第45話 戦場へ
「牛頭めっ! あの時然と斬り捨ててやったと云うのに、まだ祟りおるかっ」
望は急いでいた。用意できるだけの早駆けの馬をもって、尾噛領に戻るために。
馬が不得手な者は置いてきた。祈に付けていた女房衆やその他徒歩組も、同様に全て帝都に置いてきた。そして、この早駆けに着いて来られない者は、その場で見捨てる。事態は刻一刻を争うのだから、徹底的に無駄を省く必要があるのだ。
翔からもたらされた悪い知らせに、望は怒りを堪えるのに苦労した。牛田は、『迷惑な隣人』として、尾噛の家の記録にある家であった。”迷惑”と称するには、その被害はあまりにも大きすぎたのだが。
そんな”傍迷惑な隣人”どもは、家主の居ぬ間に強盗を働こうと、こうして堂々と兵を挙げたというのだ。到底許せる筈もない。
望は、自身の浅はかさを呪いもした。そんなはた迷惑な隣人の存在を、翔から名を聞くまで忘れていた。自ら備えを怠っていたのだ。自分の落ち度によって、怒り狂うのは、将として恥である。
野盗に扮し、領に隣接する村々から略奪したり、水源を荒らしたり……嫌がらせを含めたら、それこそ毎年何かしらの被害を、尾噛は牛田から受けていた。
当然そういった時の為に、備えの兵は配置しているのだが、今回は数が違う。一方的な虐殺で終わるだけであろう。
領内で兵を掌握し、迎撃する。それまでの猶予はどれだけあるか……判らない事だらけの初めての事だらけだ。正直言って、何をするにも時間が惜しい。望は焦っていた。
帝都から戻る行程にも問題があった。山越え西回りの最短距離を選択した場合、牛田領を抜けるルートになるからだ。最悪、行軍中の牛田と鉢合わせる可能性すらあり得る。
時間はかかるが、海岸線沿いを抜ける山越え東回りを行くしかない。その場合、一日近くの差になってしまうが、身の安全を考えれば、これはもう仕方がない。
休み無しのぶっ通しで駆ける事ができれば、約一日半。それでは馬も人も保たないので、最低限二日と半分はみておかねばならぬ。それでもそれを行う人間の体力を考えれば、本当にギリギリになる筈である。
祈が絶対に付いていきたいと懇願してきたが、望はこれを却下した。
戦場に女子供を連れて行くのは、周囲の士気にも関わるし、何より彼自身も初陣である。いくら妹が常人より遙かに勝る能力を持っていようとも、もし乱戦に陥ってしまえば、そんなものは誤差にもならぬ。護りきる自信が無い。
三人の守護霊達も、祈の参加希望に対し反対に廻ってくれた事が幸いした。渋々ながらも祈は受け入れてくれたのだ。
これで望は、漸く後顧の憂いが無くなった。
「急げ、急げ。急げっ! 尾噛の土地に生くる民を護る為にっ! 我らの存亡、この行動如何で決まるのだっ!!」
望は急いでいた。尾噛領に生きる民を守るために。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……おひい様、完全にダラけてますねぇ……」
尾噛の姫様がやる気の無さそうな様子で、部屋の片隅でご~ろご~ろと転がっていたのを、一馬は呆れた声で窘めた。
一馬はまだ病み上がりということで、今回の随行は許されることはなかった。一馬の馬を操る術は、お世辞にもあまり巧みとはいえなかったので、もし随行が許されていたとしても、恐らくは見捨てられる一人になりかねないのだが。
なので、一馬は尾噛の姫様のお守りを買って出た。赤髪の大女から貰い受けた魔導書を読む時間には丁度良い。という具合である。
姫様お付きであった”馬の骨”三人が、何処に行ったのかは、一馬は知らない。だがこの都では、この姫様をどうこうしよう等と考える不届きな輩はいない筈だ。
なにせ、目の前のダラけきったはしたないお姫様は、竜王を使役する竜使いなのだと、巷では畏怖と憧憬をもって呼ばれている少女である。もし彼女を怒らせてしまったら、黒い竜が現れ、即座に食い殺されてしまうだろう……と。
あの”竜”は式神の一つであるのだから、厳密に言えば、その評判は全く見当違いも甚だしい。だが、そんな違いを、一々指摘し訂正するのも面倒臭い。だから噂が流れるに任せていたのだが。
「だってさぁ、兄様付いてきちゃダメって言うんだもん。私だって、”尾噛”なんだから、お手伝いしたかったってのにさぁ……」
