第44話 その後始末的な話2
「知らない天井だ……」
一馬が最初に目にしたのは、まさに言葉の通りであった。
知らない天井は、細かく格子状の縁で区切られ、木目の板が張り巡らされていた。
周囲を見渡すと、自身が寝ていた布団以外、何も無い部屋だった。
畳敷きの部屋の外側の障子は開け放たれ、外の心地よい風を運んでいる。庭には、梅の木であろうか? 小さく可憐な白い花をつけていた。
確かに自分は、先鋒戦で敗れて死んだ筈……であれば、ここは”あの世”であるのか?
あの世での目覚めとは、こうして布団から始まるのであろうか?
死者には一人の知り合いもいない一馬は、あの世の礼儀作法も、また常識さえも知らない。
身体を起こす。胸の辺りの皮膚に、僅かな引きつりを感じるが特に異常は無さそうだ。両腕も同様……いや、子供の頃、右腕に大怪我を負っでできた傷跡が無くなっている。
あの時、敵の放った炎の槍の直撃を受け、命と共に両腕を失った筈。あの時すでに炭化してしまっていたし、喪失しているのと変わらなかった訳なのだが……だが、死後の世界では、こうして全て再生してもらえたのだ。僥倖と言えよう。
「ああ。しかし、悔しいなぁ。相手はどう見ても、俺より格下だった。あれは俺が下手撃っただけだ。ちゃんとやれば、勝てた筈だったのになぁ……」
もう一度布団に寝転がり、一馬はあの時の状況を頭の中で反芻する。
まず炎の矢の連弾を相殺したのが最初の間違いだったのかも知れない。あれで折角集めたマナを失った。あれをしっかりと温存できていれば、反撃の魔法が撃てたのだから。
今になって考えてみれば、寸前ではあるが、相手の魔法を相殺するための詠唱が間に合っていたのだ。充分に避ける余裕があった筈である。
「……もしかしなくても、俺って馬鹿じゃねぇの?」
あまりに真っ当で嫌な結論を自身で導き出してしまい、一馬は自己嫌悪に陥る。
敵のマナを奪った時点で、一馬は満足していた。その先にある明確な戦略が無かったのだ。
その後も色々と不味かった。折角相手は厄介な連射をやめて、一撃の重さを重視する戦法に切り替えてくれたのに、それに律儀に付き合ってしまったのだ。
「うん。やっぱり馬鹿だったわ、俺……」
恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい。っていうか、今から掘って埋まりたい。ここはすでにあの世なのだから、元の肉体はすでに埋葬が済んでいる事であろう。ますます恥ずかしさで胸がいっぱいになりそうだ。一馬は布団の中で一人身悶える。
「そうね。あなたは本当に馬鹿だったわ。あんな状況ならば、まともな魔術士ならさっさと降参するもの」
そう言うなり部屋に入ってきたのは、黒いドレスに身を包んだ赤髪の大女であった。一馬の記憶にも新しい、姫付きの”馬の骨”だ。
「馬鹿で悪かったな……だが、お前もここに来たってこたぁ死んだんだろ? だったらお前も馬鹿だったってことだ。そんなのに言われる筋合いなんかねぇよ」
大女が偉そうに。俺の事を馬鹿と言い放ったが、俺と同様にあの世に来ているなら、馬鹿のお仲間だ。そんな奴に馬鹿と言われたくない。一馬の言う事は尤もである。だがその理屈は、最初のボタンから掛け違えているので成立する話ではないのだが。
「はぁ……あなた、本当に馬鹿ね。ここは死後の世界なんかじゃないわよ」
赤髪の大女は、一馬の啖呵に盛大な溜息で応える。その後大女が、一馬が敗れた後の事を順を追って説明した。
「って、あんた、俺の両腕まで再生してくれったってのか? そんな術聞いた事ねぇぞ」
部位欠損からの再生術というのは、存在しない術だ。精々、切り落とされた腕や足を、繋ぎ合わせる程度がやっとである。そう一馬は聞いていた。
だが実際の所、それは頭に”この国の魔術レベルでは”が付く。ただ単に、中央大陸から離れた辺境の島国では、魔術が熱心に研究されていないだけに過ぎないのだ。
「ホント、ここの国の魔術士は、程度が低すぎるのね。情けないったらありゃしない」
もう一度盛大な溜息を漏らす、赤髪の大女。豊かすぎる胸が大きく弾む様を、一馬はつい凝視してしまった。
