第316話 死から目覚めて
「……ここは……?」
男の目覚めは、最悪だった。
────仲間に殺された。
その筈であったと云うのに。
目の前に広がる天井は。
男には全く見覚えの無きそれを見上げる。目を見張るばかりの豪奢な造りであり、此処の家主は、少なくとも其処いらの金持ち程度では収まらぬ程の資産家だろうと云うことだけは、良く解る様式をしていた。
(どうやら。俺だけが、生き残ってしまったか……)
”武家”と胸を張って誇るには、まだ歴史の浅過ぎる家に生まれてしまったが故に。
『俺は戦で生きる以外の術を持たぬ』
そう信じて疑わぬ己の愚かさ、そして頑迷さこそが。
なのに仲間たちは、戦以外の道を歩もうとしている。
そのことを、男は心の片隅で祝福すると同時に。
『俺を置いて、お前達は遠くへ行ってしまうというのか?』
狂おしい程の嫉妬と怒り。
独り死ぬのと変わらぬ、孤独感に苛まれた。
……どうせ死ぬのならば。
共に戦場を駈け、背を預けてきた仲間たちと一緒に死にたい。
そう、願い続けてきたと云うのに。
此方は無手で、独りのみ。
彼方は刃物を持ち、更には複数人。
身の護りの一切も考えず、ただ仲間達全員を道連れにしての玉砕。それを狙ってみたのだが。
(……自身の頑丈さが裏目に出てしまったか。全てが致命傷、そう思っていたのに)
仲間のひとりを縊り殺す毎に。
態とひとつの致命傷を受けてきたはず……だったが。
「道理で。多くの死神を背にしているかと思えば、そういうこと……その”宿痾”。然り晴らさねば、自らの死を望むこと自体、儘成りませぬ」
男は布団から飛び跳ねる様に抜け、声の方へ手刀を向け戦闘姿勢を取る。
如何に物思いに耽っていたとはいえ。男はその”声”を耳にするまで、一切の気配を感じていなかったのだ。
(────もし、女が本気だったら。俺は確実に死んでいただろう……それも、何回でも)
男の胸を占めるのは。
恐怖心?
敗北感?
そのどちらでもなかった。
『ああ、目の前の此奴ならば。俺を殺してくれる筈だ』
安堵と、歓喜だ。
目の前に佇む白髪の童女であれば。
「今すぐ俺をっ、殺してくれぇっ!」
男は、幼少の頃より刀と弓を良く遣い。無手の心得を、父親から徹底的に叩き込まれてきた。
その力を、遺憾なく発揮し。
共に生きてきた仲間達を、この手にかけて。
男が本気で拳を握れば。
童女の頭なぞ、熟れた西瓜の如く爆ぜて無くなってしまう筈だ。
なのに、男には。
(これで俺は。仲間達の所へ逝けるっ)
自身の死。
その確信だけが在った。
◇ ◆ ◇
「何故だっ?! 何故俺をっ?」
「……誰が楽に死なせてやるものですか」
男の必殺の拳は。
白髪の童女……祈へ、届くことは決してなかった。
祈は男の拳を受け流し、その勢いのまま畳に叩き付けたのだ。
「主さま。せめて供のひとりは、お側に置いといて欲しいヨー。もし”億万が一のこと”があったりしたラ、美美大目玉喰らってしまうネ。オカズ無しって、かなり悲しいのヨー?」
「ごめん、美龍。まさかこんなに早く眼を覚ますとは思ってなかったからさぁ」
派手な物音を聞きつけ、美龍が慌てて飛んできたのがつい先程。
男はというと。
(動けぬ……なんだこれはっ?)
