第58話 牛田葉
「そうかぁ! 猛の奴は奇襲を受けたのか!」
弟の軍に潜ませていた”草”の一人から報告を受け、葉は上機嫌になっていた。
軍を分けたその日の晩に、猛の軍は敵の奇襲に遭い、壊滅的な被害を被ったという。猛の軍は近い内に陣を引き払い、本陣へ合流を果たす予定である…との事だ。
葉は手を叩いて、この報を喜びをもって受け入れた。あいつは略奪の天才であるのは間違い無い。手ぶらですごすごと還ってくる様なタマでも無い。少なくとも、自身の身を守れる程度には、略奪した物資を持参してくる筈だ。
だが、それを赦すつもりなぞ、端から葉には無い。
尾噛領侵攻によって自軍が受けた”損害”は、本陣には未だ無いのだ。これで公然と弟を処罰できる。生かしておくと後々面倒な事になりかねないので、その場で斬首するのも、もしかしたらアリかも知れない。
幸い、弟に近しい家臣はこの遠征に殆どが付いてきていないのだ。いわば本陣は、猛にとって敵地も同然である。当然、猛の処刑を反対する者は出ないだろう。そうなる様に、裏で仕向けたのであるが……
「ああ、弟よ、猛よ。早く戻ってこないかなぁ……」
命乞いの物資は、喜んで受け取ろう。だが、その命も絶対に奪う。
これで牛田の頭の座は、この俺、葉に確定した様なものだ。義兄の黄は能力があるが、まずダメだろう。嫁である姉、紋菜の存在が足を引っ張り過ぎている。我が姉ながら、どうしようも無い奴だ。アレがもう少しまともであれば、俺達兄弟がどれだけ頑張ったとしても、頭の座は黄で決まっていたというのに。
だがそのお陰で、当主の座を巡る争いを上手く泳ぎ渡れそうだ。その事だけは感謝しておこう。本当に、その事だけは。
「だが、また新たな問題とも言えるな……俺が戻るまでに、あの愚姉は大人しくしているだろうか?」
兄弟が留守をする間に、黄が事を起こさない様にと色々と策は講じてきてはいたが、あの姉の頭の中は、全然まともではない。黄がアレを抑えきれなければ、どうなる事やら……
(猛をその場で断処した後、そのまま戻る事も考えねばな……)
無駄に兵を減らすのも、些か不味いのでは? 葉はそんな気がしてきていた。
今回の遠征によって、もう充分に尾噛は肝を冷やした事だろう。ならば、ここらで凱旋する方が賢明かも知れない。葉の次の相手は、同じ家名を持つ者になるのだろうから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ということは、貴方は、ご本人ではないと?」
「そういう事だ。俺は伝言係として特化した、”俊明くん型式神”って奴だな」
一見した姿は、妹の守護霊そのものであったが、よく見ると後退した額が本人のそれより微妙にテカっている気がする。そういう細かな違いで判別しろという事なのか? 頭痛がより激しくなってきた気がした。
「実は祈も、この近くまで来ている。だからこうして俺が遣わされた訳だが……すまないが、できればその事で祈を怒らないでやってくれ」
「大丈夫ですよ。何となく、そうなる気がしていたので。僕もあれと同じ立場なら、絶対に動いていたでしょうし……」
────兄妹とは、そんな気性まで似てしまうものなのだろうか。
望は嬉しさ半分、悲しさ半分のほろ苦い表情を浮かべる。あれは態々損な選択ばかりをする。そんな妹が愛おしくもあり、腹立だしくもある。
もう少し兄を信頼して欲しいものだ。
……自分が祈の立場ならば、同じ選択をするだろうから、どだい無理な話という奴であるのだが。
それは解っている、どうしてもそう思ってしまうのは、兄としての面目なのだろうか……
「では、伝言係さん? 牛田の主力の位置はどこです?」
俊明くん型式神を挟んで、尾噛領の地図を広げる。
垰は自領の測量に力を入れていた為、この世界この時代において、あり得ない程の精度を誇る正確な地図が存在していた。その事が今回非常に役に立つ。
「ここだ。川の近くで丘の近く。守るには易く、攻めるには面倒な位置だな」
式神が言う守るには易く、攻めるには面倒というのは、尾噛本拠地方面の、真正面から馬鹿正直に攻め入ればの話である。山側から攻める事ができれば、途端に話は変わってくる。
「で、祈はどの様に動くつもりで?」
「牛田の軍に入り込む手筈を整えた所だ。内部から食い破るつもりの様だな」
厄介な頭痛を抑える為に、頭の側面を何度も軽く叩きながら、望は今後の行動を頭の中で組み立てていく。
妹の存在があまりにもイレギュラー過ぎて、正直行き当たりばったりの作戦しか出てこない。頭痛に根負けしたのか、ついに望は考える事をやめた。
「こちらも新兵が多く、おそらく思惑通りに事が運べるなどと、都合の良い話は無理でしょう。なれば、敵の後背を突く様に動くまで。祈には、それに合わせてくれとだけ、お伝え下さい」
