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第73話 斎王



 「そろそろ、ここをお暇させていただきます。もう、ずいぶんと長い時を、貴方様とここで過ごして参りました」


 祭壇に立ち、翼を持つ女性は、奉られた存在と対話をしていた。


 「ええ、ええ。左様でございます。ここに参って300年余りと成りましょうか。他の種より長き寿命あるこの身はでございますが、それでも当に朽ちてもおかしくはない時が経ってしまいました……」


 女性の齢は、400を軽く越えていた。

 翼持つ人種の平均寿命は300余り。余人に比ぶるべくもなく、遙かに気の遠くなる程の長き時を、この女性は祭壇に奉られた存在と、共に生きてきたのだ。


 翼持つ女性の人生の大半が、ここに在った。

 中央大陸の中心にあった都から、この辺境の島に船で渡った。この役目に就いた者の中には、海を渡る事ができず命を失った者も少なからずいたという。


 さらに島の最南端にあるここまでは徒歩であった。途中の未開の森にて、多くの(ともがら)を魔物達に襲われ亡くしてしまった。

 この”お役目”は、神殿に到達するまでに、命の危険が数多く存在する過酷なものだったのだ。試練と一言で片付けるのには、ここに至るまでの長い長い道のりは、あまりにも凄惨なものであった。


 「……ええ、ええ。左様にございます。今や辺境のこの島国こそが、”帝国”の全てでございます。あの時とは違いまする。次の”お役目”は、無事ここまでは参る事ができましょう。短い時間でございますれば、それまでは……この婆に、もう少しだけ、お付き合いしていただきとうございます」


 深々と頭を下げ、女性は静かに言葉を紡ぐ。女性には、もう時間がそれほども残されてはいなかった。自身の寿命が近い事を、知っていたのだ。


 「……この婆が、こうして生きながらえておらるのは。全て、貴方様のお陰にございます。せめてもの恩返し、しとうございますが、果たして…?」


 次代の斎王に、自身の持つ全ての記憶と力を伝承する。それこそが、人生の全てを斎王というお役目に捧げた、当代斎王の光流(みちる)にできる、唯一の恩返しなのだ。


 だが、それは幾何も残されていない彼女の寿命が尽きる前に、全てが果たされるのであろうか……


 祭壇は、女性の憂いを見透かすかの如く、蝋燭の炎を僅かに揺らした。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「……全く。鳳様は、我ら尾噛を際限なくコキ使うおつもりの様だなぁ…」


 書簡を静かに畳むと、望は大きく溜息をついた。


 鳳の思惑は、あまりにも判り易かった。今年に入ってからというもの、帝国の財布の紐は、何故か尾噛のそれに連動していたのだ。

 書簡の内容を簡単に記述すると『帝国はできる限り金を出したくないので、その分尾噛家の皆で頑張ってネ☆』という事である。


 (……そろそろ本気で、独立でも考えようか)


 飴が一切貰えず、際限無くムチだけが飛んでくるこの現状。一体誰が愉快な気分でいられようか。


 ましてや、今や権力と金(ちから)の底が見えた帝国相手に、ずっと頭を下げ続けるのも馬鹿らしい。だが、権威とは、積み重ねた時間なのである。それに逆らうには、尾噛には、歴史も道理も無いのだ。


 「まぁ、一応これも、”誉れ”ではあるんだろうけどね……」


 帝国(ほんごく)は、近く”斎王の義”を執り行うので、これの列に兵を出せという。


 斎王とは、帝国の守護神が住むという火山島に建てられた神殿、斎宮の主で、帝国の神事、重要催事を執り行う筆頭役である。

 平たく言ってしまえば巫女だ。この役職に就く事ができるのは、皇族の女性のみで、(まつりごと)一切を取り仕切る帝と、対を成す重要な”お役目”でもある。


 その重要催事の警備に、こうして指命されるという事は、確かに武家として大変名誉な事だ。亡き父、垰なら手放しで喜んでみせたかも知れない。


 だが当然それらの費用一切が、こちら持ちであるのは言うまでも無い。

 下手をしなくても、斎王一行の諸経費まで、こちらで被らねばならない可能性すら大いにあり得ると来ている。このところの余計な出費続きで、尾噛家の財布を預かる身としては、どうしても楽観はできない。


