第355話 無双の前に、できること。
「ンじゃ、弥太郎。我们走吧♡」
「……は?」
隣に立つ竜の女の放った言葉が、弥太郎の脳へ深く浸透するまでに。
大体饅頭ひとつ分。それを胃の中に全て収めてしまえるくらいの、わりとタップリな時間を要した。
「……待て。いや、ホント待ってくれ。アンタ、正気か?」
「美美、こんな時に冗談なんか云わないヨー。二话不说、赶紧殺ってくるが良いネ。てゆか、今の内殺っとかないト。どんどん難易度爆上がりするだけヨー♡」
美龍の指摘する通り、どうやら此処が、壁を越えた敵たちが定めた集合地点だったらしい。
発見当初は200いるかどうかであったのに。ほんの半刻程度の間に、さらに100くらいは増えていたのだ。
ただし、そんな彼らも。
壁を越える為に、かなりの消耗を強いられてきたらしく。
夜営の装備すら所持してない部隊も多く、遠目からでもはっきりと解る程度には、士気が低かった。
「重い荷物を背負ったままでは、あの壁を越えられなかったか。然もありなん……」
「だから今が好機なのヨー」
自身の手荷物を捨て、更には、部隊の共有装備をも捨ててまで。
身を守る為、必要最低限の具足と槍を背負い、何とか目的を果たしたは良いが。
「アレが目的と手段が入れ替わった你这个白痴の末路って奴ヨ。本来、壁を越えてからが本番、なのニ。奴らは壁を越えること、それを最終目標にしてしまった訳ネ」
「……物資の大半を、壁の向こうに置き去りにして。その後彼らは、一体此の地で何を為すつもり、なのだろうか?」
「────さぁ? 美美、そんなの知らないヨー」
どう見ても、今夜の食事すら妖しそう、なのだから。このままだと、早晩、近隣の村は。略奪の憂き目に遭うやも知れぬ。
彼らが大人しく山野の獣でも狩って、日々の糧を得よう等と考える訳が無い。
手を出すには危険過ぎる野生の獣などを相手取るよりも。何も知らぬ農民を襲う方が、より安全で確実であるに決まっているのだから。
「だカラ。从不久前开始”殺れ”と。美美云ってるのヨー。主さま直属の従者になりたけレバ、このくらいは当たり前に熟してくれなきゃ。推挙なんて、とてもとても……」
「……マジかよ……」
確かに弥太郎には。
倉敷の”地頭代”尾噛 祈に。拾って貰った恩がある。
命を救ってくれたばかりではなく、新天地での生活も、彼女は面倒をみてくれたのだ。
この大恩を返す為には。
「……他に何の技術も持ち得ない無能な俺では。戦働きでしか、返す術が無い」
「だったラ。何を躊躇う必要あるネ? 思い立ったら吉日。それ以外全て仏滅ヨー☆」
仏滅の意味は解らなかったが、彼女の口ぶりからして、どうやらあまり縁起の良いモノでも無さそうだ。
弥太郎は、此の場で腹を括ることにした。
「────ちょっと待つネ。お前、まさか不假思索そのまま突っ込むつもりだたカ?」
「は? ”奴らを殺せ”と云ったのは、アンタじゃねぇか」
何を今更。
真顔でそう返す弥太郎を見て、美龍は失望の溜息を、腹の底から空気を全部絞り出すかの如く深く吐いた。
「你是个笨蛋……300近い兵隊さん相手ニ。何の策も無くひとり無闇に突っ込む……コレを笨蛋と云わズ、何を指すネ?」
「ならば、どうしろとっ?!」
苛立ちが顔と態度から滲み出る弥太郎の若過ぎる反応に、美龍は思わず天を仰いだ。
「……没办法。今回限りヨ? お前は、其処で大人しく見てるが良いヨー」
そう云うや否や、美龍は。お世辞にも決して豊かとは云えない懐の内に手を差し入れて。
「”斥候”を希望するナラ、何種類かの”お薬”は。常に懐の内に忍ばせておくべきネ♡」
<五聖獣>の祝福を得る以前の彼女であっても。
500程度の雑兵なぞ。美龍にとっては何の障害にもならぬ、文字通り取るに足りぬ相手だ。
であるが、所詮は。
「一般の魔導士よりも、ほんの少しだけ上、かな?」
程度の技量しか持たぬ弥太郎では。
『まぁ、ウチの祈しゃまの仰る”一般”と云う枠組み自体が。そもそも規格外過ぎるお話、なのですけれど……』
そうわりと深刻そうに嘆息する、<白虎>直系の血を引く同僚の顔が脳裏を過ぎりながらも、美龍はと云えば。
(そういや、”薬学”辺りなら。爸爸が溜め込んでいた書物、家に沢山在った……筈だよな?)
未だ列島の共通語が、咄嗟には出て来ない事もあるせいで。
(口で説明するの、面倒臭いし……)
────それで、済ませてしまおう。
これを聞いたら、祈なら。
多分、普通に美龍の怠慢を怒るだろう。
だから、内緒にしたままで。
「コレが麻痺毒ヨー☆彡 ンで。コレが、神経毒ネ。少しでも吸っチャうと簡単に死ねるカラ、くれぐれも取り扱い注意ネ♡」
「……うげぇ」
弥太郎の目の前には。
今まさに。”地獄”が広がっていた。
いや、弥太郎は。今までの生涯で、一度も地獄巡りなぞを経験したことはない……ない、はずだ。
だが、そんな真の地獄を知らぬ筈の彼ですら。
竜の女が作り出してみせた”景色”が、
「きっと。これこそが”地獄”と云う奴、なのだろうな……」
そう確信を持って断言できる。
それくらいには。凄惨過ぎる光景が、彼の目の前には広がっていたのだ。
「你已经死了! あははーっ☆」
そんな地獄を楽しそうに演出する美龍の輝かんばかりの笑顔を見て。
「俺、あんな奴が主と仰ぐ女性の従者になるの。何か、ちょっと嫌だ……」
自身の決意。その根底から一気に崩壊していく音が、彼の脳裏で響いていた。
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