第33話 馬の骨の三人
「まさか、都の地下にこんな施設があるなんてなぁ…」
「照明と空調にマナを使うなんて、無駄遣いもいいところだわ。地上に闘技場を造っていれば、こんな大げさなもの要らないでしょうに……」
「マグナリア殿は、色々手加減せぬと不味いのではござらんか? 天井が崩落して阿鼻叫喚の未来しか、拙者思い浮かばぬのだが……」
天の都の地下に、闘技場があった。
貴族同士の余興による戦奴達の戦いであったり、職業剣闘士達の興行の場であったり……
都市に住む人々の日々の鬱憤を晴らし、昏き闘争心、嗜虐心を満たす目的の為に作られた施設である。
闘技場の中央は砂地で、周囲を六角形状に囲われた木の塀は、高さは大人の身長の3倍程もあり、一片の長さが2間くらいだろうか。中央部の広さはかなりのものになるだろう。
砂地から天井までの高さは、恐らくは10間以上はあろうか。そこには、マナを燃料に用いた照明装置が数機設置され、ここは地下にも関わらず、まるで昼間の太陽の様な光を、煌々と湛えていた。
地下には、祈と守護霊達だけが訪れていた。望は決闘の残りの参加者を選抜する為、この場にはいない。
「うっ……ここ、凄く嫌な、昏い瘴気に満ちてる気がする……」
祈はこの闘技場に立ちこめる”気”に中てられたのか、真っ青な顔で膝をついた。
「あ、悪ぃ。祈にはここの空気は辛かったな。今から清めるから待ってな」
俊明は素早く印を結び、柏手を撃って周囲の淀んだ空気を洗い清めた。
闘者達による数々の闘争。賭博者達の恨みと嫉み。敗者達の怨嗟、断末魔……ありとあらゆる負の感情が渦巻き、それらが虚空に強く焼き付いてしまっていたこの空間に漂う悪しき空気は、人ならざるモノの存在が誰よりも近しい祈にとって、猛毒にも匹敵するのだ。
「ありがと、とっしー……少し楽になったよ」
「すまん、気が付かなかった。どうも仮初めの肉体を持つと、この手の感覚が鈍くなる様だ。守護霊失格だわ」
俊明はばつが悪そうに、祈に頭を下げた。いかに仮初めとはいえ、今は器の中にいる状態なのだ。肉の感覚を得たその分、霊感が下がるのを俊明は失念していた。
「ううん。私の方こそごめんね。自分で結界を張るの忘れてたよ……」
祈の方も、常に守護霊達に護られている状態であった為、こうやって瘴気に中てられた場合に、この様な状態になるのを、今初めて体験したのだ。
守護霊全員を現界させている現在、祈の身体は霊的に完全無防備の状態である。その事を今更ながら思い当たった俊明達は、渋面をそれぞれ顔面に貼り付けていた。
「完全に、スコーンと抜けてたわ。ダメダメ過ぎんだろ、俺」
「拙者も同じでござる。ツッコミ不在でござった」
「霊関係の話はトシアキ、あなたの領分でしょうに……」
あたしはそっち疎いの。と、マグナリアは人事の様に言う。それでも、そこはやはり祈の守護霊の一人。さりげなく祈に持続系精神回復術をかけていた。
「面目ない。完全に俺のミスだわ。今からでも結界張るか?」
「ううん、大丈夫。自分でやるよ。こういうのにも、慣れていかないとね……皆の得意技を、全部使いこなせる様になるのが、今の私の目標だかんね」
負けないぞーと、祈は俊明に以前習った手順通りに、結界術を自身を中心に施してみせた。それは本業である俊明の目から見ても、かなりのもの見えた。
「ここはマナの密度も充分にあるわね。魔法を使うのに全く支障無いでしょう。常に照明や空調に、それなりのマナリソースが持っていかれてるけど、それでも並の魔術師なら、体力の続く限り撃ち続けられる筈ね」
両手を広げ、マグナリアは闘技場内のマナ密度を測る。
こういう人工的な空間では、通常マナの密度が薄くなりがちなのだが、何らかの措置がなされているのかも知れない。そこまで施設に興味の無い鬼の女は、そう勝手に解釈した。
「しかし、ここはかなりの広さがありますな……砂地だという事を考慮すると、それなりの技量が伴わねば戦う事も難しいかと。それこそ開始距離によっては、遠距離を得手とする者の一方的な虐殺すらあり得るかと、拙者は思うのでござるが」
砂を掬い、そのまま指の間から流しながら武蔵は考える。
恐らくは、牛頭側は遠距離主体の構成で来るだろう。
開始距離を壁側一杯にまで取られれば、それなりの技量を持った剣士であろうと接近するまでに、確実に1、2発は魔術の発動を許してしまう事にだろう。それほどに砂地の移動は、かなり特殊な運足の技術が必要になるのだ。
