗世の穢れを払う為に、三日間にも及ぶ”禊ぎ”を行わねばならない。
それはとても過酷なものだという。朝昼晩の行水から始まり、聖別された供物のみしか口にする事を赦されない。徹底的に身体の穢れを落とさねばならぬのだ。
祈達三人は、斎宮寮の部屋を与えられた。斎王の引き継ぎの儀が行われるまで、ここで生活をする事になる。
「ばってん、あん娘さんな大丈夫かな? 根性無さそうだけどしゃ」
「愚妹よ、口を慎め。あんなのでも一応次期斎王だ。不敬だぞ」
「……空姉こそ、人ん事ば言えんのやなかとか?」
「……失言だった。忘れろ」
姉妹の中にある愛茉の印象が、古賀邸を抜け出す所を無理矢理ふん縛った時のものだから、この様な評価になるのは仕方が無いだろう。姉妹の会話を聞いていた祈は、本当に苦笑しかできなかった。
この世に生を受けてからずっと、姉達に頭から抑えつけられ、散々罵られて生きてきた。そんな今までの愛茉は、自分の中に確固たる自信を持つ事が出来なかったのだ。その様な人間が、試練に耐える事なぞできる訳もない。
だが、愛茉には、斎王となる資質が充分にあった。無条件で精霊に慕われる。それが何よりの証拠なのだ。その事が、愛茉の自信に繋がっていれば良いのだが……こればかりは、祈にも何とも言えなかった。
(愛茉様、頑張って……)
愛茉を信じて待つ。それしか、今の祈にはできなかったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……もし……もし。起きて下さいましな…」
「んん……誰ぇ……?」
誰かに声をかけられ、祈は瞼を擦りながら身を起こした。今の刻はどの辺りか良く解らないが、窓から見える月から察すると、まだ真夜中の時分であろうか。
寝ている間から覚醒するまでに、守護霊達からの警告は一切無かった。であれば、危険は無いということだろう。祈は警戒を解いた。
「夜分遅くに申し訳ありませなんだ。この婆に、御身の貴重なお時間を、少しだけ下さりませぬかの?」
自身を婆と嘯く女性は、祈の眼からは、どこをどう見ても妙齢の女性のそれにしか見えなかった。月明かりに照らされた艶やかな肌には、皺も染みも一切無いのだ。これで、どこが婆なのだろうか?
「はぁ。ですが、貴女は……?」
婆を自称する年齢不詳の女性は、少なくとも翼を持つ人種であるのは、背にした大きな紅の翼で判った。そして、紅の翼を持つという事は、帝家の血族である筈だ。だが、その様な妙齢の女性は、はて? 何処にも祈の記憶には無かった。
「今この婆の事を詮索なさらぬよう。何れ判る事でございます……」
帝家に連なる女性が、祈を前に両手を添えて伏した。序列を考えるのすら馬鹿らしい程に、祈とこの女性の間には、絶対的なまでの身分の開きがあるのだ。完全にあべこべなのである。
「ちょっ…お、待って、下さい。帝家に連なるお方が、私なんぞに…」
祈は混乱の極みにあった。逆はあっても、こちらが帝家に頭を下げられる謂われは無いのだ。もしこれが第三者に見られでもしたら、祈の命は無いだろう。それほどの大事件なのである。
「ほっほっほ。申し訳ござりませぬ。この婆が悪ぅございました。さて、これより本題に入りましょう」
婆を自称する女性の瞳が、楽しげに揺らぐ。女性の纏う空気は本当に暖かく、そして何より慈愛を感じるのだ。祈はこの時点でなんだかこの女性を好ましく思っていたのだ。
「まず。貴女様は、すでにお気付きかも知れませぬが。今のこの婆は、生の身ではございませぬ。肉の器は、とうに寿命が尽きてございます」
(え? 全然気付かなかったよ。だって、この人、殆ど生身と変わらない熱量持ってるんだよ?)
(あー。俺らは気付いていたが、やっぱり祈は、生者、死者の区別を眼でやってないんだな……)
霊界にも繋がる祈の眼は、生者と死者の区別が付かない。その為に、存在から発せられる熱量で、祈はその区別を付けていた。
肉の器を持つ者は、内から燃え上がる生命エネルギーがあるため、当然熱量が高く、死者はそれを補う事ができない為に、徐々に自身の存在が消えてしまう。だから極力熱量の発散を抑えねばならない。その差で、祈は区別を付けているのだ。
だが、目の前の女性は、どう見てもその発散されるエネルギーが、肉の器を持つそれとほぼ同じ様に、生き生きとしているのだ。祈に区別が付かないのは、仕方の無い事なのである。
「ですが、この婆は、まだ黄泉路に旅立つ訳には参りませぬ。その為に、こうして貴女様のお力を貸して頂きたく、恥を忍んで参った次第にございます……」
「ええっと、ごめんなさい。私には、貴女が生きている様にしか見えないんですが。その……」
「ああ。それはこの婆に、長年連れ添って下さったお方のお陰かも知れませんなぁ…まさか、この婆が四百年以上も生きるとは、誰も思っておりませなんだ」
……400年っ!
祈達尾噛の血族の寿命は、人類種とほぼ同じだ。だが、翼持つ人達は長い時を生きると聞く。だが、それでも400とは……きっと空や蒼が聞いても驚く数字の筈だ。祈は気が遠くなる思いだった。
「まぁ、そんな訳でございまして。この婆に、一週間で構いませぬ。仮初めの肉体を、貸してはいただけぬでしょうか?」
そう言うと、また女性は祈に向かい、両手を添え拝み伏した。
「ええと、面をお上げ下さい、光流様。その様な事をなさらずとも、私にできる事でしたら、何でもお手伝いいたしますので……」
「ほぉ。そうかえっ!? いやぁ良かった良かった。余もこの様な言葉遣い、てんで忘れて久しかったでな。ああ、疲れたぞい」
急に砕けた態度になったかと思いきや、光流は両手両足を投げ出して、床に寝転がって大声で笑い転げだしたのだ。
ああ、光流が霊体で良かった。これが生身であったら、蒼も空もその声で飛び起きた事だろう。大惨事は免れないのだ。
「あははは……光流様。凄い……変わりよう、ですね……」
光流の態度の急激な変化に全くついて行けず、祈は苦笑いしか出来なかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




