第320話 精神潜行
”魔術”によってもたらされた眠りでは。
夢を見ることは、絶対にない。
夢とは。
脳が半覚醒状態の時に、それまでの自身の記憶と、気持ちの整理を行う際の”副産物”であると云う説がある。
そもそも、魔術によって強制的に脳の活動を抑制されているのだから、夢を見られるほど動いている訳も無いのだが。
帝国の人間たちから”死にたがり”と公然と呼ばれているその男は。
名は弥太郎と云い、姓を持っていない。
一応、彼は武士階級の家の出、なのだが。
その中でも、彼の父は出世をすることもなく、万年最下級職であったが為に。
未だ姓の名乗りを赦されてはいなかった。
「俺も、何時かは……」
それが酒に呑まれた際の、弥太郎の父の口癖だった。
背中を丸め、小さくなりながら。
何処か世を下から卑屈そうに見上げ、そして怨む様なか細い声を発して。
やるせない想いを、子や妻に不条理にぶつける蛮勇すらも持てない、只の小者。
弥太郎は、そんな小心者過ぎた父親が大嫌いだった。
その様な父親に、変な期待を向けられ育てられてきた息子はと云うと。
『刀や弓は良く遣う。だが、それだけだな……』
凡そ武士階級に於いては。刀、弓、槍が扱え、その上で馬を操れて当たり前。
武だけでなく、其処から文も練れなくては、到底話にもならぬ。
ましてや、今や”八神の国”は、天下に轟きし”八幡”の地を治めているのだ。
その支配階級に連なる者が、野盗と何ら変わらぬ武辺者であっては。体面上、良い訳が決してない。
斯くして、文の面が全然足りぬ弥太郎は。
本人の意向も、父親の期待も。その悉くを無視されて。”捨て駒”とほぼ同義である、斥候の一部隊に組み込まれた。
「……へぇ。そこら辺、帝国とそこまで変わりはしないんだ?」
「姓無しなぞ、何処の国も扱いは同じ。それに付け向上心も無いのでは、致し方無しと云う処でございましょうか」
尾噛 祈と、千寿 翠は。
<深層睡眠術>の影響下に在る弥太郎の精神世界に強引に入り込み、彼の記憶を幼少期から浚っている最中だ。
半ば彼の”背後霊”と化していた、嘗ての仲間の霊たちは。
既に祈の手によって皆昇天した後だ。
”八神の国”に付いては。彼らが識りうる粗方の情報を、然り引き出した後だが。
「……彼は、対人恐怖症の気がある様で。仲間の霊達も彼の事情までは」
「だからってさ、此処までやるのは流石に……」
人の意識、記憶の中を探索するのは。
何時ぞや静の時に、邪竜の持つ”権能”を借りての一度きりだ。
「主上も此の程度は。望めば何時でも出来ましょうに」
「出来るのと、やりたいのは。全然別の話でしょうが」
確かに、精神潜行自体は。守護霊その1である俊明から、その手解きを然り受けてはいるが。
他人の記憶、その全てを。本人の了解も得ず、勝手に浚ってしまおうと云うのは。
「流石に違う。と、私は思うのだけれど……」
「幾ら待てども、何も話しもしないのでは。それこそ時間の無駄にございましょう、是非もありますまいて。ましてや、彼は完全なるコミュ障ですし」
弥太郎はと云うと。
口べた、ではなく。コミュ障だ。
順序立てた話の構成なぞ、最初から欠片も望めなくば。更には必要な情報を引き出すのにどれだけ無駄な時間を強いられることやら……
効率性を追求するならば、この方法こそが一番だ。そう翠は断言した。
「……ま、その辺はもうやっちゃってる以上、今更の話だし。一端置いとこか」
「敵国の”雑兵”如きに掛ける人道なぞ、うちには到底理解が……」
祈を含め、5人の中では。
翠が一番物事に対し冷淡で、徹底的な現実主義者だ。
敵に対し、情けを掛ける気が欠片も無ければ。
味方の優位性を確実に担保するためならば。幾らでも冷徹に、そして何処までも彼女は卑怯になれる。
(だからこそ、彼女はとても頼りになるのだけれど……)
そうは思っていても。
祈は翠に対し、何処か機械的で人間離れした……正直に云ってしまえば”爬虫類的”なザラ付く何かを感じ、妙な隔たりを覚えてしまうのだ。
(彼女の産みの親たる<玄武>とは、最後までしっかりと話をしなきゃいけない。何故か、そんな気がする……)
”家族”に対し、疑いの眼を向ける。
そんな何処か後ろ暗い想いを勝手に抱いて。少しだけ嫌な気持ちになりながらも。
祈の中に膨らんできた、この確信は。
どうしても消し去ることができなかった。
◇ ◆ ◇
祈と翠による”精神潜行”は。
弥太郎自身も完全に忘れていた筈の、幼少期の心の疵を呼び覚ますという副作用があった。
<深層睡眠術>による眠りでは。
肉体的な疲れは一切取れず。更にはその分、しっかり精神も摩耗する。
其処に来て、幼少時のトラウマの鮮明回帰だ。
魔術の眠りから解放された途端、弥太郎は絶叫と共に布団から跳ね起きる羽目となった。
「五月蠅いぞ、どうした?」
扉越しからの、見知らぬ兵の呼び掛けが。
トラウマを刺激されて。追い詰められた弥太郎の精神に、更なる追い打ちをかけた。
「うわあああああああああっ!」
「うおっ、暴れっ……」
弥太郎は混乱しつつも。
物見窓から覗く兵の眼を、正確に突いてみせた。
「ぎゃあああああああああっ! 眼がっ、俺の眼がぁああああああ!!」
「どうしたっ?! おいっ!」
指にかかるぬるりとした熱と、粘性を帯びた体液が。
「うおぉぉぉぉっ! 俺を殺せ。早く殺してくれぇえぇぇっ!!」
弥太郎の中に潜む”獣性”を、大きく刺激した。
誤字脱字等ありましたら、ご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら大変嬉しいです。よろしくお願いします。
ついでに各種リアクションも一緒に戴けると、今後へより一層の励みとなります。




