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第43話 祓いの鈴




 「くそ。まだか? 孺子め、まだ来ぬのかっ?!」


 豪は待っていた。


 尾噛の小倅が……竜を自称する”偽物”の孺子が、打ち込んで来るのを。


 声が聞こえた。凄まじい速度で近づいてくる様子が、その途轍もない圧力(プレッシャー)が、大盾越しからも解った程に。


 ……なのに。その瞬間はついぞ訪れる事が無かった。


 永遠とも思われる、この瞬間。


 永劫の暗闇で続く、この戦い。


 ……我は、いつまで待てば良い?


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 もう亡霊共は、十二分に斬った。


 癪ではあるが、尾噛の孺子の為に、太陽の盾の出番をとっておかねばならぬ。あれは人の姿をした化生だ。口惜しい事だが、豪程度の剣技では、あれの一太刀を止める事すら怪しいのだとすでに自覚している。

 それは認めてやる。体裁や誇りなぞ、命あっての物種でしかないのだから。


 だが、そこらじゅうから沸き立つ亡霊共は別だ。豪が手にするは、数々の逸話を持つ伝説の剣の一つなのだ。亡霊如きに遅れはとらぬ筈だ。


 だが、亡霊を一つ斬る毎に、自慢の剣から徐々に輝きが失せ、羽根の如き軽さが失われていく。


 亡霊共をいくつ斬った事であろうか?

 豪は、20を越えた辺りで数えるのを諦めていた。多分、それからもかなりの数を斬った筈ではあるのだが。


 「尾噛めっ! 偽物竜の孺子がっ! 貴様、我を斬るのではなかったのかっ?! この(いくさ)は、どちらかの命尽きるまで行うのではなかったのかっ?! 我はここにおるっ! 何故、出てこぬのだっ!」


 豪は迫る亡霊共を、ただひたすらに斬って、斬って、斬りまくった。


 斬り捨てられた亡霊は、霧の様に霧散化し、そして、それらは豪が気が付かない内に彼の身体に纏わり入り込み、徐々に豪の身体の内側から黒く染めていく。


 ────シャン。


 鈴の音が響く。


 シャン。


 その凛とした澄んだ音は、確かに豪の耳にも届いた。


 シャン。


 鈴の音が響くたびに、周りから亡霊共が消え失せるのがわかった。


 シャン。シャン。シャン……


 何も見通せなかった暗闇の中から、浮かび上がる一人の少女の姿が、豪の眼に止まる。


 暗闇の中ですら光を放つが如き、美しく長い銀髪は丁寧に先端を切りそろえられ、その銀髪の最中から覗く二対の角。肌は陶磁器の様に白く透き通り、その白さに負けない無垢な装束を全身に纏っていた。


 少女は両手に祓いの鈴を持ち、静かに舞うごとに、涼やかで、物悲しくもある清浄な音を、辺りに響かせていた。


 「牛頭様……牛頭 豪様。もうよろしいのです……」


 舞いを続けたままの少女が、豪に語りかける。もうよいのだ、と。


 豪は、少女の発する言葉の意味が判らなかった。


 「娘よ、何がもうよいと云うのだ? 我は今、尾噛の孺子との戦いの最中だ。何故この様な危険な場所におる? 斬られたくなくば早々に立ち去るが良い。我はお前を避けながら敵を斬るなどという、器用な真似はとてもできぬ。そもそも、剣は不得手だからな」


 豪は、少女の顔に見覚えがあった。あった筈なのだが、どうしても出てこない。そのもどかしさに苛つきながらも、少女との会話を続ける。


 ……この様な小娘の身を案じるが如き言葉を吐くのは、何となくらしくない。そんな自覚が豪にあった。だが、何故だか解らないが、この()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という確信だけがあった。

