第70話 全否定
「いよぉ猛ぅ、お前生きてたのかよ。しかも尾噛に寝返っての凱旋とは、えらく立派になったじゃねぇか。なぁおい?」
白衣の女性……紋菜は、粘っこく絡みつく様な声で、詰る様に猛の言葉を投げかけた。
牛田家にとっての尾噛とは、ただ牛田の手によって奪われる為だけに存在が赦された家でしかない。尾噛の方は、そんな牛田の勝手な解釈なぞ、事実とは全く異なる妄想上の話なのだが……
その様な者達の軍に混じっている時点で、猛は紋菜にとって軽蔑に値するのだ。
「黄、そして姉貴よ、お前さん達にゃ悪いが、牛田を継ぐのは俺だ。ここで諦めちゃくれねぇか?」
自身の力のみでは、牛田の頭目になる事はできない。その事実を誰よりも良く理解している猛には、紋菜の詰問なぞ想定の内である。全く意に介す事はなかった。
「……そうか、君は尾噛の力を頼ったのか。そして、その背後に帝が……紋菜。ここで逆らっても、俺達に益は無い」
白髪が混じる男性……黄が、紋菜に確認をする様に言葉を紡いだ。それでも、やるのか? と。
「そんなの関係ねぇ! 尾噛が軍を使って街を荒らすってンなら、このあたいが相手になってやらぁ!」
猿面の四つ足の獣の上で、一人白衣の女性はエキサイトする。彼女は前世から人の軍を憎み、”人の群れ”を憎んでいた。集落を荒らし、無辜の人々を殺し、犯すのが軍隊という集団なのだと、そう思っていたからだ。
だから紋菜は、尾噛軍が街に土足で踏み入ってきた場合を想定して、全てを喰らい尽くせとばかりに、合成獣の中でも、人に対してとびっきりの殺意を悪意両方を併せ持つ鵺を複数体、”異界作り”への触媒としたのだ。
まさか、それによって自身までをも閉じ込められ、外界に出る事が一切出来なくなったのは、大きな誤算であったのだが……
「……お前さんよ、さっきまで、その尾噛に感謝してたんじゃねぇのかよ?」
「……それはそれ、これはこれだってのっ!」
猛のツッコミに、紋菜はキレ気味に言葉を返す。街を荒らす奴は、例え身内だろうが、全てあたいの敵だ! そう高々と紋菜は宣言した。
だが、猛は街中を戦場にする気なぞ一切無かった。そして、尾噛側も猛と意思は同じ筈、である。
東西南北の各所に兵を配置したのは、あくまでも結界の要を破壊する為であり、もし結界を失った牛田が反撃の意思を示したならば……の、念の為の備えでしかなかったのだ。
「尾噛の頭、望だ。そちらが我々に対し、戦う意思を示さぬのであれば、これ以上兵を動かす事はないと誓おう。だが、そちらがあくまでも一戦を望むと言うのであれば、帝より勅を賜った我々は、それに応えるのみ。して、返答は?」
望率いる尾噛軍は、形式上、帝の勅を受けた謂わば”官軍”である。
帝の臣である牛田側に反逆の意思が無ければ、無闇に仕掛ける事はできない。だから望はそれとなく、そちらから戦う意思を示さねばここで終わる話なのだと伝えたのだ。
(なんか、聞いてた人と違う気しない? 私には悪い人に見えないなー)
(どうなんだろうな? 少なくとも、あの合成獣ってのはかなりヤベぇが……)
(然り。して、この御仁でござるが、結界が消え失せた後も、街に人の気配は一切ござらぬ。その行方如何で……としか、拙者からは言えませぬな)
(四の五の言わず、この場で決着付けてしまいなさいな。この二人だけど、このまま放置したら、後で何やら面倒事でも起きそうな気がするのよねぇ……?)
