第358話 異邦人が見た”倉敷”
「……最近、あの姉さん方。全然来てくんねぇなぁ……」
「来たら来たで炊いたお米、全部平らげられちまうからって。アンタ、毎度ブー垂れてンじゃないさ?」
尾噛家が誇る食欲魔神の雪 琥珀、楊 美龍、千寿 翠の三名の家人たちは。
”倉敷”の都に点在する、とある高級料亭から。果ては立ち食い屋台やら、立ち呑みの居酒屋に到るまでの、ほぼ全ての飲食店に於いて。
「ヤベぇ、アイツら。開店早々顔出して来やがったっ! おいっ、小僧。今すぐ市場に走れっ! 何でも良いから、少しでも腹に溜まりそうな奴を適当に買い占めて来いっ!!」
……等と、店の厨房奥では大恐慌が起こる具合だ。
まぁ、それでも。
「……何時もニコニコ現金会計で。本当にありがてぇ存在なンんだけどよ」
『ごめん。今持ち合わせ無ぇから、ツケ払いでよろしく頼まぁっ☆』
……などと。
店主に云わせれば、どこぞのチンピラどもとは違い。
彼女達に限って、そんな巫山戯たことを絶対に言わない安心感が、そこにはあるのだが。
「何言ってンだい、アンタ。あの娘たちにそんなこと言われた日にゃ、ウチなんて貧乏飯屋は、即破滅さね。今日のお飯すら食いっぱぐれっちまうよ」
「……精々、姉さん方の喰った後の皿を舐めるくらいしか。俺らの飯は、残って無ぇだろうなぁ……」
下手をしなくとも。今挙げた三名の内の二名でも、一度に店に訪れた時点で。
ぬか床に浸けたばかりの茄子の、その一本すらも食材が残らぬのだから。店主と女将の間で交わされたこの会話の内容は、決して大袈裟なものでは無い。
「いや、だけどよぉ。ここ半年ばかり、顔を出してくンねぇとなると……ウチの味。飽きられちまったンじゃねぇかと不安になって来ねぇ?」
「……ああ。なんだかんだで、あの娘たちは、ウチの良い宣伝になってくれてたからねぇ」
どの店でも、その日に仕込んだ全ての食材を、今正に食い尽くさん。
そんな勢いで、次々に卓の上に乗った皿から料理が消えていくのだが。
「あんだけ美味そうに喰ってくれりゃあ、料理人冥利に尽きるってぇモンよ」
「あの娘達、食べ方がホント綺麗だから、見ていて全然嫌味に感じないンだよねぇ。そのせいか、皆釣られて食欲が湧いちまうみたいでさぁ……」
彼女達が訪れたら、誇張でも何でもなく。店内の食材が何も残らないのには。
そんな経緯があるのだ。
引っ切りなしに飛び交う、何ら怒号と変わらぬ注文と。
ひぃひぃ云いながらも、何処か充実した表情の従業員達と。厨房と給士とお客の、あの活気ある一体感を思い出し、店主は何処か遠くを見つめるかの様に深く溜息を吐く。
「……だからよぉ。俺ぁ、すげぇ寂しいンだよ。皆、うめぇとは、確かに云っちゃぁくれるが……」
「そうは云っても。アンタさぁ……」
他に比類無き大食漢の癖に。
量だけでなく、無駄に高い質も同時に求めて来る美食家なる三人は。
「何か不満が少しでもあったら、その場で云って来てたじゃないさ?」
「……そういや、そうだったな」
だから、彼女達が店の味に飽きた。その一点だけは絶対に無い。そう女将は断言する。
「聞けば、あの娘達って。確か”倉敷”の殿様にお仕えする大層お偉いお役人さまらしいし。きっとウチに来れないほど、今はお忙しいに決まってるさね」
「……だと、良いンだがなぁ」
何処までも前向きに後ろ向きな発想しか出して来ない、常に自虐的な考えに囚われた店主の尻を蹴っ飛ばし、女将が大きく咆えた。
「いつまでも、つまンないことでグチグチグチグチとっ……お客は少しも待っちゃくれないンだから、さっさと店を開ける準備でもしなっ! そんな為体じゃ、あの娘達は、絶対ウチの店にゃ帰って来てくンないよっ!」
「はっ、はいぃぃぃ~!」
だが、実際に。
