第342話 ヒキコモリが奏でた挽歌
<結界>の内に引き篭もり3日目。
早朝、夜警をしていた者たち以外は。
一斉に飛来してきた火球擬きが、翠の布いた結界の境界面に接触、爆発した派手な音に依って飛び起きる羽目となった。
「蒼様、おはようございます。朝餉の支度ができておりますれば、先ずはお顔を……」
「……はよ。朝から五月蠅いったら。アタシ、まちっと寝ていたかったっちゃけんど」
この攻撃が、”辰”の兵の手に依るものなのか。
はたまた、”淘”の影に隠れた”礎”に依るものなのか……突如の轟音で妨げられし安眠の怨みの前には。その程度の差なぞ、些事にも等しい。
実際、昼まで惰眠を貪る腹積もりであった蒼の怒りは有頂天だ。
「……アタシ、朝飯食うた後ちょっくら外出てくるばい。軽く百人も殺しちゃれば、少しは静かになるやろ?」
「待て待て待て。それが奴らの狙いなんだから、少しは堪えろってぇの」
此処に来てずっと良いトコ無しの八尾 一馬は。
(俺ぁ結局何時も通りの”ツッコミ役”かよ)
と、心の中で滂沱たる涙を流しているのだが。
「ええ、是非にお願い致しまする。注文を付ける様で申し訳ありませぬが、指揮官級の人間を適当に見繕っていただけますと、後々うちの仕事がやりやすくなりますので。できれば其方も」
「おっしゃっ。安眠妨害の怨みは本当に深かじぇ。生きとー事ば後悔させちゃあ!」
野に放たれる野獣と、それに依る”戦渦”を一瞬のうちに脳裏に描き。
一馬はぶるりと身体を震わせた。
「……ああ、でも。その前に、蒼様。”有頂天”の使い方が、根本的に間違っておりまする」
「……てか、その指摘。今必要なのかよっ?!」
戦慄きながらも。
態々ツッコミを入れるこの律儀さのせいでずっと揶揄られていることを、一馬本人だけは未だに知らない。
◇ ◆ ◇
「……”壁”はまだ壊せぬのか?」
「申し訳ありませぬ、あの様な”怪異”。我ら初めての経験でございまする故に。どう対処すれば良いのか……」
此の世界では。
祈に憑く守護霊その1俊明の扱う呪術全般は。そもそも人々に全く認識されていない未知の技術だ。
更には、翠の結んだ<結界呪>はと云うと。
「私の印より遙かに強固なんだよなぁ……自信無くしちゃうよ、ホント」
と、祈にすら言わしめる程だ。
たかが魔導具から飛び出す”擬き”程度では。
「何万、何億と攻撃されようが。傷一つ付く訳もありはしません。それこそ地上が滅びるその日まで、この結界、持たせてみせましょうて」
「……本当に凄か自信やねぇ」
そもそもこの”壁”は。
祈の放つ完全詠唱時の<煉獄>の直撃にすら耐え得るのだから。凡百の、雑兵如きが手出ししてどうこうできる類いのモノでは無いのだ。
「知らぬ、解らぬ、どうしましょう。ではないわっ! 解らぬなら調べんかっ?! 構造はっ? 弱点はっ? 耐久はっ? 全て試してみてから我に報告せぇっ!!」
「はっ! も、申し訳ありませぬっ!!」
指揮官が言っていることは、確かに至極尤もなのだが。
一方的に命令される者にとっては。これ程理不尽極まる物も、きっとそうは無いだろう。
だが、指揮官本人は。至って真面目なやり取りを行っていたつもりであり、当然酔ってもいなければ、素面のままだ。
伝令役の兵はと云うと。内心に溜まりに溜まった不平不満を表情に出す訳もいかず、兜を目深に被って顔を見せぬ様努めたのみだ。
少しでも指揮官……帝国を打倒し”礎”を統べる”英傑”のひとりで、くすんだ灰色の翼を背負いし天翼人周 剛の不興を、もし此処で買ってしまったら。
(俺は、まだ死にたくない。死にたくはないんだ……)
痛みを感じる暇も無く、頭と胴体が離れ離れとなってしまうだろう。
実際、その光景を幾度も目の当たりにすれば。誰だって怖じ気付くに決まっている。
こうして、職務に忠実なる伝令の手に依って。
周の言葉を、一言一句違えることなく。現場へと正確に伝えられた。
「調べろったって……なぁ?」
「うむ……」
現場の兵を監督する小隊長達は。
具体性が全く無く、その癖支配力だけは強固なこの命令を前に、困惑を隠せなかった。
「……ああ、無能な上司に当たってしもうた兵士っていうとは。本当に可哀想かねぇ」
”礎”の陣の様子を、遠く上空から眺めていた蒼は。敵兵どもの全員が、目の前に聳える不可思議な壁に気を取られているのを良いことに。
「さて。ウチん軍師どんから仰せつかった”指令”ば、ちゃんと熟さんな。これから大きか顔できんくなってしまうけんね」
無防備な上から、”獲物”を物色していた。
狙うとしたら、隊の指揮官で最低限。
狙うべき最高の”獲物”は、やはり軍の司令官だろう。
「悪う思わんでな。これも、アタシんうまかご飯ん為やけんしゃ。不味か携行食ば、偶にで良かっちゃん。偶に、で。なっ!」
燃料の備蓄に、まだ余裕がある今ならば。
煮炊きの為に火を熾し、暖かい食事を得ることもできるのだが。
冬の足音が聞こえてくるであろう、今後のことを考えると。
三度の食事の内の一度程度でも。
大して美味くない携行食で、ひもじさを紛らわせねばならぬのだ。
この世界、この時代に於いて。
戦場が平原、もしくはそれに近しき場所であった場合。
「頭上まで意識ば張っとー訳なんか、当然無かもんね。隙だらけんよりどりみどりって奴しゃ!」
天井からの蒼の”奇襲”は。
瞬く間に周 剛の周りに立つ近衛をひとり残らず殺し尽くし。
「ぬっ?! 貴様っ! 何奴だっ?!」
「はっ! ”帝国”ばいっ! お前さんの大っ嫌いな、ね?」
周が剣を抜く隙も与えず、蒼は。
両手に携えた鏢を周の急所へと次々に突き出した。
「うっ、ぬっ、っがあぁぁぁぁっ!!」
「は。英傑や何やと踏ん反り返ってばってんが。もう耄碌しとーっちゃないと?」
鋭い連続の突きを躱すこともできず。
”礎”の英傑が身に纏いし豪奢な鎧は。持ち主の身を護る役目を一切果たせはしなかった。
「ほれほれほれっ! 少しくらいば、避けてみせんしゃい。しけとーねぇっ!」
「おのれっ! 嬲るかぁっ!?」
周は腰に差した剣に手を懸けたくとも、蒼がそれを黙って許す訳が無い。
「くっ。こ、殺せっ!」
「……やっぱ。アタシんお父しゃんより歳取っとーもん。そりゃ、こうなるっちゃんね」
次第に周は追い詰められて。
終いには足が縺れ、無様にもその場でへたり込んでしまったのだ。
長く武人として戦場で生きてきて。恐らくこれほどの恥辱はないだろう。
「んじゃ、お前しゃんのご希望とは全然違うとばってん。大人しゅう捕虜ばなってもらうけんね?」
巫山戯た物言いをする”草”に良い様にやられた周は、この歳になり初めて。
────許されるのであれば。我は、この場で。自らの命を絶ってしまいたい。
心の底から、そう願わずにはいられなかった。
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