第351話 ”戦後”の消失した日
「兄さまったら。どうもダメなところばかりが、とうさまに似てしまったみたいで……」
最も信頼できる家人のひとりである千寿 翠から。此度の一件のあらまし、その全てを念話で聞いて。
可憐な薄桃色の唇から、溜息と共につい零れ出でた言葉がこれだった。
「ああ、己にも経験がある。なまじ自身が優秀過ぎるが故、他人を計る物差し自体が既に狂うておる典型例だの……それに依り相手が傷付くのも、また困り果てる羽目になろうとも。元より奴らには完全に欄外よ。しかもそれを一々指摘してみせた処で、抑も自覚が無いと来ておる。端から話にもならぬわ」
遠き外海を隔てた向こう側の陸地では、未だ戦の残り火が燻り、その後処理に追われていると云うのに。
こうして縁側で日向ぼっこがてら、のんびりと緑茶を喫み、茶菓子を摘まむことに。少々の後ろめたさを感じつつも。
それでも、尾噛 祈と、祟の夫妻は。
日々の苛烈な業務に追われているが故、揃って休憩の時間を取れる機会は極めて稀である。
で、ある以上は。この滅多に無い貴重な時間を、家族三人で満喫する事を選ぶことに。何の誹りも受ける筋合いは、絶対に無い筈だ。
「お前には。他人の心を慮れる、そんな心優しき大人へと育つことを。父は切に願わん……」
「う?」
祟に抱き抱えられ安心しきった息子の真智は、数え3つを迎えていた。
異世界だろうが、そもそも中世の頃の子供と云うものは。
日々の食事から滋養を得ることすら儘成らぬ貧しき者たちが大多数を占めているが故に。
元来、体力の低き幼子などは。ほんの少し体調を崩した程度でも、そのまま致命の危機へと直結してしまう。
「よくぞ、今まで健やかに育ってくださいました。此からも、爽健であり続けます様……」
「あいっ☆」
この年頃の男の子は。
同年代の女の子と比べると、脳の構造自体が異なる故か。言語野の反応速度と発達状況は、幾分劣るのだと云われている。
親から出る言葉の意味は、それなりに理解はしていても。カタコトの返事が出てくるだけでも、かなり上等な部類、らしい。
「やはり、真智は賢いのぉ。流石はお前の子だっ!」
「だっ☆」
「……もう。よしてくださいまし、祟さま。それではまるで我らが”親ばか”みたいではありませぬか」
(みたい、ではなク。まさにそのものなのヨー)
親子団欒の時間を邪魔しない様に。
三人の護衛を務める楊 美龍のツッコミは、心の中だけでのみ行われた。
◇ ◆ ◇
「異常なーし」
列島を縦に分断する”国境の壁”、その長城では。
帝国側と、敵国側。
その明確なる”線引き”を果たし、また侵略の意図を全く隠す素振りすら見せぬ悪辣なる侵略者、”七星”国の動向を、壁の上から監視する役目も担っている。
国境の壁は、魔導士達総出で土の魔術を操り造り上げた特別製だ。
鉄製の道具程度では小揺るぎもしないその強固な壁面は。恐らくは上級魔術の直撃にも耐え得るだろうと、彼らの師たる祈からも太鼓判を捺された程である。
「……さて、交代の時間だ。確かお前は、明日非番だろう? 配給の酒が出る筈だ。それを呑んでさっさと寝てしまえ」
「ああ、本当にありがてぇことだ。飯は美味いし、酒も出る。士官して良かったよ」
国境の警備兵には。俸禄とは別に週に瓢箪ひとつ分だけだが、酒が支給される。
この配慮は、”食の軍師”との呼び声高き牙狼 鉄発案による施策のひとつだ。
下戸の人間でも配給された酒は。他の呑兵衛どもへの”貸し”にしたり、売って財貨に変えたりと、得難き臨時収入となる。
「で。これがまた上等な酒なんだよなぁ……」
「何でもアレ、造酒司謹製の高級品らしいぜ? 嘘か誠かオレも知らねぇんだけどよ」
実際に、律令制が生きていた過去の日本では。
宮内省管内に、酒造を専門に行う役人集団、”造酒司”がいたとされている。
