第65話 兄妹作戦会議
「ご忠告申し上げる」
執務室に猛が入ってきたのは、望が軍の編成に頭を悩ませていた午後の事であった。
「やぁ、忠告とは何かな?」
猛の為の緑茶を淹れながら、望はその忠告とやらがどんなものか、少しだけ興味を覚えた。
元々猛は、尾噛の領内を略奪すべく軍を率いてきた張本人の一人だ。今の猛は祈の同盟者を自称してはいるが、実際の所、敵の敵でしかない。そんな猛に協力を約束してはいたが、望は内心そう思っているのが本音である。
「葉とそれを取り巻く家臣達がいない今、牛田に残るのは、我が姉の紋菜と黄だ。特に紋菜。あいつはまともじゃない。普通に人の軍を連れて行っても、大勢が無駄死にするだけになる」
「まともじゃない? どういう事なんだ」
猛の真剣な表情に、望も事の重大さを認識した様だ。話の続きを促した。
「どうやってかは知らんが、あいつは化け物をいくつも生み出した。比喩なんかじゃない。文字通りの化け物なんだ。あいつは、それを自在に喚び出せる。アレはどう足掻いても、人の手には負えんよ……」
『なんかお前、気に入らねぇな』
そんな牛田の長女の一言によって、幾人の使用人が紋菜の喚び出した化け物の胃に消えた事か…その光景を思い出した猛は、ぶるりと身体を震わせて、もう一度望に訴えた。
「普通の人の軍では、紋菜の喚び出す化け物には対抗できん。無駄な犠牲者を増やすだけになる」
牛田の当主が、紋菜の化け物の戦闘力を測る為に、人と戦わせた事があった。
剣も、槍も、矢も、表面に傷を付ける事はできた。だが、大した効果が無かった。それでは魔法ならばとやってみせたが、それが届く遙か手前でかき消えた。恐らくはマナそのものを、化け物は吸ったのかも知れない。
その結果に満足した当主が、紋菜の研究に家の資財を投入するのを惜しまなくなった。それ以降、毎年の様に税が上がり、国の公共事業が等閑になり、民は貧困に喘ぐ様になったのだ。
「その様なモノが存在するのか……それでは、今の尾噛では対抗できぬな」
「ああ。折角協力を申し入れていただいた以上、この事を黙っている訳にもいかない。不義理はしたくないのでな」
戦士としても、一軍の将としても、猛は祈に惚れ込んでしまっていた。だから猛は尾噛に対し、常に真摯でありたいと思っていたのだ。
嘘はつかない。そして、黙っていてもそれは嘘を言っているのと変わらないだろう。だから、全てを打ち明けるつもりで、猛はこの場に来たのだ。
「化け物を大勢で囲い、動きを封じる事ができれば勝つ芽もあるだろう。だが、そこまで持ち込むのに、一体どれだけの犠牲を払わねばならないか……俺はその様な”賭け”で、兵に死ねとは到底言えぬよ」
「だが、その様に強力な力が牛田にはあったのに、何故使ってこなかったのだ?」
それだけの絶対の力があるのに、何故牛田は今まで尾噛に使ってこなかったのか。もし尾噛の領内で、この様な化け物が野に放たれたら……そう考えただけで、望は頭痛がしてくる。それほどの大問題に発展するだろう。
「簡単な話だ。産みの親の紋菜ですら、アレの制御ができないのさ。なのに、そんな危険なモノを気軽に嗾けてくるんだから、まともだと云えないって理由だ」
まともな制御方法すら存在しない危険な代物を気軽に使おうなぞ、ただの自爆行為でしかないはずだ。
どういう技術なのか分からないが、紋菜だけがそれを自在に出し入れだけはできているので、現状、辛うじて扱えているだけに過ぎない。
現当主の後ろ盾があり、無二と言える強力な力を持ちながらも、黄が時期当主の座に一番遠いのは、そんな紋菜のせいだ。気軽に放たれる制御不能の生物…そんな化け物がいつ暴走するのか分からないのだから、一体誰が味方するというのか……
「唯一の救いは、あれが人の軍隊を、全く信用していない所か。嫌悪してると言ってもいい。だから、化け物の対策さえできれば、後は何とかなる……そこが、一番の問題なのだがなぁ」
「だが、牛田の討伐は勅命だ。何があっても尾噛は、動かざるを得ぬ。今からでも対策を考えねばな……猛殿、ご忠告に感謝する」
「いや、こちらも急に御身の出鼻を挫く様な事を言って申し訳ない。だが、こればかりは黙っている訳にもいかなくてな……後で話が違うと言われる方が、俺には堪える」
素直に頭を下げてきた望に驚きながらも、猛は正直に自身の心情を口にした。真にこの兄妹の友になれる様に励もう……そう思いながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……という話なんだ。色々と困ったなぁって」
湯飲みから昇る湯気に顎を湿らせながら、望は心底困った表情を浮かべた。
いつになったら楽をできるのやら。尾噛家当主を襲名してからこっち、ずっとこんな感じで、眉根を寄せる険しい表情が常になっていた。お陰ですっかり眉間に皺がよってきた気がする。このままだと先代の垰みたいに、常時深い皺が眉間に刻まれるのではないかという不安すらあった。
猛が退出した後、望は執務室に祈を呼んだ。
