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第66話 進軍 北へ



 「やあ、また遊びにきたよー」

 「いらっしゃい。ボクの管理する世界へ、ようこそ」


 この世界の管理者は、正に趣味人だった。

 天界をまるで小洒落たバーの様に改装し、度々現れる来訪者を歓待するのだ。


 「また来てくれてありがとう。今日は一体どうしたんだい?」


 異世界の管理者へ、冷たい牛乳を差し出す。この世界で最高級のものだ。


 「いやね、君には本当に悪いんだけど、愚痴を言いに来たんだ…」


 そのグラスを両手で受け取り、異世界の管理者はぐいっと一気に煽った。キンキンに冷えた牛乳が、食道を通り胃まで到達する道のりを一気に冷やす。その清涼感に、管理者はほぉっと溜息をついた。


 「愚痴? そんなの気にしなくて良いよ。ボクなんかで良ければ、いくらでも聞いてあげるからさ」


 空になったグラスに、おかわりの牛乳を注ぐ。それを有り難く頂戴した異世界の管理者は、今度は大事そうにちびちびと口を付けた。


 「あの後、優秀な魂達を色々な世界に送り届けたんだけどさ、その間に新しい”世界”が他の者の手に渡っちゃってて、貰えなくなっちゃった。これで晴れて無職だよ、私は」


 無のゆらぎから”世界”は泡沫の如く沸いては消える。だが、可能性を秘めた”世界”は、その中のほんの一握りでしかないのだ。お陰で今は”世界”待ちの、元管理者に落ちたのだという。


 「ああ。あの”世界”は本当に美しかったのになぁ……あれを私色に染める事ができたのなら、どれだけ素晴らしい日々が待っていたのだろうかと思うと、なんだか無性に悔しくなってきてさぁ……」


 管理者は、今差し出した牛乳にお酒が混じってやいなかったかと一瞬疑ってしまった。それほどまでに、この”元”管理者の涙が真に迫っていたのだ。所謂泣き上戸である。


 「まぁ、確かにボクも、この”世界”を手にするまでにどれだけ待った事か…でも、こればかりは仕方ないよ、気長に待とう。君が今度出逢うであろう、新しい”世界”に……」


 自身のグラスにも牛乳を注ぎ、異世界の元管理者のグラスに軽く当てた。澄んだ音が微かに響き、天界に流れる音楽と調和した。


 「私のやってきた事は、一体何だったんだろう? 無理に進化を促したのが、完全に仇になったか……私は全てを失ってしまった」


 カウンターに頬杖を突き、完全に後ろ向きマインドに陥ってしまった元管理者。

 ボタンをひとつ掛け違えたせいで、世界が一気に崩壊の道に進んでしまったのを悔やんでいるのだろうか。それともただ単に、自身の不幸を嘆いているだけのだろうか……それを判別できる程までは、管理者は彼と深い付き合いが無かった。


 「君のやってきた事は、決して無駄じゃなかったと思うよ。だって、ご覧よ。ボクの世界で、君の成したものが確かに息づいているんだ」


 管理者が手をかざすと、この世界の様々な事象が、二人の脳内に映像として駆け巡った。その中には、確かに元管理者の世界からの転生者が様々な技術を伝承し、それらが根付いていく様子があった。この世界に、元管理者の足跡が確かにある。これがその証左なのだ。


 「……皆ごめんね…私が最初に犯したミスをちゃんと修正せずに、無理に取り繕おうとしたせいでこうなってさ……でも、ありがとう。君達は、私の誇りだよ」


 嬉しそうに眼を細め、元管理者は、彼らの姿に深々と頭を垂れた。この異世界で、自分の世界の技術が、確かに根付いていたのだ。世界を失っても完全な虚無ではない。それだけで喜びなのだ。


 「おや? 君の世界にいた勇者達が観測できたね。ありゃ、ちょっとこれは不味いかなぁ……」

 「マグナリア達がいたのかい? どれ、彼らは爽健かな……あらら。これはこれは」


 彼らの様子と、その現状を見た二人は、互いに顔を合わせ困惑の表情を浮かべた。


 「ごめん。ランダムでやったんだけど、彼らの送りつけた時代が近すぎた。どうやらあの”技術”は、残らないかも知れないね……」


 管理者は、元管理者に向けて頭を下げた。元三勇者には、”情け”、及び"容赦”などと云う概念なぞそもそも無い。敵対する者は、悉く殺す。その選択肢以外、彼らには存在しないからだ。


 「ああ、良いよ良いよ。実は合成獣(キメラ)の事、私はあまり快く思っていかったんだ。生命を弄ぶ様な技術は、流石にね……でも、一応の選択肢として持って来たんだけど、君はどう思ったんだい?」

 「ボクは、別にあっても良いと思うんだけどね。どんな技術でも、結局は使う側の心持ち次第だ。一々それに細かくダメ出ししなきゃならないというのなら、どんな技術も、ボクらは否定しなくてはいけなくなる」


