第62話 始めは無も無かりき
そこには、何も無かった。
空間という概念すら、そもそも”無”という概念すらも無い。初期の宇宙にも似た場所。
世界の管理を行う管理者……人が言う”神”と呼ばれる存在が、無の揺らぎから新たに生まれ出でる”世界”を受け取る場所であった。
無の揺らぎから、幾つもの”世界”が泡の様に沸いては消える。
その中の僅かにだけ存在する”可能性の光”を孕んだ世界のみを、神は掬い上げ、存在を固定化するのだ。
可能性の光とは、即ち魂の輝き。生命の証である。
「やぁ、遊びに来たよー」
「おや、珍しい。確か君は、自分の世界を持っていたハズだよね? 持ち場を離れちゃって大丈夫なの?」
何も存在しない空間から、泡沫として発生する”世界”を拾い上げる管理者が、とある世界の管理者の突然の訪問に、驚きの声をあげた。
「それがね。私の世界、削除が決まっちゃったんだ」
「ありゃ。それはそれは……」
固定された”世界”を任される事となった管理官……人が言う”神”は、自身の手で世界の調整を行い、その行く末を見守る事を義務付けられる。
上手く世界が発展し、生命が進化を続けていけば、その中の何れかの魂が、次の次元への昇華を果たす。それこそが、本当の意味での”神”への道だ。世界の管理者は、自身の世界に生きる魂達の、高位次元への昇華を目標としているのだ。
だが、運営途中で世界が”詰む”場合がある。知的生命体の絶滅の可能性や、進化の袋小路に入り込んだ場合。あとは世界そのものの崩壊など……
そうなった世界は削除され、管理者は職を失う。下手をすると責任を問われ、管理者自身の消滅もあり得る。天界の掟とは、とても厳しいのだ。
「今回は訓告処分だけで済んだんだけど、流石に次は慎重にならないとね……」
「どうして削除なんて話になったんだ? 一応君の世界は、”魔法”という技術のレベルがとても優れていると聞いていたのに」
世界の調整は、管理者の裁量に全てが委ねられる。趣味に走るもよし、世界の発展を眺めるだけでもよし……もし、世界の真実を知ってしまった人がいたとしたら、きっと馬鹿馬鹿しさに全てを諦めてしまうかも知れない。
「その発展の為に、定期的に『魔王』を作り出していたんだけどね。手に負えなくなった住人達が『勇者』を、他の世界から強制的に15万人以上も召喚しちゃってさぁ……」
「うわぁ。それは流石に……」
「他の管理者達にフルボッコにされた挙げ句、主神からは大目玉。さらには生き残った勇者達が、私の世界の住人達相手に戦争までおっ始めちゃってさぁ……双方滅亡寸前になりかけた辺りで、凍結処理を喰らった」
「……よく訓告処分だけで済んだね……それ、問答無用で消されてもおかしくない事案だよ?」
異世界召喚は、双方の管理官が許諾をして行うものだ。異なる世界の技術、知識を持つ人間を交換しあう事で、技術や文化の平均化を目的としたものである。
だが『勇者召喚』の場合は、色々と話が変わってくる。異世界の魂は、世界の設定数値自体が異なる為に、それだけで異能を持つ可能性がある。所謂、魂の突然変異を狙ったギャンブルだ。
この管理者は、自身の作り出した『魔王』を強過ぎる設定にしてしまったミスを手っ取り早く帳消しにする為、他の管理者に黙って強制拉致の教唆を行った挙げ句、そこにさらに自身の権限で強力なギフトを付加し続けたのだ。
何とか魔王を処理できたとしても、壮絶な戦いを生き残った万を超える勇者達と、原住民達とで軋轢が起こるのは当然だといえよう。
「……はぁ、今からでも主神に君の”滅処分”を申請すべきじゃないかなぁって思えてきたよ……」
「ごめん。反省しているから勘弁して。もう『魔王』も『勇者』も懲り懲りさ……」
「本当に大丈夫? この”世界”はちゃんと育ててよ? 今度の”世界”は、凄く美しい宇宙をしているんだからね」
無の管理者は、生まれ立ての世界の泡沫を、世界の管理者に見せる。この”世界”の煌めきは、世界そのものが高位昇華を果たせる程の、可能性に充ち満ちた光を湛えていたのだ。
「綺麗だ……こんな綺麗な世界を、本当に良いの?」
世界の管理者がそれに手を伸ばすと、無の管理者はヒョイと引っ込めた。
「本音を言うと絶対に嫌だ。まずせめて君には、自身の元の”世界へのけじめ”を、ちゃんとつけてからに欲しい」
「ああ。それは主神からも言われたよ。優れた技術や知識を持った魂達を、他の世界に送れって。それで最低限だってさ」
他の世界から強制的に拉致をし続けた”けじめ”としては、これほど甘い処分も無いな……無の管理者は溜息をついた。
無の管理者の言う”けじめ”のそれとは少しニュアンスが違うのだが、もう言及するのも馬鹿馬鹿しく思えていたのだ。
「じゃあ、まずそれをやってきて。それが終わる前に他の管理者候補が来たら、この”世界”はそっちに渡すから。基本早い者勝ちなんだからさ」
無の管理者は、この”世界”を渡したくなかった。少なくとも、自分の世界を大事にしなかった目の前のこいつには。それほどこの”世界”は素晴らしい可能性に満ちあふれたものだったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「やあ。ボクの管理する世界へ、ようこそ」
この世界の天界は、所謂、高級酒場と表現するにぴったりなオシャレで落ち着いた内装をしていた。雰囲気を壊さない程度の音量で流れてくる音楽は、この管理者の趣味であろうか。