ぶつぶつと、この場に居ない当主に文句を言い始めるお姫様。
過保護だの、妹魂だの……その内、家臣として聞いてはいけない単語がチラホラ混じってきたので、一馬は慌ててそれを止めた。
「まぁ仕方ありませんぜ。何せ今度は、個人技だけでどうこうできる話じゃありませんからね。当主様だって、おひい様がお強い事はご承知の筈。それでも同行させなかったのは何かお考えがあるんですよ」
こういう時、自身の語彙録の無さを思い知らされる。一馬は良い文句が思いつかずに、当たり障りの無い言葉しか、紡ぐ事が出来なかった。一馬は心の中で、自分の尻をひっぱたいていた。
「私なら、後ろから広域殲滅魔法”煉獄”でまとめてドーンできるのになぁ……」
一馬は我が耳を疑った。
(は? 今、おひい様は煉獄って言ったか? おいおいおいおい……そんな超々高等魔術、俺は使えねぇぞ)
火、水、風、土、光、闇。
各属性の中級魔術のどれかを収得すれば、一人前の魔術士として扱われるのが、この世界の常識である。それこそ、上級魔術を収得できた者は超一流の魔術士と言われる程だ。
一馬は、全属性の中級魔術の全てを修めていた。それだけでも彼が非凡な魔術士である証なのだが、こと上級魔術となると話は別になる。呪文を覚えるだけでなく、収得には魔術そのものと契約をせねばならないからだ。
上級魔術が記された魔導書を手にする機会があって、初めてその収得の足がかりになる訳だが、まず此の時点で、大半の魔術士が篩に落とされる。それだけ魔導書が貴重な物であるからだ。
その後、古代語で記された呪文を全て覚える必要がある。ここで落ちる魔術士はまずいない。そもそもその様な所で躓いていては、その時点で中級の収得すら怪しいからだ。こうして覚えた呪文の詠唱中に、魔術側から術者の選別が入る。
上級魔術には”意思”が存在するのだ。
術を使いこなせる素養があるか?
そして行使するに足る資格があるのか?
ここで多くの魔術士が、個々の術の”意思”により、更に篩にかけられる。
祈は、マグナリアの手ほどきにより、全ての上級魔法との契約をすでに終えていた。祈がその気になりさえすれば、マグナリアと同等の事はできる筈である。ただ、未だそれらを使う機会が無かったのだが……
「へ? お、おひい様。今、煉獄とおっしゃりました、か?」
「うん。言ったよー。まだ使った事ないけどね。でも、ちゃんと契約は済ませてるよー。私の魔術の師匠はマグにゃん…ああ、赤い髪の女の人だかんね。あの人に使えない魔術は無いって言ってたよ」
一馬の戸惑いを孕んだ問いに、祈は気怠げに答えた。
上級魔術収得の機会があるだけでも凄い事なのに、さらに契約まで済ませているという。しかも師があの大女だというのだ。もう一馬は笑うしかなかった。
「ああ、漸く納得できました。あの大女の手なら、おひい様が超一流の魔術士になるのも頷けます。いや、本当に羨ましいですよ。私も教えを請いたいものです」
(俺じゃ、おひい様の護衛なんて無理だわ。端から住む世界が違いすぎる……)
護衛ではなく、お守りとして志願して正解だったな……
一馬は魔導書に眼を落としながら、当主の前で格好付けなくて良かったと胸をなで下ろしていた。
(誰が大女よ。まったく、失礼こいちゃうわ)
一般人の眼しか持たない一馬は気が付かないが、その大女は目の前に居た。確かに一般の女性のそれよりは遙かに大きい自覚はあったが、まさか世の男性から『大女』の評価を下されるとは思ってもみなかっただけに、大女の受けたダメージは割と深かった様である。
(いや、お前本当にデカいから。俺よりタッパあるだろうが)
そうツッコミを入れる俊明の身長は、現代男性の平均身長より僅かではあるが超えている。マグナリアはそれを優に越えていたのである。この時代の男性から見れば、大女と言われても仕方が無い程に。
(考えてみれば、この中では拙者が一番身長が低いのでしたな。マグナリア殿、そのやたら踵を高上げする靴をやめてくださらぬか? 目線がさらに上がり、拙者惨めに思えてくるので)
特に気にしてはいなかったが、言われてみれば多少は気になるのか、武蔵もマグナリアに苦情を入れた。ハイヒールの分さらに目線が上がるのだ。見下ろされるというのは、あまり居心地の良いものではない。