 だから、彼ら夫婦の意思を尊重して、記憶を持たせたまま近い時代に送ったんだしね……そう管理者は言う。


 「だけど、これは相手が悪いかなぁ……ああでも、その前に自滅しそうになってるか」

 「こればかりは仕方がない。まだ彼ら(人類)には過ぎた技術だったと思うしね……」


 管理者達は、グラスに残った牛乳を一気に飲み干した。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 望は、牛田討伐の勅命を果たすため、そして侵略してきたその報復を行う為に、軍を動かした。


 陣容は、騎兵150、歩兵80、魔術士12。あと猛率いる部隊の80。そして天翼人が2名である。

 他領へと”侵攻”する軍としては、それはあまりにも小規模過ぎた。だが、尾噛はこれ以上の兵を動員する訳にはいかなかったのだ。


 財政面での問題が第一。

 奇襲が成功したとはいえ、倍もの数の敵と戦ったのだ。その傷が思ったよりも深かったのが第二の理由。

 そして、牛田以外にも隣接する他家の存在だ。完全に留守にする訳にいかなかったのが第三の理由である。


 合成獣は、人の軍では対処ができない。そう猛は言った。ならばと望は、最低限の人数しか連れて行かない事にした。戦いは数だ。確かにその通りである。だが、無駄に命を落とすのでは、ただの浪費に過ぎない。そう割り切ることにしたのだ。


 足りない数は、一馬と天翼人の二人が伝えてくれたヒトガタの兵で補える。尾噛の魔術士ならば、一人辺り一度に大体12体もの鉄の兵を造り出せる。これは尾噛にとって、かなりの戦力増強になった。合成獣が現れたら、これを軍の全面に立たせて盾とする。その間に祈が式を喚び出して戦う……そう決めていた。


 尾噛邸から発し、望達は街中を列を成して行軍した。勅命を賜り、これから牛田の討伐へ行くのだと大々的に喧伝しながら。国の領主様が勅命を賜った。これは民にとっても誉れになるのだ。


 これから軍は街を抜け、街道を道なりに北に進み、牛田の領を目指す事になる。


 「正直言うとね、私達だけで行った方が良かったんじゃないかって、ちょっとだけ思ってるんだ……」

 「そりゃまぁ、合成獣相手じゃ、人数いたって仕方ないのは確かだけどよ。お前さんがいくら強ぇって言っても、アレにゃ流石に……」


 猛は合成獣の怖さを骨身に染みて知っていた。あれはまさしく見た目通りの化け物だ。それと正面から相対する小さな同盟者の姿を想像し、ぶるりと身体を震わせた。ぱくりと食われるのがオチだろう。その光景が容易に想像ついてしまったのだ。


 「牛田ん兄ちゃんな、まだこん娘ん恐ろししゃば知らんんごたーばい。お前んトコの部隊ん大半ば消えたアレ、こん娘ん仕業ばい」

 「ちょっと、蒼ちゃんっ。それ絶対に言わないでって言ったじゃないかっ」


 ずっと猛は、あれは複数の魔術士が関わったものだと思っていたのだが、まさか目の前の小さなお姫様単独の魔法によるものだとは、全く想像がつかなかった。

 それどころか、天翼人の娘の法螺話の可能性の方がよっぽどあり得るとすら思ったのだが、小さな同盟者の慌てぶりを見るに、どうやら本当の事なのかも知れない。


 「がははは、良いネ。やっぱり可愛い(あいらし)かね。辛気くしゃい顔ば似合わんばい。あんたはそうでなごぶぁっ!」

 「……愚妹よ、空気読め。今はおちゃらけの雰囲気はダメ。まだ街中だ」


 姉の強烈な肘が見事鳩尾に突き刺さり、蒼はそのまま顔面から崩れ落ちた。


 「……全くお前等は、本当に進歩がねぇな。俺はこれから魔術士部隊を指揮しなきゃなんないから、もうお守りはできねーぞ?」

 「っぐぶっ。おじさん(おいしゃん)なんかおらん方ば、よっぽどマシや。さっさ(しゃっしゃ)と行け」


 意外と復帰の早かった蒼が、一馬に毒づいた。常識人(ツッコミ役)は、姉の空だけで沢山だ。ただでさえ姉の言葉は、精神の弱い所を効果的に突いて殺してくる上に、強烈な肘が厄介だ。来ると分かっていても、蒼は未だに躱せなかった。


 「へいへい。んじゃ達者でな。お館様にも迷惑がかかるんだから、絶対に死ぬんじゃねーぞ?」


 右手をひらひらと振り、一馬は自分の部隊の元へと去って行った。天翼人が望の配下になったのは確かだが、その父である翔は、彼女たちが少しでも傷つく事も、死ぬ事も絶対に許さないと言うのだ。この二人の存在自体が、尾噛にとってとても危険な火薬庫と言っても過言では無かった。


