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第57話 綱渡り



 「ですから、まずは牛田の本陣に合流するといたしましょう、と」


 祈はニッコリと微笑みながら、もう一度繰り返した。


 「お前さん本気か? それは俺に”死んで来い”と言ってる様なモンだぞ……」


 辺りをぐるりと見渡す。猛の視界に入る人間は、全て尾噛の関係者。つまり、こちらの兵は全滅したという事だ。この様な状況下で本陣に戻れる訳が無い。何故ならば、兄の葉は猛が失敗する事を切に望んでいるからだ。だからこそ、敵地であるにも関わらず、部隊を2つに割るなどという兵道上の愚策に、葉は許可を出したのだ。当然、猛の部隊の中に、複数名の草を紛れ込ませている筈である。


 それは猛も承知していた事だ。牛田領の近くで略奪だけを行う様に立ち回っていれば、先に尾噛の軍と鉢合わせるのは領の奥まで侵攻している葉の部隊の方であると読んだ。そしたら後背を突く様に奇襲をしてきた部隊があったのだ。俺は熟々(つくづく)運が無い。そう猛は感じていた。


 恐らくは放った斥候の中に混じっているであろう葉に通じた”草”によって、奇襲の件も伝わっている筈だ。

 このまま猛が本陣に戻れば、兵を失った無能の将として葉は嬉々として罪に問うてくる筈だろう。葉の機嫌次第では、その場で斬首すらもあり得る。猛はその光景を想像してしまい、ぶるりと身を震わせた。


 「ええ。ですから、()()()()()()()()()()()


 満面の笑みで、尾噛の長女が猛に向かって「死ね」と言う。愛くるしい声と姿に似つかわしくない、あまりにあまりなその無慈悲な言葉に、猛の顔面の筋肉が完全に仕事を放棄した。


 「……マジかよ……」


 結局俺には、死ぬ選択肢しか無かったのかよ……猛は全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちた。もう、何も信じない……そう呟きながら。


 「祈も意地が悪いな……安心しろ。()()は、そこの”写し”にやらせる」


 笑いを堪えるのに必死になりながらも、額の毛が少し寂しい中年男が、今にも死にそうな表情で崩れたままの猛に救いの手をさしのべた。


 ”写し”

 ……そこに立つ、俺そっくり人形の事であろうか? ならば、俺は死ぬ事必要はない?

 誰も信用できずにいる猛は、半信半疑のまま中年に目を向けたまま固まっていた。


 「ふふっ……ごめんなさい。ちょっと冗談が過ぎましたね。そこの式……ヒトガタに、あなたの影武者をやらせます。貴方のお兄様が、その場で貴方を殺害する様な人間であるのであれば、私達尾噛は、貴方のお兄様とは、今後一切話す価値無しと判断します」


 今は同じ目標を掲げた対抗者であったとしても、元々は血を分けた兄弟だ。それなのに、失敗を口実に即座に殺す判断を下す短絡的かつ冷酷な人物とは、何も交渉も出来なければ、する価値なぞ無い。そう祈は言うのである。


 「もし貴方のお兄様が、貴方を迎え入れる度量のある人物であるならば、尾噛としても、まだ生かす価値はあるでしょう。ですが、そうでない場合は……と、言う事です」


 あり得ない話ではあるが、あの葉が猛の失敗を赦し、受け入れた場合は、この同盟は白紙になり得る。そういう事なのか? 猛は訝しんだ。


 「いいえ。そうではありません。()()()()()()()()、生かす価値がある。そういう事です。私はあくまでも尾噛。ですので、これは尾噛側から見ての、価値のあるなしの話でございます」


 先ほどまでの天使の微笑みではなく、『ニタリ』と表現すべき悪魔の笑みに、その質が変わった。尾噛の長女の言葉の意味が全然判らなかった猛だが、その笑みに不穏な気配だけは感じ取る事ができた。できれば葉の兄者は、尾噛にとって不要の判断が下される様に……猛はそう切に願わずにはいられなかった。



 (なぁ、(くう)(ねえ)?)


 (何、愚妹よ?)


 祈達から少し離れた位置で、天翼人の姉妹達は今のやりとりを、ただ立って見守っていた。それしかやることが無かったとも言う。


 (アタシら、あん可愛い(あいらし)か娘ばと、お友達になったっちゃんな?)


 (一応は。で、愚妹は何が言いたい?)


 (間違いやったかな……って。今は怖い(えずか)ばい、あん娘)


 蒼は祈のことを怖いと言った。今、牛田の三男坊との会話を聞いていると、ちょっと手を握っただけで照れてニヤけ顔を無理矢理顰めっ面で殺そうとしていた10やそこらの小娘とは、全然結びつかないのだ。


 (はぁ。だからおまえは愚妹なのだ)


 天翼人の姉は、妹の頭を軽く小突いた。


 (よく見ろ。あの娘の手を……微かに震えている。解らない?)