人に対処できない”化け物”相手となれば、望が相談できるのは、祈とその守護霊達しかいない。相手が相手だけに、尾噛の人材不足とか、そんな問題ではない。
「うーん? マナを喰らう化け物ねぇ……あ、そういえばそんなのを研究してた子が、前世でいたわね? 確か、合成獣とか何とかって……」
「……ああ、そういや、そんなのいたなぁ。あれの研究が完成していれば、対魔族用の決戦兵器として、かなりの戦果を上げたと思うぜ」
魔族が脅威なのは、強靱な肉体と強力な魔力を併せ持つ反則的な所だ。そのどちらにも対応すべく開発されていたのが、件の合成獣なのである。制御面の不安を取り除く事ができずに、半分頓挫しかかった所で魔族の侵攻が本格化し、そのまま忘れ去られた存在となった。これが完成していれば、15万人もの勇者を強制召喚される事は、きっとなかっただろう。
「だが、その様な面妖なモノと同じ存在がこの世界にもあるとは、拙者思えんのでござるが?」
無精髭を撫で付けながら、武蔵が当然の疑問を投げかける。そもそもこの世界には、魔族は存在しないのだ。対魔族用の決戦兵器だけが存在するのはおかしいだろう。
「それはそうだが、特徴を聞くとそれしか浮かんで来ないんだよなぁ……まぁ、俺達みたいに世界を飛び越えた存在が他にいてもおかしくないだろうし、そこは考えるだけ無駄だろう。しかし、魔法が効かないってだけでも面倒だよな。ホント」
「一応、対策はあるわよ? ”目標に向けて飛ばす魔法”がかき消されるのであれば”目標の座標で発動する魔法”を使ってみれば良い……でも、それすら発動する前に消えるのであれば、魔法では打つ手は無いけれどね」
合成獣が魔法の公式を壊す事によって魔法を打ち消しているのであれば、これで対応ができる。だが、合成獣がマナそのものを喰らうのであれば、マナを主成分とする魔法では、端から打つ手は無い。そもそも判断材料が乏し過ぎてこの程度しか言えない。そうマグナリアは結論付けた。
「それをぶっつけ本番で試すのでござるか。流石にそれはどうなので?」
試しに行うには、その結果により被害が大きく異なってしまうのだ。賭けるものが術者達の命となれば、おいそれと試す事なぞできる訳も無い。
「もうこの際、割りきる必要があると私は思うなー。合成獣は私の式で何とかしても良いし……」
そこが確認できない以上、合成獣相手に魔法が効かない前提で考えた方が良い。そう祈は言うのである。
合成獣が何らかの方法で術式そのものを破壊しているのであれば、式神はヒトガタに物理的に術式を書き込んでいるのでこれに中らないだろう。
だが、もし合成獣がマナを吸収する性質があって魔法を打ち消すのであれば、そもそも構成エネルギーが異なる式神ならば問題は無い。逆にいうと、それすら吸収してしまうのであれば、もう完全に打つ手が無いという事になるのだが。
「まぁそれが賢明か。前提がすでにおかしい話かもだが、あの世界は法則が色々違ったせいで、式神が使えなかったからなぁ。それなら対抗できるかも知れん」
「ですが、それでは祈が全面的に矢面に立つ事になってしまいます。それに合成獣の総数が判らぬ以上、尾噛の頭として、それは承服しかねます」
全て祈任せになるだけでも、望としては納得しかねる所であるのに、合成獣の総数を含め、敵の戦力が未知数なのだ。もし仮に道のりの半ばで祈の身に何かあったら、そこで尾噛軍は瓦解する。望としてはとても首肯する訳にはいかなかった。
「その為に、貴方たち尾噛の軍が居るのではなくて? しっかりとお姫様を護衛してみせなさいな」
「懸念材料を積み重ねておっては、何も話は進みませぬな。確かに不確定要素が多すぎる訳にござるが、ここは腹を括る必要があるかと」
その為に、拙者らを呼んだのでござろう? そう侍は望に言う。
確かに心の何処かにそんな思いがあったのを、望はどうしても否定できなかった。
祈の持つ式神……例えばあの四海竜王ならば、恐らく合成獣にすら問題なく対処できるであろう。畏怖すべき異界の美を目の当たりにすれば、戦う前に牛田の戦意を挫くこともできるやも知れぬ。そんな打算も少なからずあったのは本音なのだから。
「……その通りです。今の僕は、祈を戦力の内に数えています。尾噛の頭として、兄として…これは、恥ずべき事でしょう……」
悔しかった。
命を賭けて護るつもりでいた妹を、自軍の戦力として数えなくてはならない今の自分の不甲斐無さを、それに頼り切った策を受け入れなければならない自分の至らなさを。
正に血を吐く思いで、この事を今望は口にしたのだ。
「兄様、そんな事ないよ。私今嬉しいもん。私の力が、ちゃんと兄様の役に立つんだって。だから、そんな事言わないで欲しいな……」
『うん。わたしもはやくおとなになって、にいさままもるー』
幼い頃に誓ったあの言葉は、今でも祈の中に確かに息付いていた。
「兄様、私だって”尾噛”なんだよ? だから、頼って欲しいな」
「……ありがとう、祈。頼むよ」
その気持ちに触れた兄は、妹の成長に頼もしさを感じる一方、一抹の寂しさを味わっていた。
もう妹は、あの頃の幼き娘子ではない。もう立派な大人になっていたのだと。
誤字脱字があったらごめんなさい。