(やっぱり、私だけでも行くべきじゃないかな? 黙って行く形になるから、家の皆には悪いけど)
(ダメだ。何度でも言うが、お前が行っても事態は好転しやしない。無駄に多くの人を死なせるだけだ。そして、お前が望んで戦場に立った場合、俺達守護霊は、お前を護れない。それは許されていないからだ)
(然り。我らが出来るのは、不慮の事故に対しての防備と、霊的な守護が主でござる。その守護対象である祈殿自らが進んで戦場に臨まれては、我らは何も手出し出来ぬが道理でござれば)
(そもそも、今回の件が例外も例外過ぎなのよ。本当なら、これすら掟破りなのだから)
闘技場で戦った事は、本当に例外中の例外だったと守護霊は言う。そもそも守護霊に仮初めの肉体を与える能力なぞ、普通に考えてあり得ないのだ。
(でも、このまま何もしないってのは、何か違う気がするんだ。私にそれを変えられる力があるなら、使わなきゃいけない気がするの)
(自惚れるな。確かにお前は力を持っている。それこそこの国のどんな武人をも超えた力を、お前は持っているだろう。それは事実だ。だが、お前を増長させる為だけに、俺達は力を授けたわけじゃないぞ)
(祈殿。拙者は元々武人でござる。武人とは戦場に立つ事こそが、己が本懐にござる。であれば、あえて申しましょう。”女子供は戦場に立つな”と。武に生くる者だけが、元来戦に赴くものでござる。まぁ、望まぬ戦に駆り出される農民共は、余計に哀れではござるが)
(ムサシ、あんたはイノリを連れ出した前科があるから、その言葉は矛盾あるんだけど……でも、あたしも賛成できないわね。さっきあなた”煉獄”って言ったけれど、それがどんな規模の魔法なのか、全然理解していないでしょ? そんな人間が戦場に行くだなんて、あたしは絶対に認めないわ)
親代わりの人物達の、三者三様の反対表明を立て続けに受けては、祈も我を押し通す事はできなかった。口をぱくぱくと動かし、何とか抗弁を試みてはみるが、言葉が出てこないのだ。祈は悔しさのあまり、目に涙が滲んだ。
(……お前の正義感は解るつもりだ。だが、お前の身を案じている人間は、俺達だけじゃない。他にも多く居るんだ。それだけは解って欲しい)
(……うん)
「さて、おひい様。そろそろ就寝のお時間です。こんな時はさっさと寝てスカッと起きる。これに限ります」
魔導書を閉じ、一馬は手を叩いて尾噛の姫を寝室に送り出す。女房衆に後を任せ、一馬は自室に戻るのであった。
草木も眠る丑三つ時。いつもは守護霊達が集まって、恒例のミーティングが行われる時間帯である。
なのに、今日はいつもと違った。
守護霊達だけではなく、その守護対象の祈まで居た。しかも、場所は囲炉裏の上ではなく、馬小屋の中であったのだ。
(おい、祈。何でお前は、そんな格好で外に出たのか、おじちゃん怒らないから教えて貰っていいかなー?)
(ごめんね。やっぱり私、兄様を手伝いたいの)
(……はぁ。解っていたけど、あなた結構強情よね。本当に知らないわよ?)
(祈殿、先行した望殿とは、すでに半日以上の差がござる。今から同じ道筋を辿っておっては合流できぬが、そこはどうするので?)
(おい、武蔵さん。止めねーのかよっ! マグナリアもっ!)
守護霊その1が、同僚達に向けて抗議する。職務を守れやとちょっと怒り気味に。
((こうなったら、もう無理ね(でござる)))
主人の性格が解っているだけに、残りの守護霊達はすでに諦めていた。ならば、やることは一つ。庇護対象を護りきることだ。
(ありがと。ごめんね)
(……はぁ、もう知らね。お前等、霊格落とされても文句言うなよ。これ結構ペナルティでかい奴だぞ)
(そもそも拙者、神格を得るのを目標にしてはおらんので。別に困らん)
(あたしも。イノリちゃんの側に居られないって話なら全力で抗うけど、別に……ねぇ? どうせこのままじゃ、鬼女やら破壊神にしかなれない、らしいのだし?)
(本当に、お前らは……だが、俺も似た様なモンか。じゃあ行くか。祈、道案内は任せろ)
持久力に自信のある馬を選び、祈は騎乗する。
夜の闇を切り裂く様に、祈を乗せた馬が都の大通りを駆け抜ける。
この一騎こそが、牛田にとって大いなる厄災となるのを、この時は誰も知らない。
誤字脱字があったらごめんなさい。




