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第64話 牛田領 十の市



 「へい毎度っ。ありがとね。え? ここが戦場になるかって? どうだろうねぇ…相手は()()尾噛だろ? 降伏したのに、全員の首を刎ねたって噂だ。確か、ここの領主様のご子息もやられたって話じゃねぇか。冷酷極まりない酷ぇ奴らだねぇ……」


 月に数回ある市の中でも、今日は一番の活気があると言われる十の市が行われていた。客が集まれば、当然商人達も、珍しい品物も沢山集まって来る。


 重税に苦しみ喘ぐ牛田の民達ではあったが、この日ばかりは、表情と同じくらいに財布の紐が緩んでしまうのだ。


 だが、今日だけはそんな活気溢れるいつもの市とは、どことなく雰囲気が違った。


 牛田が尾噛に攻め入り、返り討ちにあったのだという噂が、市中に流れていた為である。


 白旗を振って許された筈なのに、軍の偉い様含め、全員が打ち首。さらにはそれでも腹の虫が治まらない尾噛が、報復の為に軍を率いて近くここまで攻め入って来ている……そんな噂に、民は恐れを抱いていたのだ。


 その噂が、民の恐怖をより煽り『逃げ腰の尾噛』と呼ばれていた過去は忘れられ、『皆殺しの尾噛』……いつしか牛田の里で、そう呼ばれる様になっていた。


 「尾噛が冷血なのは、まぁあれだ。あいつらは邪竜の血を受け継いでいるって噂だからなぁ。あっしらとは全然中身が違うって事さね、怖いよねぇ。お客さんも、逃げるなら今のウチかもよ? あっしはこの市が終わったら、帝都にでも行くつもりでさぁ。あそこなら安全だからね。お? へい、毎度っ。ああ、お客さんすみませんね」


 噂話が好きな人間というのは、どこにでもいるものだ。とあるご婦人が、ついつい露天の店主と話し込んでしまい、他のお客の邪魔をしてしまっていた様だ。だが、露天の店主も客商売だ。その辺りは弁えていた。


 「……この様な所にまで紛れているのか」


 店主が客だと思ったのは、勘違いであったのか。露天の正面に立った白髪混じりの男は、商品を物色する訳でもなく、店主にも聞こえない微かな声で小さく呟いたかと思ったその矢先、腰に帯びた刀を素早く抜き、店主の首を刎ねた。


 首が転がり、血飛沫と恐怖に引き攣る周囲の人々の悲鳴が、十の市で盛大に上がった。


 「草がいた。他にもいるかも知れん。探せっ!」

 「「はっ」」


 近くの兵を呼び出し、黄は周囲に聞こえる様に、大声で指示を出した。


 これは牽制である。この様な陽動に、草が引っかかるとは黄も思ってはいない。だが、少なくとも見せしめの為に、黄自らが草の疑いがある者を殺してみせた事により、奴らに釘を刺すことはできた筈だ。


 このところ、市中に牛田に纏わる噂が色々と上がっていたのを、黄は不審に思っていた。


 葉の首と、尾噛からの宣戦布告の書簡が届いたその辺りから、急激に民達の不安を煽る様な流言が、市中に飛び交う様になっていたのだ。



 曰く、牛田の葉と猛が多数の兵を引き連れ尾噛に攻め入り、返り討ちにあった。


 曰く、牛田軍は無様に負け、命乞いの為に降伏をしたらしい。


 曰く、尾噛は降伏を受け入れたにもかかわらず、葉とその家臣達、兵の全員の首を刎ねてしまった。


 曰く、それでも怒りの鎮まらない尾噛は、報復の為に牛田の屋敷に大軍をもって攻め入るという……


 曰く、”尾噛”は竜であり人ではない。冷酷な化生だ。冷血な奴らなら、牛田家の人間だけでおさまらず、市中皆殺しもあり得るだろう……


 曰く、牛田は帝国の禁を破った。帝は絶対にお許しにならない。領全体に天罰が下る。俺達はきっと助からない。



 (……いくら何でも、タイミングが良すぎる)



 確かに噂の内容は、ほぼ事実ではあった。だが、黄はその”事実”を、一切の公表もしていないのだ。


 いくら黄が堅く戒めたとしても、家臣の中の誰かの口から漏れてしまう事は、止めようが無い仕方の無い話だろう。だが、その噂の広まる速度が、あまりにも異常過ぎた。


 そうなれば、帝国、もしくは尾噛が放った草達による流言工作なのではないか……そう黄が考えるのは、当然の帰結であろう。


 だが、これで尾噛が本気であるのは、黄も解った。嫌でも解らされた。


 牛田の家と、この町全体が炎に墜ちて崩れ去るのは、黄は一向に構わない。


 彼は何処までも利己的であった。妻の紋菜さえ無事であれば、誰がどれだけ死のうがどうでも良い。そう思っていたのだ。だが、紋菜の方は、多分違う。そう黄は思っていた。


 生前から彼女は、戦そのものを憎んでいた。たとえ()()()()()()()()()()()()()、戦を止めようと考える程に憎んでいた。狂っているともいう。


 だが、黄はそんな彼女が愛しいのだ。彼女さえ無事で、健やかにいられるのであれば、それで良い。


 だからこそ、尾噛がこちらに攻め入ってくるのであれば、絶対にこれを全て駆逐してやろう。


 二人の研究の成果によって。


 「見つけ次第、草は全て殺せ。いいか? 草は殺せ。尋問の必要は無い」


 返り血を浴びた、彼の白髪混じりの頭は、乾きはじめたそれによって赤黒く変色していた。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「う~ん。これでも結構馬鹿にならない出費だなぁ……」


 そろばんを片手に、翔は唸っていた。


 牛田への工作にかかる費用が、思ったほど安くはならなかったのだ。


 翔は計算があまり得意ではなかった。だが、この手の演算を、他の者に任せる訳にはいかない。お陰でうんうん唸りながらも、翔は机とそろばん相手に必死の格闘をせねばならなかった。


 「流石にこの経費を望クンに請求したら、ダメかなぁ? ダメだろうなぁ……」


 尾噛の援護の為にやった事なんだから、ちゃんと払ってね?

