第69話 炎に消える
「だから、この街を、燃やしちゃおうかって言ってんの」
「おいおいおい。祈、お前までこのおっぱい魔人に毒されちまったのかよ?」
「……誰がおっぱい魔人よ?」
おっぱい魔人のゲンコツが、俊明の少し寂しくなった頭頂部に炸裂した。かなり良い音が辺りに響き、俊明は頭を抑えながら暫し悶絶する羽目となる。
「しかし、それをするのは仕方ないとして、猛殿がどういう反応を示す事やら。同盟者として、一応は許可を得るべきではござらぬか?」
武蔵の言葉に、祈は大きく頷いた。
確かに猛には、一言添えて然るべきであろう。何せここは、猛の本拠地なのだから。家を継いだのにその本拠地が焼け野原では、あまりに酷すぎるというものだ。
「……うん、そだね。もしかしたら、私が勘違いしてるだけかも知れないしね」
「勘違い、とは?」
祈の言葉に、被り気味に武蔵が食いついてきた。今回の不可思議な現象に一番興味があるのはこの侍の様である。その勢いに驚きながらも、祈は人差し指を上に向けた。
「皆なら、上からこの街を見ればすぐ気が付くと思うな。私が間違っていたら恥ずかしいんだけど……」
その言葉で一斉に上空へ飛ぶ三人の姿に、祈は呆気にとられた。
彼らは自身の能力に絶対の自信を持っていただけに、今回の”解らない”という事態が、よほど悔しかった様である。
「ははぁ……こんな単純なことに気付かなかったとは、俺の馬鹿。確かにこれなら燃やしちまっても良いかもな」
「ああ。なるほどね。これなら全て燃やしてしまっても全然問題無いわ。まぁ、もし仮に間違っていたとしても、あたしなら絶対燃やすのだけれど」
「……? すまぬ。さっぱり解らぬ。所詮、拙者は脳筋物理侍故……」
納得顔の二人を横目に、脳筋物理侍は寂しそうに、もう一度街を見下ろしたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……と、いう訳なの」
「ふぅむ……俄には信じ難い話だけど、蒼の報告とも合致するし、一考の余地はあるね。ただ、猛殿はこれをどう思うか、だけど?」
望は猛に視線を送った。この作戦は、同盟者であり、街の所有者になる”予定”の猛の許可があって、初めて検討ができるのだ。無断でこの様な所行をしてみせるほどには、尾噛は蛮勇を誇ってはいないのだから。
「……できればやめて欲しいってのが、まぁ本音だな。だが、住人が全て消えてしまったというのが本当の事ならば、致し方なしという所か。ただ、黄がそこまでやるとは、俺には到底思えないんだがなぁ……」
頭をガシガシ掻きむしりながら、猛は苦々しげに首肯した。自身の生まれ育った街を焼き尽くしてもいいか? 等と問われれば、誰だって拒否反応を示して当然の話であろう。それでも、猛は祈という同盟者を信頼しての、ギリギリの判断なのである。その事を理解してなのか、望は猛の返答に深く頭を下げ、感謝の意を示した。
「猛殿。今更かも知れないけれど、黄という人間の人なりを訊ねても?」
猛が黄という人物に対し、かなり信用している言が目立つ事に、今更ながら望は興味を持った様だ。もし信頼できる人物であるならば、戦わずに済む様に動く事もできよう。その期待が持てるなら、それに越したことは無いのだ。
「……良く言えば、実直。悪く言えば、頭が堅い。そんな人間だな。常に実利を選び、無駄を極端に嫌った。そしてアレは我が姉、紋菜の手綱をしっかりと握り続け、決して暴走はさせなかった。だが、今回の事が本当であるならば、いよいよ紋菜の暴走を止める事ができなかった。のかもなぁ……」
「街一つを犠牲にしてまで……っていうのは、確かに考え難いね。いくら何でも割に合わない。しかし、その紋菜という人物は、それを平気でやれてしまうのだろうか?」
「……『あいつならやりかねん』と、家の者全てがそう思うだろう。だから、旦那である黄が、後継者候補から大きく出遅れる羽目になったのさ」
猛は恥ずかしそうに答えてから、誤魔化す様に緑茶を一気に飲み干し、その後完全に黙り込んでしまった。身内の恥を包み隠さず他家の者に晒したのだから、これほどの恥辱は確かに無いだろう。祈はすまなそうに猛に頭を下げた。
「とりあえず、方針は決まったね。決行は明朝、日の出と共に。上手くすれば、すぐにでも決着は付こう」
(できればそうあって欲しい……というのが、本音だけどね。早々、上手くは行かないだろうが)
そうは思っていても、決して口には出さない。上に立つ者の苦労というのはこういう事か。亡き父の眉間に深々と刻まれた皺を思い出し、望は苦笑した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「空姉ば、助けてくれてありがとう。本当に、祈は恩人ばい」
空の見舞いに訪れた祈を出迎えたのは、妹の蒼であった。
敵地の救出劇から、すでに半日以上を経過したのだが、未だ空は目を覚ます事がなかった。
長時間にも及ぶ失血状態が、どれほど空の身体にダメージを残したのかは、医術の心得など全く無い祈には判らなかった。
祈とマグナリアの回復術による処置は完璧だった。失われた右足や右翼だけでなく、血液さえも余さず再生してみせたのだ。だが、目に見えないダメージになると途端に話は変わる。
例えば記憶。脳そのものは再生できたとしても、その中身までとなると、どんなに高位の術者の手であっても、それは不可能なのだ。
「……遅くなってごめん。私がもう少し早くあの場に行けたら、こんな事にならなかったのに……」