確かに合成獣は、相当にヤバい。目の当たりにしたその威圧感に、祈ですら一瞬唾を飲み込んだ程だ。
それが目の前にいる2体だけなのか、それともまだまだ存在するのか。場合によっては、尾噛軍は絶望的な戦いを強いられる事態もあり得るのだ。
「俺だって、この街を戦場にゃしたくねぇさ。この街に住む人間を巻き込まない様にしたんだろ? ご大層に結界とやらまでこさえて、隔離してまでよ。お前さん、意外と優しかったんだなぁ。なぁ、姉さん?」
「うるっせぇぞ猛ぅ、あたいの事、勝手に解った風に言うんじゃねぇよ!」
猛の言葉に、紋菜は顔を真っ赤にして吠えた。
「……お前、意外と優しいのな?」
等と言われては、無頼を気取る紋菜にとって、赤面しても仕方の無い言なのである。下手をすれば、意固地になりかねない危ない橋だったとも言う。
「くそっ。確かに街の人間は、屋敷の地下にこさえた結界ん中に全員いる。何人か怪我してるかも知れねぇが、ちゃんと生きているぜ」
紋菜は街が戦場になっても良い様に、住人を隔離していたと、恥ずかしさを耐える様に白状した。その手段がかなり手荒いものではあったのだが、全員死んではいないという。
……多少の怪我人がいるのは勘弁しろということらしいが。
「んで、尾噛よ。その言葉ぁ、信用して良いのか?」
「して貰わねば、此方も困る。我らとて、無益な戦などしたくはないのだ。話し合いで済むのなら、其方を選ぶ」
望としても、これ以上、貴重な兵力を失いたくはない。話し合いで済むならば、それに越したことはないのだ。
この街に到達した時点で、すでに勅命は果たされた様なものなのだ。後は牛田の後継者の座に猛が収まれば、尾噛としては、万事何も言うことは無い。
「……紋菜」
「解ってらぁ。お宅らの話は全て承知した。こちらだって無駄な争いなんかしたかぁねぇさ。だが、”結界”を破壊してみせた手際といい、お前ら合成獣の実験相手にゃ、丁度良さそうなんだがなぁ……」
白衣のポケットから眼鏡を取り出し、紋菜はそれをかけつつ、停戦を受け入れた。
この街中に”草”を放ってまで振り捲いた噂とは、尾噛軍の取った対応が全然違った。その事に、紋菜は少々面食らっていた。
本音を言えば、今すぐにでも合成獣を嗾けてやりたい。この軍相手ならば、色々と面白い結果が得られそうな予感がするのだ。だが、相手の提案を呑んだ手前、それができない事に、紋菜は少し後悔していた。
「……だったらさ、その実験、手伝ってあげてもいいよ?」
「「「「は?」」」」
祈のその言葉に、誰もが驚きの声をあげたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……お嬢ちゃん、本当に良いのか? こいつぁ、洒落じゃ済まねぇぞ」
紋菜は、頭の望以外に尾噛を名乗る小柄な娘に、もう一度念を押してみた。
この小さな身体で、合成獣相手にどう抗うというのか…紋菜は、全く想像ができなかった。
「構わないよ。なんなら、さっきの大きな奴を、複数同時でも良いし」
身体を解しながら、祈は事も無げに言ってのける。あの鵺を複数出しても良い、だと? その言葉に、夫妻は大口を叩く小娘だと呆れた表情をみせた。
「ああ、そうそう。魔術士の皆、手伝ってー」
「……え゛?」
一馬を筆頭に、まさかこの様な無駄な戦いに、自分達にお呼びがかかるとは全く思っていなかった魔術士一行は、今にも死にそうな声を出したのだった。
「お館様ぁ……」
助けを求める様に、一斉に魔術士達は望の方へ視線を向けた。だが、頼みの綱である望は、諦めた様に首を横に振ったのみである。
……行ってこいという事か。一馬を含む魔術士達総勢12名は、祈の手招きに死刑に赴く囚人の如く、足取りも重く応じる他は無かったのだ。
「皆の得意な術は何かな?」
姫の求めに応じ、魔術師達は、自身の得意な魔術を順に発表していった。それに何の意味があるのか、彼らはさっぱり解らなかったが、皆正直に答えた。
「……以外と皆、得意な属性バラバラなんだね? 丁度良かった。試したい事があるの。合図するから、それを合成獣に向けて一斉に撃ってね?」
「しかし、おひい様。かの合成獣とやらの速度、かなり侮れませんぜ。我々が詠唱中にやられるって事ぁあったりしませんかね?」
一馬が魔術士一同を代表して、皆が思っている心配を祈に打ち明けた。開始の合図と同時にパクリと一口。こうなる未来図しか、彼らは思い描けなかったのだ。
