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第54話 到着の四騎



 「……尾噛の家臣は迂闊すぎる。荷馬を忘れるな」


 一気に駆けだした一馬たちを他所に、空だけは冷静に、恐らくは煉獄(インフェルノ)によるものだろう爆音に驚いて逃げた馬をしっかりと回収していた。この荷馬に載せていた物資が、今後重要だと言っていた癖に……その事をちゃんと覚えていたわたくし偉い。ひとりそれなりにある胸を反らして、エッヘンとしていた。


 すぐに踵を返し、空は後を追う。緊張する場の雰囲気に呑まれてしまった愚妹は、何も考えずに一馬に付いていったのだろう。遠くで真っ赤に燃える炎によって照らされた騎影が二つ、微かに映っていた。


 「やはり、蒼はこの仕事に向いていない。そろそろ()()様に言って、辞めさせた方が良いかも」


 姉妹の父親であり、上司でもある彼の人の顔を、空は思い浮かべた。そもそもこの仕事も、何でもすぐに熟せてしまう姉妹達の我が儘で始めた様なのものなのだ。父はどうせ笑って済ますだけだろう。いや、娘達が危険な仕事をやめてくれるならと、手を叩いて喜ぶかも知れない。


 七十年近くも一緒に暮らしてはいるが、空は未だに父の性格を掴み切れていない。面倒なので”良く解らんクソおやじ”の評価で一括りにしている。もうそれで良いのではないか、と空は思う。


 まずは、目の前の仕事を片付けよう。どうやら見た所、良い感じに悪い方向へ、難しい方向へと事態が動いている様だ。これは楽しくなるかも知れない。空は知らず知らずの内に、舌なめずりをしていた。



 「馬蹄の音が二つ。軍とは正反対の方角から、こちらに近づいてきている様にござる」


 武蔵が二人に警告を発する。今の所牛田の陣は、消火活動と平行しながら、何かを画策している様子にも見えた。魔術によって隠蔽したこの穴の近くを、斥候と思しき影が複数通り過ぎていたのだ。その影とは違う者が、すぐそこまで近付いて来ている。それだけで充分に警戒に値する出来事といえよう。


 「どうやら、俺の用意したものが来た様だ。だが、こりゃ不味いな……敵の斥候を引き連れてこられたら、何もかもがパァだ」


 使い魔は、ちゃんとこちらの命令をこなしたのだろう。それには俊明も安堵したが、問題はここからだ。特別に裁量を持たせた自立型として調整を施した為に、こちらの意思と一切の連結がないのだ。味方に引き込めと指示した人物は、おそらく草の心得なぞ持ち合わせてはいないだろう。敵の斥候をそれとは気付かずに連れてくる可能性が極めて高い事態だ。


 「まだイノリが目を覚ます気配はないわ。今、微かに魔力の揺らぎはあったのだけれど……」


 マグナリアが祈の状態を報告する。魔力の揺らぎがあったということは、まだ祈の意思は生きているということだ。断末魔の間際の苦痛や悲鳴に引き摺られ、それに屈してしまったのであれば、精神はズタズタに引き裂かれ、意思を持たない肉の人形と評すべき()()と化す。魔力の揺らぎとは、精神の揺らぎもである。まだ祈の心は生きている。


 「その報告で充分だ。頼む、<持続系精神回復術(リジェネ・マインド)>は継続していてくれ」


 「判ったわ」


 「さて、武蔵さん。この距離で敵の斥候と、馬に乗る人物の区別は付くか?」


 「そんなのは造作も無い事にござる。何でしたら、年齢、性別、体重まで当ててご覧に入れますが?」


 無精髭を撫で付けながら、何でも無いと胸を叩く。役立たず侍なんてとんでもない。俊明は全幅の信頼を、この侍においていたのだ。


 「そこまでは要らないさ。なら、馬に気付いた臭い斥候の位置を正確に教えてくれ。絶対にここを知られる訳にゃいかないからな」


 「……どうやら、それは必要無さそうにござる。もう一つの気配が、敵斥候を片付けておる様子。後続にも2つ馬蹄。こちらもその内の一つが斥候とやりあってござるな」


 自称役立たず侍は、脅威の感度を誇る天然……いや、霊界ソナーであった様だ。目まぐるしく変わる状況を逐一報告してくれていた。


 「ちゃんと助っ人も用意できてた様だ。どうやら俺達、楽できそうだぞ」


 ピシャピシャと薄い額を叩きながら、俊明はここに来てようやく肩の力を抜く事ができた。生前よりも緊張したぜ。そう呟きながら…



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「撤収作業急げっ! 敵は”尾噛”だ、あれだけで終わる訳はない。死にたくなくば急げよっ!」