あの時は正に間一髪だった。だが、もう少し早く行動を起こしていたのなら、結果は変わっただろう。今はそれを悔やんでも仕方の無い事なのだが、”もしも”という言葉は、どうしても出てしまうのだ。
「舐めんな。今回ん事は、空姉ば未熟やったせいなんや。祈、今んお前ん言葉は、空姉ば侮辱しただけや」
蒼の剣幕に祈は気圧されてしまった。出迎えた時の笑顔が消え、今は殺気にすら匹敵する程の怒気を、蒼の瞳は湛えていたのだ。
「アタシら姉妹は、小さい頃から草の修行をしてきた。やけん、そげん事言わんで欲しか。逆に失敗した空姉ば、指さして笑うてやってくれ。それで、あいこばい」
任務に失敗した草を哀れむな。逆に悲しくなる。そう蒼は言うのである。敵地へ赴く事が常である草の失敗とは、即ち死である。だから、祈のお陰で命を拾うことができた空は、それだけで幸運だったのだ。その恩人が、決して水を差すな。そう云うなのだ。
「……そだね。ごめん、変な事言っちゃったね。後で空ちゃんにも謝らなきゃ」
「そいで良か。祈、ありがとうね……」
天翼人の娘は、小さな友人を両手で力一杯抱きしめた。
いつも辛辣な言葉を投げかけてくる姉を、蒼はとても好いていた。半身と言っても過言ではない姉を失わなかった。その事に、その恩人に、もう一度深い感謝の言葉を紡ぐ。
祈は無言のまま、友人の翼の付け根を軽く叩いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝靄の中、東の山々の間から太陽が少しだけ顔を覗かせた。作戦決行の時だ。
尾噛軍は、魔術士達をそれぞれの隊へ均等に分け、街の東西南北に位置する入り口に陣取らせた。
魔術士の役目は、合図があり次第、街の入り口にある要石を破壊し、その後鉄の兵を召喚して、各隊の盾役となる事である。
その想定する敵は、人の兵士ではない。文字通りの”化け物”相手なのだ。矢面に立つ事になる魔術士達の緊張の度合いは、他の兵のそれとは全く比較にならなかった。隊の命運を握っているも同然、なのだから。
「作戦開始。祈、頼むよ」
合図の笛の音が、辺りに鳴り響く。それを確認した馬上の望は、妹に声をかけた。
報復の狼煙は、尾噛の長女によって上げられるのだ。
「其は地獄の焔。全ての命を焼き尽くす、殲滅の炎。我が望むは全ての静寂なり。美しき焔による地獄の静寂なり……」
周囲のマナを全て喰らい尽くすかの如く、祈は煉獄の発動の為、支配下に置いたマナをその手に集め圧縮する。呪文を省略する事なく全て詠唱し、術式を決められた手順で完璧に組み上げ、標的と規模を座標上で完全に固定したのだ。もう神であろうと、この魔術の発動に対して妨害も、軽減もできない。
青白き炎柱が、牛田の街を全て覆い尽くした。
それは、朝日の輝きをも圧倒する程の、光と熱量があった。地獄の焔を、敵を焼き尽くす殲滅の炎として現世に喚び出す。それが煉獄という魔術だ。
「……本当に、私の勘違いだったら、ごめんね?」
両手を合わせ、祈は自身の推察が間違っていない事を、心から願った。
もし勘違いであったのならば、同盟者である猛の治世は、焼け野原からのスタートとなってしまうのだ。気が気では無かった。
殲滅すべき敵を、悉く焼き尽くした地獄の焔は、満足したかの様にその姿をこの世から消した。
その後に残ったのは……
「おいおいおい。どういうこった? 街がそのまま残っていやがる」
「良かったぁ。勘違いじゃなかったぁ」
自身の推察が間違っていなかった事に安堵し、祈はその場でへたり込んだ。確信はあったが、もしもという可能性も無くはなかった。賭けたのは、他人である猛の運命なのだから、そのもしもの場合が怖かったのだ。
(あの街は、結界の上に貼り付けられた異界のテクスチャだったって事だ。東西南北の入り口にあった石が、その結界の要だったのさ)
(つまりね、ムサシ。あそこは貴方が言った通り『獣の胃の中』そのものだったってこと。今それを祈が全て燃やしたのよ)
(良く解らぬが、あの嫌な感じが全て消え失せたのは確かでござるな。これで拙者、何の憂いも無く、完全に探知できよう)
「詳しく言うのは、もう良いよね? 今、私は街に覆われた結界を燃やしたの。だから、街は無事だったって訳」
完全詠唱の煉獄は、体力をかなり消耗する。だからか、祈は説明を端折った。目の前にある事が事実だから、それだけを受け入れろ。そういう事なのである。
「……判らん。だが、まぁそういう事だな……」
猛は考える事をやめた。
この娘に付いてきてから、自身の常識が悉く崩れていく音を知覚するのだ。
『考えるだけ無駄だわ』
そう諦めたのだ。
(大型の獣、2つが来る。かなりの速度でござる。気をつけよっ!)
「ありがてぇ。お前等用の罠にと結界張ったのは良いけど、実は解除鍵を忘れちまって、あたいら裳一緒に閉じ込められてさ、実は困ってたんだ。尾噛とか言ったっけ? 助かったぜぇ!」
「おれからも礼を言おう」
武蔵の警告すら間に合わない程の、それは凄まじい速度であった。
猿面の大型の獣に乗った女性と、三つ首を持つ大型の獣を従えた男性が、祈達が身構える間も無く目の前に姿を現したのだ。
「……あれが、紋菜と黄だ……」
両手で顔を覆い、猛は恥ずかしそうに彼らを紹介した。
”身内の恥”を包み隠さず他家の者に晒したのだから、これほどの恥辱は、確かにこの世に無いだろう。祈はすまなそうに深々と猛に頭を下げた。
誤字脱字があったらごめんなさい。