 宝物庫に納められた数々の魔法のかかった武具を売り払う事で、何とか今年度中の予算を確保する事ができたが……これはまた追加で何か売れる物を物色せねばなるまい。

 久しぶりの頭痛に、望は頭を抱える羽目になった。


 それで望は思い出したが、あの時宝物庫を荒らした賊達の目利きは確かなものだった。それらの売値が、こちらの予想を遙かに上回っていたのだ。紛失してしまったいくつかの武具も、ひょっとしたらかなりの値がついたことだろうか。


 都に赴く前に厄介事を残しておきたくない一心で、処刑してしまったのは、もしかしなくても勿体ない事をしたのかも知れない。


 (だけど、ホント今更だよね……)


 もう無いものを強請っても仕方がない。とりあえずは、先立つモノを調達せねば話にもならないのだから。


 「誰ぞあるっ?!」


 まずは、今後の方針を決めるとしよう。その為に、望は家人に招集をかける事にした。



 「……え? 私も、それに参加して良いの?」


 驚きを持って、兄の言葉に対し祈はこう答えた。この場に呼ばれるとすら思ってもみなかった祈だが、更に自身に重要なお役目を任される事になるとは、全く想像の遙か外だったのだ。


 「というか、これは勅なんだよ。祈、君は、次代の”斎王”に付いて、斎宮まで赴かねばならない。向こうでの儀式も含めて、最低一月半って所だ。戻ってくる頃には、尾噛は夏の最中だろうね」


 斎王は皇族の中の、女性にのみ赦された役職である。その身辺の護衛役に仰せ遣わす者は、当然女性でなくてはならないのだ。


 尾噛の家に連なる女性の中でも、戦いの心得を持つ者は、祈しかいない。

 そのお役目を任せるのは、当主として当たり前の判断である。兄としての本音で言えば、この様な危険な役を任せたくはない。だが、公人の立場が、どうしてもそれを許さなかった。


 「あと、空と蒼。君達にも悪いけど、祈に付いて行って欲しい。これは、尾噛の当主としての命ではない。望として、祈の兄としての、個人的なお願いだ」


 兄としての贔屓目を除外しても、祈の持つ戦力は一個師団にも匹敵為得るだろう。<煉獄(インフェルノ)>をはじめとする殲滅魔術やら、式神という常人では絶対に持ち得ない過剰な戦闘能力だけではなく、その後ろに控えている三人の守護霊という戦力が、もうあり得ないのだ。

 武蔵という最強の”霊界危機察知レーダー”だけでも、破格の性能なのだから。


 だが、それはあくまでも、祈個人に対する戦力としての評価でしかない。過剰戦力と言っても良いが、それでも祈は、数え12の小娘でしかないのだ。

 刹那の判断を誤る事も、当然多々あるだろう。最近は、自身の持つ過分な力に対して、驕りもある様に望は見えた。牛田の夫妻と対峙した時が良い例だ。


 それの補佐を、天翼人の娘達に望は任せたかった。数少ない同輩の娘達の言葉ならば、多少の驕りがあったとしても、祈は聞く耳を持つだろう。彼女達は、能力も性格も信用できる。間違いがあれば、きっと全力止めてくれる筈だ。


 「ご指名ありがとしゃん。アタシらに任せんしゃい」

 「望さまのご期待に添える様、わたくし達姉妹が、全力を持って事にあたりましょう」

 「二人が一緒に来てくれるなら、私も嬉しいな。頑張ろうね?」


 「あと、帝都から斎宮までの道のりには、魔術士達も全員参加だ。帝国直轄領になってはいるが、危険の潜む”魔の森”を抜けねばならないからな」


 日々広がり続ける人類の生活圏に押し出される様に、魔物達が手付かずの森に多数集まって形成されたのが”魔の森”である。帝国直轄領とは聞こえが良いが、実際の所は資源も無く、産業も興せない荒れた土地の、数多の魔物に手を焼いてできた手付かずの放棄地でしかない。


 斎宮のある火山島を囲う様に、その森は存在していた。そこに続くまでの街道は、整備をされてはいるが、少なくともそこは人の領域ではない。魔物と対峙せねばならない事態は、多いにあり得るのだ。


