第50話 空と蒼
「空と、蒼。共に参上いたしました」
招聘に応じて、二人の天翼人の娘が翔の執務室に現れた。
薄暗い部屋の中を明るくする様な、豪奢な金髪を肩の辺りで切り揃え、理知的な瞳は碧く澄み、背中には白の翼を持つ娘達であった。
二人の天翼人の娘は、姿形だけでなく、顔までもがあまりにも似通っていた。見た目の違いは、蒼の翼の先端の一部分だけ、黒く色付いている位であろうか。それ以外にぱっと見では、相違点を見つけ出すのは極めて困難に思えた。
「っんだよ。こんな夜更けに呼ぶんじゃねーよ、クソがぁ。嫁入り前の乙女にとっちゃ、安眠って本当に大事なんだぞ?」
蒼と呼ばれる娘が、一応は帝国の最高幹部の一人である翔に対して、かなり上等な口を利く。これだけで充分不敬罪が成立しかねない事案であるが、空が蒼に対し、キツい肘を脇腹にめり込ませる事によって、強制的に黙らせた。
「……来たね。君達にちょっとお願いしたいんだ。尾噛に味方をして、色々と手伝ってやって欲しい。相手は、牛田だ」
「はぁ。それは全然構いませんが……牛田家を相手に、わたくし達はどこまでやれば?」
翔に対し、無礼になるかならないかのギリギリの態度で、空と呼ばれる娘は受け答えをする。よく観察すると、時折欠伸を噛み締めていたりするので、ややアウトだと言えるのだが。
「そこは臨機応変に、かな? まぁ、尾噛が望むのなら、とことんやってくれて構わないよ。ボクはむしろ、そうあってくれると嬉しいかな-? とは、思っているけどネ」
強烈な肘鉄を脇腹に食らい、もんどり打って床で這いつくばる蒼を無視して、二人の天翼人は話を進める。
「でしたら、牛田家の者は完全に”排除”の方向で……と、お考えでしょうか?」
「いや、流石に此の時期に家を一つ潰すのは、体裁が悪いかな。でも、相手は今軍を動かしてきているからね……戦場での不慮の死。ならば、それはもう仕方ないよね?」
翔は少しだけ凄みを利かせた声を出し、悪人ぶって答えてみた。だが、天翼人の娘の心には何も響いた様子が無く、これは滑ったなという事実だけを、嫌というほど理解させられた。
「物見の報では、尾噛には次男坊と三男坊が出てきているらしい。婿養子の方はお留守番みたいだね。実績が欲しい二人の兄弟が尾噛で略奪。戦利品の功をもって、後継者への名乗りを上げるって感じか。あそこは今、後継者争いで揉めているからね。帝国としては、あの中では比較的マシな三男坊を、できれば担ぎ上げたいかなぁ」
「げほっ……じゃあ、アタシ達はそん三男坊ばとっ捕まえて、ここしゃぃ連れて来りゃあ良かとか?」
見事に決まった不意打ちがまだ痛いのか、蒼は涙目になりながらも何とか立ち上がる。
隠密の行を修めてはいたが、蒼はどちらかというと、目立ちたがりで荒事を好む傾向にある。なので、この様に力尽くの直接的手段に訴えた結論を導き出すのだ……根本的にこの仕事は向いていない様だ。
「いや、だからボクは『尾噛を手伝え』と言ったでしょ? でもまぁ、上手いこと戦場で出会えたのなら、そこは君達の判断に任せるよ。帝国としての最上は、三男坊を抱き込む事。でも、これに固執する必要はない。尾噛が望むのであれば、皆殺しでも全然良いよ」
考えている事も、言っている事も、本当に悪役そのものだなぁ……翔は苦笑しながらも、その役を演じきる事に決めた。正直な話、豪の尻拭いの日々に、いい加減飽き飽きしていたのだ。
「一番やっちゃダメなのは、尾噛を怒らせる事だけ。それ以外は、君達の好きにしたら良い。日頃の鬱憤を晴らすもよし、新技の研究をするのもよし……」
二人の前に緑茶と茶菓子を差し出しながら、翔は話を続ける。
「尾噛を怒らせなければ、君達は何をやっても良い。だけど、尾噛を怒らせたら……ボクは、君たちを絶対に許さないからね?」
二人の天翼人の娘は、久しぶりに思い出す事になった。目の前の天翼人の男の、本当の怖さを。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おっし。チビ骨、準備できたぞ」
チビの”馬の骨”だから、チビ骨か。変なあだ名を付けられたものだと、使い魔は一馬の壊滅的なセンスの無さに嘆息した。
一馬の持って来た荷物は、使い魔の目から見てもかなりの量に見えた。流石にこの量では、別に荷馬も要るだろう。
今回の目的は、何の準備もせずに飛び出してしまった尾噛の姫様に追いつく事である。機動力を重視したい所だが、姫の分の用意と、もしもの為の支援物資もこの中に含まれている。荷物を減らす訳にもいかない。
「頼んでいた”アレ”は、ちゃんと用意してくれたか?」
姫の為の食料や薬も重要だが、使い魔にとっては、もしもの為の物資の方が、より必要であった。これの有る無しで、今後の行動方針が左右される重要な物なのだと、本体からきつく命令を受けていたのだ。
