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第46話 強行軍



 月明かりが照らす街道を、少女を乗せた馬がひた走る。


 馬は人より優れた視覚を持つ動物である。月明かりだけでも、走るのに支障はない。騎乗する祈は、夜目の訓練をしていない。視界が悪く少々怖い思いをしている様子であるが、これはそもそもの生物としての仕様の差だ。仕方の無い事である。


 「なぁ、祈」


 「何、とっしー?」


 初めての事もあって、神経をすり減らしながらの騎乗である。正直返事をするのも辛いのだが、律儀に答えてしまうのが、尾噛祈という少女である。


 「……言っちゃあ悪いが、この馬、なんか遅くね?」


 「うん。お馬さん達には『体力、持久力に自信はあるか?』としか聞いてないからね。この子、脚はそんなでもなかったのかも?」


 馬の選定に際し、祈が馬たちに個人面談を行っていたのでそれに任せていたが、引いたのがどうやら見事に()()()の馬だった様だ。俊明は少し寂しくなった額をペシっと叩いて、ダメじゃんと呟いた。


 「拙者がざっと看た感じではござるが、望殿は本当に見事なまでに、アタリの馬だけを選んで持っていったご様子。祈殿が選んだそれは、残りの中では比較的マシな部類でござるよ」


 武芸百般に精通している武蔵は、馬の目利きも然とできる様だ。祈の選んだ馬は、ほぼ当たりくじだけが抜き取られた状態の馬小屋の中では、まだアタリの部類であると助け船を出してくれた。


 「しかし、まぁ脚の面で言えば……確かにそこまででござろうなぁ……」


 だがそれは、あくまでも”あの中では”という注釈が付く評価でしかないのだが。


 「うーん。二人にそこまで言われちゃうと、もっと脚の速い子を選べば良かったのかなぁ?」


 どんなに急いでみたところで、馬が脚を止めたらそこで終了するしかない旅である。なので祈は、馬を選ぶ際に持久力を優先したのだが、それだけに偏重し過ぎたのでは? という後悔が、二人の守護霊の反応によって少しだけ出てしまった。


 「そんなに急いでいるなら、この子に<身体強化(ブーステッド・ボディ)>の魔法をかけなさいな。その代わり、あなたが振り落とされる危険が出て来るけど」


 馬に強化魔法をかけて先を急ぐか、自身の安全を取るかの二択である。これには祈も正直迷う。乗馬はそれなりに自信があったのだが、今は視界の悪い夜だ。平衡感覚すらまともに保つ事が困難な状況なのに、そこに加速が付くと云うのだ。これは怖い。


 「悩むなぁ……でも、確かに急いだ方が良い状況だもんね」


 祈を乗せた馬が鼻を鳴らす。散々頭上で遅いだの、ハズレだの、まだマシだのと言われ続けたら、旋毛を曲げても仕方の無い事であろう。だがこの馬は、自身の脚の遅さを気にしていた様子である。


「……やって良いの? ごめんね」


 ”俺に魔法を使え”。そう馬は言ったのだ。祈はその気持ちに感謝しながら、身体強化の魔法を施す。


 一気に加速が付く。


 周囲の視界はあまり良くないので、どれだけの加速なのかも祈には見当が付かない。だが、流れる風の質は明らかに変わった。暦の上では春にさしかかった頃だが、夜風はまだまだ冷たく、そして痛い。頬を掠めるその痛みに祈は耐えるしかなかった。


 夜明けにさしかかった頃、祈達は休憩を取った。身体強化の魔法は、やはり馬体に多大な負担をかけてしまっていた。耐久力に自信のある馬であったのだが、体力の限界を迎えたのか、遂に脚を止めてしまったのだ。


 近くの川から水を汲み与えた所で、祈は<持続系回復術(リジェネ)>を施した。これで半刻程である程度の回復をするはずだ。


 「お前も少し休め。慣れない夜通しの強行軍だったからな。その間は、俺達が見てやっから」


 「休める時に休む。これは戦場に生きる者の常識でござる」


 「何なら、あたしが添い寝してあげてもいいわよん」


 「うん、ありがとう。そうするね」


 本当は馬が回復したらすぐにでも先へ向かいたかったのだが、今は守護霊達の好意に甘える事にする。目的地に着いたところからが始まりなのだ。終着ではない。折角到着しても、体力が保たなければ話にならないのだから。


