第327話 嵐の過ぎ去った後に
私は、彼と共に生きる道を選びます。
ここまで育てて下さり、深く感謝いたしております。
親不孝者の娘でございまするが、どうかお赦しください。
静
「……そう……」
あまりに簡素過ぎた娘の書き置きを読み。
母は、息を漏らすかの様に短く、そして弱々しい声を絞り出した。
退魔、除霊の法と云う希有な法術を身に付けた娘を手に入れんと欲し、態々”倉敷”までやってきた碌でもなき貴族どもに対処する、ただそれだけの為に。
静を、魔導局付きの魔導士"見習い”待遇で軍の宿舎へ放り込んだのが、逆に仇となった。
まさか。
「あの”死にたがり”が脱獄する可能性。其処までは、充分に想定の範囲内だったのだけれど……」
────奴が脱獄したならば。
それを口実に、夫祟が彼の身を最後まで心配し続け、成仏をも拒み続けた仲間の霊を宥め漸く結んだ約定を。
序でに反故にしてしまえば良い。それで完全に後腐れ無しとなろう。
そう事態を、甘く考えていたのは事実だ。
静は、出逢った時から。
”直感”を大事にしてきた節がある。
(あのひかりは、わたしをたすけてくれる。おかあさまとおなじ、やさしいひかり…)
あの時”直感”に突き動かされたかの様に。
”魔王”に魂と記憶の大半を喰われ、意思を失った筈の。骸同然と化した娘の取った行動に依って、強固に結ばれた縁が。こうも呆気なく断たれてしまうとは……
「あの”死にたがり”の彼に。一体貴女は、何を見出したと云うのかしら……?」
祈の霊視から視た、あの男は。
性酷薄にて、更に身勝手。
凡そ女性から見た男性としては、確実に”無い”類いのクズだ。
背後に憑いた指導霊も低級で、自身の程度を良く表していた。
「少なくとも。彼女に憑いてたふたりの守護霊も、今のお前さんと同意見だった様だな。アレは、人を不幸にしかできない碌でもねぇ男って奴さ」
「……その割には、仲間には妙に愛されていたわよね、あの男?」
「所謂”男好きのする男”と云う奴でござろうて。まぁ、男に好かれるからとて。それが他人全てに通じるかは、また別の話でござろうが」
確かに、マグナリアの言う様に。
”死にたがり”の今後を心配し、彼らの霊はなかなか供養に応じようとしなかったのは事実だ。
態々、自身を殺した人間を心配するなど……どれだけ粋狂なんだと、祈は呆れたものだが。
「もしかしたら、長く付き合えば。彼の持つ魅力が、解ったのかも知れないけれど」
だが、事態はそんな悠長なことを言っていられる時期は。とっくに過ぎている。
「番兵が2名。女房が3名も、彼の犠牲になっておりまする。更には、静様を拐かされたとあっては……」
琥珀が、此度の被害状況を綴った報告書を次々に読み上げていく。
どうやら”死にたがり”の彼は、何かを探す様に方々へ移動していたらしく。
如何に彼の技量が確かだったとしても、ひとりの仕業にしては。その被害件数が余りにも多すぎた。
更に被害を金品にまで言及すれば。その後、厩舎へ侵入されたらしく。馬3頭とその関連の装備を盗まれたのだが……正直、此は大した被害ではない。
問題は。
「馬丁2名が現在重体でございます。恐らくは……」
”技術”を持った人だ。
熟練の技術持つ人間を、こうも次々にやられては。此の挽回には、時間でしか解決できない問題なのだから。
「まだ息があるならば、私が行きましょう。これ以上、”彼”の犠牲者は要りません」
「静様も、きっとそう思われたのでしょう。此以降は、皆<深層睡眠術>に依って……」
魔導局期待の”新人”静の魔術は、あまりに特別過ぎた。
抵抗は困難。そして、一度入れば最大効果は確実なのだ。
「てゆか、最初からそうしておきなさいな。ってお話なのだけれど……」
「それを言っちゃあ、お終ぇよ」
「俊明どの。流石にその反応は、犠牲者への冒涜かと」
"死にたがり”による犠牲は。ほぼ倉敷に駐留した軍の関係者から出ていた。
軍の碌を食んでいた彼らは。確かに戦場に於いて、敵を殺し、そして死ぬことこそが仕事だ。
だが。武蔵の言う通り、今回のその死に対して。
「ああ、そうだったな。茶化すのは、流石に……」
俊明は態度を改めるかの様に、片手で印を結び、そして静かに手を合わせた。
略式ではあるが、”最強の退魔師”の手による鎮魂だ。彼らの無念も、きっと晴れることだろう。
「さて、祟。事態がこうなっちまっては。もう、約定がどうこう云ってられねぇぞ?」
「……うむ。己の甘さこそが招いた事態よ。彼奴には、その鬼畜なる所行に。然るべき報いを与えてやらねばならぬ」
『其方らの願い、相分かった。この地を治めたる我が名に於いて。彼の者がこの”倉敷”の地で健やかに過ごせる様、取り計らおうぞ』
あの時、祟の口から出でた誓いには。
成仏を拒み続けた彼らに、苛立ちを覚えたのは事実だが。
それでも、祟は。
(この”倉敷”の地に根を下ろし、平和の内に生きて貰いたい……)
そう心から願ったのだが。
両手の指で足りるかどうかまでに、大量の犠牲者が部下から出てしまっては。それも、もう遠き過去の話だ。
「では、私が指揮を執りまする。向こうには、優秀な魔導士が居りますれば。なまかな者では、要らぬ犠牲を強いられましょう」
娘がそれを望み、選んだ以上は。
母として、女として。
相手の”男性”には、納得できないのだけれど。それでも、心から祝福をしてやりたい。
……そう思うし、そうしてやりたいが。相手が……
「帝国に仇為す者ともなれば、話は別です」
訊けば”八神”の国は、拡大路線を続ける侵略国家なのだと云う。
”死にたがり”のせいで、倉敷の街の情報が、知られるだけでなく。
「静を通して、”魔術”まで敵国に知られてしまうのは不味い……」
静は、祈の持つ魔術系統の、その全てを扱える。
そして当然、<上級魔術>全てとも契約を既に済ませている。
もし、敵の中枢に、柔軟な思考を持つ者が在ったとして。
静に実権を与えさえすれば。魔導士の数を揃え、質を上げることだって、やろうと思えば恐らくは可能だろう。
其処に辿り着くまでの前提条件に、かなりの無理と無茶があるのは充分承知しているつもりだが。
「魔術が上手く扱えるから……と、上手く教えられる……は、等しくはなかろうて。そこまで深刻に考えるでない。ハゲるぞ?」
お前の美しい白髪が、その様なことで傷付いてはかなわぬわ。
軽口にしては、選んだ言葉に色々と問題がある夫に引っ掛かりを感じつつも。少しだけ救われた気がした。
「淑女に対しハゲとは。冗談にしても、色々と言葉に問題がおありだとは思いませぬか、祟さま?」
「ぬ。すまぬ」
「……この夫婦は。死ぬまでこうかも知んねぇ」
「良いではござらぬか。拙者は、婿殿を好ましく想いまする」
「色々と言葉が足りないし、選ぶ言葉も一々間違ってると思うのだけれど。あたしは……」
「……琥珀の場合は。できれば、ノーコメントでお願い致します」
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