第48話 それぞれの
「敵襲ぅー! 敵襲だぁぁぁぁぁぁ!」
今や陣内は混乱の極みにあった。夜の静寂を引き裂くかの様に、突如陣地の中央より火柱が上がり、周囲が瞬く間に炎の世界に変わってしまった為だ。
考えられるのは、敵の魔術士達の手による奇襲。
火矢では、この様な地獄そのものの光景を、瞬時には作り出せないからだ。
「落ち着けっ! 落ち着きやがれっ! まずは消火だっ!」
半裸の男が大声を上げて、混乱の最中にいる部下を叱咤する。男が出てきた天幕から女達が顔を出し、炎の世界と化した様子に声を失っていた。
男は半裸のまま、周囲の兵に指示を飛ばす。
男の声は良く通った。男が一つ指示をする毎に、炎のまっただ中に居るにもかかわらず、兵達は徐々に混乱から脱していった。
「消火急げっ!」
混乱から脱するまでに要する時間で、兵達の練度が判る。この軍は良く練られている様だ。その後の消火作業の手際の良さが、それを示していた。
「逃げる奴はかまわん、射殺せ! 役立たずを生かせておくほど、俺達にゃ余裕はねぇぞ!」
だが、その一方で急遽駆り出された農民兵は、こういう時に脆さを露呈する。散り散りに逃げ惑う農民兵に対し、無慈悲にも射殺の号が飛ぶ。焼け死んだ骸の上に、味方の矢によって倒れた者が折り重なる。その光景は正に地獄であった。
「報告っ! 辺りに敵影無し」
「あん? こっちは混乱の極み。奇襲成功の絶好の機会だってのに、一発カマしただけで終わりかよ。”尾噛”は腰抜けかぁ?」
男は消火作業と同時進行で、脱走兵の処刑と、反撃のに向けた準備の指示をしていたのだが、どうやら当てが外れた様だ。
肩すかしを食らった態の男は、頭をかきながら被害状況を確認した。陣中の真っ只中で、凄まじい熱量の火柱が上がったのだ。本音を言えば具体的な数を知りたくはない。だが、ここは敵地だということを、今の奇襲で改めて実感したのだ。生き残る為には必要な事である。
「へっ、へい。物資と餓鬼共は問題ありやせん。ですが、兵は……」
「どんだけ残ってる? まともに動ける奴だけで良い」
男の問いの意味を理解した兵は、ごくりと唾を飲み込んでから答えた。
「動けるのは、ざっと百。あとは……」
自軍戦力の7割強を、たった一撃の魔術で喪ったと云うのか。
男は一瞬だけ、その理不尽さに顔を歪めた。だが、すぐに表情を消す。こんな時こそ、冷徹な将でなくてはならない。そう自身に言い聞かせながら。
「……そうか。じゃあ、今すぐこの場を離れるぞ。ガキ共と、戦利品は一カ所に集めて撤収だ。動けない奴は見捨てろ。いいな?」
男の指示には、慈悲の欠片も無かった。
動けない者は要らない。男の意図は明確で苛烈であった。効率良く軍を動かすのであれば、この位は平気でやれ。男は、子供の頃からそう教わってきたのだ。
(参った。まさか軍を分けた端から奇襲を受けるたぁ、本当に俺はツイてねぇ。こうなったら、兄者に頭ぁ下げて合流するしかねぇな。その為の”手土産”はちゃんと持って行かねぇと……俺の命も危ねぇな)
ツイていない将。その男の名は、牛田猛。牛田の家の三男坊だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「敵軍、混乱してござる」
「そうであってもらわなきゃ困る。祈はどうだ?」
「……ダメ。何の反応もないわ。このままだと……」
広域殲滅魔法である煉獄を敵の陣地真っ只中に撃ち込み、牛田軍に甚大な被害をもたらした破壊者は、今やその生命が危うい状況にあった。
祈が引き起こした破壊の代償は、とてつもなく大きいものであった。
断末魔とは、魂の持つ瞬発力そのものである。その力は強大で、熟練の術者の結界すら容易に貫通する。
肉体と精神が万全な状態であれば、意思の力によってそれを跳ね返す事もできるのだが、あの時の祈のコンディションは、最悪と言っても過言では無かった。
長時間の移動と慣れない野宿。さらにまともな食事を摂っていない上に、霊力を削る鎮魂の義。そして精神と体力を削り続けた埋葬作業……
その様な最悪の状況に追い込まれていた上に、それを自身の異能によって、全て集めて受け止めてしまったのだ。断末魔のその間際を、何度も何度も心に受けて……
言うなれば祈は、自分の放った魔法を数百回喰らい、その回数分の死を一度に体験したのだ。精神が、肉体が保つ訳などない。
「断末魔の感覚に引き摺られているんだ。俺も経験がある。応急処置にもならないかもだが、<持続系精神回復術>と<持続系回復術>だ。武蔵さん、俺達はここに穴掘るぞ。祈の身を隠さないとなっ」
「承知っ」
広範囲魔法である煉獄を、陣地のど真ん中にまともに喰らったのだ。すぐに混乱から立ち直る訳はないだろうが、用心するに越したことはない。何せこちらは霊魂だ。肉の身を持つ者に直接的な干渉はできないのだから。
完全に無防備な状況である祈を隠す。
これはまず大前提。発見され難くするためには魔術で隠蔽する必要があるが、これは俊明の<対人認識阻害結界>と、マグナリアの<透明化術>で対処できる筈だ。
「こういう時、拙者本当に役立たず侍であるのは変わらんでござるなぁ……」
武芸には一心に力を入れてきたが、術はさっぱり手を付けなかった事に、こういう時に後悔するのだと嘆く役立たず侍。
「ボヤくなよ、武蔵さん。イザとなれば祈に憑依してくれりゃ解決だろ?」
「……それでござるが、先ほどチラりと試してみたのだが、ダメでござった。どうやらアレは、祈殿の異能があってはじめてできる反則技の様で」
いざ敵に発見された場合、武蔵が憑依すればあっと言う間に問題解決できるのでは?