「了解だ。では俺はここで……」
式神の形が歪み、一羽の白い鳩へに姿を変え、そのまま大空へ飛び立っていった。祈のいるであろう方角は、あちらか。それを確認した望は、その方角へ向け、静かに両手を合わせた。
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「よくもまぁ、おめおめと逃げ帰ってこられたもんだなぁ。なぁ、猛?」
兄弟の再会とは思えない程に、兄の第一声には親愛の情の欠片も感じ取ることができなかった。
「すまない、兄者。兵の半分近くを失ってしまった。これは俺の失態だ」
その声に震え上がる様に、弟は地面に額を擦りつけ、自らの失態を素直に認める。葉は猛の殊勝な態度に、静かに自尊心を満たしていた。
「猛。お前にしては珍しく素直だな? だが、お前はあまりに多数の兵を一度に死なせ過ぎた。軍を預かる将として、これを看過する訳にいかぬのは、お前なら判るよな?」
絶対者である葉の問いかけに、猛は無言のまま、もう一度額を地面に擦りつけた。
「お前の誠意は、喜んで受け取ろう。だが、お前の罪はそれですら拭いきれない。お前は俺の弟だが、身内だからと庇う訳にもいかぬのだ……」
沈痛な面持ちで続けねばならない場面であるのに、口角が笑みで持ち上がって上がってくるのを、自身ではどうしても抑えきれなかった。
……それほどまでに嬉しいのか。周囲の兵ですらそれと判るものであった。
「俺は、全てにおいて公平であらねばならぬっ! この者を捕らえ、即刻首を刎ねよっ!」
「あ、兄者、赦してくれ。俺はまだ戦えるんだっ! 赦してくれるならば、兄者の役に立って見せるからっ。なっ? なぁぁぁぁ!」
周囲の兵が猛の両手を両足を押さえつけ、動けない様にする。大きな鉈を抱えた兵が、動けない猛にゆっくりと歩み寄り、陽光を鈍く弾くそれを大きく振りかぶった。
「首はそこらに晒しておけ。残りの兵は、川の側に配置。ガキどもと物資は一カ所に纏めろ」
葉は次々に指示を飛ばす。邪魔者のいなくなった軍は、完全に葉のものとなった。猛が引き連れていた兵の残りは、ひょっとしたら、猛の子飼いの者が居るやも知れぬ。最前線に配置し、消えて貰おう。
命乞いのつもりで猛が持参したものは、全て有り難く頂戴しよう。ガキは持ち帰れば奴隷として高く売れる。金はいくらあっても困らない。今後は袖の下を使わねばならぬ場面も多々あるだろう。ならばそれに備えておく必要があるのだ、
あとは、近くにまで迫っているという尾噛の軍に対処するだけだ。数の上で遙かにこちらが有利であるのは判っている。その為に準備を重ねたのだから。高い金を出して傭兵を大量に雇ったのだ。
この戦に勝利すれば、尾噛の土地をいくらかせしめる事もできよう。そうなれば、葉の家内の立場は盤石になる筈だ。
(順調だ。順調過ぎる程に、順調だ)
葉は腹の底から込み上げる笑い声を、ついに抑える事が出来なくなった。
「……なんつーか。自分が殺される場面を端から見るってのは、本当に胸糞悪いモンだな」
「これで尾噛は、牛田の次男とは話す価値なぞ無い。そう判断しました」
猛の軍の中に、祈と猛は紛れていた。祈達は認識阻害の術を用いて、生き残りの兵の一員として、今までの一部始終を見ていたのだ。
「へいへい。これで同盟が確固たるモノになったと素直に喜んでやるよ。だが、このあとどうするんだ? どうやら兄者は、俺達を盾代わりにするつもりの様だが」
川の側に配置されたということは、敵軍の真正面に立て。ということだ。川を渡る前に、矢の応酬になるだろう。それの盾に使われると判りきっているのだから、楽しい未来図と言えよう。
「そこは大丈夫ですよ。川の側が、この軍の最後尾になりますから」
笑みを絶やさないまま、少女はこの戦の成り行きを予言する。
「この様な地形に展開する軍勢に対し、真正面から馬鹿正直に突進を指示するなぞ……”尾噛”の常識では、あり得ません」
「って事は……ああっ」
猛は頭の中に簡易的な地図を描き、仮の尾噛軍を動かしてみた。葉は尾噛が川の方から来る事を想定している様だが、そこをあえて外せばどうなるか……
「ええ。図らずとも、挟撃する形になったと言う事です。あとは、私達が乱戦で死なない様にするだけですね」
「うへぇ。それが一番難しい気がするんだがなぁ……」
敵の勢いに押された軍は、一体どうなるのか。その事を考えただけで、物凄く楽しい地獄絵図が広がっていく。
猛はその”地獄絵図”の中心地となるであろう、尾噛の娘の傍らに在る自身の境遇を嘆く他は無かったのだ。
誤字脱字あったらごめんなさい。




