第61話 戦後の処理2
「で。態々、そんな事を言いに来たのかい? 今更なのに……」
望は、自身の怒りの限界値の上限が以前より上がっているのを自覚した。
ほんの少し前の自分ならば、最後まで話を聞かずに激高していた事であろう。
いくら最愛の妹の頼みとはいえ、これは中々に難しい。正直今すぐにでも証の太刀を喚び出して、目の前の男の首を刎ねてしまいたいと思ったのだ。
だが、それを行うのには、道理が邪魔をした。
望本人の口から出た約束ではない。だが、尾噛直系の人間による、尾噛の名の元に交わされた約束では、些か話が変わってくる。
これを反故にするのは、いくら当主の望といえど、おいそれとは出来ない。もしそれをしてしまえば、”尾噛”の名は、この国において地に堕ちる。家名の契約とは、それだけ重いものなのだ。
「ごめんなさい、兄様。あの時は、こうするしかなかったの……」
祈は額を地面に擦るほどに、深く深く頭を下げた。当主の了承を得ずに、他の家と契約を結ぶ……これは越権行為だと糾弾されて当然の事をしでかしたのだ。なので祈も必死である。
「お初にお目にかかる。俺は牛田の三男坊、猛と申す。此度は、我ら兄弟のしでかした事、深く、深く謝罪をしたい。それこそが、妹君の言う同盟に必要であると、俺は思っている」
先ほどの祈に倣い、猛は地面に額を強く押しつけた。身代わりのヒトガタが命乞いの為、兄の葉に向けてやってみたのを端から見ていたが、土下座なぞ自身で行うのは初めての経験であった。だが、猛はこれを屈辱とは思ってはいなかった。
それどころか、これでも足りない。とすら、今は思っていた。それほどまでに罪深い行いを、尾噛に対してしでかしたのだと。
「そして、これで足りなければ、今すぐこの首を刎ねてもらっても、俺は恨まぬ。だが、妹君だけは、どうか、どうか赦してやって欲しい。この通りだ!」
長い沈黙が続いた。
その間、祈も猛も身じろぎをせず、ただただ深く頭を垂れ続け、望の返事を待った。
祈の話を聞けば、確かにそうせざるを得ない状況に在ったのだろうと、望は思う。だが、敵方の兵を無力化できる力が、その手段があるのであれば、態々面倒な交渉をする必要なぞ最初から無かったのではないか?
囚われの子供達の事を考えれば仕方が無かった……これもわかる。だが、こちらも敵を無力化した後に、その物資を奪えば尾噛本拠地まで連れてくる事もできた筈だ。空と蒼という腕利きの草が側にいたのだから、葉率いる牛田軍の眼を欺く事も容易にできたであろう。
(……いや、やめておこう)
目の前ですまなさそうに縮こまっている牛田の三男坊を斬る為の口実を無理矢理探している様なもんだなと、望は自制する。
本音を言えば、牛田の残兵も目の前の男も、悉く首を刎ね牛田まで送りつけてやりたい。
だが、どだいそれは無理な話だ。
半数以上を削ってみせたとはいえ、数の上で言えば、まだほぼ互角なのだ。しかも牛田側の内訳が、ほぼ傭兵である。だから、今は大人しくしているだけに過ぎない。彼らが、少しでもその処遇に不満を持てば、どうなるか解ったものではないのだから。
頭痛を堪える為、頭の側面をコンコンと何度も叩く。深く溜息を付き、望は漸く表情をあらためた。
「……解った。祈の案を、全て了承しよう。だけど、これは今回だけ。その事は肝に命じて欲しい。特に、これ以上の無茶は絶対にダメだからね?」
険しい当主の仮面を脱ぎ捨て、祈のよく知る優しい兄の顔に戻る。その事に祈はホッとし、猛は尾噛当主の素顔を垣間見た。
望は猛の側に歩み寄り、右手を差し出す。
「それと猛殿、我が妹が貴殿と交わした契約の通り、我ら尾噛は、貴方の手助けをさせて頂きましょう」
猛はその意味を理解すると同時に、望の右手をしっかりと両手で掴んだ。これで契約は成されたのだ。
「有り難い。俺が牛田を継いだ暁には、良き隣人になれる様、しかと励もう。どうか、これからもよろしくお願いするっ」
今まで生きた心地がしていなかったのであろう、猛の顔にようやく赤みがさしてきた。今正に死んだのだと思えば、これからの生を尾噛の良き友人になる様に励むという猛のその言葉には、一切の嘘偽りは無かった。
(まずは第一段階成功。かな?)