 だからであろうか? 言葉は悪いが、豪は少女にこの場を立ち去る様に勧めてしまっていたのだ。


 「その戦いは、とうに終結しておりまする。牛頭 豪……貴方様の死によって……」


 シャン。


 少女は、祓いの鈴を振るう。


 辺りの闇が祓われ、周囲の様子がそれとなく分かる様になってきた。豪が居るのは、闘技場の端の砂地である。その足下の砂は黒い大きな染みが広がっていた。


 豪は、鈴を鳴らす少女の顔を、もう一度真正面から見た。


 ────尾噛祈。

 そうだ、尾噛の小娘ではないかっ! 豪は、憎々しげに美しい少女をの顔を見つめた。


 「戯れ言を。兄の身の可愛さに、命乞いでもしに来たのか? 我の持つ盾と剣、そして鎧の力に恐れをなしたのではないのか?」


 憎しみだけで人を殺せるのであれば、豪はかなりの人数を殺せてのけた事であろう。だが、目の前にいるのは、バケモノの血族の尾噛である。目の前の小娘は強大な竜を喚びだし、その兄は気合いだけで充分に人を殺す事ができるのではないかという程の圧力を放った。


 「いいえ、いいえ。貴方様は、我が兄の一刀の下に、その身を真っ二つに斬り捨てられてしまいました。その証拠が、もう固まっておりますが、そのお足元の血の海でござりまする」


 眼を伏せながら、尾噛の長女が豪に真実を伝える。豪はその内容を信じる訳にはいかなかった。それを認めてしまった場合、今ここにいる我は何なのだ? 到底、首を縦に振るわけになぞいかないのだ。


 「娘よ、お前が嘘を言っている様には、我にも聞こえぬ。それは確かだ。だが、信じる訳にはいかぬ。何故なら、それを信じてしまえば、我は自身の死を受け入れねばならぬからだ」


 「信じる、信じないではござりませぬ。これが、事実にござりまする」


 いくら憎んだところで、目の前の小娘は小揺るぎもしない。悲しいかなそれは事実だ。そしてこの小娘は、我を蔑む訳でもない、憎しみ返す訳でもない、哀れむ訳でもなかった。深い悲しみを湛えた理知的な瞳に映るのは、牛頭 豪という、彼そのものであった。


 「受け入れ難い話ではあるが、娘よ、お前の言っている事は真実なのであろう。では何故、その事を告げに態々ここに? 我がここで亡霊と永久の戦いを続ける様を、高みの見物をしておれば良かったではないか? 我なら必ずそうする」


 信じなくとも、それが事実である。そう言われては、牛頭は抗弁するのを諦めるしか無かった。考えてみたら、尾噛の小倅との決戦の記憶が一切無いのだ。開始の合図と、尾噛の孺子の気迫ある声と、風を切る音……その後どうなったか? 記憶が抜け落ちていて、さっぱり解らないのだ。


 だから、もう諦めてそこは受け入れよう。だが、それを受け入れてしまえば、後はこの娘が何故態々出向いてきたというのだ? 新たな疑問が豪の中に沸く。


 「私は、闇を退け邪を祓いし、人成らざる化生にござりますれば。この場に漂いし邪気を鎮める為に、そして、その邪気に囚われる前に、牛頭様……貴方様を天に還す為、ここに参りました」


 もう一度鈴が鳴る。


 先の戦いで、先鋒と次鋒を務めた二人の術士が、天へ還っていくのを、豪は視た。


 「死の間際の断末魔は、地に焼き付き穢れを残しまする。それが時を経て怨念となり、怨念が寄り集まり邪気を強め……やがて、魔となるのです。魔にとっての死者の霊とは、飴玉と同じにござりまする」


 死の恐怖に凝り固まった霊魂とは、邪気の集合体にとって、甘い甘いご馳走だ。霊魂の恐怖を煽る為、地に縛り、苦しみを与え続ける。そうなってしまった霊魂は、その魂魄のエネルギーが尽き果てるその時まで、延々しゃぶり尽くされる。その先に輪廻は無い。完全な無……魂の死である。


