第34話 先鋒戦
都の地下にある闘技場は、異様な熱気に包まれていた。
武を誇る尾噛と、譜代の歴史を誇る牛頭。絶対にあり得ないだろう”元四天王”両家の決闘とあって、巷の前評判はとても高かった。
当然、観覧券は、高値で取引された。観覧席の位置によって購入には格付けがなされているが、貴族用の特上席、上席を購入できなかった貴族の遣いの者達が、態々残っている庶民席を買い求める姿まであった。
こうして、闘技場に駆けつけたのは大小の貴族だけでなく、都の商人から庶民まで……それこそ、正に『女房を質に入れてでも』……この世紀の対決を観る為に、それを実行までした猛者がでたとの噂まであったほどだ。
この決闘は、両者の誇りを賭けて行われ、そして場合によっては、両家の当主の直接対決もあり得る。
帝国の名において、そう喧伝されたのだ。
貴族同士の決闘は度々行われてはいたが、基本的に当人達は、絶対に表に出てくる事はない。代理を立てて行われるのが普通なのだ。
だが、それがどうだ。今回は、両家の格をみても異例中の異例。そしてその当主達が、大将として試合に臨むのだという。注目を集めるのは必至といえよう。
試合開始の時刻は、すでに過ぎていたが、未だ開始の合図はない。観客席からは、まだかよ、遅いぞと、大きな罵声が上がっていた。
尾噛側が、遅刻をしたのだ。
望達は、迎えが来るのを宿で待っていたのだが、それが現れる事はなかった。
開始時刻寸前になっても現れない尾噛に痺れを切らし、鳳の使いが宿に来た事で発覚のしたのだ。
尾噛達は、慌てて会場入りを果たしたのだが、牛頭側に遅刻を叱責され、不条理なまでの不利な条件を呑まされる羽目となった。
闘技場のマナのほぼ全てを、牛頭側の先鋒が支配しているという状況を知った時、尾噛は罠に嵌められたのだという事を、嫌と言う程理解させられたのだ。
「術者同士の戦いで、こんな状況など試合になる訳が無いだろう!」
「そんなもの、遅刻したお前等が悪い! この場にいる人間全てを待たせた罪、軽くはないぞ」
望と管理官達との口論があったが、短時間で押し切られる形となる。尾噛側の抗議は却下されたのだ。
かくして、先鋒戦はこうして幕を開ける。
術者達による一対一の対決。
方や領域のマナを完全に支配した術者、方やマナを持たない術者……勝敗は火を見るより明らかだ。
「なんつーか……ここまであからさまにやられると、逆に清々しいな」
「牛頭側の人間って、本当に馬鹿なんじゃないの? ……ここまでバレバレの工作なんかしたら、後で必ず追求されるの、何で解らないのかしら」
「あちらにとって今まで通り。それこそ大本に及ばねば、何でもしてのけてきたという事でござろう。すでに蜥蜴の尻尾切りで済む筈も無いと理解できぬとは、誠に哀れとしか……」
だが、それが行われるのは、今ではない。
最初から運営が牛頭贔屓では、こちらは不平を漏らした所で何も成さないのだから。
「で、あの駄々こねたあいつ、何て名前だったっけ?」
「さぁ? あたし、あんなチャラ男なんか興味無いし……」
「本人の預かり知らぬ所でフラれているとは、流石に哀れなり……たしか、八尾の某とか何とか」
「ああそれそれ。その某君は、それでもやるのかな?」
「素直に降参する方が利口ね。多少の技量差があったとしても、こんなのひっくり返せだなんて普通に無理よ。あたしなら、魔法なんかに頼らずに、相手を効率良く殴り殺す方法を真っ先に考えるわ」
「大魔導士、魔法不要を言い出す。でござるか……それはそれで面白い」
マナを持たない魔術師なぞ、ただの一般人。
これは万物に宿るエネルギーのマナを、魔術の源とする世界において、絶対の法則である。
当主の望に噛み付いてまで拘った尾噛の先鋒。それを務める八尾 一馬は、尾噛側全員が単純な罠に嵌まってしまったせいで、マナを持つ事ができなくなった。
これで試合開始直後から、一方的に魔法を撃ち込まれるだけの状況が、今ここに確定したのだ。
「兄様、このままじゃ……」
「うん、彼は犬死ににしかならない。ここは先鋒の負けを宣言すべきだ」
試合開始の合図の直前、望は手を挙げて、八尾の棄権を宣言しようとしたのだが……
「俺やりますからね! 止めないで下さいよ」
一馬は、当主の棄権を拒否したのだ。
「折角の晴れ舞台なんだ。新生尾噛の名を、俺の手で世間に轟かせなきゃ、嘘だろうが。その為に俺が先鋒を務めるんだよっ」
「それでは、両者、相手へ勝利条件の提示はあるか?」
「こちらは、この状態での開始を望むのみ。早く開始の合図を」
牛頭の先鋒にとって、この状態は絶対的優位なのだ。今すぐ開始の合図をして欲しいくらいだ。
そして、これから始まる一方的な試合に、自身に潜む獣欲を満たす歓喜に打ち震えていた。
「こっちは、俺以外からの棄権の宣言は、全て無効って事にしといてくれや」