 予備の外套をさらに被り、木にもたれかかる。気が昂ぶって寝られないかも? という不安をあっさり裏切り、祈は直ぐに深い眠りへと落ちていく。やはり慣れない事はしない方がいいね……そんな事を思いながら。



 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 馬に頬を舐められる感触で、祈は目を覚ました。


一刻近くも正体無く眠ってしまっていたのか、意識が落ちる前はうっすらとしか見えていなかった太陽が、いつの間にか全身を晒していた。


 少々無理な姿勢で寝た為に、凝り固まっていた身体を解す様に伸びをする。バキバキと嫌な音が全身から聞こえる。毛布くらい持ってこれば良かったと少し反省をした。


 最初の計画では、ほぼノンストップでの強行軍を想定していたのだから、そもそも毛布やらの野営用品を用意する筈などない。予備の外套を持っていた事すら、僥倖と言えたのだ。

 検めて考えてみたら、ものすごく甘々な見積もりだったなぁ……と、祈は昨晩の自分を殴りつけてやりたい気分で一杯になる。


 川辺で馬と一緒に水を飲み、祈はもう一度馬上の人となる。


 「せめて胃に何か入れた方がよろしいのでは?」


 いざ向かおうとした矢先、武蔵が身体を気にしてか祈に声をかけた。休める時に休む。の他に、食べられる時にはたらふく食べる。が戦場の常識にはあるのだという。


 確かに携行食になり得るものは、祈はいくつか用意をしてきてはいた。だが、正直言ってどれも胃が受け付けそうにない。胃の辺りをさすりながら祈は、まだいいと短く答えた。


 (やっぱりお姫様だな……こんな経験した事無いんだから仕方ないが、繊細過ぎる……)


 俊明は、武蔵とマグナリアに目配せをする。常人の身体能力のそれを逸脱してきてはいるが、やはりこの娘は、温室育ちのお姫様でしかないのだ。最悪の状況になる前に、何とかしなくてはいけない。いざという時の覚悟を、守護霊達も決めねばなるまい。



 祈は、更に馬を進める。望達が東回りを選択した分岐点を通り過ぎ、西回りルートに入る。その先は牛田領を通る為、あえて望はその道を外したのだが、そんな事情を俊明達は知らない。最短距離をそのまま突っ切る形となった。


 馬を走らせ続け、日が天頂にさしかかった頃、街道の様子が一変した。


 良く整備され慣らされていた筈の街道は、小石や砂利が散乱し()()()()が目立つ粗道へと変わり、その周囲には(あば)()が建ち並び、荒れた土地の周りには、痩せこけた子供達が、手足を投げ出すかの様にじっと座っていた。


 小石を撥ねてしまわない様に、馬の脚をおさえ、ゆっくりと荒れた道を通り過ぎる。子供達は顔を動かす事なく、異様に飛び出た目玉を祈に向け、じろりと睨み付けてきた。実際は、ただ珍しい旅人に目を向けただけに過ぎないかも知れない。だが、祈はそう感じてしまった。


 (ここの領主はダメ臭いな。尾噛領は昨年豊作だったんだがなぁ。近隣の領でここまで差が出る訳無いだろうに……)


 (子は国の宝にござる。この(ざま)では、民草から相当絞っておるやも知れん。街道も等閑(なおざり)にしておる様では、公共事業に関心も無いのでござろうか。この国の管理体制には、拙者熟々(つくづく)疑問しか沸かぬよ)


 (変なのに巻き込まれる前に、さっさと抜けてしまいましょう。何か嫌な予感がするわ……)


 (だな。ここは陰の気が濃すぎる。ただの人でも魔に魅入られる条件が整ってら。あと祈、変な気は起こすなよ?)


 俊明が、祈に釘を刺す。その言葉の意味を一瞬理解出来なかった二人だが、すぐに思い当たり同様に頷いた。


 (お前、今こいつらに施しをしようと考えただろ? そんなのは欺瞞だ。お前の少ない手持ちじゃ誰も救えないし、もし一人に与えてしまったら、この場にいる全員に与えなきゃならない。人数に足りなきゃ、それが争いの引き金だ)


 人間は”足りる”という感覚が薄い。人間の欲とはそういうものだ。

 施しを受け感謝するのは一瞬。そして目の前でそれを受けた者を羨むのではなく、貰えなかった者はそれを恨む。些細な仏心は、奪い合いという争いの切っ掛けを作るだけでなく、それによって恨まれ身の危険を晒す可能性や、まだ持っているだろうと襲われ、身ぐるみを剥がされてしまう可能性すらあるのだ。


