第79話 進め魔の森
「右側、一斉掃射!」
祈は魔術士達に指示を出しながら、足止めの為に展開していた障壁術の一部を解除した。見えない壁に阻まれて前に進む事が出来なかった小鬼共の群れに、様々な中級魔法が一斉に撃ち込まれる。無防備のまま、それらの直撃を喰らった小鬼共の集団は、一瞬にして粉々になった。
だが、後続にひしめき合う小鬼共が、魔術士達が切り開いた隙間を瞬く間に埋めてしまうのだ。こうしたやりとりが、すでに半刻以上も続いていた。
「っかー! なんねこれ。なんねこれぇっ! 際限無かやんかっ」
祈の手による障壁が間にあるとはいえ、夥しい数の小鬼共の形相を目の当たりにした天翼人の娘は、思わず悲鳴を上げてしまう。いくら目の前の敵を倒しても、後から後から次々と沸いてくるのだ。その恐怖は計り知れないだろう。
「噂には聞いていたが、本当に数が凄まじい。抜けられるのか?」
現状、障壁を迂回するという考えが一切出てこない知能の低さが幸いしているのだが、恐らくはこれも長くは続かないだろう。こちらが移動をすれば、小鬼共も後を追ってくる。そうなれば、展開している障壁の範囲がバレてしまう。下手に動く事もできないのだ。
「こうなりゃ持久戦ですな。化け物共が諦めるまで、腹ぁ括ってやるしかありませんぜっ」
「……風の太刀を使える者は、何人いる?」
風の太刀とは、風に属するの中級魔術で、名前通りの効果を持つ。扇状に効果が広がっていく為、中級魔術の中でも飛び抜けて攻撃範囲が広く、密集している敵相手には、抜群に効果的な魔法である。
「俺を含めて、4人です」
「よし、じゃあ詠唱開始。狙う所は、あちらの腰の高さ辺りでお願い。一気に薙ぐよ」
「承知しました。風の太刀、詠唱開始っ」
一馬はそれだけで、深く聞く事は無かった。すぐさま部下に指示を飛ばし、自身も全小節の詠唱を始めた。
「風の太刀、一斉掃射!」
祈の号令で、尾噛の魔術士が風の太刀を一斉に放つ。扇状に広がるそれらは、密集する小鬼共の身体を上下に両断し続けた。
「おおっ、凄か。一気に開けたばいっ」
「後続がすぐ来る様なら、もう一度やるよ」
今の攻撃で、見える範囲にいる小鬼の大半を両断せしめたが、まだ向かってくる様であるならば、絶対に容赦はしない。こちらに攻撃するつもりなら、全て殺し尽くしてやる。そうしなければ、こちらに被害が及ぶのだ。手心を加えるなぞあり得なかった。
「承知しました。詠唱開始っ」
「……空に影が複数っ! あれは何だっ?!」
悲鳴にも似た報告に、一同が同様に空に目を向ける。遠くに見える影も、かなりの数に見えた。おそらくは小鬼共の血の臭いを嗅ぎ付けた怪鳥辺りであろうか?
(飛竜ではなさそうだな。おおかた、大鳥だろうか?)
(それはそれで厄介な連中にござるが……人の放つ矢程度では、擦りもしますまい)
(奴らには、風系統の魔法は効き難いわよ。他系統で攻撃する方が無難ね)
「手の空いている者達は、火の術で空の化け物に応戦。まだ距離はある。全節詠唱を徹底せよっ」
属性が各系統に枝分かれしている魔術体系ではあるのだが、実際は属性間で相克している訳ではない。風系統が効きづらいからといって、反属性の地が効果抜群という事は基本的に無い。大半の魔術士がそれらを習得している上に、マナ効率の良い火の術を祈は選択しただけに過ぎない。
「放てっ!」
再びの祈の号令によって、小鬼共は群れの大半が命を失った。だが、ロックの群れは未だ健在であった。他の魔物とは遙かに体躯が違うのだ。
「……小鬼達、下がっていきます。ですが、大鳥は止まりませんっ! 我らの術に怯んだ様子も無さそうですっ」
「まだ向かってくる様なら、火の術を一斉に撃つよ。もう一度、全節詠唱を徹底して」
祈は複雑な印を手早く行い、細かい障壁を複数枚、隊の上空に展開させた。これで大鳥達の突撃をあらかた弾く事ができる筈だ。だが、こちらの打撃があまり有効ではないという事実が、重くのし掛かってくる。このままでは、長期戦になるやも知れないのだ。
大鳥の群れは、耳をつんざく様な大きな声を発し、一斉に祈達に向けて飛びかかってきた。
その大半が障壁に阻まれて自爆するが、極一部が野生の勘を頼りに数々の障壁を抜けてきたのだ。
「正面、放てっ!」
だが、それは祈の手による罠であった。
端から来る方向とタイミングが判っている猛獣なぞ、さして脅威は無い。一斉に放たれる初級、中級の火の魔法をまともに正面から次々と食らっては、さしもの大鳥でも生き残る事はできなかった。障壁を抜けてくる程の聡く強い大鳥から脱落をしていく仕組みなのだから、かなり悪辣と言えよう。
「しかし、こいつらも数が……おひい様、我らそろそろ限界ですっ」
(マナが豊富にあっても、皆の体力が保たないか……仕方が無い。私が…)
祈が殲滅魔法の準備を始めようとしたその矢先、途轍もない霊力の塊ともいうべき圧倒的なまでの圧が、がこちらに向けて飛来してくるのを誰もが感じた。
それは、まさしく炎だった。
鳥の形をした、まさしく炎だったのだ。
「おおう。あれこそが我らの守り神様じゃ……我らをお救いに来てくださったのじゃ」
愛茉によると、あの鳥の形をした炎が帝国の守護神らしい。まだ遠目でしかないのに、その放たれる霊力の圧に、心が押し潰されそうになる。正に神と称されてもおかしくはないだろう。それほどの存在感なのだ。
(あれは……? いや、まさかな。だが、四海竜王もいるんだ。いてもおかしくは、ないよな……?)