 娘が、祓いの鈴を鳴らす。


 尾噛の五将に頚を刎ねられた、牛頭の五将が天へ昇る。


 「貴方様を全く恨んでおらぬ。等と、綺麗事は申すつもりはありませぬ。ですが、私は父との縁が薄く、例え父の仇であるのが事実でありましょうとも、その事で貴方様に復讐を成そう等とも考える程ではござりませぬ。私は人成らざる化生にて、恐らく情が薄いのでございましょう……」


 娘が、祓いの鈴をまた鳴らす。


 尾噛の中堅の手によって、放った矢を額に返された弓兵達が、次々に昇天していく。


 「私は、情の薄き化生にござります。これは、憐憫ではござりませぬ。また、義務でもござりませぬ。ただの、行きかけの駄賃……そう思うて頂いて構いませぬ」


 だから気にするな。ただ、受け入れろ。

 娘は言う。豪はようやく、尾噛祈という娘の心に触れた気がした。悪くなかった。


 「……そうか。すまぬが、今持ち合わせが無い。どうやらこの身にしている武具は、我が身の妄想が創り出したただの幻想の様だ。言葉だけで申し訳ないが、有り難う……」


 豪の顔から、険が消えた。眉間に深く深く刻み込まれた皺は取れる事は無かったが、でっぷりと肥えた姿にとても似合う、穏やかな表情をしていた。


「……はい。では、また来世で……」


 ────シャン。シャン。シャン。


 祈が、鈴を三度鳴らす。


 豪の魂は光に包まれ、岩盤の天井を抜けていった。恐らくは昇天できたのであろう。


 彼は非道を繰り返してきた。彼の指が指し示された事で、多くの命が消えたのは、紛れもない事実だ。その業は、精算せねばならない。来世が来るのか、また、その来世はどのような人生になるのか。

 それは祈には解らない。


 だが、次の生は……穏やかな暖かい人生であって欲しい。祈はそう願わずにはいられなかった。



 「どうやら、全て終わったようだな」


 「うん。ごめんね、我が儘言って」


 大きく息をつき、守護霊その1に応える。今は守護霊達の現界を切っている為、霊力に余裕があるが、慣れない事を立て続けに行えば、やはり疲労は溜まる様だ。


 「これはやっといた方が良いのは、確かだったからな。でも、俺に任せておけば楽できたんだぜ?」


 「ダメだよ。だってとっしーがやると、みんな痛そうにしてたんだもん。強引なんだよ、とっしーは」


 俊明の行う昇天の義は、対象に有無を言わさず徹底的に。であった。だからであろうか? 霊達はお礼も言える状況になく、ただ悲鳴を上げながら天へトバされるのだ。


 「いいんだよ。ああいう奴らは、痛くしなきゃ解りません」


 「あら? 痛くさせるのは、貴方の趣味なんじゃないの? さっきも痛みで泣いてる女の人を追いかけ回して、勝手にキモチヨくなってたじゃないの」


 「っぐ。あの扉は閉めて厳重に鍵を(ロック)かけました。もうあんな性癖の扉は開く事ありませんので。だから、ホント、もう許してくだしあ……」


 「どうだか。拙者、あの時の負け犬殿の顔、忘れられそうにござらぬ。信用は積み重ねとは良ぉ言ったものでござるな」


 「積み重ねは一生。崩れるは一瞬。ホントね。これから大変よ? 馬鹿犬さん?」


 「本当に、申し訳ありませんでした。だからそのネタで弄るの、もうホントにやめて」


 守護霊達のやりとりに、祈は思わず吹き出す。


 本当にありがたい。少し沈んだ気持ちが、こうやってすぐに上向きになるのは、この人達が見守ってくれるお陰だ。私は幸せ者だなぁ。


 だから、感謝を。


 祈は暗いままの闘技場を、そうして後にしたのであった。




 「……尾噛の長女か…欲しいね。あの力」


 「……あんまり無茶しちゃダメだよ、(こう)クン?」


 その姿を、光輝と翔が視ていた事に、祈達はついに気が付く事はなかった。



誤字脱字があったらごめんなさい。

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