第325話 軌条に乗り天命走る
────油断が、あったのかも知れない。
だが、その時の彼は。
自分の身に何が起きたのか?
然とそれを知覚する以前に、呆気なく命を落とした、と。
自身の亡骸を見下ろし、その時になって漸く彼は気付いたのだ。
「今の俺ならば、大将首すら挙げられる筈だ。ああ、早く戦にならねぇかなぁ……」
仲間内の酒宴では、恐らく酔った勢いもあったのだろうが。
彼がこの様に大言を吐いても。誰も茶化したり、笑ったりもしなかった。
皆も、彼の技量の程を良く知っていたからだ。
……なのに、まさか。
余りの情けなさに。ただ泣き叫び続け、同僚が自身と同じ末路を辿るまで……彼の霊は、何もできなかった。
「……良かった。此奴等が油断してくれていて。もし初手が防がれていたら、俺はその時点で、命運尽きただろう……」
瞬く間に、二人の敵兵を葬った弥太郎は。
自身を確実に殺してくれるだろう”白髪の童女”を探す為だけに。脱獄を企んだのだが。
見張りの兵に見咎められた時点で、彼が望む”死”が。もしかしたら、その時与えられたのかも知れないのに。
『────俺は、独りだ』
そうと勝手に思い込み、世の中を酷く怨む弥太郎の歪んだ精神世界では。そんな単純過ぎる矛盾にすら気付けない程に、視野が狭くなっていた。
「……先ずは、何処か身を隠せる場所を探さねば。捕虜が逃げ出したとなれば、必ずや追っ手にあの童女が出て来る筈だ」
狭い視野のまま。
彼はひたすら突き進んで行くしか、残された術はもう残ってない。
周囲の安全を脅かし、恐怖をバラ撒いている自覚も無しに。
「……あら? もしや、貴方は……?」
そして、この時彼は。自身の”天命”と巡り会ってしまったのだ。
◇ ◆ ◇
「……今。二人、死にましたな」
「その様だ。だが武蔵さん、解っているよな?」
武蔵の"霊界レーダー”には。人の死による魂の明滅が、はっきりと映し出されていた。
今、この時間。
彼らが守護すべき祈はと云うと。
珍しく酷い夜泣きを繰り返す、ひとり息子の真智を寝かし付けるべく、席を外していた。
「無論。ですが、俊明どの。此度の一件にて、我ら祈どのに酷く怨まれるでしょうな……」
「てか。怨むなら、自分自身を怨めってな。霊感の欠片も無かった静に、霊感と”退魔行”を授けたらどうなるか……? そのことを解っていながら目を背け続けたあいつの責任だ。俺ぁ知らね」
「あら、トシアキ。もしかして貴方、拗ねてるの?」
「ぐっ……違うわい」
ペチペチと皮脂が浮かぶ額を、掌で力無く叩きながら。俊明は弱々しく返事する。
「マグナリアどの。此は”後悔”と云う奴でござろうて。我らも一緒に教え導いてやれば、まだ結果は違ったのであろうが。半端に彼の娘御に関わってしまった俊明どのなんかは、此度の一件にて。こうやって、無駄に苦しむ羽目になるのでござる」
「ああ、確かに。あの小娘ってば。最近ちょーっと、色々鼻についてたのよねぇ……」
魔導士の”格”ならば。
弟子である祈はもとより、その資質を大きく上回るであろう静ですら。大魔導士マグナリアの前では、ただの小娘に過ぎない。
ましてや、自身の才能に溺れ、大海を知らぬまま驕り高ぶる文字通りの”小娘”には。
”大魔導士”の手で、高く伸びきった鼻っ柱を、一度完璧にへし折ってやるべきだったのかも知れない。
「……だが。祈はそれを望まなかったし、自身で解決しようともぜず逃げやがった。今そのツケを、嫌でもあいつは支払わねばならない」
「……あの子が珍しく”夜泣き”をしたのは。その一つ……と云ったところ、かしら?」
天命。
それが定まってしまった以上は。もう其処から大きく逸れてしまう様なことは、決して起こりはしない。
其処には”強制力”が働くからだ。
「恐らくは、<青龍>の娘も。”強制力”に依って、排除されてしまうだろう」
「”半神”であってすら抗えぬとは。恐ろしきモノでござる」
「……で、トシアキ。それが結局どうなってしまうと云うの?」
天命、天運、運命などのおよそオカルティックなモノ全てに関しては。
一見。額が寂しく、前髪の後退著しき見窄らしいおっさん。俊明の範疇だ。
「簡単に言っちまえば。あの”死にたがり”と静が出逢ったら、最悪のケースでだが、後に千……いや、万単位の死者が出るってぇ処か」
「そんな大袈裟な」
そもそも、あの男にどれほどの力もある訳がない。
鬼女は同僚の言葉を鼻で笑った。
「だが、実際そう大袈裟な話でもねぇんだ。困ったことに静ってよ。祈が使える魔術、全部使えんだ」
「……あら~……」
俊明の言葉が真実だとすれば。少なくとも静は、広範囲殲滅魔法<煉獄>との契約も済ませていることになる。
「もしそれが本当なら、確かに千は最低殺れるわね……」
「だろ? しかもあいつ、その手の躊躇が欠片もねぇのは。”地獄巡り”で既に実証されているってぇオマケ付きだ」
────現在、それが一番想定し得る最悪のケースだな。
掌で額を磨くように撫でながら、俊明は疲れた様に息を吐く。
多くの人の運命が、其処に関わってくる以上は。
例え”半分”どころでなく、完全なる神であっても。”強制力”の前には、ほぼ無力だ。
実際、祈が行動を起こそうとした途端、”強制力”によって排除されてしまうのだ。最早疑うべくもない。そう俊明は結論付けた。
「ならば、比較的マシな場合は、なんと?」
「……”死にたがり”に出逢った瞬間、静が其奴に有無を言わさず縊り殺されちまうパターンだな」
其方であれば。
祈と祟の、夫婦だけ……いや。一応は、彼女に関わってきた者達が不幸を覚えるが……でも、逆を云えばそれだけで済んでしまう。
「”世界”としては。確実に其方の選択の方が良いのであろうが……」
「だから、あの時。ふたりの守護霊が必死になって静を止めたのさ……どちらの両極端に転んでも、あの娘だけは絶対に幸せにゃなれねぇから」
”人並み”の霊感を持っている以上は。
静も、何となく「この先に行ってはいけない」と、嫌な予感を覚えた筈なのに。
「素のあいつは。一目祈を見た瞬間、其処に救いの光を感じたのだそうだ。元々のあいつは、そんな”心の声”に素直に従うタイプの人間なんだ。それなのに……」
殊更それを無視し、母が念を入れ幾重にも布いたであろう強固な結界すらも、自分なら然程苦労せぬと安易な気持ちですり抜けて。
「恐らくは。慕っていたであろう母を、実力で追い抜いてみせたい。そういう要らぬ願望もあったんだろう。その先のことも碌に考えずに」
「きっと、それこそが”若さ”と云う奴でありましょう。其処を我ら”大人”側が理解してやれずして、親などとは。到底胸を張って云えますまいて」
「……ムサシ。もうそんな簡単な話で済む事態を、大きく通り越してしまっているでしょ?」
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