表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/417

第56話 牛田猛



 今の今まで混乱の最中にあった牛田の陣に上がっていた火の手は、今や完全に鎮まり、シンと静まりかえっていた。


 恐らくは周囲に放った斥候が戻り次第、この陣を引き払うつもりなのであろう。外周の天幕は綺麗に片付けられていた。


 「この将は判断が早い。時間をかけたら確実に逃げられる」


 「やろうね。早ようしぇな不味か思うばい」


 先行させていた物見の式から逐次送られて来る情報は、姉妹の考察が正しいのだと祈に伝えてきていた。


 「だね。じゃあ、手筈通り私が足止めするから、二人は将の確保、もしくは排除をお願い」


 煉獄の余波が残るこの地一帯のマナは、未だ祈の支配下に置かれたままでいた。煉獄を撃ち込まれてから、一刻近くの時間がすでに経っているのに、である。マナの支配率が変わっていないという事は、敵軍に魔術士が居ない証拠でもある。こちらの行使する魔法への抵抗は、ほぼ無いとみて良いだろう。


 「でも、一応の保険をかけておくね…」


 祈が印を結ぶと、穴から持参してきた紙と筆とはさみが宙を舞い、次々に式神の元となるヒトガタが出来上がる。つい先ほどまで面倒な作業に唸りながらも、一枚一枚ヒトガタを作成していた記憶が新しい天翼人の姉妹は、その光景に自分達の苦労は一体何だったのかと一瞬疑いたくなってしまった。


 そして、祈はヒトガタに霊力を込める。人の形に切り取られた紙は、祈の霊力によって、次々に甲冑を纏った兵士へとその姿を変えていく。姉妹が呆然としている間に、総勢70名程の(くろがね)の軍団が出来上がっていた。


 整然と並ぶ、屈強な鉄の軍団。まさかこれの元が一片の紙である……などと、一体誰が信じようか。


 まだ本調子ではない祈は、この数の式を作り出すだけでも精一杯の状態であった。本来であれば、ここに将となる”鬼”を配置していた所であるのだが、今の状態では、それの制御は難しい。

 式に込めた命令も『こちらに敵対する者を迎え撃て』という、単純なものしか設定できなかった。


 だが、魔法に抵抗してきた少数の兵相手ならば、その程度で良い。こちらの作り物の兵の相手をしてくれている間に、敵の将を確保できればそれで充分なのだ。ただ問題があるとすれば、不意打ちの魔法に抵抗した時点で、残りの兵全ての撤退を選択する程の思い切りの良い将であった場合だ。その時は、些か不味い事に成りかねない。


 「……(くう)(ねえ)……」


 「……何? 愚妹よ……」


 「なんば言うか……真面目ば生きとーのが、馬鹿らしゅうなってこんか?」


 愚妹の言いたい事は、ほんの一瞬であるが、空の脳裏に過ぎった感想と等しく同じであった。だが、この技術を習得するために、目の前の少女はどれほどの時間を費やしたのか……空はそれを知らない以上、軽々しく口にするのは、何となく憚られる気もしていた。


 だから、空は蒼の額に、軽くゲンコツを当てただけに留めた。ついさきほどまで、その技術のほんの触りに触れただけで、頭がこんがらがってしまった二人が、軽々しく言える立場ではないのだから。



 「夜を支配せし静寂の女神よ、星空を統べる精霊達よ……」


 今込められるありったけのマナを使い、祈は牛田の陣に居る全ての者に届く様に、拡大睡眠術(マグニ・スリープ)の詠唱を開始した。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す。(たける)様♡」


 「ンが? ああ、はよ……」


 (俺は、知らぬ間に眠っていたのか。確か、撤退準備が完了していたはずだが……?)