「……すまない。どこぞの馬の骨なんて言ってしまって。俺なんかより全然、おひい様や当主様を護れる凄い術士だったんだな」
八尾の家は代々術士として、尾噛の家に仕えてきた。その術士部では、自分が一番優れた術士であるという自負があった。だから、ぽっと出の外様の術士なんかに、家の誉れである先鋒役を譲る訳にはいかない。そう思っていたのだ。
だが、勝負の世界はそんな意地だけでは、ひっくり返らない事が多々ある。今回は正にそれであった。どこぞの馬の骨が、魔術士ではどう足掻いてもひっくり返す事が無理な状況を、あっさりと覆してのけただけではなく、こうして一馬の命すら救ってしまったのだ。もう返す言葉なぞ無い。
それでも、馬鹿だの程度が低すぎる等のあまりにあまりな言葉を受けては、一馬にも誇りがある。どこか不貞腐れた様な声と態度になってしまうのは、仕方の無いことであろう。
「まぁ、確かにあなた達から見れば、あたし達は”馬の骨”で間違い無いわ。でもね、その骨格の元となった馬は、ただの馬ではなく駿馬って奴なのよ。あなたと違って、駄馬ではないの」
赤髪の大女は、そう言いながら豊かすぎる胸に手を入れ、ごそごそと一冊の本を取り出し、一馬に手渡す。
「馬鹿な駄馬なりに、頑張ってごらんなさいな。これは、対魔術士用の技術に特化させた魔導書よ。相手の術式に介入して軌道を逸らせたり、乗っ取ったり……ここに書かれた理屈を理解できれば、それだけであなたの魔法は数段強くなる筈よ」
「良いのか? 術士にとって魔導書は財産だ。そんなのを貰っちまっても……」
師から弟子へ渡す事はあっても、魔導書は基本的に術士の家に代々受け継がれるべきものである。こんな縁もゆかりも無い、ただの他人が貰って良い物では無い筈だ。しかも態と聞こえる様に、馬の骨と散々罵ったのだ。
「構わないわ。元々あたしは世捨て人も同然なのだから。でも、折角あげるんだから、あなたはこの本に書いてある技術を必ず収得し、そして発展させなさい。どうせなら、武家と言われてる尾噛の家を、魔導の大家と呼ばれるまでにしてみせなさいな」
そうなれば、面白いんじゃない? 赤髪の大女はさも可笑しそうに笑った。
武を誇る家なのだからと、魔術士は冷や飯食い、穀潰しなどと、家内の人間からも低く見られていた。当然、構成人数が少なく、戦場では戦力に数えられる事はほぼ無いのが実情である。
そんな現状をひっくり返して見ろと、大女は言うのである。もし、そんな未来を迎えられたなら、さぞ痛快であろう。一馬は胸が熱くなるのを感じた。
「やってやるさ。確かに俺は馬鹿だが、魔術馬鹿でありたい。その話乗った」
「言ったわね? なら、やってごらんなさい。これからは、魔術馬鹿でいなさいな」
赤の色は命の色。ゆったりとしたウェーブを揺らしながら、大女は部屋を出る。一馬はその後ろ姿に誓う。絶対に尾噛を魔術分野でも一流の家にしてみせると。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いや、しかし参ったねぇ……」
牛頭家に起因する様々な問題は、今回の件である程は度片付いた……筈である。なのに、翔は現在頭を抱えていた。
「まさか、帝国の”象徴”が、真っ二つにされるとは……ねぇ?」
帝である光輝も、翔と同様に、頭を抱えていた。
帝国の建国記にも記された神器”太陽の盾”が綺麗に縦半分に真っ二つ。そんな、見るも無惨な状態になっていたからである。
「これ、何とか修復できないかなぁ?」
「形だけなら、できると思う。でも、これ完全に神通力失ってる臭くない? 神器からは神気の欠片も感じないよ」
翔が決死の覚悟をもって、盾の残骸に魔力を流してみる。だが、盾からの反応は一切無い。本来なら、強い光を放ち超高温の炎が昇る筈なのだが、それが無い。仄かに温ともる事もないのだ。
「……うん。完全に死んじゃってる。これじゃ、頑張って修復したところで、ちょっと堅いだけの普通の大盾にしかならないだろうねぇ……」
翔が溜息をつく。まさか豪が宝物殿にまで手をつけていたとは思っていなかっただけに、この結末は、帝国には深手過ぎた。