(俊明殿? どうかなさったので?)
(ああ、武蔵さん。いや、気にしないで良いよ。ただの個人的な考え事さ……)
(左様で?)
強大な守護神の放つ霊圧に怖れをなしたのか、大鳥達は一斉に祈達から離れて遠くへ飛び去っていく。
鳥の形をした炎は、その様子を見届けると、祈達の頭上を二度旋回し、火山島の方角へ消えていった。
「……大鳥、逃げていきます」
物見の報告に、一同が漸く肩の力を抜いた。話に聞いてはいたが、一度に向かってくる数が本当に脅威だ。こちらの倍以上はいただろうか。数えるのも馬鹿馬鹿しい程に殺した。それでも怯まずに向かってこられては、何れ、こちらの心が折れる。
さらには大鳥の群れまでやってくる等とは……
こればかりは想定外と言い捨てるには、あまりにも危険な状況であったのだ。
「いやぁ、流石に参りましたな。魔の森に入ってすぐさま、これだけ盛大な歓迎を受けるたぁ、思ってもみませんでしたよ……」
「個々は弱いが、数が凄まじい。祈の障壁術が無ければ、かなりの被害になった筈。それに、空からの攻撃に対して、人間とは本当に脆いな。ほとほと知らされた」
「っちゃんねえ。だばってん、あいつらはどげんしてこん数ば、維持しとるんやろう?」
あれだけの異常な数を維持するだけの食料を、小鬼共はどうやって確保しているのだろうか?
人間は農業を発明して以降、その数を着実に伸ばしていった。だが、小鬼共がその様な事をするなぞ、誰も聞いた事が無いのだ。
「ああ、あいつらは本当に何でも喰うんだよ。それこそ、そこに転がる同胞の死体だろうが、排泄物だろうが……」
「うへぇ。そげなと聞きとうなかった…奴ら本当に御器被りと同じやんね……アタシ触りとうのぅなったわ」
舌を出して本当に気色悪いと、蒼は心底嫌そうに感想を口にした。
小鬼が一馬の言う通りの食性ならば、確かに蒼の言う通り心穏やかではいられる訳も無い。数が兎に角多いのだ。今後も奴らとやり合う事があるだろう。その事を想うだけでウンザリしてくるのも、また事実である。
ましてや、その生態が御器被りと同じとあれば……
「……なんだかそれを聞いて、私も気持ち悪くなってきた。先を急ごう」
障壁術を解き、祈達は斎宮への道を急ぐ事にした。夥しい数の死体をそのままにするのは、周囲の環境を考えるにあまり良くは無いのだろうが、まずは身の安全を図る必要がある。それに、聞いていたらこのまま放置していても魔物どもが勝手に処理をする様だ。気にするだけ無駄であろう。
(ここに無駄知識の補足なんかを入れたりしたら、俺、絶対に嫌われちまう、よな……?)
(……要らぬ事を言わぬ方が、きっと御身のためにござろうよ……)
(悪いけれど、あたしも聞きたくなんかないわよ……)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
集落は、火山島に向かう為の港として作られていた。斎宮に奉納する為の様々な物を、ここで生産していた。この集落に住む者は、全員が巫女であり、職人でもあるのだ。
隣接する魔の森からの瘴気は、集落の手前で完全に遮断されていた。これが国の守り神の霊力によるものなのかは判らないが、その清浄な空気は、今まで魔の森の中で凄惨な戦いを強いられてきた一同にとっては、とても心地が良いものだった。
ここに来るまでに、かなり時間を掛けてしまった。もうすでに夕刻を回ってしまっていたのだ。
集落の長に挨拶をし、近くの広場を借り受けた。ここで夜を明かす為だ。見える範囲とは言え、夜の海を越えるのはかなりの危険が伴うからだ。斎宮に渡るのは、明け方まで待つしか無い。
「祈よ、すまぬが、此方に修行をつけて貰えんじゃろか?」
斎宮に上がる前に、せめて基礎だけでも頭に入れねばならぬのでは。そう愛茉は考えていた。今まで温々と宮の中で過ごすだけであったのでは、この先はやっていくことができない。その不安があったのだ。
「ええ、構いませんよ。では、まずは……精霊達を、御身に感じてみましょうか」
少しでも前向きになってくれるのであれば、それで良い。
祈にとって愛茉の素直な考え方は、大変好ましいものであった。精霊は、純粋で真っ直ぐな性根の持ち主を特に好む。それは良きにしろ、悪しきにしろ。どちらで在っても構わない。
そもそも、善悪などと云うものは、精霊にとって属性が異なるだけに過ぎず、同質のものでしかないからだ。
そんな少女の二人の様子を、白水美月は、眩しそうに見守っていた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




