第5話 尾噛の家
尾噛家当主”垰”は、何故この様な場所にいるのか自問自答していた。
もうすぐ尾噛に新たな子が産まれるのに。
待望の正室”祀梨”との子が産まれるというのに。
何故か具足に身を包み、平原に展開する敵軍を見下ろしていた。
事の発端は、本当に他愛の無い農奴同士の小競り合いから。
それはいつしか、集落単位の諍いに発展し……
終いには家同士の戦になっていったのだ。
この様な場合、大体が”両家の戦力がぶつかってみせた”という既成事実を作り上げ、後はどちらともなく退いて白黒付けずに有耶無耶にするのが慣例である。
当然、事の発端になった農奴達は処刑され、争いに参加した集落には何らかの重い税が課せられるが、その程度と言えばその程度で済ますのである。
なのに……
今回はそうならなかった。
家臣達の最初のぶつかりで、相手側に何故か居たらしい貴族の子息が死んでしまったが為に、形式だけの戦が本当の戦に化けたのだ。
斥候による情報では、向こうの手勢は歩兵800と騎兵300程、伏兵無し。
こちらの戦力は騎兵500と後方待機の歩兵100程。
歩兵戦力を集める為に、この農期まっただ中である時期に徴兵するのは後々の財政に響く。
仕方なしに垰は家臣のみを引き連れてきたのだ。
不幸な偶然が……本当に偶然なのか疑わしい所はあるが……重なってこうなってしまったからには、白黒完全に決着を付けぬ事には武門の家名に傷が付く。
垰はややため息交じりに、全軍へ突撃の号を発するのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自身を太陽の化身と称する天帝に治められし、千年帝国『陽』
最古の史記に記録される記述が真実ならば、2000年近くも続く帝政国家である。
全盛期には大陸の大半を支配する巨大帝国であったが、今は中央大陸から追われ、海を隔てた列島の極一部を勢力下に治めるのみの名前負けした一小国に過ぎない。
「おや、尾噛の垰クン。戦の後にすぐ来てもらってすまなかったね」
「気にするな、鳳の。いくら何でも今回の顛末、帝のお耳にも入れておかねばならん」
背中に大きな翼を持つ天翼人である、翔は垰にもう一度頭を下げた。
「そう言ってもらえると助かるよ……どうも相手方の、小田切のご子息の件なんだけど、未だに証拠……っていうか、ぶっちゃけ遺体が出てこないんだ」
今回の戦の本当の理由である貴族の子息の件が、どうやらただの言いがかりなのではと垰は疑っていたが、どうやらその様である。
当初、その様な書簡が届いた時に垰は一笑に伏して放っておいた。
それなりに高い身分の人間が、武勲を誇る価値の無い場所にのこのこと出しゃばって死ぬなんて、正しく笑い者になるだけの馬鹿の所行なのだから。
そもそも当事者の牛田家の筋でも無い、全く関係の無い小田切の息子が、その場所にいて良い訳も無のだが。
「もしかしたら、近く縁類の契りが行われていたのやも知れないが……だったらなおさらその様な場所に顔を出すなんて、馬鹿だと笑われても仕様のない話ではあるんだけれどね……」
「まぁ、牛田の名が出てきた時点で俺は警戒してたがな。どうせ今回も、牛頭の奴の嫌がらせだろうさ」
牛頭 豪
陽帝国の武門を受け持つ四家の一つ。
牛頭、鳳、牙狼、尾噛の”四天王”であるその筆頭が豪である。
帝国古参の直臣であり、100年以上続いたとはいえ、まだまだ新興の尾噛への不快感を隠そうともしない人物である。
垰は豪と顔を合わせると必ず「”偽物竜”の尾噛」、「”尻尾無し”の尾噛」と侮蔑を込めた呼ばれ方をされる。
初代”駆流”に確かにあった尾だが、その後に尾噛の血より生まれし竜鱗人には尾が無かった。
大陸に少数ながら点在する竜人は全身を覆う鱗といい、角、翼、尾を持ち、竜に近い特徴を持った種族である。
それと比べれば、確かにぱっと見ほぼ人類種に近い尾噛家の者の姿が、彼の目には偽物に映るのだろう。
確かに尾が無いのでその通りだとしか言えない垰だが、豪の明確なまでの侮蔑と敵意の声にどうしても昏い殺意を覚えるのである。
「豪君がなんで君の事をあれほど嫌えるか、一度聞いてみたい所ではあるけどね。でも、本当に君には悪いが、今回の件を追求しないでおいて欲しい。どうも色々と周りがキナ臭い事になってきててね、足並みを乱されると非常に困る」
貪欲に周囲の小国を飲み込んで勢力を拡大している国が2つほどあるが、その事を翔は言っているのだろう。
まだ国土は隣接していないし、それに本国との間に季節によっては潮の流れが激しくなり渡るのが難しくなる海峡もある。
近く戦になる事は無いだろうが、かといって火種を国内に燻らせる訳にもいかない…
四天王の中でも特に内政にも深く関わっている翔には一方的ではあるが、牛頭と尾噛の不仲は非常に頭の痛い問題でもあるのだ。
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「おかえりなさいませ、お館様」
使用人数名を伴い、布勢は垰を出迎えた。
「布勢か。留守中変わりは無かったか?」
「ひとつ。祀梨様が無事ご出産あらせられました……」
母体毎子供を呪殺するのすら実行に移した布勢だが、ここに来て自身の幸運にほくそ笑んだ。
何だ、無理に危ない橋を渡る必要なぞ無かったのだと内心喝采を叫ぶ。
「おおっ、そうか! はよぅ顔を見せねばなっ」
「その前に、まずは御身をお清めに。祀梨様のお身体に障りましょう」
すぐさま旅の汚れを落とし、垰は祀梨の待つ奥へと向かう。
くだらない戦のせいで延ばされた、我が子との邂逅。
誕生の瞬間に立ち会えなかったのは残念だが、それはそれ。
期待に胸を一杯にする垰には、離れに向かう廊下の距離すら煩わしい。
祀梨との子は、初代をも超える”大器”になるのだという。
成長すればさぞ雄々しく、歴代を超える武勲を立て、尾噛の名を世に轟かせる事だろう……
「祀梨っ! 帰ったぞ!!」
乳飲み子を抱えた祀梨は、床の間にて最愛の夫を出迎えた。
「おかえりなさいませ、お館様。ほんにかわいらしい女の子でございますよ」
その言葉を聞いた垰は
「何と…男の子では…ない……と、な?」
深い、深い、失望感を覚えたのだった。
次からようやく主人公が登場します。
誤字脱字あったらごめんなさい。