第71話 その後始末的な話3
「降参だ。手持ちで最強の駒達を、あんなに簡単に始末されちまったら、あたいらじゃ何やっても勝てねぇ。つか、ホントやってらんね」
かけてた眼鏡を放り投げ、白衣の女はそのまま倒れ込む様に大地へ身体を投げ出した。
前世から含めて、何十年と費やして積み重ねてきたものを、こうもあっさりとブチ壊されてしまったのだ。
もうどうでも良い……
そんな気持ちになるのは、当然だと言えるだろう。
「ああ。だが、これで良かったのかも知れん」
白髪の割合が多くなってきた頭をガシガシと掻きながら、黄は大地に寝転がった紋菜の横にどかりと腰を下ろした。
もう根を詰めて何かに追われる様に、何かに急かされる様に、誰かに背中をぐいぐいと押されたかの様な焦燥に駆られながら、無理に研究を続ける必要が、これで完全に無くなったのだ。
妙な開放感と、少しの寂寥感を覚えつつ。黄は紋菜と二人で、今後どう生きていくかを考える必要があった。
猛が牛田を継ぐ。これに黄が反対する理由は、すでに無い。
そもそも黄が牛田の後継者に手を挙げた理由というのが、合成獣の研究資金と設備の確保には、これが一番手っ取り早いから。という単純な話でしかなかったのだ。
紋菜が合成獣への研究に、もう魅力を感じていない以上、それ拘る理由なぞ黄には無いのだ。
「まぁ、今更だけど。考えてみたらさ、この世界にゃ魔族なんかいねぇんだから、こんなのに躍起になる必要は、端っから無かったんだよなぁ……」
無駄な時間使っちまった。そう紋菜は独りごちた。
無駄な研究に費やした時間を、少しでも隣に居てくれている旦那の為に使ってやれば良かったかな……等と思ってはいても、絶対に口にしてやらない。そう紋菜は決めていた。態度に示してこそ、この男は漸く面白い反応をしてくれるのだから。
「私は、全く無駄じゃなかったと思うけどなー。合成獣の魔法を打ち消したアレとか、ああいうのを研究していけば、今後色々と役に立つんじゃないかな?」
あの特性は研究する価値があると、祈は思っていた。
”鵺”が複数の属性魔法を同時には打ち消せなかったところから、恐らくは魔術式に直接干渉して書き換えているのではないかと祈は推察した。
それを合成獣を用いて漸く……ではなく、人の手で自在に使える様にできれば、相手の攻撃魔法に対し致命的な制限をかける事もできるだろう。
それを上手く扱う事が出来れば、戦の抑止力にすらなり得るかも知れないのだ。
「……ふむ。確かに、一考の余地あり、だな。紋菜?」
両腕を組んで、祈の提案を、黄は検討し始めた。
魔法という戦の手段を減らす事ができれば、それだけでも充分過ぎる程に抑止の効果はあるだろう。何せ魔法というものは、人類が手にした力の中でも、最も強力で、かつ、最も広範囲に影響を及ぼせる破壊の力なのだ。
だが、人は何でも戦の道具にしてきた。今後何らかの理由で魔法という”技術”が廃れたとしても、未だ人の手には、弓がある。槍がある。刀がある。そして、最近は黒色火薬という薬品を用いた、今までに無い兵器を扱う国が出てきたという噂も聞く。人が戦をやめる事は、きっとこれからも無いだろう。だが、その数を、少しでも抑えられるのであれば……
「へいへい、やってやんよ。人間、生きるためにゃ目標が必要だからな。その代わり、あたいらはお前ぇン所に厄介になるぜ?」
合成獣の研究の為……という名目で、紋菜は色々とやり過ぎた。
もう合成獣の研究はしないと言っても、恐らく誰も信用してはくれないだろう。
そして何より、家内では紋菜という存在は、かなり疎まれているのだ。この場に留まり続けるのは、それなりに図太い神経を紋菜はしているつもりではあるのだが、やはり少々憚られる気もする。
「えぇぇぇぇっ?!」
この夫婦が、尾噛家の居候になるのか…また兄の頭痛の種を増やしてしまったのではないかと、祈は少しだけ後悔をした。だが、もう今更だよな。そんな気もしていた。
人生とは、後悔だらけの連続だ。
そう誰かが言っていたのを、祈は思い出した。多分、俊明だったと思う。
(うん。とっしーなら言いそう。いや、絶対言うね……)
「……兄に聞いとく。やっぱり、お庭は広い方が良いかな?」
言うだけならタダだし。
もし、希望があるなら、言うだけ言ってみて。半分諦め混じりに、祈は夫妻に住まいの希望を聞くのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……知らない、天井だ……」
独自にしたためた『一度ナマで言ってみたい台詞集』にある一つを呟けた事に、空は一人密かに満足感を味わっていた。
自身が優秀過ぎた為に、今まで任務中に倒れるという経験が無かった。だから、この台詞を一生言う機会が訪れないだろうと思っていたのに、まさかまさかの機会到来であった。
だが、その機会到来とは、任務失敗という、二つの意味を持つのだ。こうやって医療用の寝台で目覚めたということは、つまりはそういう事なのだろう。
朧気に覚えているのは、目の前に迫った死から、最近できた友が救ってくれた事。
彼女が駆けつけてきてくれなかったら、あの時、自分は絶対にこの世に居なくなっていた。それだけが、確実に言える事。
無くなった筈の、右足と右の翼に感覚がある。意識して動かすと、それに合わせた反射もあった。だから、間違い無く、どちらも付いてる。
いつの間にか横に一人増えていた”蒼のツッコミ役”が言っていたのを、空は思い出した。回復術を極めていくと、失った器官すら再生できるらしい……のだと。
尾噛の術士の中に、それほどの高位の術者がいるという事だろう。空はそう思う事にした。失った筈の、足がある。そして翼もある。それに一体何の不満があろうか。
掛けられた毛布をのけて上半身を起こし、軽く伸びをすると同時に、翼を大きく広げる。
ずっと身体の下に敷いていた為か、翼の付け根辺りに、少しだけ痺れた様な感覚が残っている気がする。かなりの時間を寝ていたのだろうか?