 祈の握りしめられた拳は、確かに震えている様に蒼にも見えた。本当に、本当に微かにではあるが……


 (あの娘は、戦っている。今は武力の戦いではない。だからこそ、彼女は必死)


 言葉での戦いとは、経験のみがモノを言う。たかが数え12の小娘に、どれほどの経験値があるというのか。多少頭の回転が早くとも、経験が無ければ、その場その場においての適切な言葉なぞ出てくる訳が無い。だから、自身の異能と”尾噛”という背景に頼っての、力尽くでの戦いなのだ。どこで破綻してもおかしくはない、糸みたいに細い、ギリギリの綱渡りである。それだけに祈は必死なのだ。


 (あの娘のことを、わたくしたちは全部解ってやる必要はない。というか、そもそもできないし。でも、あの娘を怖いと言うのだけは、流石に許せない)


 (……そうばい。ごめんなしゃい)


 空の言う事は尤もだ。腹芸なぞが一切できない真っ直ぐ過ぎる性格の蒼は、祈と同じ事をやれと言われたら絶対に放り出して逃げる自信がある。

 自分より50年以上も短い人生しか歩んでいない娘が、目の前でそれを成しているのに、である。この恐怖感は、得体の知れない者に対するものではなく、自身の苦手意識を刺激しただけに過ぎないのだろう。


 (()()()()()()()()()()()()。それだけで尾噛の助けになっている。帝国が睨みを利かせているぞと、あの三男坊に知らしめた。とと様は今回とても良い仕事をした)


 だから、何も言わず今は見守っていろ。そう姉は言う。この場に黙って立っているだけで、尾噛の長女の助けになっているのだ、と。


 (解った。本当に(ほんなこつ)空姉ば、凄かねぇ。アタシ気が付かんかったばい)


 ”草”の本分は、事細かく詳細に”視る”事だ。ほんの些細な機微を、見て感じ覚える事が大事なのだ。それができない蒼は、本当にこの仕事にトコトン向いていない。そう空は思う。


 だけど、今回は二人で来られた事が功を奏したと空は感じていた。尾噛の長女は、確かに姉妹より遙かに数々の優れた技術を使いこなせる程に強く、大人相手に対等以上に言葉を交わす程に(したた)かだ。だが、彼女の本質は、あの穴蔵の中で見た姿であろう。歳が近く、何より明るい蒼の性格が、彼女の救いになっている筈だ……そんな妹は、姉から見れば、この妹は本当に馬鹿なのだけれど。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 望は牛田の位置を把握するのに手間取っていた。経験豊かで優れた”草”が、今の尾噛には居ないからだ。


 優秀な草がいないのならば、数に頼る他はない。


 同じ方角に複数の草を放ち、個々の情報で優れていると感じる部分だけを抽出する。優れた情報を持ち帰った草の名は、なるだけ控えて後で報償を出す様に命じていた。今回ばかりは財布の紐を結んだままではいられないのだ。


 正誤の確認の為、裏を取る様厳命をし、情報を蓄積していく。気の遠くなる様な作業である。


 上がってくる報告書にざっと目を通し、望は暗澹とした気分に沈んでいた。


 ある程度の被害は予想をしていたが、ここまで酷いとは思ってもみなかった。中には全滅に等しい集落もあるという。この所行を『迷惑な隣人』の一言だけで済ませられる訳なぞない。絶対に殺し尽くしてくれる。慈悲は無い。望はそう決めた。


 「集落が幾つも墜ちている……か。そこからの生き残りは確保できているのか?」


 「は。村の代表を名乗る者が数名……あと、兵の中にはそこから出てきた者もいる様でして、動揺が広がりつつあります」


 自身の故郷の悲惨な状況を聞いてしまえば、それは仕方の無い事だろう。望ですら腸が煮えくりかえる思いなのだ。だが、軍は生き物である。生き物の集まりであるのだ。


 「箝口令を敷いて、兵の動揺を鎮めろ……などとは言わぬ。どう足掻いても、人の口を塞ぐ事などできないからな。だが、陣を抜け出す者が出た場合は、見せしめも兼ねて厳罰だ。特に新兵の動きに傾注せよ」


 「はっ。注意します」


 新兵は、本当に思いも付かないタイミングで、思いも付かないとんでもない行動に出るものだ。

 下手を打つと戦う前に、軍が瓦解しかねない危険な爆弾でもある。尾噛軍はその”爆弾”が全体の3割近くを占めているという火薬庫でもあった。だが、これを何とか育てていかなくては、そもそも軍が成り立たない。誰しも初めてはあるのだから。


 「ああ、その生き残りをこちらに連れてきてくれ。話が聞きたい」


 望は、ほぼここまでまとな休息を取ってはいなかった。蓄積された疲労によるものか、この所ずっと頭痛に悩まされている。今も掌で何度も頭の側面を軽く叩き、その痛みを誤魔化していたのだ。


 「よぉ。お疲れさん」


 集落の生き残りが自身の殿様に投げかけるには、絶対にあり得ない言葉が飛び、周囲が一瞬で凍り付いた。


 頭痛と格闘していた望であったが、その生き残りを自称する人間の言葉を聞き、顔を見て、頭痛による苛立ちを完全に忘れてしまった。


 「え? 何故、あなたが……?」


 少し寂しい前髪と、後退が著しくちょっとテカる額をピシャピシャと掌で叩きながら、生き残りの村人が入ってきた。


 「今の俺は”守護霊”じゃない。伝言係(メッセンジャー)、俊明くんだ」



 いつもの上下真っ白のスーツではなく、態々この世界の農村に住まう人々の格好で現れたのは、最愛の妹の守護霊、その一人の俊明であったのだ。



 「良い知らせを持って来た、牛田軍の居場所だ。今から案内してやる」



誤字脱字があったらごめんなさい。

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