第318話 親の対応
「……そう来たか」
「ええ。文字通りの”不意討ち”でした……」
確かに。
静の周りに、同年代の男女は居なかった。ほぼ皆無だったと云っても良いくらいに。
下手をせずとも。
「あの娘の周りでは。”母親”である其方こそが、一番年嵩が近かった……か」
「本当に。検めて考えてみたら……何とも笑えぬ状況でございました」
その様な生活環境では。
「まともな価値観なぞ、築いてもやれぬわ。今更だがな」
「あの娘の母として。何とも恥ずべき結果でございまする」
穴があったら入りたい。とは、正にこのことだなと、”母”は独り自嘲する。
祟に指摘されるまでもなく、祈自身が”まともな”恋愛観を持っていない自覚が在る以上は。
どうやって、娘に対して。
世間一般の婦女子としての価値観を教えてやれるのか?
これこそが、最大の課題だったのだが。
「すまぬが。己もわりと世間一般とやらの定義からは逸脱した環境で育ってきたのでな。何も協力してやれなんだわ」
「ええっと……正直に申しまして。その辺、祟さまには何も期待してなぞおりませぬので……」
「────で、あろうな」
あまりに残酷過ぎた妻の一言に。特に傷付くこともなく、祟は鷹揚に頷いてみせた。
「一目惚れ。確かに聞こえは良いが……」
「そもそもの経緯こそが大問題です。監視の眼をかいくぐり、捕虜の下へと無手のまま単身乗り込むなど。”軍人”としても、また貴族の”令嬢”としても。在っては成りませぬ」
静の魔術の技量は、帝国の中も屈指のものだ。
それこそ、油断をしていたら祈ですら不覚を取りかねない程に急成長を遂げている。
その様な”魔導士”が本気になれば。
「監視なぞ、在って無いが如きよ。だが、何故静は、敵国の兵の存在を知ったのだ?」
今の静の身分は、帝国魔導局付きの導師”見習い”だ。
軍部の中でも、その扱いは最下級待遇であり、身分は魔導士でありながら一般兵とほぼ同等だ。
当然、その様な”底辺”如きには。軍の機密を漏らす訳もない。
「その様な不心得者は、我が配下にはおらぬ……そう願いたいものですが。私の魔術の”残り香”。それを静は感じ取ったのやも知れませぬ」
帝国魔導士の頂点とも云うべき”筆頭職”に在る祈は。
基本的に。周囲のマナを決して集めない様に、意識的に魔力の腕を封印している。
マナを確保し、支配下に置くは。言うなれば、魔導士としての”本能”だ。
そして、空間のマナリソースには限りがある。
優秀な魔導士が周囲のマナを独占し、全てを支配下に置いてしまえば。
もうその者以外が、魔術を行使できなくなってしまう。支配下に置かれたマナを奪い、解放せぬ限りは。
「ですので。私が珍しく魔術を行使してしまった結果、静が興味を抱いたのでは────と」
「ふむ、なるほどの。しかし、だからと云うて……」
正式に軍で監視を布いていた部屋に、単身忍び込むとは……
”八神”と云う国の存在と。
其処から来たと云う”脱走兵”の話は。
本国から明確な指示があるまでは、全て”最高機密”扱いとなる。
────と、云うのに。
「これは”地頭”としての要請である。帝国軍魔導局所属、導師”見習い”尾噛 静に対し、厳罰を持って当たられたし……すまぬが、立場上こうせねば成らぬのだ。赦せとは云わぬが」
「慎んで頂戴致しまする。我が配下の不始末、我が職責に代えましても、必ずや濯いでみせましょう」
父母の思惑一切は、もう関係が無くなってしまった。
身分と立場のある人間は。
決して私情を挟んではならぬ”一線”というものが、必ず在るのだ。
此度の一件は。
『何となく、興味を覚えた』
ただ其れだけのつまらぬ理由で、気軽に超えてしまったのだ。
「此度は静だから起こった。そう諦める他あるまいて……当然、駐留軍の情報統制に不備はなかった。そう願いたいものだな」
「念の為、翠に問題の洗い出しを命じておりまする……妙な表現になってしまいますが、この機会に検証できるのは幸運だったのやも知れませぬ。大事があってからでは……」
「うむ。そうだの」
このまま重大な見落としを放置していて、いざ事件が起こってからでは、確かに遅すぎる。
あの死にたがりの甘えん坊君は。
「……そういえば、名を訊きそびれていましたが。”死にたがり”のあの子、無手の技量だけでしたら、ウチの魔導士たちとも充分にやり合えると思いますわ」
「……其れは不味いな。”一般兵ではまるで相手にならぬ”。そう云うてる様なものではないか」
祈のシゴキは、”地獄の一丁目”。
そう影で云われる程に、熾烈を極める。
当然、その様なシゴキが日常茶飯事な帝国魔導局所属の魔導士たちは。
『一般の剣士三人を相手に。無手に依って無傷で制圧してこそ、魔導士としてようやく一人前』
などと、そう信じて疑わなくなる。完全に感覚が麻痺してしまっているのだが、皆が皆そうなので。誰も疑問を挟むこともないのだ。
「そして、当たり前の話になりますが。ウチの静が彼と相対してしまったら、瞬きの間に縊り殺されてしまうでしょうね」
「……で、あろうな」
静という娘は。
運動神経というものを、母の胎内に置き忘れたまま。此の世に生まれ出でてしまった様で。
「普通に歩いているだけで蹴躓く者を。己は初めて眼にしたわ。物語の中の創作では、なかったのだなぁ……」
「本当に。アレに関しては、私でも矯正できませなんだ……」
祈の師であり、何百の剣豪をも育て上げてきた実績を持つ武蔵をもってして、
『この娘御。脚を斬り落としてしまった方が、逆に俊敏になるやも知れませぬぞ』
とまで言わしめた豪の者なのだ。
「念の為、静には美龍を付けさせております。間違っても、”死にたがり”が眠る部屋には近づけさせぬ様に、と」
「それが正解であろな。其方の弟子どもとほぼ同じ”戦力”だと看做せば。ひとり野に放つだけで、大事だわい」
ましてや、今”倉敷”の地には、招かれざる客が大挙押し掛けてきているのだ。
もし仮に、そんなのと”死にたがり”が接触してしまったら────
「……うおうっ、ぶるるっ! 背筋が一気に冷えたぞ」
「想像力豊かなことで。と、いうか。祟さま。貴方様の”権能”、四方やお忘れではございませぬよね……?」
「おおう……そうであった……」
祟の持つ”言霊”の力は。
口に出した途端に、運命と云う名の”強制力”が働いてしまう。
其れは、強力過ぎるが故に。
「貴方様お一人では。完全に制御できる類いの”権能”ではございませぬ。ご自重くださいませ」
「……しかし、祈よ。其方、一瞬そうなってしまえば良い……そう思うただろ?」
夫の指摘に対し、妻は。
直接否定も肯定もせず。ただ柔らかく微笑んでみせたのみだった。
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