第359話 異邦人が”倉敷”で生きるために
「あぁ。すまんが今この街じゃあ、物々交換にゃあ応じられねンだわ。”上”からのお達しでよ……せめてお嬢ちゃんが砂金を少しかでも持っててくれてりゃあ、手持ちの銭をお釣りに、肉串とも交換できたンだけんどよぉ……」
「……そう、ですか……」
如何に訓練された”くノ一”とて、我慢の限界はやはり在る。一般人に比べれば、確かにより長く保つけれど。
腹が減っては戦はできぬ。
そんな言葉を最初に言い出したのは、一体何処の何奴なのだろうか?
声高に空腹を訴え我為り続ける胃袋を、強引に黙らせるべく力一杯殴り付けながら”霧”は。
「銭を、稼がねば……」
中央大陸でその栄華を極めていた”陽”帝国は。
当時、確固たる支配を殊更誇示するかの様に。貨幣”陽華銭”を用いた広域経済圏を築き上げていた。
無論、陽華銭は。諸外国での商売に於いても。長年安定した政治基盤が在ればこそ、信頼在る貨幣として充分に通用していたのだが。
「……陽華銭なぞ、”七星”では、あまり見なかったな……」
中央大陸の大部分をも支配し、極々一部とは云え、東の端に在る列島にも多大な影響を与えてきた超巨大帝国も。その体制が崩壊してから早200有余年。
貨幣自体には。使用された貴金属、その重さと比率に見合った価値が確り担保される訳、なのだが。
そもそも、辺境たる島国の。更には新興の一小国に過ぎない”七星”では。
「流通量。そのものの高が知れていようて……」
如何に列島の交易の中心地と名高き”八幡”の地に本拠を構えたとはいえ。
彼の地は、所詮。人知れず一夜で滅び去った”獣の王国”の、その夢の跡に過ぎぬのだ。
”倉敷”の門を潜る前に。
物々交換の為、決死の覚悟で”仕入れ”てきた魔猪の皮は。
「……うむ、余りに傷み過ぎておるわ。此では一枚皮としての価値は、無きに等しい……か」
動物、魔物の毛皮は。
基本、一枚皮であってこそ、その商品価値が在る。
肉ではなく、皮を売るのであれば。
傷は最小限に。
「頭部への必殺の一矢。此に尽きるわい」
皮職人が求める最高品質の物は。その様な条件が付くのだと聞く。
検めて”霧”は、自身の持つ”商品”をじっくりと視た。
「……こんな襤褸を売ろうとしていたのか、わたしは……」
無数に開いたこの刀傷では。
使える部分を、何とか継ぎ接ぎしたとて。この様なボロ皮では。
精々、大人ひとり分の袖無しくらいにしか成らぬだろう。
放り投げようとしたが、一瞬躊躇し。
この様なボロでも、頭から被れば夜露くらいは凌げよう。
既に”霧”は。都会の街中で野宿する覚悟を、腹に決めていた様だ。
「……砂金、かぁ……」
確かに”霧”たち内偵者は。
任務に当たり、軍資金として一握りの砂金を手渡される、筈であったのだが。
「そんなもの。あの上役殿の懐を、僅かに暖めただけよ……」
その様な不正が、まま罷り通る時点で。”七星”の国の程度が伺い知れると云うものだ。
「……やはり。此を契機に、此の地に定住してしまおうか……」
一向に絶えることの無き不平不満と、溜まりに溜まった鬱憤の果て。
遂には摩耗しきり、とうとう品切れへと陥ってしまった”霧”の鉄壁なる”社畜精神”は。
主家を。故郷を捨てる。そのひとつの決心を、”くノ一”に与えてしまっていた。
◇ ◆ ◇
「……なんつーか。何処の国も、”上”ってなぁ腐ってやがンだなぁ……」
光を強く跳ね返す漆黒の嘴を器用に使い、湯飲みを傾けて。
烏天狗”鳴門衆”を束ねし頭領、八咫 宝栄は、延々と続いた”霧”の愚痴を、辛抱強く聞き流した。
────思い詰めた人間、と云うものは。こうも恐ろしく、思い切った事を為出来すのか。
宝栄は嘴の内に隠れた、黒く長い舌を巻いてみせた。
先代の幻斎は。
自身の人生と、一族の夢を賭けた召喚魔法陣が、全く使い物にならぬと云う”真実”を知り、最期は狂い果てた。
自身の持つ全ての生命力を燃焼し、無理矢理に”回路”を繋げようとしての、云ってしまえば、ただの自殺だった。
だが、あの時の幻斎は。
どうしても、此を為さねば成らぬ。その一念だったのだろう。そうで無くば、全生命力を燃焼し尽くしてみせるなどとは。出来よう筈も無いのだ。
「……わたしが出せる情報は、全てお話し致しました。わたしに、仕事と、寝る場所と、食べ物を下さい。今すぐにっ!」
「ああ。わーった、わーったって。アンタも無駄に苦労して来たンだな。今日の処は、ムサい宿舎で勘弁してくンな。明日、ウチの”お頭”の尾噛様に引き合わせてやっから」
彼女は、どう為様も無く切羽詰まった状況に追い込まれていた。
それだけは理解してやっても良い。宝栄も心からそう思ってはいるが。
「……最後に。ひとつだけ聞かせてくれや、嬢ちゃん。アンタみたいな”草”にゃ、故国では、監視役を付けたりしないモンなのかい?」
”草”などという存在は。
国にとっては。所詮、数在る”鉄砲玉”と呼ばれし駒の、そのひとつに過ぎぬ。
だが、その癖。最底辺どもの脱走、裏切り行為に対しては。余りに過敏になり過ぎるきらいが在るのも、また事実なのだ。
「ああ、それですか。”監視役”を任される様な上級兵なんぞが、あの様な高き壁。特殊な装備が有っても超えられる訳が……」
「……納得した。すまん。俺としたことが、余りにつまらん質問をしちまった」
腐った上役。
腐った底辺。
その意味は全く違えど、どちらも彼の国にとっては。簡単に機能不全に陥ってしまう程度には深刻な問題が、そこには横たわっている様だ。
「……ああ、それと。恐らく、ですけれど。わたしのお仲間たちが、近いうち此方へと殺到してくるのでは、と思いますよ?」
「……だろう、なぁ……」
”監視役”が端から存在しない”草”なんぞは。
「裏切って当然かと。祖国では、わたしたち”くノ一”なんてのは。使い捨ての代名詞でございましたので。更に云えば”倉敷”は。我らの眼には<理想郷>そのものに映って見えたのですから」
「理想郷、ねぇ……?」
確かに、鳴門の本拠地に比べれば。この都は天国にも等しいと云えるだろう。宝栄は頷きつつも。
「……とはいえ。他国の草どもを全員雇うってなぁ、流石に”あの御方”でも……」
どれだけの人数の”草”が”七星”の国から此処に飛ばされているのか、それは宝栄も想像の外だが。
急遽喚ばれた<鳴門衆>だけでも、充分間に合う現在の状況では。
(ま、そこを俺が心配してやる義理はねぇ、か……)
所詮は他人事に過ぎぬのだ。宝栄は、考えること一切を放棄した。
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