第346話 ”提督”劉 大海
「────どうして、こうなった?」
細かな事務仕事なぞ、下の者にやらせれば良い。要は上が大まかな数字を把握さえしていれば、後は勝手に回るのだから。
実際それでこの30年の間、”辰”と云う国は大過なく国が運営できている以上、其処に何も問題は無いはずだ。
国家の筆頭職たる”提督”の思想がそうなのだから、そもそも彼の執務室は、最初から存在しなくても全く支障は無いだろう。
だが、彼の仕事量に見合わぬ広くて立派な執務室の中で、一際無駄に存在を誇示する豪奢で大きな机は。
今や無能なる彼の頭部を確り支える……という新たな職務に目覚めていた。
この国を戦火に巻き込まぬために打った数々の手が。
その思惑から悉く外れて。
「”礎”との戦端が、知らぬ間に……」
”辰”の国土が戦で荒らされた回数は、両の指だけで事足りる。
都の壁が見える距離では、一度も無い。
「いや、今は小隊同士の小競り合いに過ぎぬ。弁明する余地は、まだ充分にあるはずだ……」
現状、目に見える戦力はほぼ互角。
総力戦を強いれば、或いは勝ち目はあろうが。
「今を凌いだとて、相手は大国。次は無い」
父を廃し、新たな”提督”の地位に就いた時には。彼、劉 大海はまだ十代の若者だった。
それまで、この”辰”と云う国は。
中央大陸全土に吹き荒れる乱世の風に翻弄されるだけの、吹けば飛ぶ。その程度の、大国から見れば取るに足りぬ存在たる、辺境の一小国に過ぎなかったこの国を、少しでも強く、大きくする為に。
凡そ国家の運営に於いて、害悪でしかなかった旧来の指導者層を武によって此の世から永遠にご退場を願い、同様に同じ悩みを抱えていた隣国”淘”と手を結んだのだ。
”淘”は、魔術の再現と云う夢を魔導具によって成したは良いが。
大した権力を持たぬが故に、一度その技術を狙われてしまえば、滅びの日はすぐにでも訪れる。
”辰”は、国力以上の武を確かに持ってはいたが、今までの支配者階級たちの驕りのせいで、兵を満足に喰わせてやれる金が無かった。
この二つの小国が手を結んだことで、東部辺境の情勢が一気に変わった。
”淘”の作り出した強力無二の魔導具は。”辰”が誇る最新鋭の船団が所持したことで、周辺海域の絶対的な支配圏が確立された。
乱世に在って、安定した海上支配というこれ以上無い信用は。数多の貴重品を含んだ高額な交易をもたらし、それにより”辰”は莫大な富を勝ち取った。
大海は、その益を”淘”と公平に分かち合うことで、小さき国土に全く見合わぬ巨大な兵力、国力をつけていったのだ。
権力の規模が大きくなれば、周辺国に”獲物”と目され狙われてしまう。乱世では、至極当たり前のことだ。
その時も。
”淘”の魔導具を持った”辰”の兵力は。強大な威力を発揮した。
時には、仲間割れまで装って。
漁夫の利を狙いノコノコ姿を現す愚か者どもを炙り出しては、その力を削いだ挙げ句、賠償金を毟り取るという悪辣な真似を平然と行いもした。
彼の”辰”と”淘”は。
この乱世の中央大陸に在り、全戦全勝。我が世の春を謳歌していたのだ。
……”帝国”に、要らぬチョッカいをかけるまでは。
我たちは強い。
その驕りがあったのは、今更否定もできぬが。それでも。
「”帝国”に嫌がらせでもしてくるが良い。何なら、滅ぼしてしまっても構わんぞ」
等と。
何の実績も無い末弟海飛に箔を付けるが為だけに。
船渠から出たばかりの新品の艦と、精鋭共を付けて送り出してやった結果が。
「────”陽”帝国魔導局”局長”。筆頭魔導士、尾噛 祈と申します」
この国に。”死神”を呼び込む切っ掛けを自ら作ってしまうとは。
『我が兄弟の中に、海飛なる者はおらぬ!』
我が身可愛さの為に。
末弟を切り捨ててしまったその代償は、あまりに大きく深いものになってしまった。
それまで伝承だけで知ったつもりになっていた、魔術士……”帝国”では魔導士と呼ぶらしいが。その恐ろしさの一端を目の当たりにさせられて。
<煉獄>の青白き焔の中で。
多くの精鋭達と、可愛い末弟の命と共に。
我が身の為ならば、血を分けた家族ですら簡単に切り捨てることができる最高指導者。
地に堕ちた評判は。
今まで”盟友”。いや、それ以上に互いが思っていたであろう”淘”との友情は。
簡単に断ち消えた。
そのせいなのだろう。
「我が名は周 剛。”礎”の名は貴様も知っていよう。死にたくなくば、大人しく我が軍門に降るがよい」
”辰”の兵力の助けが無ければ。技術はあっても武力の無い”淘”の命運は、あっさりと尽きた。
そして、”辰”の命運も今や風前の灯火なのだと。
「待て。いや、お待ち下さい。我が国の力ならば、貴国の”怨敵”を、御前に差し出すことも出来ましょう。それでご判断賜ります様、何卒……」
だから、売った。
あの”死神”と巨艦群を前に。この”英傑”どのは、さて。どれだけの無駄な抵抗を我に見せてくれるのだろうか?