 (祈殿、お気持ちは解りますが、ここは俊明殿の言う通りにござる。根源を正さねば、どだい無理な話でござれば。ここは早々に立ち去るが良いかと)


 (イノリ、あなたのその気持ちは大事だけど、だからと言ってその気持ちによる行動は、決して正しい訳ではないわ。酷な事を言うけれど、もしこの子達が立ちはだかって物乞いをしてきたら、そのまま馬で蹴り殺してしまいなさい。そうしなければ、今度はあなたの命が危うくなる。あなたのそもそもの目的を思い出しなさいな)


 守護霊の言葉は尤もである。


 そう理性は告げるのだが、祈の気持ちは否だと言う。

 確かに手持ちの携行食だけでは、一人の腹を満たす事すら叶わない。そして、手持ちの路銀を全て投げ打ったとしても、おそらく十日も保たないであろう。そもそも、この荒れ果てた街道の村では、銭が使える環境に無さそうではあるが……その気持ちを押し殺し、祈は馬の脚を少し早めた。



 日が沈みかけ、辺りが夕闇に覆われはじめた頃、遠目に複数の煙があがっているのが見えた。この先にある村の人々の夕餉の支度によるものかと思われたが、夕方特有の冷たい空気に乗る臭いは、それとは違うのを確かに伝えてきていた。


 「……不味いな。どうやら俺達は、敵の通り道に入ってるっぽいぞ」


 「先行する望殿は無事であろうか? 敵軍と鉢合わせしておっては洒落にならんのだが」


 「ちょっと見てくる。待ってろ」


 言うが早いか、この先の村の状況を確認するために俊明は跳んだ。霊には空間と距離の概念が薄い。すぐさま目標に到達する。


 「……これを伝えなきゃなんねぇのか……嫌だなぁ」


 失敗したなぁと、薄い額をピシャピシャ叩きながら、俊明は村の惨状に顔を顰める。

 こんな事なら、全てマグナリアに押しつければ良かった。あの鬼女なら冷静なままに、祈に様子を伝えられたであろう。

 だが、俺はダメだ。嫌が応にも被害者の意識が触れてしまい、どうしても感情が引っ張られてしまう。

 そんな自身より、更に色濃く()()()()()()()あの娘はどうだろうか?

 この場を取り繕ってでも避けるべきではないか。そんな考えが次々に浮かんでは消えるが、この先は全て同じ状況であるのだと思えば、この選択は適当ではないだろう。俊明は腹を括る事にした。


 「この先は村があったが、全滅だ。ほぼ焼き尽くされている。生者はいない」


 「そう、そうだろうね……」


 俊明の予想に反して、祈の反応はあまりにも薄かった。ある程度は覚悟をしていたのだろうか。この先を迂回するか? との問いには、祈は首を横に振った。


 集落は完全に焼け落ちていた。僅かにここが家であったとのではと判る程度の焼け跡しか残っていなかった。人の骸と思しき焼け焦げた残骸は、周囲に無数に散乱していた。俊明の言うとおり、全滅であった。


 俊明は顔を顰めた。生まれ持った”異能”のせいで、無残にも殺された人々の間際の感情が強制的に流れ込んで来るためだ。修行の成果によって意識を乗っ取られる事は無いが、それでも少しでも意識を向けてしまったが最期、この場に留まる限り延々と断末魔を聞く羽目になる。


 その事に思い当たった俊明は、咄嗟に祈を中心に結界を張ろうと印を結ぶ。自身の異能より遙かに強力で過敏な祈では、断末魔達のせいで意識が押しつぶされるのではないか? そう思ったからだ。


 だが、その守護霊の心配は杞憂であった。祈は無残に殺された人々の意識に触れて押しつぶされるどころか、断末魔達を優しく慰撫し、次々に浄化していたのだ。


 淡い燐光に包まれた少女の姿に、人々の魂は癒しと救いを求め、そして少女の慈悲を受け天へと還っていく。俊明達はその姿に、久しく無かった涙が溢れる感覚を味わっていた。


 「あいつの”異能”は、これこそが本来の姿、なのかも知れないな」


 「然り。我らはこれを、今後も大事に育てていかねばなりますまい」


 「あたしには絶対できないわ。イノリはやっぱり凄い子ね……」



 夜のとばりの真ん中で少女の放つ淡い聖なる光だけが、廃墟の村を優しく照らしだしていた。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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