 「人を勝手に殺さないで欲しい。死ぬのはそこの粗忽者だけ。優秀なわたくしは絶対に傷つかない」

 「ウチん姉が、妹ば大事にせん件……」

 「あははははは……」

 「……まぁ、この娘達のお陰で、戦いに赴くっていう悲壮感は無くなったよな。肩の力が抜けて丁度良いってか」


 合成獣とどう戦うか。その事がずっと猛の頭をぐるぐると廻っていたのだが、目の前の娘達のお陰で、幾分緊張感が解れたのは確かだ。なるようにしかならない。そう考える事にした。指揮官としては、ダメな決意なのだが。



 軍と呼ぶには小規模。だが、部隊と呼ぶには大所帯の一行は、街道を北上し続けた。


 街から出て三日目の昼頃に一行は尾噛領を抜け、牛田領に入った。境は無かったが街道の様子が変わった事で、誰もがすぐにそれと解った。道に小石が増え、()()()()の道になったためだ。


 (あの時の子供達は、大丈夫なのかな……?)


 ひもじさのあまり、遊ぶ気力すら無く、ただ街道沿いに手足を投げ出し座っていた痩せ細った子供達の姿を、つい祈は探してしまっていた。


 今の祈なら、彼らがおなかいっぱいになるまで食べさせられる事ができるだろう。

 だが、それは尾噛軍の貴重な物資が元となるのだ。無理を言ってそれらを拠出させる事は当然できる。その権限が、今の祈にはあるのだから。

 だが、彼らがそれで今の飢えを満たせたとしても、それは一時だけの事。明日は? 明後日は? …結局は一時の満足の為だけの偽善に過ぎない。祈は頭を振った。


 (……ちゃんと解っているじゃないか。そう。これは根本から正さなきゃ、駄目な話なんだ)

 (左様。その為には猛殿が、牛田を継がねばならぬのでござる。ここは辛抱でござる)

 (でもあたしとしては、もう少し余裕をもって物資を持ってくるべきだったと思うのだけれどね……)


 祈は当初、そのつもりで望と交渉しようと思っていた。だが、そろばん片手にうんうん唸る兄の姿を見て、躊躇ってしまったのだ。その分の負担が全て、結局は自領の民にのし掛かるのだと思うと、そのことを口にするのはどうしても憚られた。


 なら、少しでも早くこの圧政をやめさせるしかない。

 この戦を終えたら、牛田と協力して飢饉の対策ができるはずだ。今は、それを信じるしかない……祈は心の中で彼らに詫びながら、街道を進むしかなかった。



 五日目の朝。

 一行は牛田の本邸のある街まで、あと半日もかからない距離にまで来ていた。だが、未だ敵の反応はない。その事に誰もが不安を感じていた。


 一行が街道をゆっくりと歩き続けたのは、示威が主な目的だった。

 確かに小規模ではあるが、これは帝の勅を受けた”官軍”なのだ。牛田側は、交渉なり、降伏なり、はたまた迎撃であり……普通に考えれば、何らかの反応があって然るべきで、ここまで何も反応を示さないのは返って不気味ですらあった。


 「今の我らは帝の名の下に動く官軍である。無辜の民も住まう以上、街中を戦場とするわけにはいかない。まさか、牛田はそれを狙っていると云うのか?」

 「黄は、あれでも紋菜の奴の手綱を放さなかった程に肝の据わってた奴だ。そこまで阿漕な事ぁしないと、俺は思いたいんだがねぇ……」

 「ならば、お館様、一度わたくし達で、街の様子を見て参りましょうか?」


 天翼人の姉が、手を挙げて偵察を申し出た。本音を言うと、望は彼女らに動いて欲しくはない。

 あの書簡に書かれた事が本当ならば、彼女らの身に何かあっては尾噛の家が危機に晒される事が決定するのだ。正直、気が気では無い。


 「……空、あと蒼も、お願いして良いかな?」


 だが、ここは甘える事にした。そんな理由で否と言うのは、ここまで鍛え上げた彼女達の誇りを傷つける事になる。それは望も本意ではないのだ。


 「任せんしゃい」

 「御意に」


 天翼人の二人が訪れた時、牛田の街は鎮まり返っていた。

 ……というより、人の気配が一切無かった。


 ここは雑貨を扱う店であろうか?

 店内に入るも、そこにも誰も居なかった。微かに血と獣の臭いがする様な気はするが、本当に言われても気が付くかどうかの、僅かなものである。


 姉妹は二手に分かれ、街中を探り続けた。どこにも人はおろか、生活の臭いは勿論、生物の気配さえも感じられなかった。こんな事は初めてだ。


 「この街で、一体何が起こったというの?」


 空の疑問に答えられる者は、今は誰もいなかった。



誤字脱字あったらごめんなさい。

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