第317話 眠り捕虜
「主上の魔術は、正に”別格”でござりまする……」
祈の放った<深層睡眠術>に依って。未だ深い眠りの底に在る”八神の兵”の男に付いて問われた際の、魔導局副長たる千寿 翠の返答がこれだった。
魔術によってもたらされた眠りは。
基本的に、定められた効果時間が過ぎてしまえば。すっぱりと目覚めてしまうものだが。
「……どうやら、あの人は。極端に魔術に弱い体質なのかも知れない」
「彼。既に丸一日中寝コケております。ほぼ、倍……ですかぁ」
<深層睡眠術>の効果時間は約半日である。
一応は、詠唱段階で効果時間の設定変更も可能だが、無詠唱やそのままの詠唱によって発動した術がフルヒットした場合、きっちり半日なのだ。
「彼が何時まで寝ていられるか? それを調べてみるのも、逆に面白いかも知れない」
「祈しゃま。流石にそれはどうなのかと琥珀は思うのですがぁ……」
「公的に彼の扱いは”敵国の捕虜”となります。当然ながら。彼に対する主上の行いの一切が、公文書にて後世へ残りまするが……それでも、宜しいので?」
今の今まで。
帝国魔導局の発足以来、”局長”尾噛 祈の非常識の程と云えば。
「正直、面白可笑しか逸話が今更一つ増えた所で。なんのことはなかろうばい」
「その一言で全てが片付いてしまう時点で。主さまが世間様カラどれだけおかしな眼で視られているのか、其れで良く解るってもんヨー」
「黙らっしゃいっ」
確かに、”死にたがり”の男の素性は。彼の口からは何一つ出て来てはいないが。
彼が背負う罪……”仲間の霊”たちが、今までの経緯を全て祈に伝えていた。
そのお陰で。
”八神”とは、どの様な国なのか。
”獣の王国”亡き現在の列島の東側の情勢は、どうなっているのか────
色々と新しい情報を、帝国は得ることができたのだ。
「……静が生まれ育った”八幡”が、そんな重要都市だったなんて」
「東西南北。全ての主要街道が交わる交通の要所でございますれば。一説には、『”八幡”の地を治めし者、天下を獲る』等とも」
野心を抱く者が、”八幡”を狙う理由が何となく理解できたと共に。
その地に”群体”による支配圏を築き、正に列島の人間全てを獲らんと活動を始めていた”魔王”たちの、本能的嗅覚に驚く。
「”魔王”亡き今なら。無理に私達が表に出る必要も無いけれど」
「そうは参りますまい。主上、現在の貴女様のお立場は。この”倉敷”の地頭代であり、帝国魔導局の”局長”であり、此の地に於ける軍の筆頭職でございまする。形式上、真っ先に戦場へと馳せ参じねばなりませぬ」
”八幡”の街に拠点を移し。
周辺国を積極的に呑み込んでいるともなれば。
彼らが次に向かうは、東か西か?