「お邪魔するよ-。私の事は聞いてるよね?」
「聞いてる聞いてる。これはボクからのおごりだよ。一杯どうぞ」
透明なグラスに注がれた琥珀色の飲み物が、異世界の管理者の目の前に現れた。この世界で一番上等なお酒だという。
「大変だったみたいだね? そういやボクの世界に、君の世界からの元勇者さんの魂を呼んだんだけど、丁度入れ違いになっちゃった。残念」
「ああ、君が呼んだんだ? マグナリアと、武蔵と、俊明……だったね。どうして君は、あの子達の昇華をさせなかったのかな?」
琥珀色の飲み物を一気に煽る。喉が焼け付く初めての感覚に、異世界の管理者はたまらず咽せた。
「ああごめん、キツかったか。だって、あの魂達はあまりにも荒ぶっていたからね……あのままじゃ、彼らはどう頑張っても破壊神、暗黒神へのルートしかあり得なかった。折角神への道が開いたのに、だよ? だから少しでも魂のリハビリになれば、と思ってさ」
未だに苦しそうに咽せる背中をさすりながら、管理者は語った。
マグナリアが魂の成長上限に達したために分霊化し、新たな”意思”が発生した丁度良いタイミングだった。だから、新たな魂の成長を見守る事で、穏やかな生というものを追体験させよう。そう決めたのだと。
「げほっ、ごほっ……君はすごいね。そこまで個々の魂達と向き合った事なんか、私は無いよ。そこが私の世界をダメにした原因だったのかな……」
「いや、それは買い被りと云うモノだよ。そんなんじゃないんだ。まぁ、それも理由の一つではあったんだけど、どちらかと言うと、これはボクの世界の発展にも役立つと考えての、極めて利己的な発想が含まれていたんだけどね。君の世界の”魔法”が優れているのは知っている。だからボクは魔法の設定を、君の世界のそれとほぼ同じものにしたんだし」
世界設定のパラメータは、他の世界の良い所取りを狙ったチャンポンだと、この世界の管理官は言う。
ただ、世界崩壊への不確定要素を持ち得る、知的生命体にとっての共通の敵……『魔王』は作らなかった。その分成長の速度は緩やかになるという弊害はあるが、確実性を優先したのだと。
「ああ、それならば話は早い。私の世界から4000人程、君の世界に送りたい。どれも私の世界では有数の魔術や魔導具の技術を持った優れた魂たちだ。このまま私の世界と運命を共にし消滅させるには、あまりにも惜しい。それに、これは主神の意向でもあるんだ」
「それはとても有り難いな。喜んで受け入れるよ。こちらにも充分過ぎる程に利がある話だ」
グラスに冷たい牛乳を注いで、異世界の管理者へ手渡す。どうやらお酒が苦手だった様なので、お詫びも兼ねてのサービスのつもりであろうか。
「では、ここに。後は君の好きに配置してくれれば良いよ。私は他の優秀な魂達を、売り込みに行かなきゃいけないから」
異世界の管理者は自身の凍結された世界から、およそ4000人の魂を喚びだし、手渡された牛乳を一気に飲み干してから天界を去った。
バーの内装そのものの天界には、この世界の管理者と、4000もの魂がひしめく、いわゆるすし詰め状態にあった。
「さて。この人達、どうしようか……? 君達も、一杯どう? おごるよ」
管理者は、とりあえず歓迎の意味を込め4000人分の牛乳を用意することにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて。流石に君達全員を同じ時代に送るのは、色々と不味いんだよねぇ……」
彼らの優れた技術をこの世界に伝承させるには、記憶を持たせたまま転生させる必要がある。その場合、近い年代、近い地域に魂を送るのは、色々と問題が出て来る。
まず、彼らに細かい因縁があった場合は、それが争いの火種にもなりかねない。
そして親しかった場合は、徒党を組まれる可能性が多いにある。彼らだけでコミュニティが完結してしまっては、この世界に転生させた意味が、ほぼ無くなってしまうだろう。
「君らの要望はある程度まで聞いてあげるけれど、全部は無理だと、今の内に諦めて欲しい。ボクはこの世界を、混沌に陥れたくはないからね」
4000もの魂は、4000もの思い思いの要望を並べ立てた。言うだけならタダ。これは全世界共通の認識なのだ。
「仕方ない。夫婦、恋人だった人達は、なるだけ同じ時代の、近しい地域に送ってあげても良いや。だけど、できれば現地の人達と交流はもってよね? 本当に頼むよ」
管理者の世界干渉は、ある程度の時間を超越できる。この世界の魔法の基礎を確立させる為に、特に優れた魔術士、魔導技師の魂は、管理者権限で干渉が許される、現状でき得る限り過去へと送った。
それ以外の魔術士、魔導技師、各種文化、芸術を極めた魂達は、様々な時代になる様にランダムで送ることにした。
その全てが根付くとは、流石に管理者も思っていない。だが、少なくともこの世界の魔法レベルは格段に飛躍するのではないかと思う。
「後は、あの元勇者達と無垢な魂はどうなるか……色々と楽しみだな」
時間を超越した干渉の結果は、すぐには管理者の眼に視えてはてこない。
それらの”観測結果”が視られるのを、今から心待ちにするとしよう。
どうせ、世界が終わるその時まで、管理官は”視る”事しかできないのだから。
管理者は、余った牛乳を一気に飲み干した。
リグ・ヴェーダ賛歌はオススメです。(追記:とっくの昔に絶版してました……電子版を切に希望)
誤字脱字があったらごめんなさい。




