第67話 戻らない二人
天翼人の姉妹を偵察に出したが、望達は、そのままただ待っている訳にもいかなかった。
望達は、荒れ果てた街道をそのまま北上し、敵の本拠地近くまで進軍した。
(……妙な気配が。はて? この様なモノは、拙者も初めての経験にござる)
街まであと半刻程度の所まで進んだところで、武蔵が異常な気配を検知した様だ。
(さっしー、何があったの? 私は何も感じないんだけど……)
(これ以上、軍が歩を進めるは、些か不味い事態になるやも。説明するには、学の無い拙者の語彙では難しいのでござるが……)
武蔵はこの先に軍を進めるのを止める様にと警鐘を鳴らす。まだ確信には至っていないのか、具体的な説明を避けてはいたが、その様子に何か危険な臭いを感じる所があったのか、祈も深く追求はしなかった。
「街で何が起こっているというのだ? ……二人を先行させたのは、不味かったか」
望は少しだけ後悔していた。未だ二人は戻ってきてはいないのだ。
今の尾噛軍の歩みは、あくまでも歩兵に合わせたゆっくりとした速度だ。彼女達の足であれば、街を一廻りして戻ってくる時間は充分にあった。
なのに、未だ帰還していないということは、彼女達の身に何かあったのか……
彼女達の”矜持”を傷付けるのを恐れる余り、同時に尾噛の”草”を放たなかったことを後悔していた。
「逐次投入の愚を犯したくはないのだが、このまま手を拱いている訳にもいかない。彼女達の安否も気になるしね」
「然らば、人数を出すのは、なるだけ避けた方がよろしいかと。この気配、只の人では如何とも為様がござらぬ様で……」
「武蔵さん、もう少し詳しい説明をくれないか? 俺達でもこの距離からじゃ、状況が良く解らないんだ」
俊明も気配関知に関してはそれなりの精度を持っていたが、武蔵のそれには遠く及ばない。現に今も、多少の不穏な空気をあの街に感じる程度でしかなかった。
『人では如何ともできぬ』
……などと云う、武蔵の嘗て今まで使わなかった強い表現に、俊明も困惑するしかなかったのだ。
「……で、ありましょうな。申し訳ござらんが、拙者も”これは良くないモノ”としか、言えませぬ。これが”本能”という奴でござろうか。この気配は、こう……尻の辺りから背中へかけて、ゾワっとする感覚が……」
異世界の魔王達と何度もやり合った剣聖が、気配だけで本能からの恐怖を覚えると言うのだ。少なくとも、これはただ事では無い。その事実を嫌と言う程理解出来た守護霊のふたりは、思わず唾を飲み込んだ。
「こうなったら、実際に見てくるしか無いわね……ムサシがこんな事言うのは初めてなのだから、かなり危険な事かも知れないのだけれど」
「だったら、私が行く。さっしーも居るし、危なくなる前に戻ってこれると思う」
「だけど、それだと祈がっ……」
望はそれを却下するつもりで口を開いた。今回の作戦の要は祈なのだ。祈が抜けるのは、作戦の前提から崩れてしまう。
だが、それを途中でやめた。
今の異常事態が、その合成獣によるものの可能性に思い当たった為である。もしそうであるならば、対処できるのは、この中では祈だけしかいない。
「……解った。でも、無茶はしない様に。最上は、空と蒼の身柄確保。でも第一優先は祈、お前だからね」
大きく溜息を吐いてから、望は祈に言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。何があっても、お前だけは絶対に戻ってこい。そのつもりで。
「うん。解った。絶対に戻ってくるから」
「あと、こちらもずっと待っている訳にはいかないからね。時間は区切るよ」
もう少ししたら、太陽が天頂に到達する。そこから西の山に太陽が届いた頃、全軍突入すると、望は言った。時間にするともう一刻と少しもないだろう。祈は急ぐ必要があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
空は逃げる様に、必死になって地面を這っていた。
迂闊だった。生命を一切感じる事の無い街中で、感覚が麻痺していたのだろうか。それの気配を悟った時には、すでに遅かった。
何とかギリギリで躱したつもりだったが、その時に右の翼と、右足を持って行かれた。
空はそれの姿を、最後まで視認できなかった。自身に何が起こったのかすら、全く理解ができなかったのだ。
ただ、この場に留まるのは不味い。それだけは、本能から理解できた。
その思いだけで、空は地を必死に這う。無様だと笑われようが、空は知ったことでは無い。”草”は生き残らねば。生き残って、僅かな情報でも味方に持ち帰ってみせなければ、そもそも草とは呼べないのだ。
……妹は無事だろうか?