祈は二人の姿を嬉しそうに見つめていた。
これで迷惑な隣人から、近しい隣人へと変化してくれれば、それに越したことはない。
できれば、親しい友人にまでなれたら、それこそ何も言う事は無い。今日はその第一歩であれば……そう祈は思っていた。
(今回は、上手くいったか)
(左様にござるな。だが、この猛という御仁、最後まで裏切らないか、拙者は些か不安を覚えるのでござるが……)
(その時はその時になってから考えれば良いのよ。流石あたしのイノリちゃん。凜々しく育ってお姉さん嬉しい)
((……ノーコメント……(でござ)))
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……だけど、今すぐ牛田討伐に出陣。という訳にはいかないんだ」
今回の軍は領内での短期決戦を主眼において編成されたもので、補給線をあまり考慮に入れていない点。
連戦を想定していなかった為、今回でほぼ全力を出し尽くした点。
残存の兵だけで討って出るには、戦力として少々心許ない点。
等々……色々と無理と無茶があるのだと、望は言う。
牛田の残存兵の大半が傭兵であり、これらを尾噛で再雇用という形にすれば、兵力も補充でき、かつ、職を失った傭兵達が食い扶持を求め、山賊紛いの事をしでかさないという多くの利点がある。
だが、それはあくまでも先立つモノがあれば、という話となってくる。今後の復興の事を考えると、全員を雇うのは流石に無理があった。
それに救出した子供達の事を考えると、なるだけ早期に落ち着く先を与えてやらねばならぬ。目の前で両親や、近しい者達を次々に殺されたのだ。心の傷の事を想うと、早めのケアが必要になるであろう。
そういった細かな問題が、尾噛には山積みになっていたのだ。
「だからまずは一端戻って、軍を再編成する。相手に時間を与える事になるが、この際仕方が無いだろう。このまま無理に突っ走っても、こちらが飢えては話にならないからね」
軍を先行して、補給線を新たに構築する方法も一応は検討されたが、尾噛の人材不足の深刻さを浮き彫りにしただけで終わった。
隣の領へと侵攻するというのは、それだけ多大な労力と危険を伴うのだ。そこに関わる人命の数を考えれば、おいそれと冒険なぞはできない筈、なのである。普通であれば。
「その間俺は、尾噛の家に厄介になる。すまないが、よろしく頼む」
猛が一同に頭を下げた。牛田に戻っても、殺される運命しか残っていないのだから、これは猛にとって切実な問題である。
鳳翔でなくとも、牛田討伐の檄を発した噂を国中に流すであろう。そうなれば牛田は、その発端となった葉と猛の首を差し出してでも、助命を請うのは当たり前の話である。ノコノコ戻れる訳が無かった。
「恐らく鳳様は、牛田に対して、流言飛語を用いた心理戦を多数仕掛けるだろうね。これは草を放つだけの労力と費用で済むから、大いに活用する筈だ。戦費をケチってこちらに全て丸投げしてきたんだ。帝国の懐事情は、こちらと大差無いと思うよ。ふ、ふふふ……」
鳳翔に関わって以来、望の性格が少しずつ黒く歪んできたのでは? 祈は、時折顔を覗かせる黒望の忍び笑いに、悲しそうな瞳を向けた。
「なぁ、空姉……」
「何? 愚妹よ……」
この場で発言すること無く、ただ座して見守っていた姉妹が互いに聞こえる程度の、小さな声で言葉を交わす。
「望様ってさ、絶対にお父さんの被害者っちゃんね?」
「だね。とと様に関わったが最期、誰もがああやって黒く染まる。お労しや……」
自分達の父親の顔を思い浮かべる。いつもは飄々とした昼行灯役を演じているが、実際に昼行灯そのものであるのが、鳳翔という人物である。たまに鋭く、凄まじい斬れ味を示す帝の懐刀。だが、それは本当に千年華が咲く様に、極々希の話に過ぎない。
そしてそのしわ寄せが、周囲に伝播する。鳳翔に関わった者は、自身の能力の限界近くまで働かされる羽目になるのだ。
今回の望に降ってかかったこの仕儀も、尾噛家の懐事情ギリギリの話で、望が愉快でいられる筈も無い。
どうやら尾噛の当主の頭痛に悩まされる日々は、当分続きそうである。
天翼人の姉妹は、終わり無き望の苦悩の日々に慮って心を痛めるのであった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




