第35話 大魔導士マグナリア
「八尾っ! おい、一馬!」
その場に両膝をついたまま、動かなくなった一馬の身体を、望は抱きかかえた。だが、すでに一馬は事切れている様だった。
「……すまない。お前を、選ばなければ良かった……」
八尾一馬は、尾噛が武門を誇る家であるが故に、数少ない魔術師の一人だった。
代々、”冷や飯食い”とすら云われた部門の中で、一馬はその事に腐る事無く、魔術の腕を磨く希有な人物として、当主の座を継ぐ前から望は知る存在だったのだ。
(……こんなくだらない事なんぞで失って良い人材では、決して無かったと云うのに……)
どんなに一馬本人に恨まれようとも、祈の提案を受け入れるべきでは絶対に無かったのだ。深い後悔の波が、望の心をかき乱した。
一馬の骸を抱き抱える。
「今暫しの、時間をくれ。せめて、こいつを連れて行くまでの……」
牛頭の先鋒に、望は頭を下げ願い請う。本音を言えば、今すぐ此奴の頚を刎ねてやりたい。だが、こんなくだらない見え透いた策に、簡単に引っかかったのは自分なのだ。それは八つ当たりの行為でしかない。
まさか敵の将が、自分に頭を下げるとは思っていなかった牛頭の先鋒は、僅かに鼻白んだ。
身分の遙かに上の者がこちらに頭を下げてみせたのだ。ここで皮肉の一つでも言ってやろうかと一瞬考えたのだが、望の鬼気迫る表情に、牛頭の先鋒は黙ったまま、ただ首肯せざるを得なかった。
静かに、重い足取りのまま、望は一馬を抱え、自陣まで歩を進めた。
「はい、ノゾム。早くその子を置いて。今ならまだ間に合う筈だから」
望を待っていたのは、大魔導士マグナリアだった。
「いくら優秀な魔導士の貴女でも、無理です。一馬はもう死んでいるのですから……」
頭を振り、望は悲痛な想いで言葉を紡ぐ。自身の招いた結果が、腕の中にあるこれなのだ。特別な祝福を受けた者以外の、死者の蘇生は不可能。これは常識なのだ。
「肉体と魂を繋ぐ”縁”が切れていなければ、まだ勧善懲悪には死んでいないのよ。駄々こねてないで早くなさい。もし間に合わなかったら、あなたも一緒に殺すわよ」
蘇生魔法とは、厳密に言えば、死者蘇生の魔法ではない。損傷激しく死にかけてしまった肉体を、何とか生きていられるレベルにまで再生する魔法である。当然、失った魂は二度と戻らない。
俊明が使う術体系には、”反魂の術”というものも存在するが、それは半死人を作り出す為の技術で、こちらも厳密には死者蘇生のそれではない。だが、もし間に合わなかったらそれを試すのも良いかなと、マグナリアはちらと考えているところが、”守護霊その3は物騒”と周囲が評する所以である。
「しかし、マナを取り巻く状況がこれでは、マグナリア殿も満足に魔法が使えぬのでは?」
「あんなヘッポコ術士相手なら、あたしにとっちゃフリーと何ら変わんないわよ。でも、そんなヘッポコな彼の必死な努力にも、当然報いてあげないとね……」
マグナリアが両手を掲げると同時に、辺りは完全な暗闇に覆われた。地下であるのに、昼間と変わらない程に煌々と照らされていた闘技場全体が、急に光を失ったのだ。突然の事態に、周囲は騒然となる。
「ここの施設から、マナを全部取り上げてやったわ。これで時間稼ぎと、魔法に必要なマナを充分に確保。一石二鳥ね☆」
観客席のあちこちからから轟く、多くの悲鳴と怒号……完全にパニックに陥った周囲の状況を考えるだけで、望と祈は、胃が急激に痛みだすのを自覚した。
照明に光が戻り、安堵と静寂が訪れた時には、マグナリアは必要な措置を全て終わらせていた。
あの混乱で、観客席やそれを取り巻く周囲の被害は如何程であったか……尾噛兄妹は、その事に触れるのを放棄した。