 猛は生き残った兵に檄を飛ばす。そうだ、相手は武門の尾噛なのだ。いくらこちらには巨大な後ろ盾があるからといえど、ここまで大規模な侵攻をしてみせたのだ。向こうも意地を見せるだろう。これだけで終わる筈は無い。


 ただ、その尾噛の手にしては不可解な点が多過ぎる気はするが、その検討は後回しにする。猛は生き残る事だけを優先したのだ。


 戦力の七割方を、ただ一度の、たった一発の奇襲によって喪ったのだ。もう軍として考えるのには、すでに数の上で無理がある。今後考えるのは無理に兵を再編して戦う事よりも、確実に生き残る事。いかに素早く、効率良く、奪った物資を余さず確保しつつ味方の陣に戻れるかだ。


 だから、兵数を指折り数える事を猛はしなかった。極端な話、自身さえ助かればそれで良い。その為には、略奪した数々の物資と、捕らえたガキ共さえ、最終的にこの手元にあれば良いのだ。


 敵の伏兵がいないかを確認するための斥候がある程度戻り次第、行動を開始する予定である。斥候が戻ってこなかった方向には敵が居る。その程度の大まかな認識で良い。臆病者と笑いたくば笑えば良い。臆病でなければ、戦場(いくさば)では生き残れないのだから。牛田猛は、そういう意味で言えば正に戦人(いくさびと)であった。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 「認識阻害の結界がある。ここで一端止まれ」


 一馬の頭上で踏ん反り返っていたチビ骨が印を結ぶと、目の前に今まで一馬にはそこにあるとは気が付かなかった大きな穴が現れた。あのまま使い魔の静止を聴かずに走っていたら、一馬を乗せた騎馬は確実に穴に落ちていたであろう。一馬は唾を飲み込んだ。


 (会話だけじゃなく、さらには術まで使える使い魔かよ……本当にどんだけなんだ、こいつ)


 人の頭上で佇むチビ骨の高性能っぷりに、一馬は何度目の驚きなのかと、呆れる他無かった。そして、まだ感覚が麻痺していない事への自身の感覚の柔軟性の無さ対し、驚きを禁じ得なかった。


 「俺が先に行く。少し待っていろ」


 チビ骨は言うが早いか、ひょいひょいと一馬の頭上から降りて穴に飛び込んだ。一馬も馬から降りて、大きく伸びをした。集落での探索以外、ほぼずっと馬上で過ごしたのだ。身体のあちこちが痛みに悲鳴をあげた。


 「そいで、こん穴ん奥ば、目標がおるんか?」


 蒼が一馬の横に並び、使い魔の飛び込んだ穴をのぞき込む。穴の規模はそこそこ大きい様だ。これを、あの尾噛のお姫様が一人で掘ったとは思えないが、そこを追求しても詮無きことだろう。元来蒼は、一々難しい事を考えるのを苦手としていたのだ。


 「浅はか。大事な荷を忘れるとは。謝罪と、盛大なる感謝と、追加の報酬を求む」


 我を崇めよ。そう言いながら、空が荷馬を引き連れて一馬のすぐ後ろで足を付けた。突然の出来事に荷馬の存在が完全に頭の中から欠落していた一馬は、空の言葉で顔を覆い「あちゃー」と嘆いた。