「大丈夫だよ、私が止めるから。皆は焦らずに、ちゃんと、しっかり、絶対に省略なんかしないで、全文詠唱でやってね?」
魔術とは、決められた手順を守り、決められた呪文を全小節全て唱えれば、その威力は込められたマナに対し、最大限の倍率にまで高まる。
『最大威力で放て。絶対に手を抜くなよ?』
そう尾噛の姫は、魔術士達に念を押してきたのだ。魔術士達はその言葉の意味を理解し、ごくりと唾を飲み込んだ。
「こっちは準備できましたー」
尾噛の姫は、夫妻に向けて大きく手を振った。
「……紋菜。本当に良いのかな?」
「知らねぇよ。あの娘が喰われたにしても、端っからこっちは悪くねぇだろさ。そんで逆恨みされるんなら、そん時ゃそん時だよ」
紋菜は吐き捨てる様に、旦那の問いに答えた。これのせいでもし停戦状態が解けたとしても、それはあちらが悪いのだ。その時は改めて合成獣で蹂躙してやれば良い。街が戦場にならなければ、こちらはそれで良いのだから。
危険な合成獣を隔離するために作った異界の門を開け、”鵺”を3体現界させた。鵺はまだ未完成であったが、現時点で最強の合成獣だった。それを全て出してみせた所に、紋菜の底意地の悪さがある。
複数出しても良いと、あの小娘はほざいたのだ。ならその求めに応じてやろうじゃないか。それで死んだとしても、それはお前ンとこの娘の吐いた大言壮語のせいだ。あたいは全く悪く無ぇ。
そう言い放ってやるつもりなのだ。それを見た黄は大人げないなと思いはしたが、紋菜の気持ちが痛い程分かる以上、何も言わなかった。
祈の三方を囲う様に、魔術師達は四人一組で固まった。
対する鵺の距離は、それと何とか視認できる程に遠くに離れていたが、そんなもの鵺は一息で駈けてくる。安全な距離ではなかった。
予め決めていた合図の笛の音が響いたと同時に、鵺は瞬時に哀れな魔術士達を喰らわんと駆け出した。
喰われるという恐怖に戦きながらも、魔術士達は呪文を噛まない様に、しっかりと詠唱し続けた。目の前に迫る大型獣の顎が三つ。大半が恐怖に抗えず目を瞑りながらの詠唱であった。
魔術士達は、全員喰われはしなかった。誰もが無事であった。
祈の作り出した強力な障壁によって、巨大な獣たちは全て弾かれたからだ。
「今っ! 正面のに集中っ!!」
姫の合図と共に、魔術師達は一斉に自身の得意な攻撃魔法を放った。
最初に放たれた炎の槍三つは、鵺に到達すること無くかき消えた。
だが、次に飛んだ圧縮水流砲二つと風の太刀が鵺の顔面を的確に捉え、頭部が弾ける。中央の鵺はそのまま絶命した。
(思った通り。複数の属性を一度に処理できないみたいだねっ)
(恐ろしい事を思いつきましたな。これに付き合わされた魔術士達が、誠に哀れにござる……)
(俺はあえて何も問わなかったが、もし魔法が一切通じなかったら、そン時お前どうするつもりだったんだよ、祈?)
(うん? その時は、捕縛呪で身動き取れなくして、全員で身体強化かけて撲殺だよ?)
(さすがあたしのイノリちゃん。あたしが教える事は、もう何も無いわ……)
残りの2体も同様に、祈の障壁を突破できないまま、尾噛の魔術士達の手によって”処理”された。夫妻の希望であった合成獣は、ここにあっさりと敗れてしまったのだ。
「……信じられん。まさか合成獣が、こんな方法でやられるとは……」
「畜生。てめぇ狙ってやがったな?! あたい達のかけてきた時間は、一体何だったんだよぉ……」
最強であった筈の鵺が、為す術も無く、目の前で全て倒された。
衝撃の事実に、紋菜は膝の力が抜け、その場に崩れ落ちた。転生してまでも追った研究の成果が、あっさりと現地人の魔法によって悉く潰されてしまったのだ。すぐには立ち上がれない程の挫折であった。
「これで解ったかな? 長年に亘って民を犠牲にし続けてまで研究した合成獣なんかより、私達尾噛の方が遙かに強いって。もう民を苦しめてまで研究なんかする必要、無いよね? もうこんなの、要らないよね?」
祈は夫妻に対し、合成獣を研究する不毛さを、尾噛の魔術士達を使って証明してみせた。
この世界に存在しない障壁術という多少のズルはしたが、魔法が効かない筈の特性の穴を、研究者の目の前で突いてみせたのだ。
「ははは……我が麗しの小さな同盟者は、本当にスゲぇや。欲しい。本当に、この手に欲しい……」
猛は興奮していた。絶対に人の手には負えないだろうと思っていた合成獣を、あっさり潰した”小さな同盟者”の、その知識と度胸に。
心の底から欲しいと思ってしまった。祈の力を、その全てを。
誤字脱字あったらごめんなさい。




