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第72話 無駄な時間



 「ああ、本当に平和だねぇ……平和過ぎて、なーんにもしたくない……」


 年明け早々から、ずっと息つく暇も無く。

 祈の周りで、様々な事件が怒濤の如く立て続けに起こり過ぎた。


 そのせいだろうか?

 何事も無く、ただそのまま過ぎ去ろうとしている春に、祈は少々物足りなさを感じていた。


 「ってか祈。お前、完全に毒されてね?」

 「何事も無い、結構な事ではござらんか。平和が一番にござるぞ」

 「退屈だわ。本当に、本当に、本っ当にっ……退屈だわ……」


 「「ほら、絶対こいつの影響だよ。絶対に、こいつの「でござ」」」


 忙しく動き回る女房達の後ろ姿を横目に、祈は離れの縁側でのんびり日向ぼっこをしていた。それしかやる事が無かっただけ、ともいう。


 望が当主を襲名したその日を境に、祈の待遇が『接触不可の幽閉姫』から、『尾噛家のご令嬢』へと、急激に変化した。


 布勢の怒りを恐れた家人達は、積極的に祈とは関わろうとしなかった。

 だが、一応、祈は尾噛家の姫なのである。精々食料、雑貨等を、離れの玄関先にそっと置く事だけが、家人達には精一杯の行為だった。


 だが、当主となった望はそれを強引に(あらた)めさせた。実の母親であろうが関係無いとばかりに、布勢に対し睨みを利かせ、二度と祈に害を及ぼす様な事を決して赦さなかった。


 古くからの家人の中には、祈を哀れに想っていた者も少なくなかった様だ。今までのせめてもの罪滅ぼしとばかりに、その日を境に祈の世話を我先にと、半ば争うかの様に始めたのだ。


 そんなこんなで、祈は日々の日課だった家事仕事まで、全部女房達に取られしまっていた。


 「暇過ぎて、暇過ぎて……このままお昼寝したくなってくるねー」


 昼の日差しはとても心地よく、そして暖かかった。そうしている内に、睡魔がやってきた様だ。だんだんと瞼が重くなってくる。祈は襲いかかる睡魔に対し、すでに無抵抗の方針を固めていた。この夢見心地のまま意識を手放すのは、さぞかし気持ちが良いことだろう。


 重力に逆らうことなく、祈は縁側から畳の方向へと、こてんと転がる。


 (あ。枕無いや……)


 その思考は一瞬だけ。


 すぐに祈は、そのまま夢の世界へと旅立っていった。




 「おーい、お姫さんやーい」


 この世界、この時代において、それはオーパーツとしか表現できない代物の眼鏡をかけた女性、牛田紋菜が離れに訪れていた。


 「……へんじがない。ただのしかばねのようだ」


 仕方なしに、紋菜は玄関前でもう一度声をあげてみた。奥から顔を出てきたのは、少し年配の女房だった。


 『勝手にウチのおひい様を殺さないでくれ』


 と女房の顔にデカデカと書いてあるのを、紋菜は丁重に無視する事にした。


 この屋敷の家人達は、皆愛想は良いし、礼儀も正しい。そして出て来る飯は美味いし、酒も悪く無い。

 だが、総じて冗談の類いが一切通じなかった。これだけはいけない。紋菜にとって、尾噛の屋敷の一番の不満点がこれであった。


 紋菜は「遊びに来た」と用件を女房に伝えるが、おひい様はお昼寝の真っ最中だと取り次いでもらえなかった。


 「しゃーねぇやな。確かに人が気持ち良く寝てる時に、急の来客で起こされるってなぁ絶対(ぜってー)許せねぇモンなぁ……」


 白衣のポケットから飴玉を取り出し、紋菜はそれを口に放り込んだ。口の中でそれをころころと転がすと、口いっぱいに甘さが広がる。

 とかく研究者には、糖分摂取が欠かせない。いつしかそれが常習になってしまっている所に、問題があるのかも知れないが。


 「黄の奴、最近あたいの飴ちゃん摂取量を、制限しようとしやがるんだよなぁ……」


 この時代、砂糖とはかなり高価で貴重な品物だ。紋菜のポケットに入っている飴ちゃんの主原料が正にそれであり、嗜好品として酒と比べても大変高価なのだ。


 それを際限無く贅沢にぱくり、ぱくりと。気軽に口に放り込まれては、黄ですら止めたくなるのは仕方の無い事だろう。

 今や夫妻は、尾噛家の居候の身なのだ。牛田家にいた頃の様に、湯水の如く無駄遣いができないのだから。


 「ま、お姫さまが目ぇ覚ます頃に、もう一度出直すとすっかねぇ……」


 何かに急かされる事も無く、義務感に突き動かされる事もなく。

 紋菜は伸び伸びと、日々を生活できていた。


 何となくふと思い立って、尾噛の姫さまの所に遊びに紋菜は来てみたが、今日は空振りだった。でも、それもまた楽しい。


 (前世ン時は、こんな無駄な時間も、こんな無駄な思考をする暇も、全然無かったかんなぁ……)


 何でも無い様な日常こそが幸せだったのだと、今更ながら紋菜は改めて実感していた。


 「願わくば……こんな、無駄で楽しい日々が、続くと良いがねぇ……」


 大きく両腕を回し、常日頃から姿勢が悪いためか、ガチガチに凝り固まった背肩を解し、一気に伸びをする。バキバキゴキゴキと派手な音をさせながら、紋菜は家路についた。


 前世からの愛しの旦那様が待つ家に。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「ねぇ、翔ちゃん?」

 「何だい、光クン?」


 「……あのさ、また僕のお小遣い減ってね?」

 「……うん、減らしたからね。牛田の一件が、意外と高くついちゃったんだ……ごめんね?」


 翔は悪びれもせず、帝の小遣い減らしたよと、事後承諾で気軽に言ってのけた。今回は減らした額が、今までの比ではなかった。軽いノリでさらっと流さねば、流石の現人神ですら泣いてしまうだろう。だから、翔も内心必死なのであった。