「……この場での腕の再生は、完全にとはいかなかったけど、まぁ後で回復術を数度かければ何とか元通りになるでしょ。勝手に決めつけて、感傷に浸って。無駄な時間をかけた貴方のせいよ、ノゾム」
迅速に対応できていれば、完璧な処置ができたんだぞ。と、望の鼻の頭を人差し指でぶにっと押しつぶしながら、鬼の女は尾噛の当主を責めた。
少しでも可能性があるのであれば、何が何でもそれにしがみつけ。勝手に決めつけて諦めるな。人の上に立つということは、それが常に求められるのだ。そう似合わない説教までを交えて。
「ありがとうございます。おかげさまで、僕は大事な家臣を失わずに済みました……」
「いいのよ。でも、次鋒は棄権させなさいな。あの子は、この子より一段落ちるのでしょ?」
一目見ただけで、そこまで看破できるのか。望は、その通りです。と頷く事しかできなかった。
「尾噛は次鋒を棄権する。次の五将を出す」
望の宣言に、観客はどよめきで応えた。これでは、ただ相手に勝利を与えただけではないか。試合数が一つ減ってしまった事に、一部の観客から「金返せ」と罵声すら上がった。
牛頭の先鋒は、自身の手で何もせずとも更に一勝を得た。心の中に潜む獣性を、満足させてやられなかった事を少し残念がりながらも、胸を反らし自らの功績を誇っている様であった。
「ふん、女か。お前もみたところ魔術師の様だが、今の状況で勝てると思っているのか? 泣いて許しを請うのなら、その服を引っ剝がすだけで、許してやらん事もないぞ?」
(……思い上がった醜い顔。この結果は自身の実力で引き出したものでもない癖に……こんな奴の顔を、徹底的に踏みつけ、痛めつけて、苦痛と屈辱に歪ませてやるのが、最高の娯楽なのよね)
マグナリアは、目の前の相手を、ただ殺すだけでは済まさない。そう心に決めた。
「醜男なんかと話す趣味はないわ。臭いから、その口閉じて頂戴」
態と鼻をつまみ、あっち行けと挑発してやる。先ほど吐いた台詞で、目の前の奴の品性は理解した。こんな下劣な奴と会話をする趣味など、マグナリアには一切無かった。
「貴様ぁ……絶対に後悔させてやるぞ」
「臭い。黙って」
「では、お互い勝利条件の追加はあるか?」
「無い。この女を、徹底的に剥いてやるだけだ」
「あたしからは、『開始位置から一歩でも動いた方が負け』で」
尾噛の女術士の吐いた言葉を、牛頭の先鋒は、理解が出来なかった。
マナの支配率は、こちらがほぼ完全に掌握しているのに、今こいつは何と言った?
普通に考えれば、先鋒戦の二の舞にしかならない筈だ。確かに尾噛の先鋒は、あの状況下でかなりの時間粘って見せた。術士として高い実力を持っていたのだろう。
だが、尾噛は武家である。そこまで術士の層が厚いとは、牛頭の術士はそんな評判を聞いたこともないのだ。
「牛頭側、それで良いか?」
「構わん。解らせてやる」
尾噛側の提案により、勝利条件が追加された。会場内に、その事が大きく伝えられ、観客からは大歓声で応えられた。
先鋒戦と同様、壁側の端いっぱいまで寄った両者の開始位置に、一方的な殺戮ショーの再現となるだろう。大部分の人間が予想した。
「念には念を入れて、あなたの足を固定してあげましょうか?」
「あん?」
マグナリアが右手を掲げると、照明の一部の灯りが、一瞬だけ消える。足に違和感を覚えた術士が視線を下に向けると、砂によって形成されたであろう、獣の爪の様なモノが、がっちりと術者の足先全体を咥え込んでいた。<地面固定術>である。
牛頭の先鋒は、驚きと同時に底知れぬ恐怖を覚えた。照明が一瞬消えた事と、足先の固定術……あの女は、今照明から強制的にマナを奪ったと云うのか?