「おう、抜かりないぜ。これのせいで、ずいぶんと宿にいる連中に恨まれちまった。しかし少々侮っていたが、一纏めにすると結構重いのな」
それらを束ねて入れてある袋を掲げ、一馬は荷馬に固定していく。袋の大きさにそぐわぬ重量感に、荷馬は戸惑いの声をあげた。
「ありがたい。後は、助っ人が来るのを待つだけだが……」
「あん? 俺だけじゃ信用できねぇってか?」
姫様に追いついて、後は尾噛の屋敷に連れて行くだけ。
道中に危険があるやも知れないが、その程度ならば、自分一人でも充分対処可能だろうと一馬は考えていた。
なのに、助っ人を呼んだと、目の前のチビ骨は言うのだ。都に来てからというもの、天まで届こうかというくらいに高かった一馬の増長鼻は、ペッキペキに折られ、ついには人並み以下になってしまっていた。
「そういう訳じゃない。こうやってお前を巻き込んだんだ。少なくとも腕は買っているさ。だがこの旅は、下手すると軍隊とやり合う危険がある。その時の弾除けは、多いに越したこたぁ、ねぇだろ?」
「……言うね。アンタとは、絶対に友達にゃなれそうにないわ」
いよいよヤバい状況になったら、お前を盾に使うぞ。と、面と向かって宣言されたのだ。はっきり言って面白くない。だが姫を護る為なら、自身を盾にする事なぞ一馬は決して厭わない。それ位の覚悟はできているのだが、それでもやっぱり面白くないものは面白くなかった。
「それで構わない。どうせ俺は、友達なんかいなかったしな……」
遠い目をしながら、泣きそうな表情を浮かべるチビ骨。触れちゃならない柔らかい部分を突いてしまったか? 一馬は今にも死にそうなくらいに寂しげな小人の様子に、一瞬謝ろうかと思案してしまったほどだ。
「一応の確認だ。俺が案内をする。祈を見つけ次第、お前に保護を頼みたい。安全面で言えば、この都まで戻ってくる選択肢が第一優先。場合によっては、尾噛の家に行くという選択もアリだ。あくまでも場合によっては、で頼む。問題は、敵の軍が近くにいる場合だ。この場合は、もう本当に行き当たりばったりになるだろう。その状況になってみなきゃ判らん」
小人はすぐに立ち直って、作戦の概要を、一馬にもう一度説明した。涙目のままだったので、完全復帰とはいかなかった様だが。
「元々有って無い様な作戦じゃねーか。本当に楽しい未来図だな。こういう時ってさ、不思議と最悪の想定が当たるんだよなぁ……」
「いや。お前が今最悪だと思う、その少し斜め下を想定しろ。大体そこより更にちょっとだけ下の辺りが、大当たりだ」
自身の考える最悪の状況より、実際に遭遇した最悪の状況の方が、より凶悪であるものだ。
少なくとも、その場における覚悟が違うだけで、気分は変わるのだから。そう使い魔は言う。潜ってきた修羅場の数が違うのだ。伊達にあの世は見てないぜ!
……という事らしい。一馬はそうやってドヤ顔をして踏ん反り返る小人に対し、生返事をした。
「”現実”という糞ゲーを超える代物は、他に存在しないからな。ま、それでも俺達はやるしかないんだ」
ペチペチと額を叩きながら、小人はどこか達観した表情で語る。『糞ゲー』という単語の意味までは判らなかった一馬だが、小人の言わんとする事は、何となくではあったが理解できた様な気がした。
「へいへい。んじゃ、その『糞ゲー』とやらを、とことん楽しんでみましょうかねぇ……」
自身が騎乗すると決めた馬の鼻を優しく撫でながら、一馬は使い魔の言葉に応じた。正直に言うと、馬はあまり得意ではないのだが、姫様の身の安全を考えると、そうも言ってられない。ここで覚悟を決める必要があった。
「お。どうやら、助っ人が来た様だな。あちらの”馬の骨”、使いこなせよ?」
使い魔は一馬の頭に飛び乗り、ペチペチと一馬の額をその小さな掌で叩いた。ずんぐりとした見た目と違い、羽の様に全くの重さを感じなかった為に、一馬の認識は一瞬狂ってしまった。
「ずっと、その”馬の骨”を引っ張るのかよ……しつこいぞ、お前」
「ふん。未だ俺を骨呼ばわりしてるんだ。それくらい許容しろ」
この奇妙な関係が、少なくとも姫を発見するその時までは続く。
それに関しては、多少……いや、もの凄く思う事がある一馬ではあったが、胸の片隅に僅かながらに、ワクワクとした奇妙な感覚も存在したのも事実だ。
────だが、まずは目的を果たさなければ。
敬愛すべき主君の妹君である祈を発見し、保護すること。そして、安全な所に移動すること。目標付近は、すでに戦場になっていてもおかしくないのだ。その安否が心配だ。
目の前に現れた、天翼人の二人の娘の手を借りて、場合によっては、自身を囮にしてでも……
前途多難とは、こんな事を言うんだろうか?
鞍に跨がるのにすら何度目かの失敗をし、一馬は今後の事を考えて暗い気持ちになった。
誤字脱字あったらごめんなさい。