時節を祝う為の御神酒を主に醸していたらしい。
どう考えても、一般兵の皆様如きが口にできる類いのモノでは決してないのだが。所詮は、
「だったら良いな」
程度の、願望を含むただの噂に過ぎない。
それでも、”食の軍師”の二つ名に妙な誇りを持っているのか、鉄はその品質にも一定の拘りがあるらしく、この時代では珍しく、しっかり火入れのされた良い酒を配っていたりもするのだが。
「良い季節になってきたのか、今日は飯に何時も以上に美味いモンが出たぜ」
「そりゃ嬉しいねぇ。何が出たのか、教えてくれよ」
現場の士気とは。兵達の腹が満たされていてナンボである。
兵が飢えてからでは、その挽回は実質不可能。これも”食の軍師”たる鉄の経験に基づく持論だ。
「そんなの、ネタバレしちゃダメな奴の最たるモンだろうが。秘密に決まってんだろ」
「ちぇっ。相変わらず固い奴だよ、お前さんは」
そんな同僚の軽い言い合いに妙な心地よさを覚えながら、今夜の酒のアテに思いを寄せた途端に、その兵は。
「がっ……」
「敵襲ぅー!! 敵襲だーっ!!」
飛来した矢によって絶命したのだ。
◇ ◆ ◇
「……とうとう来おったか」
”鳥取”を守護せし”地頭”第五皇子光雄は。
早馬と共に駈けてきたその”凶報”に、眼光鋭く呟いた。
未だ迎撃への軍備と体制は途上。
だが、相手はそれを待ってくれる訳も無し。
「損害の報告は、一切の虚飾を入れぬなよ? 事実のみを客観的かつ簡潔に、だ」
”奮闘”だの”健闘”だのと。その様に無駄な脚色を施してみせたところで、戦場で散った将兵たちの魂にとっては何の慰めにもならぬし、まただからと云って戦況が良くなる訳でもない。
それどころか。
「彼我の戦力差を推し量れぬ様になるだけで”害悪”に過ぎぬわ」
最高意思決定職に、そうだと断言されてしまえば。
戦史を編纂するのみで、現場も知らぬ頭でっかちの軍務たちは、
「此が戦場に於ける慣例にございするので……」
などと平然と口にすることもできず、渋々頷く他は無かった。
「一応、国境からは”倉敷”にも早馬が出ておるだろうが。一応、此方からも文を出せ。急げよ、情報は正確さと新鮮さこそが生命ぞ?」
”国境の壁”の破壊は。凡そ人の手では、困難なのだと光雄も聞き及んでいる。
魔術を用いても、あの尾噛の当主ですら、
「馬を通そうとするなら。半日は、最低欲しいかなぁ……?」
との話だが。
「別に苦労して破壊せずとも、馬を通すだけならば、橋をかけるなり、穴を掘るなり……方法は幾らでも思い付くわ。要は敵に時間を与えるな。それだけだ」
壁は、そのまま強固な砦と成り得る。
如何に少数の兵であっても、やりように依っては時間稼ぎくらいならできる筈だ。
兵の教育には。”倉敷”と”鳥取”、二拠点に置かれたどちらの”地頭”も、常に心を砕いたのだから。
「……あの”元”兄ならば、此くらいやってくれるだろうさ。いや、やって貰わねば困る」
嘗て中央大陸の大半をも支配下に治めていた”帝国”であろうとも。
所詮は、過去の栄光。
落ちぶれた今では、列島の一部に領土を持つ小国、そのひとつに過ぎぬのだ。
「だが。後背を気にすることのないこの戦ならば、現状持ち得る最大戦力を一気に出せば良い。単純な話だ」
だが。最も単純なそれが効くのは、壁の向こう側の敵を押し込む時だ。壁を突破されてからでは、完全に手遅れとなる。
「やはり。予は、論ばかりが先行するきらいがある。経験が乏しいせいもあるが」
────今回、丁度良き機会が訪れた。
(等と口にするのは、流石に憚られよう)
如何に”厚顔不遜が服を着た”等と影口を囁かれる光雄であっても。
空気を読む時もあるのだ。
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