等と俊明は考えていたのだが、武蔵のその発言により完全に当てが外れてしまった。俊明は薄くなった額に手を当て星空を仰いだ。
「困ったわね。あたしもそれをアテにしていたのだけれど。でも、今は下手に動かさない方が良さそう。混乱から立ち直ってきたみたいよ。ほぼ火が消えているわ」
マグナリアの指摘通り、敵陣に上がっていた火の手は徐々に弱くなってきていた。問題はここからと言える。敵陣から斥候が放たれた時からが、賭の始まりなのだ。
「これ以上術を重ねるのは、流石に不味いだろう。下手すると逆に注目を集めちまう」
「でも、イノリの煉獄に対応出来てなかった所から考えると、あちらには術士がいなさそうだけど?」
「……相手は敵地という事を忘れていた節がござる。不意打ちにあの様な強力な魔法を撃ち込まれて、まともに対処なぞできようものか」
拙者なら真っ先に逃げるでござる。そう相手を擁護するかの様な発言をする役立たず侍。
「ま、武蔵さんの対応が正解だろうな。相手側に術士が居る。こういう時は、常に最悪の場合を想定しておくべきだ。そうなる前に、俺が用意したアレが間に合えば良いんだが……」
「アレとは?」
「いや、ここは勿体ぶらせてくれ。最近俺の株が急降下し過ぎたからさ」
寂しい額をピシャピシャと俊明。いくら叩いても増毛には効果が無い様だが。
「大丈夫よ、これ以上下がる事は無いと思うから。上がるかは……どうかしらね?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「軍を分けて正解だったな。あいつめ、俺の意図を理解していながら乗ってきやがったが。さて…」
本陣の将である牛田の次男坊の葉は、今回の策に自信を持っていた。
猛に兵力を与え、遊撃隊とする。あいつは略奪をさせたら天才と言って良い。本当に効率良く、確実にせしめてくる。猛が派手にやればやる程、こちらの利が増えるだけでなく、確実に尾噛へ損害を与えられる。
そして、派手に動けば当然敵の標的となるだろう。そこで猛が敗れるなら、あいつはそこまでだ。競争相手が減るのは喜ばしい事だ。もし少しでも踏ん張ってみせてくれるなら、後背に廻り尾噛を挟撃もできよう。どちらに転んでも葉は困らない。
また逃げ帰ってきたならば、その時はその時だ。失敗の責を問えば良い。
そろそろ尾噛が軍を編成して、こちらに向かってくる頃合いだ。このまま猛を殿として置いて、自領に退くという手も悪く無いかも知れない。自分が生き残って尾噛領を存分に引っかき回したという実績さえ作れれば、それで良いのだ。
葉はとにかく実績が欲しかった。現当主は病気でもう長くはないだろう。長男は、どこの陣営の手かは判らないが毒を受け瀕死の状態。後は三男の猛と、婿養子の黄の三人の争いなのだ。
今回の侵攻は、猛との共同での立案である。牛頭の頭からの情報が本当に役に立った。相手当主不在の内に、できる限りの略奪と破壊工作を行う。
縁戚である牛頭家の庇護がある限り、帝国は絶対に動いては来ない。それはここ十数年変わらない牛田の”特権”と言えた。あの尾噛がじっと耐え、帝に訴えを起こすこともなかったのだ。
だから、今回も大丈夫だ。
存分に奪い、犯し、侵す。たらふく肥えて凱旋をしよう。その時が俺の勝利の時なのだから。葉はそんな自身だけにとって輝かしき未来を妄想していた。
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「これ以上は無理か?」
「はい。先代に随行した戦力は、そのまま喪失してしまいましたので……」
望は本家に戻り、かき集められるだけの兵をかき集めた。
だが、その戦力の3割近くが新兵である。まだ訓練も覚束無い状況で、恐らくは使い物にすらならないだろう。傭兵を雇う暇などは当然無い。だが、文句ばかりも言っていられない。
望が帰還する少し前に、領境に在る伝令から牛田の侵攻の報が本家に届いていた。
その一報を受け、家宰は即座に迎撃の編成に当たっていたのだが、兵力の大半を失ったままのこの様な状況なのであった。
数の面だけで言えば、相手の半数に届くかどうか。そして、その内の約三割もが新兵なのである。望は頭の痛くなる状況だった。
どうやら相手は、この時の為に然と準備をしてきていた様である。一地方領主が無理なく持続的に用意できる兵数を、優に越えていたのだ。傭兵を雇ったか、農民を徴兵したのか……或いは、その両方かも知れない。
「この際、贅沢は言ってられないか。仕方ない、これで編成急げ。夜明けと共に出立だ」
「御意に」
強行軍による疲労で、立っているのもやっとの状況なのだが、これ以上自領で我が物顔で好き勝手させる訳にはいかない。望は自身の両頬を叩き、活を入れた。
「牛頭の亡霊よ。今度こそ、僕はお前を断ち切ってやる。そうしなければ、尾噛に平穏が訪れないのだから」
自身も今回が初陣だ。この先に何が待つのか。
父が幾度も経験した戦場。その領域に、明日足を踏み入れるのだ。
この震えは、きっと武者震いに違い無い。
常に将であらねばならぬ望は、自身にそう言い聞かせ続けた。
”恐怖心”は抑える事が難しいのだと、この時望は初めて知ったのだ。
誤字脱字あったらごめんなさい。




