第364話 ゆらり突撃BBQ
「ん~、ゴリゴリとするこの独特の感触が……堪んねぇんだよ」
「……へ、へぇ~。そうなんだ?」
祈たちが初めて目にする奇妙奇天烈な、凡そ人類が口に入れて大丈夫なのかと、疑問視してしまいかねない様な”物体”を、次々と擂り鉢に投入しては。
余人の目には映らぬほどの超高速で擂り粉木を回し、ひとり悦に浸るハゲの表情に。
「……キモ」
思わず漏れ出でた静の、常であれば魂に致命傷を負いかねない心無き言葉の刃ですら。
「♪~」
趣味の世界に完全に入り込んだのか。今や”無敵のひと”に成り果ててしまったこのハゲには、全く通用しなかった。
「あー、でもでも。あれは、美美も知ってるヨー。姜黄って奴ネ」
「そうそう。元々、カレーってなぁ。身体に良いとされている材料……てか、ぶっちゃけ薬だな。そういったのが主に使われてンだ。このウコンは、二日酔い防止に、殺菌効果。んで、生姜は身体を温め。こいつ、クミンは食欲増進や、便秘改善と美容効果に。この胡椒なんかは血行促進と。まぁ、具体的に挙げるとこんくらい健康に色々と役立つ効能があるとされている」
────とはいえ、だからって食い過ぎたりしちゃ元も子もないがな。
「でもさ、今から順番に粉にしていくとかさ。ものすんごく時間かからない?」
「ああ。そうだな。これは『カレーという料理とはなんぞや?』 というお前さんたちの疑問に、解り易く解説するため実演してるだけでさ……実は予め用意していた完成品がコレになります」
「ああんっ♡」
その隣でワクワクと。まるで心待ちにしていたかの様に待機していたマグナリアの胸の谷間に、ずっぽし腕を差し入れたハゲが。
「……なんか、茶色い塊。これが”カレー”?」
「まぁ、その大元の”ルゥ”って奴だな……ってーか。乱暴な例えになっちまうが、味噌汁と味噌の関係と同じ様なモンだ。さっきの色々な粉をひとまとめにして油脂で固めたら、ぶっちゃけコレになる。まぁ、コイツは林檎や蜂蜜が恋をしたり色々なんかした奴を参考にしたりと。かなりアレンジしちゃあいるんだが……」
「……てゆか、あのハゲ。もう自然に、あの女性にセクハラかましてやがりませんでしたか?」
「参ったネ。まだ嫁入り前の娘が多数いるっテのに……殺るカ、琥珀?」
────てか。この場に娘は静ひとりだけだろ?
ふたりの会話がばっちり耳に届いていた地獄耳の俊明は。
態々自らそんな見え見え過ぎる地雷を踏み抜くこともなく、丁重に聞こえない振りをすることでやり過ごした。
「折角だし。今日はこの前弥太郎君がひとりで締めてくれた魔猪の肉を使っちまおう。魔猪の肉は、煮込むとホント美味くなるンだ……」
「煮込むって。それって今からだとすごく時間かかる奴だったりしないの、とっしー?」
「それを、予め各種具材を柔らかくなるまで煮込み続け、別に用意していたものが、此方となります」
「あんっ♡」
皆が、
『……またかよ』
と呆れ顔になるのも、俊明の方は充分に想定内だったらしく。滑ったことには気にしない方針を貫くつもり、らしい。
「天丼ってな、お笑いでは基本中の基本だぞー? おい、静。後で弥太郎君の処にでも持っていってやってくれ。その分はちゃんと別に確保しとくから」
「……っ! はっ、はいっ♡」
俊明の言葉の意味をちゃんと理解してか。
静はと云えば、顔を真っ赤にして焦りながらも。ハゲに向け丁寧にお辞儀をした。
当初は、祈が猛反対の態度を示し。その今後をかなり危ぶまれていた二人の仲は。
義父祟と、静本人の。ふたりに依る説得の甲斐あって。今では公認となっていた。
「いいねぇ、いいねぇ。アオハルって奴だぁね。おじちゃん、これだけで後退した額も。また元のふさふさ状態に戻りそうだよ」
「それは只の幻想でござろう。そんなことは未来永劫、絶対に在り申さぬので……俊明どの、すっぱり素直に諦めなされぃ」
そんなアオハル時代が皆無だった中年の哀しき黒歴史を哀れむこともなく。
顎周りの無精髭を撫ぜる剣聖は。
「世の中ってなぁ。ホント、世知辛ぇよなぁ……」
「大仰に嘆いてみせた処で、髪は生えてなぞきませぬぞ」
『髪は、長ーい友だち』
「……なんてフレーズは。そういや、一体何のネタだったっけなぁ?」
遠い目をしつつも、カレーを煮込む手は、一切休むこともなく。
良い具合に具材から出汁の出た鍋に。溶け出したルゥから、刺激的な独特の芳香が。辺り一面へ放たれた。
「……ほお。なんぞ胃の奥底から揺さぶられるかの様な、香しき良い匂いが……」
「真的。なんて涎が止まらなくなる暴力的な匂いヨー? 琥珀っ、コレは絶対白米ネッ」
「勿論ですとも。女房の皆々様には、既にお伝えしてありますよ。『最低でも、通常の三倍で』とっ!」
その余りに一方的な報を受けた時の女房衆はと云うと。
皆、一様に。絶望の相貌をしていたという……飯を炊くのは、正に重労働なのだ。