 「はっ。早速準備に取りかかりましょう」


 魔術士の長である一馬が、恭しく頭を下げる。魔物相手となると、今までとは勝手が違うだろう。だが当主は、尾噛の魔術士達に高い評価を与えてくれてる以上、絶対にこれに応えねばならない。一馬は張り切った。


 「軍は、これを全て歩兵で編成せよ。魔物相手には、馬なぞは役に立たんぞ」


 元来馬とは臆病な動物だ。きちんと訓練をして漸く使い物になる厄介な代物なのだ。魔物の放つ瘴気や殺気に充てられてしまって暴れられては、無駄な混乱を招く恐れもある。今回連れて行くのは、荷馬等の最低限度に留める必要がある。


 「こんな所か。準備に取りかかれ。時間はないぞ」


 書簡に記された指定日時から準備期間を考慮に入れると、もう幾ばくの余裕もない。望達に、また多忙な日々がやってきたのだ。


 「今回、僕はお留守番だ。だから祈、君は僕の分も含めて、ちゃんとお役目を果たして来るんだよ?」

 「うん。尾噛の名前を穢さない様に、頑張ってくるね」


 屈託無く返事をする妹の顔をしばし眺め、兄は満足げにゆっくりと頷いた。噂に聞くだけで、魔の森の実態は、望も知らないのだ。心配の種は尽きないのだが、その為に天翼人の姉妹を付けたのである。ここは威厳ある兄で振る舞うしかなかった。


 「空、蒼。君達にも苦労をかけるが、祈の事、くれぐれも頼んだよ?」

 「はいっ! 望さまのご期待、この空、粉骨砕身の覚悟をもって臨みましょうっ!! ですから、戻ってきた暁には……」

 「(くう)(ねえ)ん事はよかけん、望様、アタシが付いとーけん心配せんでなあ。ほれ、行くばい」


「あああ、ちょっ! まだ、望さまに言ってないことがっ、この愚妹めっ、こらっ。ああああああああああ……」


 抵抗する事が困難なまでの、のど輪と張り手の連打を食らい続け、空は名残惜しそうに、その場とい土俵の上から妹の手によって強引に連れ出された。決まり手は押し出しであった。


 「……ま、あの二人なら、大丈夫……だよね?」

 「う、うん。多分……」



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「まさか此方(こなた)に、斎王のお役目を押しつけられるとは、ついぞ思わんかったぞい。嫌だなぁ、辺境のなぁーんも無い所に追いやられるのかえ……この饅頭も、愈々(いよいよ)食い納めじゃ」


愛茉(えま)には、不満しか無かった。


 都に住んでいるからこそ、こうして美味い甘味も、雅な着物を並べる等と贅沢もできるのだ。


 ああ。それなのに、それなのに。

 何が悲しくて、南の辺境の島くんだりまで行かねばならぬのか。

 しかも当代のお役目様は、300年以上もそこに住んでいる生きた伝説なのだという。自分もこれからそれだけの長い月日を辺境で暮らさねばならないかと思うと、愛茉は怖気がしてくるのだ。

 お役目と仰々しく言うが、これでは完全に体の良い”島流し”ではないか。


 

 「ああ、嫌じゃ嫌じゃ。此方は都におって、こうしてずっと面白おかしく日々を暮らしたいのじゃぁ……」


 だが、これは父である帝の決定なのだ。

 もう今更駄々を捏ねてみせても絶対に覆ることのない話なのだが、その事実すらも、愛茉は耐えられなかった。宮殿内での生活以外を、愛茉は知らないからだ。


 「誰ぞ、此方を斎宮から連れ去ってくれる者はおらんかのぉ? 此方を救ってくれる者は、おらんのかのぉ……」


 此方は、悲劇の姫じゃ。世界一の不幸な姫じゃ。

 と、半ば自身の作り出した世界設定に酔っている所はあるが、愛茉は真剣であった。


 『知らない』という事は、恐怖なのだ。未知なる斎宮での生活とは、愛茉にとって恐怖そのものである。


 「ならば、吾が貴女様をここから連れ出して差し上げましょうぞ」

 「おおう。なんと、其方は……?」


 男の突然の訪問に対し、その時愛茉はまともな言葉を返す事もできなかった。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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