「まぁ、僕は軽さが無くなっていた時点で、半分諦めていたけどね。まさか尾噛の持つ”邪竜の太刀”が『魔法殺し』の特性まで持っていたとはなぁ……」
それが更に、神がもたらしたという伝説の武具にまで、問答無用で効果を発揮したのだ。そのあまりの反則っぷりに、光輝も翔も額に手を当て、「あちゃー」と言う他無かったのだ。
「まぁ、父祖である曾々お爺ちゃん、曾お爺ちゃん、お爺さんに、まだくたばってないクソ親父にゃ悪いけど、未来の皇帝達には黙っとこ。大丈夫。発覚した時には、僕らはきっと、墓の中さ」
光輝の言う様に、いくら建国記に記載のある国宝とはいえ、いつもは宝物殿の奥底に封印されていた代物である。豪が持ち出した事にすら気が付かなかった程の、杜撰な管理で済ませていたのだ。きっといくらでも誤魔化せるだろう。
「……光クンがそれで良いなら、ボクは何も言う権利なんか無いけど。でも、ホントに知らないよ? 後で怒ったりしないでよね」
「……ちょっと自信無いけど、うん。ってゆうか、どうやれば元に戻るか判らないんだから、諦めるしかないよ。どこかの誰かが作った奴ならまだ望みはあるだろうけど、神様の作品じゃ、ねぇ?」
光輝は諸手を挙げて、降参の意を示す。太陽の盾が本当に神様の作品なんて、光輝は信じている訳が無い。だが、それでも軽く千うん百年以上前から存在する代物であるのは確かなのだ。であるならば、どこかの名工の作であろうと、作者不明なのだ。直せる見込みは端から無い。
「ちょっとは管理体制を見直してかないとねぇ……ボク、さすがに怖くなってきた」
「全くだね。見直し指示した後、どんだけボロボロ問題が発覚するか……それ考えただけで軽くホラーだよ」
鼻血すら出ないとは、まさにこの事だ。翼を持つ二人は、もう一度頭を抱え蹲った。
「ああ、そうだ。話は変わるけど、尾噛達に何かご褒美あげなきゃね?」
「光クン、現実逃避……? でも、その事覚えていてくれてありがとう。無理矢理巻き込んだお詫びも兼ねて、太っ腹でお願いしたいな」
目の上のたんこぶである牛頭 豪という、除去手術を指命してやらせた挙げ句、内部に蔓延ったその手勢の選別という、傷跡の縫合までお願いした様なものなのだ。しかも帝国の命令で無理矢理に。多少色を付けたとしても、確実に恨まれるであろう事は間違い無い。
問題は、尾噛から本当に恨まれてしまった場合である。新しい尾噛とその一味は、揃いも揃ってバケモノという点だ。敵対行動は些か不味いと思われる。できれば首輪を付けてしまいたいと考えるのは、やはり権力者としての傲慢なのであろうか?
「太っ腹ってのは、中々に難しい注文だね。僕のお小遣い、君に年々減らされているんだけどなぁ……」
「それは仕方ないと諦めて貰わないと。収入と歳出ってのは、どうしてもねぇ……」
長年続く体制というのは、歳を重ねる毎に無駄飯喰らいが増えていくものだ。収入が思ったより伸びないのであれば、支出を抑える他は無い。今回の事で多少は楽になる筈ではあるが、具体的な数字として表れるのには、数年かかるだろう。それまで皇帝のお小遣いが減る事はあっても、増える事は絶対に無いと、翔は断言できる。
「う~ん。僕は情報だけでも良いかなって思ってたんだけどなぁ。牛田が挙兵して、尾噛領に侵攻を開始したって。さっき来た新鮮な奴だから、大体二日前の情報になるか。今ならまだギリギリ間に合う筈だけど」
すっかり冷めた緑茶を啜りながら、皇帝はこの日一番の爆弾を投下した。
尾噛領から見て北側にある牛田家が、当主の留守中に尾噛領内に攻め入ったというのだ。地方領主同士の争いであるのに、何を悠長に言うのか。いくら友といえど、また一国の主といえど、その態度は許されない。
「ちょっ。光クン、それ凄く不味い情報だよっ! 早く尾噛に伝えなきゃ!」
翔は慌てて立ち上がり、自身の執務室へ転移した。尾噛にこの事を伝える為に。
場合によっては、帝国も兵を挙げねばならないだろう。翔は頭の中のそろばんを弾く。牛田家は、牛頭の血縁なのだから。
誤字脱字あったらごめんなさい。




