第381話 静
「……で。俺に何の用があるってンだ、静?」
「あら。用が無かったら、呼んじゃダメなのかしら?」
尾噛家の養女だった彼女も今では。
自身の家庭を持ち、子宝にも恵まれて。
「ったりめーだろが。抑も俺は、お前の母親の守護霊なの。本来一時も離れちゃダメなんだぞ」
「……へぇ。そんな殊勝なこと云ってる割には。貴方ってば、いつも自由気ままに遊び呆けている気がするのは、わたしだけ……なのかしら?」
そんな人生の成功者が。
今更になって。
「っぐ。お前さん、態々そんな嫌味を云うためだけに俺を召喚んだってのかよ?」
「まさか。わたしもそこまで暇を持て余してなぞおりませんわ、お師匠さま」
陰陽の技術を授けてくれた、彼女にとっては”もう一人の師”の俊明を呼ばねばならない事態になったのは。
「……てーか。お前さんも四人の孫を抱えるくらいにゃ、いい歳になっただろうに。なんでまだ<陰陽寮>の仕事に追われて生きてンだよ」
「本当に、そうよね。でも、これがわたしの最後の”仕事”。そのつもりで取り組んでいるの……」
光帝に請われ。
今も静は、帝都にて。呪術の研究、開発する組織<陰陽寮>の最高顧問を勤めている。
────だから、手伝って頂戴。
育ての娘の、そのまた娘の建っての願いであり。俊明にとって静は、愛弟子のひとりだと云っても過言ではないくらいには、今までずっと可愛がってきたつもりだ。
如何に俊明が、この世界の住人でなく”世捨て人”と何ら変わりの無い存在であろうとも。本来であれば、聞き入れてやらねばならぬだろう。
「だが断る」
「ちょっ……」
弟子が期待していた答えとは真逆の師の回答に。
「解っていると思うが。お前さんに教え伝えた”技術”ってなぁ、元来この世界にゃ欠片も存在しない異質のモノだ。何故それを根付かせようと考えた?」
「帝に請われてしまったから、って云うのもあるけれど。この世界に無い技術だったからよ。今のままでは、他者からの呪いを誰も防ぐこともできなければ、解呪することも儘成らない。わたしは、それではダメだと思っているの」
”呪い”という、その行為自体を。完全に陳腐化させてしまえば。もう誰も傷付くことはない。
「かあさまのお母様は。他者からの呪いに依って亡くなられたのでしょう?」
「────ああ、そうだ。俺が祀梨を見捨てたから、な」
生前、裏の世界では。
”最凶の呪術師”と、闇世界の住人たちから畏れられてきた俊明は。
「確かに、俺だったら。鼻クソを穿るよりも容易に祈の母親を護り通せただろう」
事実、俊明は。
祈が祀梨の胎内にいる間は。彼女に襲い掛かる”呪い”の全てを、術者へと跳ね返していたのだ。
人を食った様な師の答えに若干苛つきながらも、静は。
「……だったら何故、貴方は。その鼻クソを穿る程度の労すらも、惜しんだのかしら?」
それでも、心の何処かで師を敬っているから。
師の真意を、どうしても訊きたかった。
「抑も俺は祈の守護霊だから、な。祈の身は何があっても絶対に護り通してみせるが、他人は端からその範疇じゃねぇンだ」
「……そう……」
『良いこと、静? 強大な権能を行使できる者はね。その力と見合うに相応しき”覚悟”と、”規定”を。常に心に持っていなければダメなの』
魔術を学ぶ際に。
愛する母からの最初の言葉を、不意に思い出した。
「まぁ、祀梨さんの”呪殺”ってぇ最期は。元々、世界に定められた死のかたちではなかった。だからあの時、俺が手を差し伸べたとしても、恐らく支障は無かっただろう」
ぴたぴたと。薄く寂しい額を叩きながら、祈の守護霊は。
「だが。なぁなぁでは、な? 何事にも、”線引き”ってな重要なのさ」
自身で取り決めた筈の一線を、一度でも越えてしまったら。
その次も、そのまた次も。容易に踏み越えてしまう。人とは、そんな心の弱い生き物なのだから。
「……そう、ですね。だから貴方さまは。わたしに、この世界に無い筈の、特異な技術を授けて下さった」
「それだって、俺は。祈がいなきゃお前さんを放っておいたさ」
祈では。
才能の欠片も無い静に、陰陽の行を一つも伝授できなかっただろう。
下手をせずとも。
「地獄巡りのあの時に、お前さんの魂は消滅し。悲しみに暮れた祈は、お前さんの後を追って自殺……ってトコだった、かな」
「……え?」
「祈もお前さんに言った筈だ。霊感の欠片も無いお前にゃ、絶対無理だって」
「…………」
そこで静が我を張り通したからこそ。祈も覚悟を決め地獄巡りの行に臨もうとしたのだ。
「本当に。お前さんは、愛されていたンだぜ?」
「……かあさま……」
──だって、わたしは。母さまとは血の繋がりも何も無い”嘘の親子”でしかないんだもん──
頭の中では。何度も何度も否定し続けたけれど。結局は、姉にも等しき美龍に、この言葉を投げかけたことを思い出し。
最近、小皺が目立つ様になってきた女性の瞳から、大粒の涙が一滴こぼれ落ちた。
「────って、完全に話が逸れちまったな。俺は手伝わない。何故なら、俺は”この世の何処にも居ない筈の存在”だからだ。そんなのが、後世に足跡を残す訳にゃあ。絶対いかねぇだろ?」
だから、俺が教えた全部を。優秀過ぎた弟子の、お前さんの手で纏め上げてみせろ。添削はしてやっから。
尊敬する師から、ここまで云われては。
「────はい。我が師よ」
最上の”仕事”に仕上げねばなるまい。
(弥太郎さま。この”仕事”を全て終えるまでは、わたしは。貴方のお側へは────)
”種族の差”という、残酷な刻の流れに。ひとり取り残された静は。それでも……
「ばあちゃん。あそんでー」
「「「あそんでー☆」」」
「はい、はい。お前たち、ちょっと待ってな。婆ちゃん、準備するから」
(……静、行ってこい。孫と遊ぶくらいの時間の猶予は。たっぷりあるはずだろ?)
(はい。わたしは、決してまだ逝く訳には。参りませぬので……)
亡き夫とは、正反対の意味で。刻の流れが違う母に申し訳ない気持ちが湧くが。
「かあさま。幸せな人生を、ありがとうございました」
届く訳もないのに、何故かつい言葉が漏れ出てしまった。
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