 「いや、ごめんねって……流石に、今回のはパンチが効きすぎだよ。ここに来て、まさかまさかの半減ってさぁ」

 「本当にごめんっ。今年度限りにするから……なるだけ、たぶん、きっと、おそらく、そうなるかも……そうだといいナー?」


 「……ホント頼むよ? こんな額じゃ、たまの息抜きすらできないんだからさぁ。もう当分ヒキコモるわ、僕」

 「だからごめんて。来年度までには、何とかしてみせるから……」


 緑茶を啜り、翼を持つ二人は、ほぅっと一息ついた。


 長い付き合いだからこそ、触れるにはデリケート過ぎる金銭関係の話は、なるだけ早く決着を付けねばならなかった。

 こんなつまらない事で壊れてしまう様な軽い友情ではないと、二人とも思ってはいるが、余計な(しこ)りなどを残したくは無いのだ。


 「そういや翔ちゃん、予算何とかしなきゃ。秋までには、斎宮(さいぐう)の義を執り行わないと」


 斎宮とは、皇家の守り神を奉る巫女、斎王の住まう御所の事であり、巫女そのものを指す場合もある。

 この国の最南端に位置する火山島の麓に建てられた御所に住まい、皇家の守り神を慰め、一年の吉兆を占い、神託を受ける重要な役職なのだ。


 「ああ、当代の斎王は、光クンの大叔母様になるんだっけ。そういやあのお方って、400を軽く越えてたはず、だよね?」

「うん。しかも歴代最長の斎王だよ。僕らが産まれる遙か以前から、斎宮にいたお人だからね」


 斎王になれるのは、女性のみ。しかも帝家の血筋からのみ選ばれる。さらに、その中からの資質のある者だけとなると、中々候補者が出てくる事はない。


 「ウチの三女にその資質ありと、神託が下ったからね。代わりがいないからって、今までずっとご無理を言い続けてきたし、漸く大叔母さまにも楽させられるよ。そうそう。その準備もやって貰うからね?」

 「……予算どうしよう。何とかしてみるよ……ああ、大変だ」


 頭の中でそろばんを弾きながら、翔はうんうん唸りだした。どうにか絞り出せる所を探さねば、何事もたちいかないし、何も出来ないのだ。必死にならざるを得なかった。


 「話は変わるけど、翔ちゃんホント上手いことやったよね」

 「なに、光クン? 急に人聞きの悪い事言わないでよ」


 「とぼけなさんな。支援とか言って、()()()()に、娘二人送り込んだでしょ。どうなの、何か進展でもあった?」


 対牛田への支援と称し、空と蒼の二人を送り出したのは、確かに事実である。だが、それは娘達たっての希望であり、翔はただそれに乗っかったに過ぎない。


 他意も下心も、マシマシでありありなのは、その通りである。その通りなのだが……


 「本音を言うと、やめときゃ良かったって、ちょっぴり後悔してる」

 「……なんでさ?」


 「どうも上の娘の空がね、望クンにメロメロになったっぽい。彼の心を堕とすどころか、自ら堕ちてったんだ」

 「ありゃりゃ」


 報告書を兼ねた二人からの文が頻繁に届くのは良い事だが、その内容のあまりの酷さに、翔は毎度頭を抱えるのだ。


 妹の方は、今日の晩ご飯は馬鹿美味かっただの、昨日のおやつのアレが檄ウマだのと、どう見ても献立表と食レポ日記でしかなかった。只の一つも、重要情報が無いのだ。


 姉の方は、さらに問題があった。

 完全に『望さま観察日記』だった。というか、知らぬ間にそういう題名が付いていた。内容はハートマークがそこかしこに表記され、読めばたちまち口から砂糖を吹き出してしまうかの如く、ただの甘々妄想日記でしかなかった。

 どこをどう読み返してみても、まともに観察すらしてない内容が簡単に看て取れるところが本当に恐ろしい。


 「光クン、ボクは、一体どこで娘達の教育を……間違っちゃったのかな?」

 「ああ、僕からは何にも言えないや。自由恋愛を認めちゃったんだから、そこはもう諦めな、としか……」


 親友の肩をポンと叩き、帝は無責任に友に対し、慰めにもならない言葉を投げかけた。どこをどう考えてもフォローの為様が無いのだから、これが光輝に出せる精一杯の優しさなのだ。


 「実は僕も、尾噛と関係を持ちたいんだよね。長女の方、何ていったっけかな? あの子を、できれば斎王の義の列に加えたい」

 「え? それは流石に望クンも絶対に首を縦に振らないと思うなぁ。斎王に付いていくとなると、向こう何十年は拘束しなきゃならなくなるんだし」


 斎王に付いていく者達は、基本的にそのままずっと斎王と共に生きる事になる。半ばで戻ってくる事があるとすれば、斎王が亡くなった時か、もしくは……


 「ああ、斎宮までの護衛としてだけだよ。あの子が側にいてくれれば、誰も手が出せないだろうしね」

 「……光クン、本当にそれだけ? ボクにも何か隠してそうなんだけどなぁ……」


 「それについては、また後で」


 翼持つ男二人は、(はかりごと)を企むには、あまりにも性格が明る過ぎる様であった。




誤字脱字があったらごめんなさい。

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