────陸の上であれば、もしかしたら?
両軍上手い具合に噛み合い、泥沼の闘いを演じてくれれば。本当に、可能性が。
「貴様、最初から”帝国”と組んで、我らを陥れようと画策したのではあるまいな?」
「まさかっ! 如何な”帝国”と云えど、それは過去の話。上陸した彼の軍、その規模は貴軍に前もって報告済みの筈。虚偽ったとして、我が国に何の益が?」
そんな都合の良い話を夢想するのは、流石に虫が良すぎたらしい。
余りに一方的な結果を耳にして、まさかあの死神どもの実力が、此処まで恐ろしい物だったとは。
たった三日の内に。
手引きした”礎”の兵は、約3割を失い。更には……
「我らが敬愛せし”総督”の身。何処に隠した?」
「だから、我は知らぬと申しておりますっ! 抑も、其方は我が軍の合力の申し出を一方的に断ってきたのですよ? 周どのは『壁の内で静かに震えてろ』とまでっ!」
まるで虫けらを見るかの様な、剛の蔑みの目に。大海は心の中で”絶対に報復してやる”。そう固く誓ったものだが。
(良くて捕虜、悪けりゃその場で討ち死に。こうなると、いっそ憐れよな……)
彼の”英傑”どのは、云ってしまえば典型的な武人だ。
虜囚の身であることを由としない性分だろうことは、想像に難くない。ましてや、相手は。長年怨みに怨み続けた”仇”なのだ。
その”帝国”の扱いに依っては、苛烈で頭の固い老人だ。あっさり自死を選ぶ可能性も充分あり得る。
だからこそ、目に見える”礎”の軍師の狼狽ぶりに。
大海の心は、
『何故、我は。この様なつまらぬ者達を、彼処まで恐れたのだ……?』
一気に冷え切った。
「……少なくとも、此度の会戦について。”辰”は一切関与しておりませぬな。お疑いとあらば、もう一度、戦場を検分なさるなり、生き残りに聞くなりなさるとよろしかろう……何でしたら、我が軍が、撤退を援助いたしましょうかや?」
「……っ! 貴様ぁっ!!」
「待てっ……”提督”。今の言葉、我が軍を侮辱したと見るがよろしいか?」
激高し、剣に手を掛けた衛兵を制したまでは、軍師どのもまだ立派だったが。
(……こんな安い挑発に引っ掛かるとか、こりゃダメだな。こんなペラい奴が指揮権を持つたぁ、”礎”の兵士にゃ同情するぜ)
「……我の言葉を侮辱と取るのは、お宅らの勝手さ。だが、半数にも満たぬ敵を相手に、完全包囲までやっときながら、こんな結果じゃあ、今更凄んでみせた処で失笑を買うだけですぜ。特に、同じ軍事を司る人間にゃ……ねぇ、”軍師”どの?」
「……っ、失礼するっ!」
口では絶対に勝てぬと悟ったか。
”礎”の軍師夏 星辰は、大海に一瞥もせず背を向けたが。
「ちょっと待ち。そのまま帰られてまうと、アタシたちが困るったい。少し話ば聞いとくれんね?」
「なっ?!」
星辰の周囲を護る様に立っていた3人の衛士は、声を一切挙げることもできず床に倒れ。
また大海も。
「……失礼。あの人の言葉は、何も理解できなかったでしょうが。此からはうちが通訳を勤めますので。ご要望がおありでしたら、皆様遠慮無くお申し出てくださいませ」
側で控えていた護衛を一瞬で倒され、首には鋭い刃が突き付けられていた。
武の心得が一切無い大海でも、此だけは理解できた。
(ああ。やっぱり”帝国”は、我にとっちゃ全員が”死神”だ……)
誤字脱字等ありましたら、ご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら大変嬉しいです。よろしくお願いします。
ついでに各種リアクションも一緒に戴けると、今後へより一層の励みとなります。