そんな事、自分にはできない。恐らく師匠であっても、そんな芸当なぞ無理だ。
だが、目の前の女は、それを事も無げにやってのけたのだ。
────不味い。勝てる気がしない。
そう思った。
「いざ、尋常に勝負!」
戦いの合図が上がると同時に、牛頭の術士は、<炎の矢>を矢継ぎ早に撃ち込んだ。先手必勝。マナが奪われる前に、あの女を殺すしかない。それしか無いのだ、と。
「あら、必死ね」
涼やかな顔のまま、尾噛の女術士は立ちつくすつのみである。牛頭の先鋒が決死の覚悟で撃った数々の魔法は、何故か全て女から逸れていくのだ。逸れた炎の矢は、観客席を隔てる木の壁に着弾し、焦げた穴を複数開けた。
「ダメよ。魔術師相手に魔法を撃つ時は、ちゃんと呪文を詠唱して、標的へと座標を完全に固定しなきゃ。敵から飛んでくる無詠唱魔法の軌道を反らすなんて、実戦においては初歩の技術でしょうに」
魔法の発動は、標的までの距離、もしくは固定すべき標的、その数、そこに込める威力……全て呪文の詠唱時に宣言し、決定、固定してから行う。
無詠唱魔法の難度が急に跳ね上がるのは、それら呪文で行うべき細かい調整を、勘で何となく行う為でもある。当然術士の練度により、次第にその必要は無くなっていくのだが、術者の実力に開きがありすぎる以上、その調整を怠り、不十分な制御のまま発動した魔法に介入するなど、とても容易い。
そんな技術があることなど、牛頭の先鋒は知らなかった。師匠からそんな話は聞いていない。女に対する恐怖が更に増した。
「じゃ、こちらから行くわよ。かの者に向け、心安らかなる灯りをともせ……<篝火>」
マグナリアの指先から、青白く揺らめく炎が浮かび、牛頭の術者に向けてゆっくりと漂い始めた。
それを見た牛頭の術者は、今までの尾噛の術者に覚えた恐怖はただの杞憂。幻想だったのだと、安堵と共に確信した。
そうだ。目の前の術士がいくら実力を持っていようと、今女の手にできるマナでは、あの程度の魔法しか使える訳が無いのだ。と、マグナリアの放った魔法に、牛頭の術士は爆笑を持って応えた。
「ぎゃはははははははは! 何だ、偉そうな事を言った癖に、結局そんな超初級魔法しか出せてないじゃないか!! <篝火>程度じゃ、そこらの庶民ですら、ちょっとした火傷しか負わぬぞ」
「あら。あたしの<篝火>は、ちょっと他のとは違うわよん? 宣言してあげる。あなたはこの小さな炎によって、この世から消えて無くなるでしょう」
「できもしない事をほざくな。そのちんけな篝火ごと、俺の魔法でお前を貫いてやるさ!」
術士の男は、炎の矢を詠唱して放つ。相手の魔法を反らす技術…そんなものは初耳であるが、目の前で実際にやられたのだ。ならば対処はしよう。
どうせ相手は、あの篝火を出すだけで精一杯の状況なのだ。こちらが詠唱をする時間はタップリあるのだから。
尾噛の女術士に向けて、炎の矢は真っ直ぐに飛ぶ。だが、青白く揺らめく炎の遙か手前で、牛頭の術士が放った魔法は消滅した。自身が思い描いていた未来予想図とはあまりにかけ離れた現実に、牛頭の術士の思考が一瞬止まる。
「あらあら。あなたの魔法があまりにも貧弱すぎて、超初級魔法にすら打ち負けちゃったわよ? 恥っずかしい~」
女の嘲笑に、男の顔が瞬時に真っ赤に染まる。
「お前の魔法は貧弱すぎる」そう言われては、術士として面目一切を踏みにじられたも同然だ。これに耐えられる人間は早々いない。
「くそっ! 貴様、何か不正をやっておるか!」
「まさか。貴方たちとは違って、あたしのは完全に実力よん。悔しかったら、さっき言った通りにやってごらんなさいな」
「言われなくとも!!」
炎の矢連打。炎の槍、その連打……
それらの全てが、篝火の炎を揺らす事すらも叶わなかった。男の顔がみるみる内に恐怖に歪む。
「ほら。そこで休んでないで何とかなさいな。もうちょっとしたら、篝火の熱が貴方にも届いちゃうわよん?」
ゆっくり、ゆっくりと進んでくるか弱き炎。だが実際はどうだ? 男が放つ数々の魔法を一方的にかき消し、届きもしない。信じられないが、こちらに進んでくるのは、そんな絶望的な超初級魔法だ。
男は直ぐにでも、この場から逃げ出したかった。開始前に決めた勝利条件の追加により、一歩でも足を動かせばその場で即座に負けになる。それでも良いと、男は思った。
今この場で命が助かるのならば、後でどんな咎を受けようと、遙かにマシだと思ったのだ。
……だが、女の作り出した地面固定術によって両足をがっちりと固定され、今男は一切の身動きがとれないでいるのだ。
「助けてくれ。俺はまだ死にたくない……頼む。たすけて……」
「ごめんなさいね。途中で魔法を無効化するのにも同量のマナが要るから、素寒貧の今のあたしじゃ無理なのよねー」
「嫌だあぁぁぁぁ! あああああああああああああああっ」
絶叫を放ち、男の身体が篝火と共に消滅した。砂地に残るのは、地面に固定された男の両の爪先のみであった。
誤字脱字があったらごめんなさい。