自身の命すら危ういこの様な状況だからであろうか、妹の顔が脳裏に浮かぶ。
どちらかが生き残れなかったら……いや、このままでは二人ともここで骸を晒す事になるかも知れないが……もしそうなった場合、きっととと様は、尾噛に対して”復讐”をしようとするだろう。
自分の我が儘の結果、尾噛の頭に迷惑をかけてしまっては、空の本意ではない。
空は尾噛の頭に興味を持った。
異性を意識するには、未だ空の感性は子供のそれに近過ぎた。それこそ早過ぎると言っても良い。
……だけれど、興味が湧いた。だから、彼を近くで観察したい。そう思った。
あの妹も、尾噛の頭には興味があると言っていた。だから、二人で観察しよう。その為に二人でとと様に我が儘を押し通したのだ。
────その結果が、これだ。
このままでは、恐らく自分は助からないだろう。
だが、せめてこの様な”危険”が、この街に潜んでいるのだという事だけは、何としてでも、尾噛に伝えねばならない。
失血で薄れ行く意識の中、空は懐からヒトガタを取り出し、鉄の兵を3つ喚んだ。
「お願い。わたくしを街の外に運んで。もう一人は……妹を、蒼を探して……」
ここで意識を失ってしまえば、鉄の兵はまた元のヒトガタに戻ってしまう。何とか空は、意識を繋ぐ為に唇を噛んで堪えた。
鉄の兵は、空の命令を忠実に行う。
地面を這うより遙かに速い速度で、空は移動することができた。空は街のほぼ中心部と言って良い位置にいる。抜けるのには、まだ時間がかかるだろう。安心はできない。
「兎に角、今は意識を失わない様に……」
上下に激しく揺れながら移動する兵士は、主の身の安全なぞを一切考慮していない様だ。だが、この無茶な上下運動のお陰で、空は何とか意識を繋いでいられた。今は早く、この危険を知らせなくては。その一心であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「糞っ、何も見えんかったばいっ! 気配ば多過ぎて、どこから来るか全然わからんばい」
最初の攻撃は何となく避けられた。だが、次はどうなるかは蒼も解らない。今まで全く感じなかった気配が、今では辺り一面そこらじゅうなのだ。というより、”まるで敵の胃袋の中に居る”。そう表現した方が一番適切なのかも知れない。一々方向を探るのすら馬鹿らしく思えてくるのだ。
少なくとも、この場にじっとしていては危険だ。蒼はすぐに踵を返し、一目散に街の外へ駈けだす。
修行時代に敵に背後を見せるな。そうよく叱られたものだ。だが、今は正確な敵の位置が解らない。そんな些細な事に構ってなぞいられない。
この様な場合、身の安全こそが最優先。『逃げるが勝ち』そんな言葉も、世の中にはあるのだから。
何かが蒼目掛けて複数飛んできた様な気がした。
それを速度も落とさずに、蒼は全て巧みに躱す。何かが脇をすり抜ける気配はするが、蒼の眼には、何も映らなかった。
「っか-、何ねこれ。ズルかぁー」
見えない敵に、見えない攻撃とは、こんなもの普通に考えれば対処できる筈も無い。逃げて正解だと、蒼は足を速めることにした。
「空姉は大丈夫やろうか? あん姉ば、言葉の割にトロ臭いけんなぁ」
別行動を取ってしまったのは、どうやら失敗だったかも知れない。
蒼はこの場にいない姉を腐した。この発言を聞かれていたら、きっと例の痛烈な肘を、内臓に届けとばかりに叩き込まれてしまうだろう。
だが、事戦いに関しては、蒼の技量は遙かに上なのだ。空は今のを絶対に躱せない。それほどの攻撃だった。
「なのに、あん肘ば避けれんのは、謎なんっちゃんねぇ……?」
首を捻りながら、また見えない打撃を器用に寸でで躱し、空は街の外へ向けて駈けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……うん。武蔵さんの言った事、何となく解ったわ。こりゃ、一般人なんかじゃ絶対無理だ」
街を目の前にした途端に変わった空気で、俊明も武蔵の警告の意味を理解できた。
街全体が、正に一体の獣の様だ…そう表現するのが適切であろうか?
街に一歩踏み入れれば、そこは”獣の胃の中同然”だったのだ。これを人間が対処するには、あまりにも規模が違い過ぎた。
「……嫌な気配で溢れているわね。生命の存在を一切感じないと云うのに、悪意、敵意で固まった、まるで瘴気にも似た、嫌な感じが届いてくる……」
「うん。空ちゃん、蒼ちゃんが心配だ。早く何とかしなきゃ」
祈は今すぐにでも突入しそうになったが、それを寸前で堪えた。
そして、街中にできる限り大量の物見の式を飛ばす。この様な状況下で、闇雲に探すのは非効率であり、危険過ぎる為だ。
この異様な気配に、無闇に突入してどうなるか解ったものではない。三人で無事に帰らなくては、意味が無いのだから。
「彼女たちが無事であれば良いのだけれど……」
物見の式に意識を同調させながら、祈は二人の無事を祈る事しか、今はできなかった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




