第406話 陸地を横目に艦は往く
「此処から先は、右手に陸地を眺めながらの航行となりまする」
栄子の説明は、海に関して完全に門外漢となる祈たちでも、充分に理解できた。
「やっぱり私たちってさ、陸地の生き物なんだなぁって。今回の一件で、能く能く思い知らされたよ……」
「……でしょうな。そのお気持ち、実は妾たちも、骨身に染みておりまする」
如何に<海魔衆>の男たちが、自らを”海の漢”だと誇らしげに語ろうが。
「ここら辺りの海域を走るのと、陸地の無き大海原を往くのとでは……」
明確なる目印、そのひとつを取ってみても。
「心持ちと云う、ただそれだけでも。大きく異なります故に」
「やっぱり。船乗りのひとたちって凄いなぁ……」
星を観測することで、現在の大凡の方角と座標を割り出すことは、充分に可能だ。
ただし、それは。
自分たちが良く知る海域に於いて、と云う大前提があってこその話であるのだが。
「……ですが。まぁ、それも。星を見ることができねば何も解らぬ。そう云っているのと何ら変わりはしない訳にございます」
「何ともそれは。思い切りぶっちゃけましたね、栄子さま」
それだけでなく、もし今艦に何らかの異常が起こり、退艦せねばならくなった最悪の場合を想定すると。
「すぐ見える範囲に、両の足で立てる陸地が在る。この安心感は、最早妾の口から語るまでもございますまいて」
余りに説得力が在り過ぎる栄子の口上に。
祈は、心の底からの納得と共に頷いた。
「ですが、この安心感は。実は別の危機感との背中合わせである、と申しますか……」
「……ああ、うん。皆まで言わなくても理解できちゃった」
祈の肌感覚と。
遠見の報告が重なった時。
「来たでぇっ! 不寝番以外の全員、今すぐ持ち場に付けいやぁ!」
「……我らと同じ、”海賊”の存在でございまする」
「こんな大型の戦艦に向かって来る無謀者ってさ、本当にいるンだねぇ……?」
海外の国々へと出る<海魔>は。
基本、5~8隻で。時には10隻を超える大船団を組み、交易の旅に臨むのだが。
「現在の我らは。<九尾>の一隻だけで動いておりますれば。高価な積み荷を、腹にたんと抱えた”手頃な獲物”。欲に塗れた彼奴らの瞳には、そう見えておるのやも知れませぬなぁ」
「栄子さまったら、何を他人事の様に……」
祈の心配を他所に。栄子と親方たちは。
「ご隠居さま、安心してくだせぇな。あがいな雑魚どもが、なんぼ束になろうとも。わしらの<九尾>は、絶対に沈みやぁせんて」
「ま。そう云うことにござりまする。元より我ら<海魔>は。貴女さまにお会いするその日までは、ケチな海賊稼業に依って糊口を凌いでおりましたでなぁ」
「……でもさ。私にも何かお手伝いできることは、あったりするかな?」
栄子も親方たちも。ただ短く「否」とだけ応えた。
(ま、ここは。素人が下手な口出しなんかせず専門家に任せちまおうや)
(然様にござる。確かに此処が陸の戦場であれば、祈どのが一番の巧者で在りましょうが……)
(黒色火薬の存在が。炎の魔術を全否定してくンのよねぇ……ああ、本当に。つまらん。つまらん)
絶対にブレることのないマグナリアに苦笑いを浮かべ祈は。
「一応、だけれど。この周辺は、一度探ってみた方が良いのかも。ねぇ……?」
”賊”を撃退する、ただそれだけなら。
この世で<九尾>の装甲に直接傷を付け得る装備を持った軍を数えるのには。果たして、片方の指すら必要なのかと思う程度だ。
祈は、何の心配もしていない。
ただ、この手の無頼の輩に関しては。その根本から徹底的に対処をせねば。
「小鬼と同じ様なモン、だからねぇ……」
祈たちと<五聖獣>とで。列島全土と中央大陸の一部を囲った”対魔結界”の影響か。
「そういえば、小鬼どもと、犬面人の姿は、全く見なくなっちゃったねぇ?」
(ああ。そいつらは、明確な”魔物”だかンな。結界に依る破魔の効果が、ばっちり効いちまったんだろうさ)
(それは朗報でござろうて。特に小鬼どもなんぞは、御器被りと何ら変わらぬおぞましき生き物でありました故に)
(……ムサシ。貴方もしかして、虫がダメ……だとか?)
(彼奴らの腹側だけは。拙者、視界の内に絶対に入れたくはありませぬ……)
師のひとりの意外なる一面を知れて、一瞬顔がニヤけてしまった祈だが。
「流石に快足を誇る<九尾>でも。こうも小舟が周囲を囲う様に来られたらさ、振り切れるの?」
目標の船に何としても取り付いて乗り込み、白兵戦を仕掛けること。
これが、海賊たちの常套手段だ。
だが、<九尾>の脚ならば。
これを振り切ることは、さして難しくもないが。
「でも、<九尾>の巨体で押し潰しちゃうのは……」
「ほ? 元”尾噛”の頭領さまが。何、生温きことを仰っておいでにございましょう?」
怒りに任せ、一族郎党皆殺しにしようとなさったあの時の。瞳の奥に宿った怒りの炎を思い出し、当時の記憶持つ<海魔>の面々たちは、一瞬恐怖に首を竦めた。
「正面から向かって来る船は、確実に圧殺せよ。我らが艦に乗り込んでこようとする招かれざる客どもは。刃に依って、丁重にお帰り願うが良いっ!」
「「「「承知っ!」」」」
念の為祈は、将来性豊かな技量を持つ見習いたちを。
「龍にお強請りして、何人か連れて来たのだけれど……」
「ああ、それでしたら。彼らにしか任せられぬ重大な役目がございまする」
「如何にこの艦が頑丈だっつっても。帆にまで鉄板を張る訳にゃあいかねぇモンですんでよぅ。帆に火矢を撃ち込まれない様<風の守り>の維持と。もし火が付いちまった時用の消火がその役割さね」
特に<九尾>の様な純帆船には。そこに使われる帆の種類だけでも細かく形状が異なり、また膨大な数となる。
「まぁ、一部を喪失しても。互いを補う様、綿密に設計されておりますれば。さして航行に支障はございませぬが……」
「万全を期する上では。その有無はやはり。”誤差”と割り切ってしまうには色々と憚られる……と?」
後を続けた祈の言葉に、栄子は無言で頷いた。
「ですが、祈さま。今の貴女さまは、我ら<海魔>の大切な”雇用主”でございまする。罷り間違っても『手伝いたい』などと、決して仰ってはくれますな」
「えぇー」
船乗りには、船乗りだけの。決して譲れぬ”矜持”がある以上。
「優れた君主には。無論、”名君”と呼ばれるだけの資質を、常に周囲に示してきたからこそ残った”名声”にございまする。我らに全て一任する度量を、今此処で……」
「ああ、うん……」
栄子たちの気迫に圧され。その時の祈は、ただ首をカクカクと上下に振ることしかできなかった。
俊明「不思議なことに。その癖して、海老蟹の類いは全部大好物なんだよなぁ。武蔵さんは」
武蔵「そも、アレらは”甲殻類”なのであって。決して虫などではござらぬっ!」
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