第326話 そして刻は動き出す
「貴方、何と仰るの?」
「……は?」
一瞬。弥太郎は、目の前に座す女子の発した言葉の意味が、全く分からなかった。
いや、列島で使われている言語は、列島の共通語である。其処には地方独特の訛りが入ってくるのが当たり前なのだが、一応基本は一つだ。
弥太郎の目の前に座るこの娘、静が扱う言語も。やはり列島の共通語であり、無論弥太郎にも通じている筈だ。
(……この女ぁ、頭は大丈夫なのか?)
いきなり見ず知らずの男が部屋に闖入してきて、動じない女は先ずいないだろう。
なのにどうだ?
全く動じないどころか、まさか此方の名を訊いてくるとか。
「名前です、貴方のお名前。私はそれを訊いているのですが……まさか、記憶喪失だとか?」
「んな訳あるか……弥太郎。ただの、弥太郎だ」
”斥候”として、それなりの時間を生きてきた弥太郎は。
本来であれば。
この様な時は、偽名を使う。
それも、息を吐く様に。誰もが不信に思わぬ程に、自然に出て来るのだが。
(……何故俺は。正直に名乗ってしまったのだ?)
当然、此処が本国でもない以上。面が割れ、本名を名乗ったところで、今後の計画に何の支障も無いのも事実だが。
それでも、後ろ暗き数々の所行を自覚している身だ。心の何処かに憚られるべき何かがあると云うのに。
ましてや。
(この女、上等な布を身に纏っていやがる。しかも、これは……)
彼女の衣服が。
何時も弥太郎を強制的に眠らせてくる奴らと同じ意匠の服装だと気付き、慌てて後ろに跳び距離を空けたが、すでに計画の失敗を悟り、彼は半ばを諦めていた。
「くっ。てめぇ、魔導士かっ?!」
「ええ、そうです……まだ、見習いですけれど」
何故か、覚悟していた”魔術”は飛んでこず。
その代わりとばかりに飛んできた、全く予想だにしていなかった女の返答に。
耳と、それまで生きてきた常識を疑う様に、弥太郎は首を傾げた。
◇ ◆ ◇
「……粗茶ですが」
「有り難く戴こう」
水と白湯以外の飲み物を口にしたのは。一体、何時以来だろうか?
”八神”では。
下級兵士の、それこそ斥候の様な”使い捨て”どもには。
禄なぞ出ることの方が、極めて稀だ。
基本、その様な下級兵士の収入は。
略奪の上がりか、庶民と少しお話しする事で戴ける”心付け”くらいなものだ。
当然、そんなことが毎度上手くいくものでない以上は。
その様な嗜好品を口にする機会も、勿論滅多に無い。
「これが”茶”という奴か。確かに美味いな……」
「あら、弥太郎さん。そんなにお気に召しまして?」
如何に静が。”魔の尾噛”などと云う、大貴族の娘であっても。
”魔術士見習い”の身分でしかない以上は。
帝国で定められし最低限度の俸禄を頂戴するだけの、今はしがない存在でしかない。
日々、質素倹約で往かねば。忽ちの内に同僚、上司に金の無心をして。その信用を失ってしまうことだろう。
だから。これが現在の静にできる精一杯の、客への”もてなし”なのだ。
「ああ、気に入った。この味ならば、確かに金子を出す価値があるのだろう。俺には無理だが」
だが、その真心も。
”外国人”である弥太郎には、当然通じる訳もない。
(初めて飲んだモノの善し悪しなんざ、貧乏人にゃ解る訳ねぇだろうが。クソが)
心の中で、その様に悪態を吐きつつも。
この国に仕える者であれば。
例え”見習い”の身分であろうと、この様な嗜好品に回せる余力があるのだという事実に。弥太郎は驚きを禁じ得なかった。
(なるほど。”理想郷”……か)
本国との大きな違いを知り、弥太郎は此処に来て、長年過ごした土地を捨ててまでこの地を目指した民の気持ちを、漸く理解できた気がした。
(────この情報を持ち帰れば。俺は”姓”を得られるやも知れぬな)
豊かな此の地に根を下ろし生きる。