「ククク……この蠱惑的過ぎる香辛料のスパイシーな香りを喰らいやがれ。この世界の住人全員カレーの沼へと引き摺り込んでくれるわ。”異世界印度化計画”。開始であーるっ!」
「……とっしー。ノリと勢いだけでテキトーなこと言う癖。ホント直した方が良いと思うよ?」
これまでの中で。俊明が一番精神にダメージを負った出来事が。
祈の発したコレだったのだと。後に本人が述懐していた。
◇ ◆ ◇
此の世には。
見た目はかなり悪く。
その癖、放たれる香りは。正に刺激的で、かつ蠱惑的。
味は、この世のモノとは思えぬ程に、天上のものであったのだと。
一度でもソレを食した皆が、当時を思い出したかの様に。口から涎を垂らしながらも大絶賛せし”カレー”なる奇天烈な食べ物が在るのだと云う。
「それが、”倉敷”の殿さまのお屋敷でも、稀にしか食せない貴重なご馳走なんだそうだ」
「時偶、お屋敷の周りがスッゲ良い匂いしてやがるし。アレがきっと”カレー”って奴なんだろうさ。良いよなぁ。俺も一度だけでもそんなご馳走、食ってみてぇよ」
……
”七星”からの内偵者たちは。
監視者不在のせいか、その大半は文字通り脱落したのだが。
その中でも、比較的待遇の良かった優秀な者達は。
「伝書鳩にて。本国から指令が、一応今も出ている以上は。此方から辞める訳にも往かぬか……」
他の同僚どもは。
当初は、潜入。それだけの目的で女給として”彼らの日常”に溶け込んでみせた筈が。
「……此で本国より良い生活が出来ちゃってるし。今更、生命の危険とか。賭ける必要あると思う?」
そう正面切って真顔で問われてしまえば。
本国での彼女達の待遇、それを知っているが故に。大きく反論することも叶わず。
かと云って。
「……貴女達は。もう引き返せない処まで来ているのよ?」
……など、と。
正直に”この作戦の真実”を、彼女達に打ち明けてみせたところで。
この様な、与太話。きっと苦し紛れの虚偽なのだろう?
そう断じられるだけで終わるに決まってる。
だから、彼女は。
「死ぬのは。わたしひとりだけで良いさ」
妙に”上様”が食い付いたのだと云う。
”カレー”なる食物の情報を集めてみれば。
「倉敷の”地頭”の屋敷か……」
確かに、この周辺からは。
肉の焼ける、暴力的なまでの脂の匂いに混じりて。
香ばしく鮮烈な。それでいて、今まで嗅いだことの無い筈なのに、郷愁に駈られてしまう様な。
何処か危険な香りを感じる。
「……ああ、やはり。わたしたち”くノ一”は。祖国にとって文字通りの捨て石。なのですね……」
わたしが、消える……消え……る……
”くノ一”の意識が、まるで別人の魂に依って上書きされてしまう様に、一瞬でかき消えた。
「……ああ、このにおい。懐かしきカレー……カレーだぁ。バー○ントかな、これは? 絶対S&○系じゃないのだけは間違い無い。ぼくは詳しいんだ」
生前の久太郎は。
辛口のカレーでは満足できず。一味唐辛子やら、市販品のガラムマサラを後から大量に振りかけては。母親から内心嫌われていた厨ニ病真っ只中だったが。
「やっぱり何十年と口にしてないと。この匂いには、絶対抗える訳無いよね?」
懐かしき香りを前に冷静でいられる程、久太郎は自制心を持つ大人ではない。
守護天使から受け取った数在る<天恵>の中でも。
「カレーを安全に強奪する能力なんてある訳もないし。さて、どうしよう?」
この肉体は元々他人のものなのだから。安全だと云えば安全なのだが。
「でも、もう完全に”同化”しちゃったから。殴られたりしたら、普通に痛いと感じちゃうんだよねぇ……」
死にはしないが。死ぬ程痛いのは確実だろう。
「でも、だからあえてやった訳なんだけど」
この身でカレーをひとくちでも食べることができたら。
乗っ取ったこの身体が、味覚障害を持っていなければ。確りと懐かしきカレーの味を、堪能できるのだから。
「ま、イイや。資料では、この娘がウチの”くノ一”の中でも一番優れた身体能力を持っていた……らしいし」
失敗したらそれまでだ。
少なくとも。
”倉敷”の地を征服さえできれば。カレーの材料が全部揃う。それだけは確実だと判っただけでも。
「偵察としては。これ以上無いくらいの”大成果”だよっ!」
くノ一の記憶を探る様に。基本装備と照らし合わせつつも。
久太郎は。
「さて。ぼくの愛しのバーモン○カレーちゃん。ちょっとだけ、待っててねン☆」
尾噛家の屋敷の高い高い塀を、一気に跳び越えるべく。
両脚に、力を籠めた。
誤字脱字等ありましたら、ご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら大変嬉しいです。よろしくお願いします。
ついでに各種リアクションも一緒に戴けると、今後へより一層の励みとなります。




