第385話 従者たちの事情1
異界。人が人として生の営みを続ける現世とは、時間と空間が隔絶した異なる世界の事を指す。
その境界は、薄皮一枚隔てただけの。幕の様なものだと表現する者がいる。
中には『饅頭の皮と餡子の境と同じ様なものだ』と、何とも情緒の無き物言いをする者もいる。
……どちらが餡子側になるのか。それは観測者それぞれに見解が分かれ、さぞかし議論が白熱することだろうけれど。
人の営みに合わない存在、もしくは人の営みから弾かれた存在……その様な”まつろわぬ民”が、現世と袂を分かち暮らす様になった世界。それが異界の有様だった。
そんな”まつろわぬ民”の中でも、少なくとも。
楊 美龍としては、できれば餡子側で一生を過ごしたい。常々そう思っている様だが。
恐らく、だが。
”きんつば”がもしこの世界、この時代に存在していたとしたら。
千寿 翠と醜くも壮絶な奪い合いを繰り広げるだろうことは、想像に難くない。
「────おい、クソ親父」
『ンだよ、洟垂れ』
────続けて”坊主”と云わなくなっただけ、まだ赦せる様な気がしてくるのは。本当に何故だろう?
そんな疑問が、頭の片隅から、やおら突然鎌首を擡げてきたけれど。
「俺の”旦那さま”は。一体何処にいンだよ?」
『ンなの、最初っから居る訳ねーだろ。元々お前は、我の”分け御霊”なんだからよ。手前の子供が欲しけりゃ、手前の魂を分けて自分で創りやがれ』
それ以上の違和感を前に。美龍は困惑を隠せなくなっていた。
「おい、待て。俺の記憶にゃ、確かに”アイツ”が居た筈、なんだぞ?」
『……ああ、そういや。お前自体急拵えだったからな。その記憶も含め、強引に辻褄合わせしたっけか。どうやら今頃になって無理が出て来ちまった様だな』
鼓膜を介さないで伝わった”父親”の言葉を理解するのに。
美龍は、たっぷり分単位の時間を要した。
「────おい、クソ親父」
『ンだよ、洟垂れ』
造られた存在である自身の根源に、”母親”の影は何処にもない。
そのことだけは、確り理解していた美龍であっても。
「……結局、俺は。何の為に、テメーに創られたンだ?」
<五聖獣>の内、東の方角を守護せし<青龍>の、現世で制限されている”権能”を。最も効率良く振るう為に、創造されし分け御霊。
その自覚と覚悟は。美龍の中に在るが。
『腐るンじゃねぇ。お前の”運命”は、お前自身が決めた筈だ』
<五聖獣>たちが”竜の娘”と呼び、時折まるで主人に傅くかの様な素振りさえ見せる小さな巨人。尾噛 祈は。
「……ああ、確かに主さまは。俺の生涯を捧げるに足る素晴らしき御方だ」
『なら、それで良いだろ。お前は、お前の意思で。竜の娘の従者となったンだ』
────それじゃ、何の答えにも為ってねぇだろうがよ。クソがっ!
怒りと共に沸き上がってきた言葉は。しかし。
「……解った。俺の子供は、テメーにゃ絶対に抱かせたりしねぇ」
美龍の口から漏れ出でることはなかった。
『けっ、元々我ぁガキが嫌いなんだ。そンなんで堪えたりしねぇよ、ふっふーんだっ!』
言葉の割に。
<青龍>の思念波には、かなりの狼狽が混じっていたが。
「此処で、テメーと親子の縁を切ってやらぁ。俺の子は、もうお前の孫じゃねぇからなっ!」
『待てっ、せめてお前の子の名だけは。我に、我がっ……!』
すっぱりと縁を切ったつもりの美龍は。
「てーか。名付け親の権利は、絶対テメーにゃ譲らねぇ。ずっと前から、主さまにお願いするって決めてンだからよっ!」
饅頭の皮から、餡子側へと出た。
◇ ◆ ◇
「……琥珀さま」
「……何でございましょうか、虎桜さま?」
<白虎>直系の孫娘である琥珀は。
閉ざされた集落では。影で”ドンクサ”だの、”残念”だのと。散々云われ続けていたが。
それでも、村の長の娘であり。更には、守護神の孫である。
集落で生きてきた人間が。面当向かって上等な態度なぞ、絶対に取れる訳が無い。
例え、其れが。
「────貴方は、私の旦那様。なのですから。卑屈なるその態度を、改めて頂きたいものです。子供たちも、そろそろ物心が付いても可笑しくない年齢になるのですから」
虎桜はと云うと。一言も発することなく、ただ深々と頭を垂れたのみだ。
幾ら云っても聞かぬ旦那の態度に。
琥珀は、深く溜息を吐いた。
(はぁ。”次代”へと四聖獣<白虎>の血を繋ぐ……その”お役目”を、私自らが果たさねばならないとは。おばあさま、心底お恨み申し上げまする)
多次元の、全ての時空に跨がって存在する”上位存在”たる彼らは。
”斎王”愛茉の持つ、時間の制約に縛られた擬きではなく、完全なる未来視が可能だ。
そんな彼らが云うのだ。
『次代へと。確実に、その血を繋げ────』
と。
この世界の行く末なぞ。琥珀にとっては、正直どうでも良いのだが。
「祈さまの。あの御方の”尾噛”の行く末、それだけは……」
琥珀自身。
内心、想う処は多々あったけれど。それでも、彼らの願いを聞き入れた。
(……けれど。やっぱり自分の子供だからか、此処まで愛おしく想えるのだから。人間と云うのは、やはり何処までも動物、なのでしょうね……)
傍らで健やかな寝息を立てる娘の髪を撫で。
夜泣きで未だ愚図る末の子を抱き抱えあやす虎桜の様子を、慈しむ様に眺める。
「おばあさま。琥珀は、”お役目”を。然り果たしましてございます……」
言い渡された役目。ただそれだけではない。
この内から染み出て来る様な”幸福感”は、きっと。
敬愛して止まぬ主人と。その夫との仲睦まじい姿を。遠き羨望の眼差しで見ていたのは。
「やっぱり、私も。母親に、なりたかった────と云うこと、なのかしら?」
きっと、そうなのだろう。
(だって。こんなにも、幸せなのだから……)
目下の悩みは。
「虎桜さま」
「はい、なんでしょうか?」
一家の大黒柱らしからぬ。旦那の、この態度であろうか。
琥珀は、虎桜に見せつけるかの様に。大仰に溜息を吐いてみせた。
「一度、私を呼び捨てになさってみて下さいませ。こ・は・く。りぴーと、あふたーみー?」
「……は?」
「もうっ! ……は? ではありませぬっ!! ほら、虎桜さま。こ・は・く♡」
今は愚図る子をあやす手を、止めることもできないのに。
自身の妻から出された突然の無理難題に、虎桜は思考が固まった。
「こ・は・く♡ 無論『♡』がポイント、なのですからね?」
「……こ、ここっ。はっ……」
夫婦円満の、幸せな家庭は。一日にして為らず。
前途多難ではあるが。それでも琥珀は。
「ちゃんと云える様になるまで続けますからね? お覚悟なさってくださいませ、旦那さま☆」
今よりも。もっともっと幸せになりたいのだ。
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