東であれば、まだ猶予はあるのだろうが。
西であれば。年内には国境の壁にまで侵攻の足が届くことだろう。
「”八神”……だっけ? 彼の国が交易で財を成した……のならさ。別に接触即開戦なんて物騒な話ではなくて、交易で共存とかって。そっちの方の模索は、できないものかな?」
中央大陸から追い出される格好となった”帝国”は。
列島の南の島に逃げ込み引き篭もってから200年余りというもの。他国とのやり取りのほぼ一切が無くなっていた。
一部の豪族の中には。
”辰”や”淘”と云った中央大陸の海に面した辺境の国々と、独自に商いを行っていた者も居はしたが。
所詮、個人的な少量の細々としたやり取りに過ぎず、国家間の交易には到底及びもしない。
「難しいでしょう。そもそも帝国の”通貨”は、列島で一銭も使えませぬ。密輸をしていた伊武家やらは、金子家の砂金や金鉱を用いていた模様でございますし」
お互い共通の価値観に基づいたものでなければ。
そもそもの商取引自体が成立する訳も無いのだ。
「……てゆか、栄子さまたちってば、どうやって交易してたんだろ?」
「”海賊行為”以外では、物々交換が主であったようですね」
海魔衆が持つ戦艦たちは。
元々が、内海に面した港町を周遊して交易を行うことを目的に建造された物だ。
ただ、主に設計、製造の指揮を執っていた"転生者”三人の天才たちが、真に天才過ぎたが故に。
圧倒的”戦力”を持つ艦の力に酔いしれ、何時しか海賊行為こそが海魔の主要産業と成り果ててしまったのだが。
「……逆云えば。栄子達がチョーシこいたお陰デ、今の生活がある訳よネ」
「何となく良い話っぽく纏めようとした処で……てゆか、祈さま。<海魔>の人たちが内海の他の国に出向いたりしたら、逆に不味くありません?」
内海に面した街は。
何処も焼け野原であった頃の”倉敷”と似た様な状況であっただろうことは想像に難くない。
飛竜や海竜を嗾け、果ては速く、巨大きく、そして強い艦を操り、思う様に港を荒らし去って行く”賊”たちの。
鮮明に記憶に残っているだろうし、怨みに思う者も、恐らくは少なくないはずだ。
「……素知らん顔して挨拶したりとかしゃれたら。キレるっちゃないと? ちゅうか。アタシやったら絶対キレるわ」
「美美なら。そんな巫山戯た奴、確実に殺るヨー」
────平和の道を模索しようとしたら。
何となくそのまま開戦の引き金を引いてしまいました……では。
(……それは、流石に。笑えない冗談だ)
とは云え。
八尋 栄子率いる<海魔衆>の合力無くば、今の帝国は何も立ち行かぬのも、また事実だ。
「最悪、防備だけは確りとやっておかないと」
「ですねぇ。1回の接触程度で滅んでしまう……とか、そんな極限の戦いって訳でもありませんし」
それほどに彼我の国力、戦力比に差があるのならば。
「備え、以前に。最初から降伏するヨーってお話ネ☆」
「ばってん。黙って殺らるーんな。やっぱりしけとー。どうしぇなら徹底抗戦したかもんだがなぁ……」
「その様な愚劣な将の下に付いた兵は、心底憐れでございましょう。決して楽には死ねませぬ故……」
「なんね、翠。喧嘩やったら売値で買うくさ?」
何時ものグダグダが始まる予兆に、祈の溜息も大きくなる。
戦が始まれば。事実矢面に立つのは、国境の在る”倉敷”の端だ。
せめて、それまでに甘えん坊の捕虜の男の処遇を考えねばならぬだろう。
大人しく国元に帰ってくれるのであれば、それで良し。彼の背後霊たちの言葉を一々律儀に聞く必要なんか、祈の側にはない。そもそも、本人にその気が欠片も無いのだから。
そして。彼の男を解放した途端に大いに暴れ、末の玉砕を選ぶ……どうしても祈にはそんな気がしてならないのだ。
「てゆか、主さま。そんな面倒なの、寝かせたまま壁の向こうへ捨ててしまえばヨロシ。馬鹿正直に面倒を見ようとするかラ、無駄に馬鹿を見るのヨー♡」
「ああ、なるほどっ!」
「……納得なされても。それは人として如何なもの、なのでしょうか?」
「母さまっ、母さまっ! 母さまっ!!」
「うん。どうしたの、静?」
淑女としてあるまじき大声と、足音を響かせながら、大慌てで部屋に飛び込んできた娘の剣幕に。
若干ヒきつつも、祈は”貴族”らしく。努めて冷静に対処しようとした。
「母さまっ! わたし、あの御方と一生添い遂げたく存じますっ! お隣の部屋で眠る、あの殿方とっ!!」
「ちょっ……はあぁぁぁぁ?!」
……のを、生涯後悔する羽目となるのであった。
誤字脱字等ありましたら、ご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら大変嬉しいです。よろしくお願いします。
ついでに各種リアクションも一緒に戴けると、今後へより一層の励みとなります。




