第321話 捕虜の処遇
「……そうか。その者には、”地頭”たる己の名で見舞いを。絶対に、金を惜しむでないぞ?」
「はっ。祟様の御慈悲、遠き”倉敷”の地に赴いた我らも、救われる想いでございまする」
例の"死にたがり”のせいで。
倉敷に駐留する兵に、遂に犠牲者が出てしまった。
その者は。
右の眼球を失ってしまったのだと聞く。
「だが、しかし……」
祟の妻であり、帝国に於いては”魔の尾噛”とも称される程の、最強の名を欲しいままにする祈の技量を持ってすら。
「申し訳ございませぬ。我が<治癒術>の力では、眼の”再生”までは……」
到底及ばない。謂わば、神の領域なのだ。
その祈は以前、蜥蜴に寄って集って生きたまま身体を食い尽くされ、世に残るは頭蓋骨の欠片、その一片にまでに成り果てた土佐衆の頭たる明神 晴信の肉体を、<治癒術>で完全に復元し、蘇生までしてみせたのだが。
「……それは、彼の飽くなき生への”執着”こそが成し得た、奇蹟の範疇にございます」
どれだけ晴信の霊に説いてみたところで、最後まで昇天の理解を得られなかった祈は。
『────それで生き返る事ができなければ、素直に諦めろよ?』
その腹積もりで掛けてみた<治癒術>が、まさかの結果を生んでしまっただだけの、想定外だったのだ。
「謂わば、”人の持つ力”の。そこが限界、と云う物でございましょう」
「……そも、今まで帝国に於ける魔導の常識では。"肉体再生”そのものが不可能領域の話であったのだから。”できるか?” などと一度は訊けるだけ、躍進した方であろ」
嘗て祈も、両の眼を失った時は。
彼女の魔導の師である”守護霊その3”マグナリアが再生してみせたが。
マナの方から自発的に傅き従ってしまう程の、大魔導士たる彼女の技量をもってしても。”眼球の再生”とは、難事であるのだ。
日常生活において、裸眼でも差して支障がないくらいには祈も回復したが。
それでも物書きや針仕事を行う際には、眼鏡の助けが無くては難儀する。
「金では絶対に解決せぬ問題だが。だからと云うて、金を惜しむ理由には決してなるまいて。彼の者にも、此からの人生があるのだから、の」
「ええ、誠に……」
帝国に仕える”兵”たちは。
一定の読み書き計算ができて、そこで漸く俸禄が出る仕組みだ。
逆を云うと、その一定の境を超えることができねば、何時まで経ってもタダ働きである。
「隻眼では、到底前線に立たせることなぞできぬ。内務に枠はあったかや?」
「それでしたら。当面、魔導局で彼の面倒を見ると致します。翠の下に付けてやれば、何処であっても使える様になりましょう」
その施策は。
この様な事例に於いて、重要な意味が出て来る。
前線に耐えられぬ身体になってしまった兵を、無情にもそこで使い捨ててしまうだけになってしまわない様に。
前線での経験値を持った後方支援役を確保できる様に。
そして何より一番重要であるのが……
「賊なんぞに、身をやつさぬ様に……」
現在、倉敷周辺に居を構える住人たちの識字率は、凡そ4割強。といった処だ。
「生粋の帝国臣民であれば、多少覚束無くとも、文を読むくらいはできるものだが……」
「読み書きは、習い始めの時期が早ければ早いだけ、その習得も早いと聞き及びまする」
この世界、この時代において。
10年にも満たぬ、この短い期間で。1割にも届かなかった住人たちの識字率が、此処まで上がったのは逆に驚異的ですらあるのだ。
周辺国では、支配者階級の、さらにその一部にしか読み書き計算できる者が居らぬ。なんて事も儘在ると云うのに、だ。
「然もありなん。若い内は、頭もやわらかいそうだしの」
「ええ、もうね。頭が固くて悪ぅございましたねっ!」
「……祈よ。何故そこで急に拗ねるのだ?」
祈の中の、触れてはいけない何かを刺激してしまったのか。
急に頬を膨らませ、ぷいと横を向いてしまった妻の変化に。
「おお、祈よ。機嫌を直しておくれ。此では……」
────話が、全然進まぬではないか。
だが、祟は皆までそれを云う訳にいかなかった。何故ならば。
「以前貴方さまに言われた何気無い一言に。我が心が傷付いてしまったのを、少し思い出しただけですわっ!」
妻は、こうしてふと思い出しては。
酷く拗ねてしまうからだ。
「はぁ。己の方こそが、死にたくなってきたわい……」
”死にたがり”を死なせまいとして、拘束を続けているのだが。
こうして実際に、旗下の兵から犠牲者が出てしまっては。
(────いっその事。奴を放流してしまうのも手、か?)
恐らく、それに依って生じるであろう諸問題は。
”八神の国”に、この”倉敷”の都の存在を知られてしまう可能性。此が先ず第一に挙がるだろう。
その、彼の国の何に問題があるか?
天下の”八幡”の地を、既に抑えていると云うのに。拡大路線の一途を辿っている点だ。
「拡大路線によって出来た、ほぼ自滅に近い傷から漸く立ち直りかけた帝国には。まだ他国の侵略の手を真っ向立ち向かう体力なぞ、在る訳もない」
当然、その様な危険な国との境が近き、この倉敷の地では。
手に負えぬからと云って、そのままの無策では”死にたがり”を放つ訳にもいかぬ。
(────ならば、殺してしまうか?)
そうすれば、後顧の憂いは確実に断つことができる。
できるのだが────
「……流石にそれでは。不義理が過ぎようて」
半分、彼の背後霊と化していた仲間たちの霊に。夫婦共々約束してしまったのだ。
『其方らの願い、相分かった。この地を治めたる我が名に於いて。彼の者がこの”倉敷”の地で健やかに過ごせる様、取り計らおうぞ』
彼らとの昇天の間際に交わしたこの”約束”は。
確り守ってやらねば。きっと彼らは、成仏しきれぬことだろう。
「想いを残す。人は”未練”なぞ、決してあってはならぬのだ……」
「確かに未練は残してはなりませぬ。ですが、想いを残し他人に託す。連綿と受け継がれし人の持つ”業”は、何も悪いことばかりではありませぬ」
広大な思案の海へと、ひとり漕ぎ出していた祟の側には。
最愛の妻が寄り添っていた。
「おお、祈よ。漸く戻ってきたか?」
「祟さま、そんな意地悪なことを仰るのでしたら。私、また拗ねちゃいますよ?」
「それは困るの。頭の固い己だけでは、良い思索なぞ其れこそ儘成らぬわ。すまぬが、助けておくれ」
「はい。私めにできることでしたら、何なりと」
現在、祟と祈の周囲には。
地味に頭の痛くなる話ばかりが集まってきている。
娘の将来に。
倉敷の安全保障。
そして、国の行く末。
「どれもこれも。何一つ解決の糸口すらも無いときておる」
「せめて、静の一件だけでも……」
────祈よ、それが一番難しき話ではないかの?
その様な言葉を、思わず口に出しそうになってしまったのは一瞬。
だが、祟は。その言葉を、息ごと強引に呑み込んでみせた。
(危うい。もう少しで”言霊”が発動する処であったわ……)
自身の持つ唯一無二の”異能”が。
何処までも何処までも。足を引っ張る可能性に、祟は頭を痛めた。
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