 「……ありがとう。報酬に関しては、後でおひい様に請願しとくわ」


 自身のミスにより、尾噛家に負担を強いてしまう羽目になった一馬は、一応恩人になるのであろう、天翼人の娘に報酬の件を掛け合う事を渋々了承した。


 「(くう)(ねえ)、ちゃっかりばしとーなぁ。任務なんやけん、後ば国からも貰えるとっとに、ほんなこぐぶっ……」


 姉からの痛烈な肘をまともに鳩尾に喰らい、蒼は膝から崩れ落ち、したたかに顔面を地面に打ち付けた。余計な事を喋るな。という事らしい。目の前で巻き起こるあまりに強烈な出来事に、一馬の脳裏には「こいつらで大丈夫なんだろうか?」という今更な疑問が流れた。


 「……こほん。報酬、期待している。ちなみにわたくしの分だけで良い」


 そこに転がる愚妹の分は要らない。こいつはただの賑やかし。そう思っていて構わない。と、空と名乗る天翼人の娘は言う。本当に姉妹なのか疑わしいが、支払うべき金額が下がるのなら何も言う事は無い。一馬はただ上下に首を振るしかなかった。



 「おい、良いぞ。入ってこい」


 使い魔が顔を出し、穴に入れと三人を手招きした。


 掘られた穴は、充分な空間が確保されていた。奥で寝ている祈と、一馬達三人が入ってもまだ余裕があったのだ。


 多少薄暗くはあるが、魔法の灯りが外に漏れない様にする為で、これは仕方がない。使い魔は一馬達に座る様に促す。今後の作戦を伝えるつもりの様だ。


 「最悪の事態だ。尾噛の姫が敵軍に魔法を撃ち込んだらしい。敵は混乱していた様だが、そろそろ立ち直るだろう。だがご覧の様に、姫は今動けない状況になっている」


 難しい顔で、額をペチペチと叩きながらも、使い魔は続ける。


 「下手に軍を刺激して、姫の所在がバレるのだけは避けたい。だが俺達は、ここに来る間に敵の斥候と思しき人間を、数名屠ってしまっている。姫の容態を看るに、動かすのも悪手だ。正直芳しくない状況と言えるだろう」


 「……だから、お前達に頼みたい」


 今まで何も無かった筈の背後からの突然の声に、天翼人の娘達は固まってしまった。こうも容易く背後を取られた経験は無い。しかも、気配を一切感じ取れなかったのだ。


 「そう堅くなるな。俺は姫の護衛だ。俺の失敗の尻拭いをさせてしまってすまないが、この通り頼む」


 使い魔の顔とそっくりの男が、三人に対し頭を深々と下げた。どうやら使い魔の主がこの男なのであろう。天翼人の娘達は恐怖に引きつりながらも、僅かな殺意の光を男に向けた。自身の誇りを意図も容易く踏み躙ったこの男への復讐を心に誓ったのだ。


 「おし。ちゃんとあるな。紙と筆と墨……っと。これで墨が無かったー! なんて、あるあるだからなぁ……」


 俊明は、使い魔に頼んでいた物資を確認し、満足そうに頷いた。


 その間に、一馬が外套を下に敷いただけの姫の身体を毛布でくるみ、枕になる様に布を畳んで頭の下に敷いた。外気に晒されるより幾分マシといえる穴の中とはいえ、地面の冷気から少しでも離す事が、身体の事を考えると必要になるのだ。


 「こいで、何ばしようちゅうばい?」


 当然の質問を、蒼はした。まさか、この様な状況で手紙を書く訳ではないだろうな? 手紙を運ぶ為だけに呼ばれたのでは、草としての立つ瀬が無い。


 「そこの使い魔の”材料”がコレ……って云えば、ある程度は察してもらえるかな?」


 祈以外の若い娘との久しぶりの交流で、俊明のテンションは多少おかしくなっている様だ。墨を摺りながらも態々答えているのは、その証拠といえる。


 「その言葉は信じられない。そんな術の存在を、わたくし達は知らない」


 「君達が知らなくても、実際在るんだから仕方が無い。何なら教えてやるぞ? ほれ、お前も立ってないで墨を摺れ」



 一馬は考える事をやめた。目の前の事実を受け入れるだけでも、一馬には至難過ぎたのだ。



 (まぁ、こんなので優秀な使い魔の作成方法を知る事ができるのだと思えば、確かに安いモンだわ……)


 田舎の書道教室みたいな妙な空気に包まれながら、一馬は、死んだ魚の様な虚ろな瞳のまま墨を摺るのであった。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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