背中の中心辺りを、軽く掌で抑えられている。それだけだと云うのに。
幾ら力を込めてみせようとも。
どれだけ必死に身動ぎを試みようとしても。
(……駄目だ。何も出来ぬ)
男は抵抗を諦めた。
「ねぇ、主さま? コイツ、死相が出ているノニ、全然死にそうに無いのなんで?」
「ああ、それはね……」
◇ ◆ ◇
また何時暴れるか解らぬ”狂人”を大人しくするためには。
<深層睡眠術>が一番だ。
「……主さま、抵抗の気配も無く。ホント、素直に入ったネー」
「あの男の人、新人の”教材”には凄く良いかも知れない。自信付けてやるのに丁度良いわ」
どうやら、”隣国の兵”の間には。魔術は全く浸透していない様だ。
少しでも魔術の”気配”を知る者であれば。
例え無意識下であったとしても。自身に掛けられる魔術に対し、抵抗を試みるものだ。
「それが無かった。なら、幾らでも対処はできる……かなぁ」
「てゆか、祈さま。彼が”隣国の兵”だと断定なさったその根拠は?」
琥珀の疑問は尤もだ。
美龍も、蒼も。その問いに、頷きを持って応えた。
「皆、彼を視なかったの? 仲間たちの霊が必死になって私たちに訴えてきてたのに」
<五聖獣>の祝福を受けた彼女達は。
祈以外も、霊界に通じた瞳を持っている。
ただ、祈と違い、彼女達は。
「そりゃ、当然何時も使うとー訳なんかなかにきまっとろうが。気が狂うてしまうわ」
蒼の言葉の通りである。
常に”魂のチャンネル”が霊界へと繋がっている祈自身が例外中の例外に過ぎない。
一般人にとって、霊界と云う名の”異界”は。余りに刺激が強過ぎるのだ。
「……して。彼の背に在るその人たちは何と?」
<五聖獣>の祝福を受ける前からも、魂が霊界と繋がっていた筈の翠は。
まるでそんなこと自体を知らなかったかの様に、祈に問うた。
「……うん。『彼を絶対に殺さないでくれ』、『寂しかった気持ちは理解しているつもりだ。そのことを彼に伝えて欲しい』そして、『どうか戦いを知らぬ生活をおくってくれ……』だったかな」
「何ともまぁ。ずいぶんと愛されておりますねぇ……」
「ネー? なのに、自身はどうしようもなく”死にたがり”だとカ。何とも世の中っテ不公平ヨー」
琥珀も美龍も。
自身が欠片も興味を抱かぬ人間に対しては。徹底的にドライだ。
ましてや相手は。孤独を嫌う死にたがりでかつ、自死を選ぶ度胸も無いという、極めつけの甘えん坊なのだ。冷淡にもなろう。
「まぁ。勝手に死んで、どうぞ……としか、ウチからは正直云えませぬが。其れより、”隣国の動向”こそが気になります。偵察部隊が動いた以上、帰還者がひとりもおらぬ。その事実ひとつが、上層部の強い関心を惹く危険も……」
「うん、その危険性は充分に考えられるね。国境の壁の巡回頻度を増やさないといけないかなぁ」
壁の大元は土の初級魔術<大地壁>だ。
それを”芯”に使い、周囲を土の魔術で造りだした石で覆うことで補強している。
その石も。
引っ掛かりを極力無くす様に、石を隙間無く積み、また表面をしっかりと磨き上げているのに。
「……素手で登るのは先ず困難。そうなる風に造る様、指示したはず。なのになぁ……」
「其処はもう、何の装備も無く登り切ってみせた彼らの技量こそを褒めて差し上げましょうよ、祈さま?」
「”斥候”ん部隊っちゃけん、それくらいん芸当ば、できてもらわなつまらんやろうばってんしゃ」
鼻を鳴らし、蒼は嘯く。
倉敷の”草”の総元締めとしては。その程度の技量を、敵に求めても良い筈だ。
「蒼様、”敵”に多くを求めないで下さいませ。下手に歯応えが有り過ぎますと、倉敷の方が疲弊してしまいまする」
「ちぇー、つまらんかぁ……」
どうやら、”戦の気配”が。
近くまで忍び寄ってきている。厭でもそれを自覚せねばならない時期が来ているのかも知れない。
(ああ、まだ静の縁談話に。頭を悩ませていた方がよっぽど)
……マシだ。
などと。流石に”母親”としてはあるまじき思考が、祈の脳裏に一瞬だけ過ぎった。
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