その選択肢が、自身にも用意されていることにすら気付かずに。
仲間の元に行くか。
はたまた惨めな生き方をした父を見返す為に、此の功を以て”八神”に帰るか。
何処までも、弥太郎の視野は。狭窄したままだった。
拡大路線を続ける”八神”は。
周囲に在る小国を、次々に呑み込みはしたが。
一時期の帝国以上の規模で、逆に国としての体力を失うという皮肉を味わっている。
多くの兵に犠牲を強いて、焼け野原を支配する愚を犯し続けながらの拡大だ。
(確実に上は、この地の情報を欲っするだろう)
如何に大きく支配域を拡げてみたところで。
其処に在るのが、痩せた土地と民では。
絞り尽くしたとしても、元から残っていないのだ。これでは割に合わない。
だが、此の地”理想郷”ならば。
仲間が”豊かで美しい”と評した田んぼと、此は確実に美味いだろうと太鼓判まで捺した其処に植わる稲に。
更には、自身は鍛えに鍛えたと思っていたのに、何の抵抗も出来ず忽ちに無力化させられてしまった”魔導士”という存在。
そしてその”見習い”であっても。こうして嗜好品を買い求め、さらにはそれを客に出せる余裕まである裕福な国が。
餓欲に塗れた、本国ならば。
(────この報を持ち帰れば。絶対に、俺はっ!)
先程まで、自らの死を激しく望んでいた筈の男は。
目の前にぶら下がった”出世”という餌に。
「……そうだ。お前も、来ないか? 俺のいた国に」
「えっ?」
食い付いた。
◇ ◆ ◇
「やはり。”天使”どもの仕業か」
現世と常世の境界にて。
千寿 翠は。
列島、其処に棲む生物の営み。その全てを視ていた。
”半神”である翠は。
それでも、やはり。
「所詮、うち程度なぞは。紛い物に過ぎない。真の上位存在で在る奴らには、端から対抗なぞも出来ないか」
この世界に法則を定め、見守る存在たる”管理官”が。
此の地に紛れ、破壊を始めた魔王を駆逐するため、招き入れた上位的存在は。
「幾ら切羽詰まった状況だったとは云え、”八大天使”だなんて厄介極まる奴らまで喚び寄せて。お陰で、世界の運命全体が酷い有り様になっておるわ」
創造主たる<玄武>に植え付けられた”知識”を紐解いて覧れば。
”八大天使”とも呼ばれし”上位的存在”たちの中でも。運命を司るのは、確かサリエル……だったはず。
人の魂、その生死を管理すると伝えられる天使の名がそれだ。
「彼奴らめ。そこまでして、列島に戦を呼び込みたいか。そんなに”獣”を憎み、嫌うのかや?」
”八神”は、純粋な人間種のみの国だ。
確かに獣人種も中には居るが、まるで奴隷……いや、家畜同然の扱いをされている状況が、現在翠の視界には在る。
「そうと知覚する以前に、運命の糸を操られては。流石の主上も、抗うことはできなんだか」
咄嗟に異界に逃れたことで、翠は。天使に操作されずに済んだのだが。
「まさか。異界の魔王の脅威より、天使どもの暗躍で世界が脅かされる事態に陥るとは、な」
それも”管理官”が世界の平和と安寧こそを期待して招き入れた存在に依って……の事態ともなれば。
その痛烈な皮肉には。普段笑わぬ翠ですら、思わず吹いてしまいそうになったくらいだ。
「これで。静様は、奴らの手に墜ちるか。此処からの挽回は……」
今すぐ弥太郎を殺してみせた所で、既に”運命”と云う名で、戦までの軌条が敷かれてしまった後だ。”強制力”が働くだけに過ぎぬ以上、もう手遅れだろう。
「……無理か。此は気付くのが遅れてしまったうちの失態だ。腹を斬ってでも、主上に詫びなければ」
大事な娘を失うこととなったあの人に。
この悲しき現実と、阿呆らしい事実を全て伝えねばならぬこの身と。
「<玄武>よ。お恨み申しますぞ……」
創造主と運命を、翠は呪った。
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