 まだ半覚醒の状態にあった猛は、身じろぎしたその瞬間の縄が食い込む痛みによって、一気に覚醒を果たした。両手両足が縄でキツく縛られていた為に、飛び起きる事が叶わなかった猛は、芋虫の如く地面を無様に転がった。


 何とか頑張って仰向けになる様に転がり、顔を声のする方へと向ける。自身を見下ろす冷ややかな十の瞳に、猛は自分が敵の手に墜ちたのだという、全然楽しくない事実を悟ったのだ。



 「さて。私達が何者か……聡明な貴方様なら、お判りになるかと存じますが?」


 「さてね。この縄を解いてくれるのなら、何となく思い出せるかも知れないな?」


 決して認めたくはないが、俺は敵の手に墜ちた。

 そこはもう諦めるしかない。

 だが、まだ俺は生きている。ならばまだ機会はある。

 猛は自身が生き残る為にどうすれば良いか…それだけを必死に考えていた。その焦りを表情に、声色に出してはならない。だから、多少演技臭くても、不貞不貞しい態度で、敵との会話に望むしか無いのだと。


 「……残念ですが、今それは出来ません。貴方は我が軍の”捕虜”なのですから」


 どうやら猛との交渉を受け持つのは、一番年若い少女の様だ。


 猛はその事に内心安堵し、喜んだ。小娘相手ならば、いくらでも付け込めると判断したのだろう。上手くいけば恫喝するだけでも良いかも知れないと。


 「けっ。俺を”捕虜”にしたいと云うのなら、それらしく丁重に扱えや。三男坊だが、一応俺は貴族だぞ?」


 今は芋虫の状態であるが、俺は貴族なんだと踏ん反り返……れなかったが、猛は自身の身分を誇示するしか今は手段が無かった。相手はこちらの身元を理解している。それだけが交渉への突破口なのだから。


 「……”貴族を名乗る山賊”とは、正に珍獣だな」


 「都の見世物小屋にでも売っちまいますか? 俺はそれ大賛成ですがね」


 二人の男が、猛の背中を足蹴にする。猛は男達の顔を確かめ記憶した。絶対に後で仕返ししてやる。そう心に決めた。


 「……なぁ、やっぱこいつ殺した方ば、ようね?」


 「愚妹の意見に、賛成票を投じる。此奴との交渉は無意味。『牛田は絶対に約束を守らない』と、もっぱらの評判」


 翼を持つ娘二人が、猛を殺せと主張する。その言葉に、一瞬だが猛の顔は青ざめた。人を殺す指示は日常過ぎて慣れているが、「死ね」と言われたのは、生まれて初めての経験なのだ。


 そして、その言葉を吐いた娘たちの種族が大問題だ。この国に住む翼を持つ種族は、皇族、もしくはそれに次ぐ限られた身分の者だけしか存在しない。その様な者がこの場にいる。その事実は、猛にとって絶望しか与えなかった。


 「……だな。どうせ替え玉は、いくらでも造れるんだ。こいつの頭引っこ抜いて、そこから記憶を吸い出せば、後はもう用無し。それでおしまいで、全然構わないだろう?」


 少々額が寂しい中年男の発言に、猛の顔は完全に青ざめた。その男の言葉の通りに、自身の生き写しかと見紛う男が、突然猛の目の前に現れたからだ。


 あれがどういう絡繰りなのか、猛にはさっぱり判らない。だが、これが鏡でも幻覚でもない事だけは、確実に判る。そっくりの人形を造り出せるということは、相手は生きているこちらの身には、一切の価値を見いだしてはいないという事だ。むしろ邪魔とさえ思うであろう事は、猛でも判る。


 「ああ、そだねー。とっしーの言う通りにした方が楽かも。どうも協力してくれそうにない感じするモンね?」


 「待ってくれ。待って! 尾噛だろ? お前さん達は、尾噛の関係者だよな?! なっ? 俺は牛田の三男坊、猛だっ!」


 小娘の先ほどまでの丁寧な口調は何処へやら。砕けた口調に変わり仲間の意見を検討し始めた所で、猛は慌てて最初の問いの回答を口にした。下手にはぐらかしても自身の死期を速めるだけならば、素直になるしか他に道は無い。そう悟ったのだ。


 「……最初から素直になれば良かったのに」


 天翼人の娘の一人が、猛の手足を堅く縛り付けていた縄を断った。手足の拘束を解かれた猛だが、逆らわなかった。逆らえなかったと言うべきか。自身を囲う5人全ての殺気が、尋常では無かったからだ。ましてや、そこに佇む自身のそっくりの人形(?)の存在によって、猛本人の身柄には、一切の価値が無いのだから。



 「尾噛は、貴方と同盟を結びたく思います。貴方が牛田家を継承するまでの道のりに、尾噛は全面的に協力しましょう」


 小娘の……尾噛の長女の突然の言葉に、猛は思わずもう一度聞き返してしまった。


 あり得ないっ!