今の状況があまりに不利過ぎるが為に、このままでは何かをする前に、当主から棄権を宣言されてしまうだろう。
それでは、折角自分が強く望んだ先鋒の大役を、果たす前に機会を取り上げられてしまう。そんなの一馬は承知できない。
現状、こちらが不利ではあるが、一馬には勝算が全く無い訳ではない。この問答の間だけでも、僅かではあるがマナを集める事ができたのだ。それに相手が気付いてもいないということは、少なくとも目の前にいる術者は、自分より劣っているという証拠だ。なら、まだ充分に芽はある。そう考えた。
「いざ、尋常に……勝負!!」
「喰らえ! 炎の矢!」
魔術師同士の戦いは、マナの支配を確実にした後、いかに効率良く、素早く魔術を行使できるかが鍵となる。牛頭の先鋒はそれを良く理解していた。
炎の矢は、火の初級に位置する魔法ではあるが、威力、速度、効率……そのどれにも優れていた。相手の集中を妨げ、確実にダメージを与えるのには、この状況において非常に適した魔法といえるのだ。
「ふんっ! テメーの思惑通りにゃならねーよ!!」
一馬は両手を前に突き出し、矢継ぎ早に撃ち込まれる炎の矢達を相殺してみせた。
「ほう。あの御仁やりおる。咄嗟にあれを防いでみせるとは。かなり高い技量の持ち主とみたが」
「ダメダメよ。折角かき集めたマナを、あんなので消費しちゃ。下手にハンパな腕と自信を持つと、ああいう失敗するのよねぇ……」
やれやれと、鬼の大魔導士は、一馬に落第の烙印を押した。
「足りないマナで無理にあんな事したって、完全に打ち消し切れる訳がない。当然少なからずダメージを受ける。そして痛みで集中が途切れ、また振り出しに戻る……完全に負の連鎖ね」
歌う様にマグナリアは、一馬の行動を「じり貧」と評した。
「ああやって、直前でもぎりぎり相殺できるってこたぁ、何とか直撃を避けることだってできるって事だ。敵の魔法を避け続けながら、マナの支配率を奪っていく。それこそが、今あの魔術師がやるべき仕事なんだ……だろ?」
仮の肉体でも薄いままの額を、掌でピシャピシャと叩きながら、一馬のやるべき”仕事”を俊明が説明する。
「正解。マナを持たない魔術師なんて、ただの木偶。マナを持ってないなら、持ってる奴から強引に奪えば良い……単純な話よ」
一馬がああして魔術相殺できているという事は、少なくとも相手のマナを、少量ながらも確実に奪えているという事なのだ。支配率を徐々に高めていけば、逆転とまではいかなくとも、それなりの勝負にはなり得るはずだ。
「その点を、かの者に助言しないので?」
「無駄よ。この歓声じゃ、ここから喚いた所で届く筈ないでしょ。それに、どうせあたしたち”馬の骨”の言う事なんか、聞く耳持つはずも無いわ……」
背もたれに深く腰掛け、マグナリアは溜息をついた。
「しぶとい。炎の槍ならどうだ!」
仕留めきれない事に焦れた牛頭の先鋒が、撃ち出す魔法のランクを上げる。
「ぐあっ!」
魔法の威力が増した分、相殺しきれなかったダメージが増える。
蓄積されたダメージにより集中力が落ち、その分さらに貫通するダメージが増加する……マグナリアの言った通り、完全にじり貧である。
ここで遅まきながらも一馬は、相手の魔法を避けるべきだと気が付いた様である。左右に細かくフェイントを混ぜて、足を使う仕草を見せ始めた。
だが、回避行動に自信が無いのか、どうしても着弾直前になると、一馬は魔術の相殺を試みてしまう。先ほどまでとはランクが上がった魔法。当然威力が違う。
「ほら。折角相手が魔法のランクを上げて、連射を捨てた好機なのにっ! もうっ、勿体ない」
マグナリアは組んだ脚を細かく揺らしていた。冷静な言動とは裏腹に、思い通りにならない一馬の動きが焦れったい様子みたいだ。
開始からずっと、一方的な試合展開が続いているのだが、観客の声が小さくなる事はなかった。
それどころか、蓄積するダメージによって、一馬の動きが徐々に鈍くなるにつれ、次第に歓声が大きくなっていった。
自身に被害が絶対に及ばない『一方的な殺戮ショー』というのは、彼らにとって、得難い最高の娯楽なのだ。
一馬の両掌は、何度も撃ち込まれた炎の魔法によって、すでに炭化していた。逆に原型を留めているだけでも、奇跡とすらいえるだろう。
(上手く集中ができない。ついさっきまで願ったらそこそこ集まっていたマナが、今は全然来なくなった……どこで間違ったんだろ、俺?)
「ああっもう。あの子ホントに馬鹿ね! その程度のマナで、炎の槍なんか消せる訳ないでしょ!」
炎の槍の直撃を受けて、一馬の両腕が焼け崩れ、胸に小さな穴が開いた。
(当主様、申し訳ございません……俺、先鋒と云う大事なお役目、果たせませんでした……)
「勝負あり! 牛頭!!」
膝から崩れ落ちた一馬の意識は、相手の勝利宣言をその耳に聞いた直後に、完全に途切れた。
誤字脱字あったらごめんなさい。