 ……なんて言おうものなら、確実に翔の命は、その瞬間に終わる。豪の辿った末路と同じ様に、ズンバラリンと真っ二つになるだろう。いくら何でも、それくらいの想像力は持っている。


 「……まぁ、戦にかかる費用を全て丸投げしちゃったから、これ以上はねぇ。また(コウ)クンのお小遣いを減らすしかないかなぁ」


 どう考えても赤字になる見積もりのせいで、気軽に減らされてしまう皇帝のお小遣い。これを知った帝は、さめざめと泣く他は無いのである。



 「邪魔するぜー?」

 「おや、早かったね?」


 伝言係(メッセンジャー)俊明君が、翔の執務室に姿を見せ、天翼人の男は、俊明君型式を当然の様に迎え入れた。いつの間にかこの二人は、仲良くなっていたのだ。


 「あの書簡だが、尾噛は全て了解したとさ。しかし、良いのか? 愛娘達を尾噛に遣わせてよ。あそこはこれからも色々とある筈だぜ?」


 皇族に継ぐ高い地位にある鳳家の娘でありながら、何故か趣味で闇の仕事をこなす姉妹の事を、伝言係は聞きたくて仕方が無い様だ。


 あの姉妹は、出自もおかしいのに、行動もおかしい。更に父親は死地とも言える程に危険な所へと、態々娘達を遣わすのだから……式でなくとも、色々な憶測をしてしまい、興味が尽きないのは仕方のない事であろう。


 「ああ、だろうねぇ……だから『死なせたら許さないよ』……なんて、思わず書いちゃった。でもこれは、娘達たっての希望だから仕方ないよ。それにボクにも、色々と思惑があるしね」


 最近、娘達が冷たい。


 等と思っていた矢先に、可愛く強請られたのだから、ついつい了承してしまったのが、父親としての運の尽きだった。よりによって希望した先が、()()尾噛なんだから、翔が後になって頭を抱えたのは、言うまでも無い。


 「……あんたまさか、娘達のどちらかに”裸になって望の上に跨がってこい”。とでも言ったのか?」


 伝言係は額をピシャピシャしながら、いやらしい笑みを浮かべ、いやらしい発想をその親にぶつけてみた。普通の父親ならば、ハゲのこの発言だけで充分過ぎる程に、取っ組み合いの喧嘩へと発展できるであろう。


 「うわー、何その発想。ヒくわー……」


 下衆の勘繰りはどうやら当てが外れていたらしい。伝言係は、翔の少ないリアクションに、つまらなさそうに鼻を鳴らした。


 「んじゃ、その”思惑”ってな、結局何だよ?」

 「そりゃ確かに、それが最終目標だけどさ、いきなり実力行使は無いんじゃない? 一応これでも、娘達の教育にはかなり心を砕いてきたつもりなんだよ、ボクも」


 そろばんの珠を無意味にパチパチ弾きながら、かつて苦労したその光景を思い出していた。特に蒼には手を焼いた。長い長い反抗期に、心が折れそうになったりとか。


 言動や行動が、身分あるお嬢様のそれとは些か異なりはするが、娘達は、貞淑かつ、教養をしっかりと備えた淑女なのだ。多分、きっと、恐らく……そうだと良いな……途中からだんだんと翔の声は尻すぼみになっていった。


 「合ってんじゃねぇか……そうやってでも、あんたは尾噛に首輪を付けたいのか?」


 「そりゃ、ねぇ? でも、それすら娘達たっての希望なんだからね。それに便乗しただけだよ、ボクは」


 この時代のそれなりの身分ある娘には、恋愛をする権利など無い。家同士を繋ぐための人質であり、血で縛る為の楔でしかなかった。それは翔も重々承知している。だが、翔にはこの娘達が可愛いのだ。少しでも希望を叶えてやりたいと思う親心が働いたのだ。


 今回の件は、ただ単に娘達の希望する家が、丁度翔の思惑と合致しただけに過ぎない。だが、それでも父親にとっては福音であった。だから、翔は危険を知りながらも、娘達を送り出したのだ。


 「でもま、ここからボクはもう知らない。望クンにだって、女性の好みがあるだろうしねぇ……」


 「……割と思い切った事するんだな、あんた。俺は人の親になった経験が無いから分からんが、父親ってのは大変だなぁ」


 そもそも式神でしかない伝言係は、人の親にはなれる訳がないのだが、翔はそれに気付く事はなかった。緑茶を啜り、ポツりと一言漏らしただけである。



 「尾噛と親戚になれれば、ボクは望クンと仲良くできるのかな? 垰クンの時の様に……」



 それに対し返せる言葉を、伝言係は何ひとつ持ってはいなかった。




誤字脱字があったらごめんなさい。

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