 尾噛の集落に住む民を殺し、犯し、略奪の指揮をしてきた人間と、同盟を結びたいと言うのもあり得なければ、その人間を牛田の家の継承争いに協力すると云うのにもあり得ない。

 本当にそんな美味い話があるのか。貴族としての教養と知識には、少々自信が無い猛ではあったが、そこまで馬鹿ではない。何か裏があると思うのは当然の事である。


 「お前さんの言は、俺にとって酷く魅力的で有り難い話だ。だがいくら何でも、俺なんかを担ぎ上げても、お前さん方に利は薄かろう? 俺がお前さんの立場なら、(よう)の兄者の味方をするが、ね」


 後継者争いの大本命が、高い地位の家臣達に支持層がある次男の葉だ。能力だけで言えば、婿養子の(おう)が一番なのだが、問題はその妻である牛田の長女だ。兎に角この性悪女が、悉く黄の足を引っ張り続けた。お陰で黄は、その堅実な能力や性格に反して、家内において一切の人望が無かったのだ。


 なので、牛田の後継者の大本命は葉。その後ろを猛が追う展開になっていたのである。


 「いいえ。現状不利な貴方様だからこそ、私達”尾噛”には価値があるのです。態々有利な者に付いた所で、一体誰が恩を感じましょうや」


 指を咥えて見ていれば、確実に決まるであろう葉を支援したところで無駄である。そう尾噛の長女は言った。確かにその通りだと、猛も思う。

 少しでも実績を持ち帰り、自分に付いていく利を家臣達に示さねば、近く命が危うい。そう思えばこその、今回の行動なのだから。


 そして、少女の後ろに控える天翼人二人の存在が、尾噛の背後には帝国そのものが付いている事を明確に示していた。今の尾噛に敵対するという事は、帝に弓を引く事と同義でもある。

 如何に譜代の直臣たる牛頭家の加護が在ろうと、相手が帝家ともなれば、如いては牛田家の滅亡をも示しているとも言える。今更になって事の重大さを猛は思い知らされたのだ。


 「……ま、今の俺の立場じゃ、お前さんの有り難い提案に、頭を振るこたぁ端からできねぇんだがな……」


 断ったらこの場で死ぬ。断らなくても葉と敵対する事になるのだから、失敗すれば当然死ぬ。ならば生き残る為には、尾噛の協力を得た上で、何もかもを成功させるしかないのだ。猛は腹を括った。


 「では、決まりですね。私は尾噛が長女、祈と申します。今後ともよろしくお願いしますね」



 ここに奇妙な同盟関係が生まれた。


 脅されて強いられた方と、脅して強いた方。どちらにも共通していたのは、他の家の者は誰も知らないし、承認していない事である。



 (つーか、やっぱりこいつ殺した方が良くね? 今は良くても、絶対裏切ると俺は思うね)


 (拙者も、俊明殿の意見に賛成でござる。この手の御仁は、恩を怨で返してくるものでござる)


 (今ならまだ遅くないわ。さぁ、派手に燃やしちゃいましょ?)


 (……本当に、皆ブレないよね……)


 守護霊達の反応があまりにも頼もし過ぎて、祈は苦笑を表面に出さない様にこらえるのに必死であった。確かに三人の言う様に猛を亡き者にして、そっくりに作った式を使う方が、安全に事を運べるだろう。だが、その先の事を考えると、短絡的な手段を取る訳にはいかないと、祈は思ったのだ。


 牛田家は『迷惑な隣人』であると、尾噛の記録にある。


 これが『仲の良い友人』にできれば、良いと思ったのだ。


 今はそれが叶わなくても良い。猛が継ぐ事ができれば、手助けの条件として「今後一切尾噛領に手を出すな」と言えば、少なくとも『迷惑な隣人』ではなくなるのだから。それさえ守れないのであれば、その時はその時だ。



 「では、猛様。まずは牛田の本陣に”合流”するといたしましょうか?」


 「はぁっ?!」


 祈の言葉の意味が判らずに、猛はこの日何度目になるであろうか、娘の言葉をもう一度聞き返した。




誤字脱字あったらごめんなさい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