「んごっ……」
左の翼に何かが当たった感覚に、周囲を全く気にせず、大きく翼を広げてしまった自身の短慮を思い知った。
天翼人が、自身の翼を横一杯に大きく広げると、身長の凡そ3倍近くにまで達するのだ。その様なものを周りに配慮もせず広げては、他人に迷惑がかかる。それは鳳家の娘として恥である。
空は翼を畳みながら、改めて翼がぶつかった左側の状況を確認した。そこには…
「望様っ……何故、望様が、ここに?」
盛大に翼をぶつけられたにもかかわらず、未だこっくり、こっくりと、前後に頭を揺らし寝入る望が、そこにいたのだ。
(何故、望様が、一介の”草”に過ぎぬわたくしの所へ……?)
空のその疑問は、色々と間違いがあった。
『鳳家の娘ではない。ただの草と扱って欲しい……』空は、確かにそう望に願い請うたのだが、彼女達の父親である鳳翔が、それを赦さなかった。
これを死なせたら罪に問うとまで言われたのだから、望は彼女らの責任を、その身に背負わねばならない。だが、それだけの理由では、望が見舞いに来るはずもない。
一介の草に負わせるには、今回の任務は、余りにも荷が勝ち過ぎた。その事を推し量れなかった自身の浅慮を、望は悔いていたのだ。
だが、その事を謝ろうものなら、天翼人の姉妹達二人の矜持を穢すだけでなく、地の底まで貶める事になる。どうしてその様な事が出来ようか。ならば、せめて彼女が目を覚ますその時まで付いておこう。そう思ったのだ。
「んっ……」
寝入ったまま、器用に望は椅子の上で姿勢を正す。彼の小さな寝息だけが、静寂の部屋に聞こえる。
尾噛の頭は、ずっと満足に休息を取れていなかった。侵入してきた牛田軍を撃退し、勅を果たす為に軍を再編成し、本拠地まで攻め上ったのだ。その疲れが、こうして表に出てしまったのだろう。
恐る恐る左の翼を、望の頬に触れるか触れないかの、ギリギリの距離に空は持っていった。起こすのは忍びない。だけど、できれば、気付いて欲しい…そう思いながら。
二人きりの、静寂の時間。彼の近くにいたい。そう思っていた空だったが、こんな時が訪れるとは、全く想像の外にあった。これっぽっちも思ってもみなかったのだ。
「……望さま、申し訳ありません。今度こそ、貴方様のご期待に添える様、空は努力いたします。ですから、どうかそれまでは……」
次こそは。
天翼人の草は、未だ夢の中にいる主に、そう誓うのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……で。親父の奴ぁ、どうした?」
屋敷に戻るなり、猛は自身が留守にしていた間の全ての報告を、家宰に求めた。
まず紋菜が暴走するのは、彼の中でも最初から想定内であった。その内容自体は、彼の想定から大きく逸脱してはいたが。住人に一切の被害が出ていないという事実は、正に僥倖だとも言えた。
紋菜の根が意外にも優しいという事実も、猛には大きな収穫だった。毛嫌いする身内は、この世に居ない葉と、まだくたばっていない親父だけで沢山だ。
葉の首が尾噛領から戻ってきた傭兵達からもたらされ、その報を伝えた間も無くに、当主は臨終したのだという。
自身の身の丈に合わぬ壮大な野心を抱き、その手段を合成獣に求め、領内を荒廃させたロクデナシ。自身の父親を、猛はそう評価していた。
「……そうか。あんにゃろは絶対に俺の手で、引導を渡してやるつもりだったんだがなぁ」
他家の領土を侵し、殺し、犯し、略奪の限りを尽くした自身がこんな事を考えるのは、流石に虫が良すぎてなんだと猛も思うが、自領に生きる民を大事にしない領主は、相応の報いを受けねばならぬ。そう思っていた。
頭をガシガシ掻き、猛は諦める様に大きく息を吐き出した。もう死んだのならば、仕方がない。せめて、盛大に葬ってやるとしよう。絶対に後から化けて出て来ぬ様、徹底的に。
「これからは、牛田の家は俺が仕切る。反対する奴ぁ出てこいっ! 今なら、意見だけは聞いてやっぞ?」
そのためには、まず家内を全て掌握せねば。
帝に頭を下げ、改めて臣の誓約をする。
尾噛と共に歩む為に、猛のまずは第一歩。
「礼をする前に、もう一度尾噛の頭にゃ、詫びを入れなきゃなぁ…俺はあそこで、殺しすぎた」
筋を通さなければ、彼らと共に歩む資格がない。猛はそう思っていた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