他よりも多く給金の出ている彼女達の様な、所謂”高級士官”たちがその富を無駄に蓄えたりせず、絶えず放出してきたお陰で、倉敷の街の経済が大きく回っていたのは事実で。
更には”魔”の尾噛家や、四天王の一角牙狼家に依る投資だけでなく。
倉敷の”地頭”祟立案による政策が着々と実を結び、今や”倉敷の都”は、帝都とも並び称される程に、その経済規模も巨大になりつつあった。
経済が上手く巡る様になれば。当然、その富を求めて人も集まり増えて行くものだ。
雑多な人種が犇めくその中に在って。
”七星”の放った内偵者たちも。煌びやかな”都”の影で息を潜め、彼らの生活の様子を具に観察していたのだ。
◇ ◆ ◇
「……何なの、この”都”は?」
”七星”の内偵者のひとりであり、仲間内では”霧”と呼ばれてきた”くノ一”は。
近く本国の手に依って炎の内に沈むだろう”倉敷”の街を、
『貴様の眼で、具に視て来るが良い』
常日頃から。頭の中で縊り殺すことばかりを夢想して止まなかった、敬愛する上役殿からそうと命じられてしまえば。
この世界、この時代に於いて。
彼女を一言で表すのに、丁度良きその”単語”の登場を待つには。更に1000年近くも遠き先になるであろう。
そんな悲しき哉、何処までも我が身を犠牲にしてまで働く”社畜”の鏡たる彼女は。その身を粉にし、苦心の旅路の果てに、漸く目的地に辿り着いてみれば。
「卑しき獣人どもに混じりて。人間も、鳥人も。屈託無く笑うておる……だと?」
今や”七星”の輝かしき首都として、焼け野原から目まぐるしい復興を遂げた”八幡”の都をも超えるその街並みは。
大きさも。更には、最初から完璧な計画に基付き細部まで設計されたのであろう、整然と規則的に張り巡らされた道路や水路に。
「果ては。異臭も全く為ず、ゴミも落ちておらぬ。とは……」
中世ヨーロッパでは。
人の排泄物や、ゴミなどの処理に関して。
ただ、そのまま川に垂れ流すのが常であり、街の中央を流れる用水路などからは異臭が酷かったらしい。
当然そうなれば。疫病が容易く蔓延するのは自明の理であろう。
倉敷の街はと云うと。
「ええっと。確か……し尿やら糞の処理に関してだが。それらをそのまま水路に流しちまったら、病気の元になるから絶対にやっちゃあダメだぞ? 祈、人が集まる”街”を管理するってンなら、衛生環境には酷く敏感でなきゃいけない。人が多くなればなっただけ、病が広がる速度も一気に速くなるからな」
21世紀の地球を無駄に生きてきた”無産のオタク”代表でもある俊明が。
無意味に広く、その癖して表面上しかなぞることのできない、余りに薄過ぎる乏しき知識を披露し。
「厠は汲み取って肥料として利用。生活排水は、一端どこかで貯めて定期的に綺麗に……ええっと、確か……」
「<浄化>?」
「そう、そのピュリをやってから海に流せば良い。こっちもそのまま流しちまうと、あんま良くないかんな」
無論、汲み取りや<浄化>、ゴミの処理を担う者たちは。
「臭い、汚い、キツい。この”3K労働者”には。充分に給料を弾んでやれよ?」
「うん、そうだね。とっしーの言う通りだ」
街に属する”役人”として。
一般兵の凡そ3倍以上にも相当する俸禄が出ることから、地方の次男、三男以降の者からの希望者が殺到しているらしい。
そんな運営の裏事情なぞ、一切何も知らぬ”七星”の内偵者は。
街の様子を眺めるにつれ。ただ、唸るしか出来なかった。
「種族の垣根が無さそう。更には清潔で豊かな街で暮らす。<理想郷>の噂は、真実なのであろうか?」
”霧”は。
<理想郷>の住人として、豊かな日々を生きる。
そんな妄想を一瞬、脳裏に描いただけで。どうしようも無き多幸感に包まれた。
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