「多分な。先鋒次鋒辺りを魔術師で固めてくる可能性は高いと、俺も思う。それこそ先鋒戦を落とすと、かなり厳しい戦いになるだろうなぁ……普通なら」
守護霊達はニヤリと笑う。普通でない三人である。どんな相手が来ようとも、いくらでもひねり潰せる。そんな物騒な絶対の自信が彼らにはあるのだ。
「それでは皆様、明日の申の刻より開始の予定でございます。案内の者がお迎えにあがりますので。それまではごゆるりと……」
闘技場を管理する衛士が、祈達4人に恭しく一礼する。下見は終わりだということだろう。
「できれば、牛頭側の後に来たかったんだがなぁ。絶対奴ら何か仕掛けるだろうし……」
「然らば、先に拙者達が……でござろう? 露骨過ぎてつまらぬ」
「やりそうな所だと、足止め用の罠でも仕掛けるとか……かしらね?」
牛頭側の構成が武蔵の予想通りであるならば、接近されない内に決着を付ける必要があるだろう。だが、そこまで分かり易い露骨な方法を取るだろうか? 祈は訝しむ。
「あんな所に伏兵置いてた奴だぜ? 多分深く考えてないだろうさ。それ以前に、そんな頭も無いと見たね。で、やったモン勝ちを平然とやるだろう。まぁ親戚一同を扇動した上で、外部から圧力をかけてくる位は想定してた方が良い。土壇場で規定改正を強引にねじ込んでくる事もやると思うぞ。実際、そんな規則をあいつ提案してただろ?」
『一方的な試合が続いた場合は、その場において規則変更の提案を受け入れるべし』
「……そういえば、あの牛親父、そんな提案してたもんね。自分が優位な時、絶対鼻で笑って受け入れないのが解るんだけど」
「ま、あんまり一方的な虐殺はしちゃダメだな……特にマグナリア。お前、ちゃんと手加減しろよ?」
何でも燃やしたがる鬼ウーマンに、俊明は釘を刺す。
「はいはい……入門レベルの超初級魔法だけに留めますよーだ」
あーつまらん、つまらん。と鬼のおっぱいは、ふて腐れた様に呟いた。
「てゆか、マグにゃんがこんなところで中級以上の魔法撃っちゃったら、多分天井から崩れてくると思うんだ……」
どこまでも物騒な守護霊その3であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宿に戻った4人を待っていたのは、家の中でも高い実力を持った術士と望の口論の現場であった。
「ですから! どこぞの馬の骨とも解らん連中より、俺の方が先鋒を担うのに相応しいと、申しておるのですっ!」
「確かに貴公の実力は、私も高く評価している。が、彼らの技量に私は何度も驚かされているのだ。先鋒、次鋒、五将は彼らに任せると、何度も言っている」
(ね。これ、どうしたの?)
腕を組んだまま、その様子を見ていたもう一人の術士に祈は小声で尋ねた。
(いえ、私達を家の代表に使って頂けるという話でこうして参ったのですが、あいつ、先鋒を務めるのは家の誉れだからと、外様である姫様のお付きの者にそれを取られたくないと、駄々をこねていまして……)
別に揉める事なのかこれ?
……って、個人的には思うんですがね。そう術士は困った様に言う。
(あー、大変な事になってるんだね……)
(そういう事か。面子に拘る奴にゃ、何言っても無駄だ。やらせちまえ)
(え? 良いの? 兄様は皆に任せるつもりみたいだけど)
(別に良いんじゃない? あたし達は順番なんかどーでもいいし。貴方たちが傷つく事が無ければ、それでよし……なのよ)
(左様にござる)
下手に家中の間で、揉め事を作るのは愚策である。
そもそも守護霊達3人は、尾噛の家臣ではない。どこぞの馬の骨と言われても仕方の無い存在なのは、正にその通りなのだから。
「あの、兄様。先鋒をその者に任せてもよろしいのでは? こちらの者達には五将、中堅、三将を任せようと、私は思うのですが」
「おお。おひい様は慧眼であらせられる。俺が、全身全霊を持って、尾噛が先鋒をあい務めましょうぞ!」
術士は祈の言葉に大げさに喜び、力を尽くす事を誓う。
(だから。お前達を、こんなつまらない事で失いたくないのだが……)
本人を目の前にしてそんな事を言う訳にもいかず、望は大きく溜息をついた。
完全に人選を誤ったな……ただ頭数を揃えるだけで考えていれば良かった。尾噛の当主は、自身の浅慮の結果を少し後悔していた。
誤字脱字あったらごめんなさい。




